【本編完結】海辺の街のリバイアサン ~わたせなかったプロポーズリングの行方~

礼(ゆき)

文字の大きさ
23 / 40
第三章 もういちどあなたと

23.

しおりを挟む
「ソニアはどうしてこちらの街にいるんでしょう」

 タイラーに素朴な疑問が浮かぶ。

(シーザーに助けられたのが、こちらの海岸だったというのが妥当な線だろうか)

 あのシーザーが一人で海岸線を歩く姿は思い描けない。

「そこまでは知らないねえ。
 あの娘(こ)を見かけるようになり、街の者も最初は驚いたんだよ。なんで島の子がこっちにいるんだ、とね。島に行けば見られる色とはいえ、あの髪色の子は街まではこない。
 それでも一年も経てば、徐々に見慣れていったよ」

「慣れ、ですか……」
「ああ。別荘側にいるだからね。それなりに事情があるんだろう」

「ちょっといいかい」と声をかけてくる客があらわれた。店主の女性が接客を始める。
 そろそろ切り上げ時だなと思い、タイラーは立ち上がった。店と店の間を通り抜け、道へ出る。
 接客中の女性に片手をあげた。

「ありがとうございます」
「ああ、またおいで」

 軽い挨拶を交わすと女性はまた目の前の客と談笑し始めた。

 アンリの足跡を見つけた。ちゃんとこの街に彼女は訪れていた。

(本当に、これで終わりなんだな、これで……)

 タイラーは感傷に浸る。
 浸るしかなかった。

 思い出のアンリは、しなやかで利発、仕事にも精力的であり、かつ、プライベートも落ち着いている。
 人として尊敬していた。
 仕事ぶりは理想であり、日常においても頼れる女性だった。笑顔も愛くるしく、外ではべたべたしないけど、家ではほんのりとさりげなく甘えてくる。
 友達のようであり、親友のようで、小さく甘えられたらとたんに愛したくなる。

 付き合いはベッドからだった。ふられた彼女のやけ酒につきあって、一人暮らしをする彼女の家で勢いあまった。翌朝、末路に青ざめた俺に、アンリは投げかけてきた。
『ねえ、私たちつきあわない』
 あっけにとられて、頷いた。出会って一年、つきあって八年。短い時間じゃない。囚われた三年を加えたら、人生の三分の一は彼女と共にいた。

 彼女との思い出を失いたくなくて、記憶の彼女と同化するように仕事へとのめりこんだ。
 それでも一人の時間に徐々に慣れていく。自覚ないままに……。

 そうして、シーザーに誘われ、決別を決意し、海辺の街へ来た。

 ソニアがいたことが誤算だった。
 あんな小さなが気になるなんて思わなかった。街の雰囲気のせいかもしれない。童話調の世界観において、俗世と切り離され、さも物語の登場人物のように感じられた結果であろうか。

 タイラーは口元へ手を寄せて、空を仰ぐ。

 愛とはなんだろう。
 性愛ともとれ、純愛ともとれる。
 抱きたいとも思えば、可愛がりたいとも思う。
 甘えたいと思えば、守りたいとも思う。
 大事にしたくて、いじめたくもある。

 相手を見つめて、その瞳の中へ埋没するように、あなたと溶けあい、深く理解したい。

 性であり、純であれ、ともに交わるように寄り添えば、産まれ落ちてくる前から約束された片割れとの出会いのようでもある。
 
 アンリを愛していた。尊敬していた。
 出会った時から、斜め上にいて、決して振り向いてくれる気はしなかった。

 男の気配もあり、相手にしてもらえないと、はなから諦め、友人としてのポジションを死守していた。

「惚れていたのは、俺の方か……」

 男が女をどう見ているか。女が気づいていないと思うのは男ばかりだ。

「アンリは、俺が、アンリを好きだと、気づいていたんだろうなあ……」

 誘われたのは、失恋ややけ酒のせいだけではなかったのかもしれない。

「俺を選んでくれたんだな……」

 タイラーは坂をのぼる足をぱたりと止めた。

「俺は、今まで……、アンリに直接、好きだ……、愛している……なんて、言ったことがあったろうか……」

 記憶を手繰り寄せても、告白にあたるエピソードが思いつかなかった。抱いて浮かれて、好きだ愛としているとささやくことはある。それは愛撫の延長上にある、言葉のそれだ。

 プロポーズだけではなかった……。

「俺は、まともに、アンリに、ちゃんと、愛しているとさえ、言ってなかったのか……」

 今さらながら、タイラーは自分がどれだけ子どもであったかと思い知らされた。





 別荘に戻ると、ソニアはキッチンにいた。時間も時間となり、昼食の準備をしている。

「おかえりなさい」
「ただいま」

 どさっと袋をテーブルへ置いた。その量に、ソニアが目を見張る。タイラーは買いすぎて、怒られるかと警戒する。怒られたら、しゅんと沈みそうだった。

「……多かったか」
「いえ、いいんじゃないかしら。ロビンも食べたそうだったわ」
「それは良かった」

 ほっとタイラーは胸をなでおろした。

「外は暑かったでしょう」
「それ相応にはね」

 手のひらで額を頭部にむけてぬぐいあげる。にじんだ汗が手を濡らした。

 ソニアが冷凍庫から取り出した氷を三個、カランとグラスに落とした。冷蔵庫に手をかけ、レモンなどを浸した水差しをだし、グラスに注ぎ入れる。
 タイラーはソニアの所作を見入りながら、椅子に座った。
 ソニアが傍まで持ってきてくれる。「ありがとう」とグラスを受け取った。そのままソニアは果物が入った袋に手をかけ、なかを確かめ始める。

「ロビンの調子はどうなんだい」
「落ち着いているわ。ベッドでうとうとして休んでる」
「掃除婦の方は?」
「帰ったわ。庭師の方は今日はお休みよ」 

 そっか、とタイラーは喉奥でつぶやく。今は、二人きりだと確かめて、彼女へそっと手を伸ばす。

「どうしたの」

 ふいにソニアが振りむきはっとする。
 心臓がドキッと跳ねて、慌てるあまり「せっかくだから、すぐに食べたいな」とタイラーは口を滑らせた。誤魔化すように、伸ばした指先に袋の口をひっかけ、引く。

「そうよね。せっかく買ってきてくれたものね」

 ソニアは袋のなかを物色し始めた。

「昨日、公園で食べたのと同じものがいい」
「あれね……、美味しいわよね。私も好き」
 
 ソニアが、袋のなかをごそごそと探す。「あったわ」と、一つ、二つ、昨日と同じ果実を取り出した。

「自分でむく? それとも、むいてあげようか」
「むいてよ」

 あっけらかんと二つの果実を握って掲げるソニアにタイラーはねだった。

「いいわよ」

 ソニアがタイラーの横にある椅子を引いた。九十度回転させると、背もたれの正面がタイラーの真横にきた。正面を向けて座る彼女に、タイラーも足を開き、上半身を向かい合わせる。座面に両手をかけて、少しだけ体を前方に傾けた。
 
 ソニアが太ももの間に果実を一つ置き、手にする果実をむき始める。

「ソニア」
「なあに」
 
 果実を見つめ、細い指先で皮を器用にむいていく。 

「好きだ」

 ソニアがはっと顔をあげ、手先の動きが止まった。

「愛している」

 ありありと目を丸くするソニアに、タイラーはほほ笑む。

「お願い。俺と……、つきあって……」
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 180万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...