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第一章 海難事故
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人間と竜種の関わりは深い。
有史以前にさかのぼるその歴史は血塗られた茨の道程である。
言うなれば、人が竜に喰われ、人が竜を滅ぼす歴史だ。
人間が竜の領域を荒らすことが原因で数多の衝突が発生する。多くが無益な戦いと判明したのはわずか数百年前のこと。
それでも竜を恐れる人々の迫害思想は根強く、竜に対する誤解は人類から払拭されることはなかった。
正しい知識が一般化するにはさらに時間を要した。
時に、竜について調べようとする研究者さえ、人間の敵のように扱われ殺されてきた歴史もある。
竜の研究者が一つの職業として表立って認知されるようになったのも、ここ数十年のことであった。
火山帯に住むサラマンダーや翼が特徴的なワイバーン、ジャングルなどの森の奥に住むジャバウォックやバジリスク、ヒュドラあたりは地上や空に住む竜種の有名どころだ。亜種何種か絶滅しているものの、現在まで生き残り、保護対象種含め、人間との共生が望まれている。
アンリは、そんな数ある竜種のうち海を生息域とするリバイアサンを研究対象としていた。
リバイアサンはいまだ生態が不明瞭だ。目撃例のある海域や島にアンリは飛んでいくことも多く、出張とはつまり、リバイアサンの目撃可能な地域へ足を運ぶことなのである。
「帰宅途中で言っていた、それが言いにくい場所なのか」
食事中の淀みない話からすれば、道すがら見せた険しい表情につながるような場所には感じられなかった。
嬉々としていたアンリの表情が陰る。
やはり、なにかあるのかと、さすがにタイラーも気になる。路上ではできなかった問いを投げる。
「なにか心配事でもあるのか」
手を止めたまま、動かなくなってしまうアンリ。
タイラーはじっと彼女の言葉を待つ。
帰り道と違い、時間はいつまでもある。言いにくいことを避けて、どう説明したらいいか、迷っているのだろう。彼女の用意してくれたほどよい酸味のトマトソースのパスタを食べながら、タイラーはせかすことなく、待ち続ける。
「……、気になることがあるの」
いつまでも動かないでいたアンリがやっとフォークを動かし始める。ナスとベーコンを手元で遊ぶように一つ二つと刺す。
「頻繁ではないのだけど、浅瀬に近いところまで来るらしいの。ただ、どうもそこはリバイアサンを食べることに変わった伝承があるのよね」
「竜を食べるなんて珍しくないだろう」
竜を食べる地域はそこここにある。大きな生物ゆえに、一頭狩れば貴重なたんぱく源になる。大人しく警戒心の低い竜の中には、早々に絶滅した種もあった。狩るとなると、徹底的に狩りつくす人間が絶滅させた種のエピソードは何例かすぐ思いつく。
今でも竜を食べる地域と食べない地域、保護と共生の視点も交えて、答えのない論議が繰り返されている。
「そうなのよ。珍しくないの。ただ、その地域にある伝承がね……」
「地域ごとに違えど、伝承なんてよくあるものじゃないか」
言いにくそうに口ごもるアンリに、フォークを口に運びながらタイラーは問いかける。空腹にはかなわない、彼女の話を聞くにしても、お腹を満たしながらだ。
「そうなんだけど。その地域だけちょっと変わっていて、リバイアサンの肉を食べるとね」
再び、ぴたりとアンリの手が止まる。
「不死になるんですって。死なないってことよ。ありえないでしょ!」
身を乗り出すアンリが発した言葉にタイラーは呆気にとられた。
「それはまた……、大きな絵空事だね」
竜を食べて不死になるなら、すでに人類の半分以上が死ななくて困っていることだろう。
はあ、とアンリは大仰にため息を吐き、頭を横に振る。ありえないという呆れ気味の気持ちをジェスチャーで表す。
「タイラーのように、絵空事と笑ってもらえればいいんだけどね」
「そうもいかないのか」
「私だって研究者の端くれ。リバイアサンを食べるチャンスもあったわ。普通の肉よ。所詮、ただの竜の肉なのよ。
それでも、そんな伝承があれば、真に受けるというか。やっぱり、魅力的なんじゃないかしら、その不死という響きが……」
いつもなら、相槌を打つ間もないほど語りつくす彼女が言葉を選び、歯切れが悪い。
食べ終えたタイラーはフォークを皿にのせた。
アンリが考えながら少しずつ食べ始める。考えに没入しているようで、視線がテーブルのあらぬ方を向いている。
タイラーは皿を横に退いて、片肘をつき、アンリを眺める。
最初からお皿に寄せる量も違う。食べる速さも違う。彼女の一口は小動物のようだ。仕草も含めて。
リバイアサンは成獣こそ目撃例が絶えないものの、主たる生息域や繁殖方法がいまだはっきりしない。陸地と違い、深海など前人未踏な領域にいるため、調べが及ばず、研究が滞りがちとなっている。陸の孤島に生息する古竜の原型をとどめる新種の竜の方が調べやすく、追い抜くように生態があきらかになっていく。
伝承研究。他の竜の先行研究。照らし合わせながらも、海が生息空間にあたるため、魚類の研究も交えて、手探りが続いている。タイラーはアンリのそばにいて、その難しさを理解はしていた。
細かく複雑なパズルピースを組み立てることにアンリがどれほどの情熱をもっているか、出会った時からいまだ続く、リバイアサンへの好奇心にタイラーは尊敬の念を覚える。彼にはそこまでの情熱を感じる事柄と出会ったことはなかった。
食べ終えたアンリがお皿にフォークを置き、意を決するように話し始めた。
「密漁の可能性もあるかもとかね。疑っているだけよ。
その地域があからさまに竜を食べる地域ではなくとも、そのような伝承に惹かれて、食べたくなる外の人間はどこにでもいるのよ。
調査で捕獲したり、一定数狩るようなことは定期的に行われるのは、生態を調べるうえでも必要なことだわ。
密猟は乱獲につながり、種の存続にかかわる。それだけよ、心配事なんて」
「研究者である君が、悩ましく思う気持ちも分かるが、仕事の領分から外れるんじゃないかな」
「タイラーの言う通りよ。私の出る幕はないわ。リバイアサンについてのアドバイザーにしかなれないわ。どちらにしろ、行ってみないとわからないこともあるし。どうしても行かなくてはいけない理由もあるのよ」
彼女の意気込みに苦笑するタイラーは、 空になったアンリのお皿を手元に寄せて、自分の皿に重ねた。立ち上がり、皿を持って台所へ向かう。
アンリが食事を作ったのなら、片づけて洗うのはタイラーの役割になる。
キッチンペーパーでフライパンとお皿に残るトマトソースをふき取り、シンクに置いた皿に、パスタをゆでた後のぬめりが残るお湯を流しかけた。残ったお湯をフライパンに注ぎ、空になった鍋から洗っていく。
背中にすり寄る人の感触を得て、タイラーは手を止めた。
「タイラー。
今回ね、小島へ行くの。
定期船が一日一往復しかないの」
アンリの手がタイラーの腰回りを抱きしめ、背中に彼女の頬が触れる。
「いつ戻れるのか、約束できなかったのよ」
「気にしなくていいよ」
「そう……」
背からアンリの頬の感触が薄れ、腰回りを抱いていた腕も解かれる。
ぶわっと抱きしめたという欲求が盛り上がり、タイラーは手にしていたスポンジと食器を握りしめた。唇を薄く噛み、息を止める。
最後にアンリの指先が離れ、背が寂しくなった。
「シャワー浴びてくるわ」
アンリが軽い足取りで去って行く。
数度の呼吸を繰り返し、タイラーは再び食器類を洗い始めた。
リバイアサンの心配ばかりしていたわけではなく、しばらく会えないことに対して、同じように後ろめたさや寂しさを感じていた。
そんなそぶりをみせてくれるアンリを、タイラーは愛おしいと思わずにはいられなかった。
有史以前にさかのぼるその歴史は血塗られた茨の道程である。
言うなれば、人が竜に喰われ、人が竜を滅ぼす歴史だ。
人間が竜の領域を荒らすことが原因で数多の衝突が発生する。多くが無益な戦いと判明したのはわずか数百年前のこと。
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時に、竜について調べようとする研究者さえ、人間の敵のように扱われ殺されてきた歴史もある。
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火山帯に住むサラマンダーや翼が特徴的なワイバーン、ジャングルなどの森の奥に住むジャバウォックやバジリスク、ヒュドラあたりは地上や空に住む竜種の有名どころだ。亜種何種か絶滅しているものの、現在まで生き残り、保護対象種含め、人間との共生が望まれている。
アンリは、そんな数ある竜種のうち海を生息域とするリバイアサンを研究対象としていた。
リバイアサンはいまだ生態が不明瞭だ。目撃例のある海域や島にアンリは飛んでいくことも多く、出張とはつまり、リバイアサンの目撃可能な地域へ足を運ぶことなのである。
「帰宅途中で言っていた、それが言いにくい場所なのか」
食事中の淀みない話からすれば、道すがら見せた険しい表情につながるような場所には感じられなかった。
嬉々としていたアンリの表情が陰る。
やはり、なにかあるのかと、さすがにタイラーも気になる。路上ではできなかった問いを投げる。
「なにか心配事でもあるのか」
手を止めたまま、動かなくなってしまうアンリ。
タイラーはじっと彼女の言葉を待つ。
帰り道と違い、時間はいつまでもある。言いにくいことを避けて、どう説明したらいいか、迷っているのだろう。彼女の用意してくれたほどよい酸味のトマトソースのパスタを食べながら、タイラーはせかすことなく、待ち続ける。
「……、気になることがあるの」
いつまでも動かないでいたアンリがやっとフォークを動かし始める。ナスとベーコンを手元で遊ぶように一つ二つと刺す。
「頻繁ではないのだけど、浅瀬に近いところまで来るらしいの。ただ、どうもそこはリバイアサンを食べることに変わった伝承があるのよね」
「竜を食べるなんて珍しくないだろう」
竜を食べる地域はそこここにある。大きな生物ゆえに、一頭狩れば貴重なたんぱく源になる。大人しく警戒心の低い竜の中には、早々に絶滅した種もあった。狩るとなると、徹底的に狩りつくす人間が絶滅させた種のエピソードは何例かすぐ思いつく。
今でも竜を食べる地域と食べない地域、保護と共生の視点も交えて、答えのない論議が繰り返されている。
「そうなのよ。珍しくないの。ただ、その地域にある伝承がね……」
「地域ごとに違えど、伝承なんてよくあるものじゃないか」
言いにくそうに口ごもるアンリに、フォークを口に運びながらタイラーは問いかける。空腹にはかなわない、彼女の話を聞くにしても、お腹を満たしながらだ。
「そうなんだけど。その地域だけちょっと変わっていて、リバイアサンの肉を食べるとね」
再び、ぴたりとアンリの手が止まる。
「不死になるんですって。死なないってことよ。ありえないでしょ!」
身を乗り出すアンリが発した言葉にタイラーは呆気にとられた。
「それはまた……、大きな絵空事だね」
竜を食べて不死になるなら、すでに人類の半分以上が死ななくて困っていることだろう。
はあ、とアンリは大仰にため息を吐き、頭を横に振る。ありえないという呆れ気味の気持ちをジェスチャーで表す。
「タイラーのように、絵空事と笑ってもらえればいいんだけどね」
「そうもいかないのか」
「私だって研究者の端くれ。リバイアサンを食べるチャンスもあったわ。普通の肉よ。所詮、ただの竜の肉なのよ。
それでも、そんな伝承があれば、真に受けるというか。やっぱり、魅力的なんじゃないかしら、その不死という響きが……」
いつもなら、相槌を打つ間もないほど語りつくす彼女が言葉を選び、歯切れが悪い。
食べ終えたタイラーはフォークを皿にのせた。
アンリが考えながら少しずつ食べ始める。考えに没入しているようで、視線がテーブルのあらぬ方を向いている。
タイラーは皿を横に退いて、片肘をつき、アンリを眺める。
最初からお皿に寄せる量も違う。食べる速さも違う。彼女の一口は小動物のようだ。仕草も含めて。
リバイアサンは成獣こそ目撃例が絶えないものの、主たる生息域や繁殖方法がいまだはっきりしない。陸地と違い、深海など前人未踏な領域にいるため、調べが及ばず、研究が滞りがちとなっている。陸の孤島に生息する古竜の原型をとどめる新種の竜の方が調べやすく、追い抜くように生態があきらかになっていく。
伝承研究。他の竜の先行研究。照らし合わせながらも、海が生息空間にあたるため、魚類の研究も交えて、手探りが続いている。タイラーはアンリのそばにいて、その難しさを理解はしていた。
細かく複雑なパズルピースを組み立てることにアンリがどれほどの情熱をもっているか、出会った時からいまだ続く、リバイアサンへの好奇心にタイラーは尊敬の念を覚える。彼にはそこまでの情熱を感じる事柄と出会ったことはなかった。
食べ終えたアンリがお皿にフォークを置き、意を決するように話し始めた。
「密漁の可能性もあるかもとかね。疑っているだけよ。
その地域があからさまに竜を食べる地域ではなくとも、そのような伝承に惹かれて、食べたくなる外の人間はどこにでもいるのよ。
調査で捕獲したり、一定数狩るようなことは定期的に行われるのは、生態を調べるうえでも必要なことだわ。
密猟は乱獲につながり、種の存続にかかわる。それだけよ、心配事なんて」
「研究者である君が、悩ましく思う気持ちも分かるが、仕事の領分から外れるんじゃないかな」
「タイラーの言う通りよ。私の出る幕はないわ。リバイアサンについてのアドバイザーにしかなれないわ。どちらにしろ、行ってみないとわからないこともあるし。どうしても行かなくてはいけない理由もあるのよ」
彼女の意気込みに苦笑するタイラーは、 空になったアンリのお皿を手元に寄せて、自分の皿に重ねた。立ち上がり、皿を持って台所へ向かう。
アンリが食事を作ったのなら、片づけて洗うのはタイラーの役割になる。
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背中にすり寄る人の感触を得て、タイラーは手を止めた。
「タイラー。
今回ね、小島へ行くの。
定期船が一日一往復しかないの」
アンリの手がタイラーの腰回りを抱きしめ、背中に彼女の頬が触れる。
「いつ戻れるのか、約束できなかったのよ」
「気にしなくていいよ」
「そう……」
背からアンリの頬の感触が薄れ、腰回りを抱いていた腕も解かれる。
ぶわっと抱きしめたという欲求が盛り上がり、タイラーは手にしていたスポンジと食器を握りしめた。唇を薄く噛み、息を止める。
最後にアンリの指先が離れ、背が寂しくなった。
「シャワー浴びてくるわ」
アンリが軽い足取りで去って行く。
数度の呼吸を繰り返し、タイラーは再び食器類を洗い始めた。
リバイアサンの心配ばかりしていたわけではなく、しばらく会えないことに対して、同じように後ろめたさや寂しさを感じていた。
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