【本編完結】海辺の街のリバイアサン ~わたせなかったプロポーズリングの行方~

礼(ゆき)

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第二章 うちあげられた少女

16.

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 果物一つを食べ終えて、帰路に就く。

 別荘に戻れば、とたんにソニアは忙しくなる。

 買い物袋を台所へ運ぶと、それを決まった場所へ片づけ、彼女は昼食の準備を始める。ロビンがじゃれていき、タイラーはぽつんと一人になる。仕方ないとはいえ、どことなく寂しかった。

 料理にいそしむソニアへ身を乗り出し話しかけるロビンは、朝の様子が嘘のように楽しそうだ。
 出来上がった昼食を三人で食堂で食べる。一口胃に入れたら、空腹にしみた。手が止まらなくなり、食べ終えると、やっと人心地ついた。

 食後、ソニアが食器を片づける。食卓テーブルに残るタイラーは、キッチンに立つソニアから目を離せなかった。彼女の周囲でじゃれるロビンの視線が流れてきて、ふと目があう。

 思わず目をそらしてしまったタイラーは、バツが悪くなり、いったん寝室へと引き下がることにした。

 寝室で荷物から書類を出し、広げてみた。文面をなぞっても頭に入らず、集中できる気がまるでしない。それを投げ出し、ベッドでゴロゴロしていても、いたたまれなくなる。
 明らかに身を持て余していた。


 線路を超えて別荘へ向かう道中、強い日差しにあてられ汗が吹き出し「せっかく海にきたし、泳ぎたいな」とソニアに漏らすと、「別荘のプールは泳げるわよ。旦那様が、タイラーがくるから、水を張っておくようにって指示されて、庭師の方が整えているの。いつでも使えるわよ」と教えてくれていた。


 こういう時は、体を動かした方がいい。思いなおしたタイラーは、念のため持ってきた水着に着替え、その上に薄手の上着を羽織った。水回りに立ち寄り、タオルを持ち出すと、居間の外にあるプールに向かった。

 水に飛び込むなり、なにも考えずに泳いだ。余計な思考をそぎ落としたいと、がむしゃらに泳いだ。

 ひとしきり泳いでから、しばし水に浮かぶ。

 大広間のような居間へ目をやると、ソニアとロビンがいた。ロビンがソファーに膝を抱えて座り、ソニアは床に座っている。ローテーブルでソニアがナイフを使い果物をむいていた。

 タイラーはプールの際に肘をかけ、体を浮かしたまま、二人を眺めた。

 皮を向いた実を、小さく切り分け小皿に置く。ロビンが切り分けられたそれをつまみ、口へと運んでいる。

 ソニアがお姉さんで、ロビンが妹。傍から見ればそんな関係にしか見えない。なにか楽しそうな話をしているのだろうか。手もとを見つめるソニアにも笑顔が見られる。

 果実をつまむロビンの手が、ソニアに向かう。ソニアが手を止めて、顔をあげると、ロビンが差し出した果実を食んだ。

 ロビンが笑い。ソニアが笑む。

 女の子はあんなものなのだろうか。これが普通と言われたら、ああそうなんだと納得するしかない。

 タイラーは久しく、女の子というものをまじまじと見つめた記憶もなく、受け止め方に戸惑う。猫がじゃれていると思えば、かわいいとはいえる。

 十歳も年が離れていれば、常識のひとつやふたつ違うだろう。彼女たちの基準に、おじさんが言えることはなにもないなと思った。

 もう一度泳いでから、タイラーはあがり、夕食まで寝室でくつろぐことにする。朝から登山していた疲れが体を動かしたことで誤魔化せなくなった。奥からじわっと疲労感があふれて、うとうとと夕方まで寝いっていた。

 夕食は昨日と同じような雰囲気だった。猫のようにじゃれ合う女の子を目の保養にすすめる食事も悪くはない。時折からかうように話題がふられるのも、おじさんと見られている証拠だろう。それが当たり前なのであって、本当は相手にもしてもらえないはずなのだとタイラーは思いなおす。

 女の子たちのやり取りを見ていたら、小さなことで一喜一憂しそうになる自分は思い違いをしている。そう自覚するのが無難で安全だとタイラーは自身を説得するのだった。

 日が暮れた夕食後、廊下でソニアが天井を見つめていた。朝、タイラーが電球を外した場所だ。「どうしたの」と、彼女の隣に立つ。

「取り替えるの、忘れていたわ。明日に先延ばししても、私はまた忘れそうね……」
「俺がつけるよ。電球はあるの?」
「いいの? ごめんなさいね。迷惑かけるわ」

 頬に手を当てて、ソニアがため息をつく。物憂げな様が、年齢より大人びて見えた。

 ソニアが廊下のすぐ横にある扉を開いた。納戸のような空間で、部屋には日用品のストックが並んでいる。そこから電球を持って出てきた。

 扉を閉めようとしたところで、タイラーが「そのまま電気をつけて、開けておいてほしい」と頼んだ。

 ソニアの手が止まる。なぜと思ったのかもしれない。

「暗いから、その部屋の明かりを頼りに電球をつけるよ」

 そういうことね、と彼女が納得の表情を見せて、タイラーに電球を手渡した。

「廊下の明かりを消してくれるかい」

 ソニアが電気スイッチに手をかける。パチリと小さな音が鳴り、廊下がぱっと暗くなった。

「これでいいの」
「ああ、ありがとう」

 天井を見上げたタイラーは、わずかな明かりに照らされるソケットを見定める。壁に手をかけ、つま先立ちになり、電球を差し込みまわしいれた。

「大丈夫」

 すぐ下から声がした。

「できたよ」

 答えながら、かかとを床につけ、天井まで上げていた腕をおろした。ふと見下ろすと、ソニアがそばにいた。電球を見ていたようで、顔がわずかに上向いている。 
 部屋から漏れるわずかな明かりにソニアの顔半分がオレンジ色に染まっていた。

 色味が薄くなる暗がりでは、黒と橙が混ざりあい、スカイブルーの髪色から彩色が消えた。
 背格好と面影がアンリと重なり、タイラーは出会った頃のアンリを重ね見る。

 罪悪感が胸を打つ。
 アンリはいない。目の前にいるのはソニアという女の子だ。

「タイラー、電球はつけれたの」

 ソニアのささやき。よく見えないからか不安げな声に場違いな色気を感じた。 

 差し込む光を受ける唇のおうとつが、陰影もくっきりに浮かび上がる。
 柔らかさそうなぷっくりとした形状に、うっすらと開いた上唇と下唇の間の細く小ぶりなくらがりが目に焼き付く。

 香しい罠にからめとられ、誘い込まれる。

 タイラーはソニアの唇にキスをしていた。
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