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十七話

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それから私はというもの、連れて行かれた王宮で徹底的に手当てを受ける事になった。

王宮の関係者は、私の肩の傷を直ぐに治療した後、やせ細った体を見て改めて絶句していた。



「いかに極限の生活を送っていたかがうかがえますね、大丈夫ですよ、ここでゆっくりと療養してください」



「なんてお可哀想な。こんなにやせ細った体で、よく今まで生き延びてくれました」



「ミノタウロスにいつ食べられるかという恐怖もあったでしょう。ここは安全ですよ」



彼らは一様にそれらの事に似た事ばかり言った。

牛頭の怪物が、私をそれなりに助けてくれていた事や、彼がくれたナイフや短刀がいかに私を生き延びさせてくれたのかとか、思いもしない様子だった。

そう言えば、あの短刀は海に沈んだけれども、私はしっかりとナイフを持っているのだ。

ぼろぼろの皮の鞘に入れられたナイフを、貴重な金剛銀で作られたものだと気付く人は今のところ居ないのだ。

とにかく、私はゆっくりと眠る事と、食べる事と、治療に専念する事を求められていて、唯々諾々とそれに従うほかなかった。

ここで、



「牛頭の怪物は優しかった」



「彼のおかげで生き延びられた」



「狂暴でも何でもなかった。ちょっと力加減が出来ないだけだった」



そんな私にとっての真実を、いくら話しても信じてもらえないだろう事は、うすうす察せたからだ。

そういう事を数週間続けて、更に傷が熱を持ったために寝込んでさらに時間をかけて、私はゆっくりと回復していった。

普通の病人のための食事は、お父様がいた頃に食べたものと同じくらい美味しかったけれども、どうにもどこか砂のような物を食べている気分も味わった。

きっとそれは、

「私だけがおいしい物を食べている。私を何くれとなく助けてくれた牛頭の怪物は、これを食べられないのだ」

という意識が働いた結果なのだろう。

でも、とにかく食べて寝て、回復をする事が優先されて、やっと王宮内にある客間の外まで出られるようになって、それを聞いた王様が私の所に現れた。



「大変に申し訳ない、国の恩人を危うく殺してしまうところだった……本当にすまない」



「……まさかボウガンで狙われる事になるとは、思いもしませんでしたよ……」



何か言おうとして、非難する事を言ったら何が起きるかわからない、と判断した私の言葉は思った以上に、淡々としていた。



「君には爵位と貴族年金が支給される事が決まった。それから金剛紫勲章も贈られる」



「それは……大将軍に匹敵する英雄に授与されるものではありませんか……」



私はデビュタント以降、社交界に出られず、ひたすら下町などで汚れまみれになりながら働き続けていたけれども、その勲章がとてつもなく貴重な物だという事も、それらを贈られる人がものすごい立場になる事も知っていた。

金剛紫勲章が送られた人は、一生普通に暮らすならば、生活に困らないだけの貴族年金をその人一代だけもらえる事も知っていて、貴族や騎士が、喉から手が出るほど欲している物だという事くらいは知っていた。



「どうしてそれほどの好待遇を」



それだからいっそう理解できなかった。それだけの事を私はしていない。ただ、一生懸命に生き延びようとして、事実として生き残っただけの話なのだ。

理解できなさ過ぎて戸惑っていると、王様は言う。



「君が行った事は、今まで誰も出来なかった事なのだ。……あの人喰いミノタウロスへの生贄として、ミノタウロスをどうにかする密命を帯びた腕利きの人間達もいた。だがそう言った人間が乗っている船はことごとく沈み、腕利きのもの達もその命令だけは嫌がるようになっていた。だが君は違った」



「それは……ただ運悪く満月の日に、流されてたどり着いた結果ではないでしょうか……」



君は違うと言われても、私はただそういった、偶然が働き続けたためだとしか、言いようがない。



「君は人喰いミノタウロスから生き延び、海神の怒りを解き、我々がついにミノタウロスを討ち取るに至る立役者であり、まさに神に選ばれた英雄なのだ」



「だから、彼は人食いでも何でもなかったと前にも説明しました。お肉が嫌いで、野菜が好きだって」



「だが迷宮アヴィスの中に入れられた生贄達は、一人として生き残っていない。それをどうとらえる? どう考えてもあの化け物が食いつくしたからだろう」



……そうか、そういう考え方になるのか。私は複雑な思いで王様の話を聞いていた。

結構な歳月に登る、生贄を迷宮アヴィスに入れるという行為の中で、一人として生き残っている生贄がいないという事、それはつまり、あの牛頭の怪物が食いつくしたからだと、安直に考えてしまうのだろう。

事実として、王様達が知っている事をつなぎ合わせるとそうなるのだろう。

まして王様達は、王宮の中にいた事の彼が、暴れ狂って手に負えなくなって、迷宮アヴィスに閉じ込めてしまったのだから。

私はその、あの島に連れて行かれた生贄達の事を思うと、それ以上否定できなくなり黙った。



「君の傷が癒えたら、授与式を行う。君のための衣装などはこちらですべて手配するから、何も心配をしなくていい」



最後にそう言って、王様は去っていった。

……私は、社交界デビューからすぐ、そう言った環境から遠ざからなくてはいけない人生で、王家とか貴族とかのあれこれを知らずに生きてきた。

そのため、ミノタウロスの生贄の事も知らないでいたし、関わる事もなかった。

でも、でも、普通に社交界に出ている人達からすると、公然の秘密だったのかもしれない。

そのために誰もが、娘や息子を死なせたくなくて、生贄にさせる事を拒否し、今年のそれにつながって、私という予測不可能な人間が現れた事で、彼等からすれば事態が好転したのだろう。

つまり私は、この国の貴族たち全員にとっての、恩人に値する事をしてしまったという判断なのだろう。

そうでもなければ、金剛紫勲章ほどの物が、私ごときに与えられるわけもないのだ。



「あなたを犠牲にしてまで、欲しい勲章でも名誉でもないんだ」



私は小さな声でそう言って、そう呟いた時に、ああ、私は恋愛的にではないけれど、牛頭の怪物を気に入っていたのだ、と気付いてしまった。

きっと言葉を交わせないだけで、友達だった。

肩が震えて来て、流れないと思っていた涙がこぼれて、私はひっそりとそこで泣いた。





それにしても、私が生きていると知っているだろう、お母様やカトリーヌは、どうしてお見舞いにも来ないのだろう。

何かあったのだろうか。

泣き止んでから、それに気が付いて、誰かに二人の事を聞かなくちゃ、と意識を切り替えたのだった。
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