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十八話

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私は授与式の中で、王様が話している言葉を黙って聞いていた。

この日のために用意されていたという衣装は、未婚の女性の正装である白いドレスであり、私が随分と久しぶりに着るものだった。これの前に来たのは結婚式のドレスだったか。

その結婚式も中断されているわけで、私がまだ未婚というのは現実なのだろう。

でも実際には、牛頭の怪物の求婚に、知らない間に答えてしまっていたから、そこの問題はどうなっているかわからない。

然し一つだけ言えるのは、誓約的なものを見る限り、私は未婚ではないという事だろう。

王様には櫛をもらった事も、初めて会った時に話してあったのだが、彼はおそらく、牛頭の怪物がそんな事をするとは思わなかったから、そのあたりを無視しているのだろう。

最初に白いドレスを用意された時に、どうしようと本気で考えて戸惑ったけれども、それも彼等にはこう勘違いされたのだ。



「あまりにも質のいい物を用意されたから、戸惑っていらっしゃるのだ」



事実としてそこでも戸惑ったけれども、私が一番どうするかな、と考えたのはそこではない。



「私って法的に見て未婚なの? 既婚なの?」



そこである。キュルーケさん曰く私は、ぎっちぎちの何かで牛頭の怪物とつながってしまっているらしいけれど、それは人間の法の中ではどうなっているのだろう。という事で、悩んだのである。

しかし、そんな考えをしている事は誰も気付かないで、私がドレスが気に入らなかったのだろうか、と思ったのかこう言って来た。



「他の物がよろしければ、すぐにご用意いたしますよ?」



それを聞いて恐ろしくなってしまって、ドレスを着る事を受け入れてしまった私は、なんて情けないのだろう。でももともとそういう性格なので許してほしい。

そして授与式の一番晴れやかな場面である、私が勲章を受け取る時が来た。

私にとってはあまり晴れがましいわけではないが、王宮のそういう式典用の飾りつけをした大広間では、私の勲章を受け取る姿を一目見ようと、皆が身を乗り出している。



「思っていたよりも地味だな」



「人喰いミノタウロスを倒す立役者だったとは思えない」



「人は見かけによらぬもの、実は相当にすごい胆力の女性かもしれない」



そんな言葉がかすかに聞こえている。事実として私は地味であり、何か功績を残す人ではないのだ。

ただものすごく色々な偶然が重なって、こうしてここにいるだけで。

私は勲章を首にかけてもらい、王様に家臣としての一礼をした後に、口を開いた。



「陛下、一つだけお願いがあるのですが、よろしいでしょうか」



「おお、なんでも言ってくれ、だが叶えられないものもあるという事はわきまえてくれ。王子の妻になりたいとかな」



王様が少しだけ冗談めかした声で言う。

その人をまっすぐに見つめて、私はこう言った。



「私が、あの島で一人暮らす事を許していただけないでしょうか?」



周りは一気に静まり返った。あの島とはどの島だ、と誰もが思ったに違いない。

しかし私は、王様を見つめて、続ける。



「私は、海神の力が残る、迷宮アヴィスのある島で、一人静かに暮らしたいのです、叶えていただけないでしょうか」



……これが私の選んだ未来だった。バートン様と結婚したくない。家のために死に物狂いで働いても、それが当たり前にされる生活なんて嫌だ。

町で一人で暮らすのも、人目があって鬱陶しい。

そして何より……私は命の恩人であり、あの島で友のように暮らした、牛頭の怪物を弔って暮らしたいのだ。

墓もなく、ただ朽ちるに任せられているだろう、あの牛頭の怪物の骨を拾い、墓を作り、ひっそりと感謝をしながら暮らしたいのだ。

……一か月以上の生活の中で、私はあの生活でも、十分に暮らしていけると気付かされた部分も大いにある。人間は、適応するものなのだ。

そんな事を思いつつ、王様の反応を見てると、王様は何を言い出すのだと思ったのか、こう問いかけてきた。



「君には素晴らしい屋敷を立てる権利も、裕福に暮らす権利も、素晴らしい夫を王室から紹介してもらう権利も、そのほかに様々な素晴らしい権利も、あるというのにか」



「はい」



私がまっすぐに王様を見つめて断言した、その時の事だった。



「ふざけるな!!」



激昂した調子で、人垣をかき分けて現れたのは……バートン様と、バートン様の後から続いてやってきたのは、お母様とカトリーヌだった。

バートン様は最後に見た時とあまり変わらない。

だが、母と妹は、ずいぶんとみすぼらしくなっていた。

衣装なども、衣装道楽のような性格だった二人からすると、どこか薄汚れている印象を受ける。

まるで誰も、衣装の手入れをしていなかったかのようだ。

そしてお母様は、何かを隠すように、分厚い化粧を顔に塗りたくっているし、カトリーヌはその金髪の艶がなくなってばさばさになっている。それをこてで巻いているからか、いっそう髪の毛は荒れていた。



「シャトレーヌ!! 貴様!! 名誉ある勲章を受け取って、家族を見殺しにするのか!!」



バートン様はそう怒鳴った。王様の御前だという事も忘れている様子だ。



「そうよシャトレーヌ。あなたがいなくなってしまって、私達はとても困ったのだから、あなたは私達にその分の償いをしてもらわなくちゃいけないわ」



「お姉様、お母様の言う通りですわ。この三か月、私達にかけた迷惑分、働いていただかないと! それに勲章がもらえたら、貴族年金がたくさんいただけるんでしょう? もちろん私達にくださるのよね?」



彼等は何を言っているのだろう。そう思ったのは私だけではなかったらしく、この騒ぎを皆が興味深そうに見ている。

そして、バートン様の上司なのだろう騎士が、頭を抱えてうめいてるのが遠目に確認できた。

……ここで、今。私は彼等ときちんと向き合って、私の選択肢を言わなくてはならないのだろう。

きちんと彼等に向き直り、私は口を開いた。



「まず初めに、バートン様」



「なんだ? 今更になって悪い事をしたと気付いたのか?」



「私を見殺しにしたのはあなた方だという、現実を教えて差し上げましょう。あの日、私とあなたの結婚式の日の事です。色々な方から聞きましたよ。あなた方は、私が船からいなくなった翌日に、私が海から身を投げてしまったと言い、お葬式を行ったそうではありませんか」



「それは」



「だって見た人がいたんですもの!!」



「カトリーヌ、それ以上はだめ!」



大声を上げたカトリーヌを制止しようとするお母様。しかしカトリーヌは止まらない。



「お姉様が海に投げ入れられるのを、確認したんですもの!!」



周囲は静かになった。バートン様は真っ青な顔になっているし、お母様も同じだ。でも暴走しているカトリーヌは止まる事を知らない。



「お姉様は裏甲板の木箱の中の、ドレスを見つけて、そのあとすぐに、ごろつきに海に投げ入れられて、嵐になったのだもの!! 死んだと思うでしょう?」



「……ねえ、カトリーヌ」



「何?」



「あなたどうして、ドレスが裏甲板の木箱の中にあったと知っているの? あの時の担当の人は結局、ドレスを見つけ出せないで、三日後に木箱の中にめちゃくちゃに入れられたドレスの事を知らされて、責任を取らされて、更に弁償もさせられて、大変な目にあっているのよ?」



「そ、それは」



「一日木箱の中に入れられていただけなら、なんとかドレスも洗ったり修繕すれば済んだ話だったのに。三日も乱暴に木箱の中に入れられて、型崩れはひどくて、雨がしみこんで色落ちもひどくて。鼠に齧られて、どうしようもなくなったドレスが何枚もあったって、担当の人が教えてくれたのよ。ねえ、どうしてあなたはドレスのありかを知っていたのに、担当の人に教えてあげなかったの? 丸一日、担当の人は探し回っていたのよ?」



私はそこで息を吸いこみ、続けた。



「ドレスが大好きなあなたなら、あんな場所に入れられたドレスを見たら、すぐに誰かに助けを求めたはずよね? そうしなかったのは……あなたがそこに隠したからじゃないの?」



「私じゃないわ!! 雇ったんだもの!!」



カトリーヌは混乱しているのか、立て続けに色々な事を暴露している。あまり頭の回転が良くなかったのだろうか。一緒に暮らしている時は、普通の令嬢の性格だと思っていたのだけれども。



「バートン様が、雇ったんだもの……」



私はだから悪くない、と言いたいのだろうか。カトリーヌは最後にそう言って、それ以上言わないように、お母様にひっぱたかれた。



「黙っていなさい!! 余計な事を!!」



「……という事ですが、バートン様、どういう事でしょうか?」



「わ、私は知らない、カトリーヌ嬢の妄想だ!」



「でもバートン様今、カトリーヌと婚約していらっしゃいますよね?」



そこでバートン様があわあわと口を開いたり閉じたりする。



「婚約者を失い失意の中の騎士と、姉を失い悲嘆にくれる令嬢の恋物語……町でもとても流行っているそうですね、あなた方の大恋愛の話」



「……」



全て知られているのか、と思ったのか、バートン様もお母様もカトリーヌも、何も言えない中、私は決定的な事を言った。



「私を殺そうとしたのはあなたたちなのに、どうして私があなたたちのためにこれ以上、働いたり何かをしなくてはならないのでしょう? もう、馬鹿にされながらどぶをさらうのも、怒鳴り散らされて殴られながら、皿洗いをするのも、ごめんなんですよ」
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