クロエ・モーリアの非日常

千川あおい

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第一部:第4章(グーサノイド城内)

21.売られた喧嘩

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 ローレンスの指輪は魔道具なのだが、彼の元では全く機能していない。そう指摘したにも関わらず、依然として身に付けたままだった。ちょうど良いので拝借し、『ちょっと光る』魔道具を、障壁の核に転用する。まともな魔術師がいれば、血走った目で問い詰められるところだが、そこはグーサノイドだ。そんなものかと受け流される。

「それで、ジャッ君だっけ?」
「ジャック! ジャック・フラヴィニーだ!」
「なるほどジャッ君。稽古をつけるのは良いんだけど、そもそもジャッ君は魔術師なの?」
「稽古じゃねえ、勝負だ! どっちが最強か決める真剣勝負!」
「どうしよう、何言ってるのかわかんない」

 とはいえ、なんだか懐かしい感覚がある。すぐに思い当たった。レベッカ様の頓珍漢にそっくりだ。気が付いてみれば、親しみさえわいてくる。不思議に寛容な気持ちにもなる。一つ、大きくうなずいた。

「まあ、なんだって同じことだね」
「なんだ、話がわかるじゃねえか。ぐだぐだ考えるなんてアホくせえ」

 細かいニュアンスに相違がある気はしたが、それこそどうでも良いことだ。

「私たちを囲んでうっすらと膜が張ってるの、わかる? この範囲から外には攻撃が届かない。…外の人たちも聞こえた? そっちに被害が出ることは絶対にないから、安心して」
「気が効いてんじゃねえか。最強を名乗るなんざ身の程しらずだが、心意気は悪くねえ」
「いや、名乗ってないけど。…じゃあどっちかが確実に仕留められたら終りね」

 ここに来て初めて、ジャックの勢いがそがれた。

「そんな不穏なルール、始めて聞いたぞ…」
「初めては誰にでもあるものだよね。さあ、いつでもどうぞ」

 ノアの居場所を確かめる。しょぼくれた顔で、悲しそうに見守っていた。隣にはアランもいる。クロエが着替えに行った隙に、ジャックを説得しようとしたのだが、あえなく撃沈したらしい。ノアこそが主君だろうに、それで良いのだろうか。
 そんなことを考えながら、風を繰り、声が広がるように細工をして、確認がわりの咳払いをする。

「ノア君とアラン君…ご興味があれば他の皆さんも、今から魔術の講義を始めます。断っておくけど、だいぶ応用編だからね。――さて、私の魔術は、精霊石どころか、教本の精霊言語も使わない。本からは学べないから、よく見ておいてね」

 とはいえ、ノアは攻撃魔術を使えない。それはおそらく『治癒魔術以外の魔術は使えない』ということだ。だとすれば、こんなことをしても、全く意味はないのかもしれない。

「余裕かましてんじゃねえぞ!」と剣を抜くジャックは、完全に怒気にのまれている。
「…あと、技術以前に冷静さを失うと死ぬからね」宙を指し、二三度つつくような仕草をした。「まずは分かりやすい魔術。ほら、ここに障壁を張るよ。――《剣を阻む壁を作って》」

 攻撃は阻まれたが、すれすれだった。悲鳴と、息を飲む音。ノアなど卒倒せんばかりだ。ジャックは懲りずに剣を振るうが、結果は変わらない。

「少し前に話したように、私やアラン君が使ってる魔術は、精霊に指示を出すんじゃなくて、精霊の権限を移譲されてる。権限移譲のメリットは、言語に置き換えることが難しい事象を、イメージで引き起こすことができるってこと。――今のは、空気が凝って、剣を弾く壁になるのをイメージした。もし《風で剣を巻き取る》のを想像したら? ほら」

 ジャックの剣が絡めとられ、浮き上がる。押しとどめようと奮闘しているが、悪態の激しさを見るに相当難航しているらしい。

「さて、応用編だよ。精霊言語には、人間が知っている何千倍、何万倍も語彙がある。その大半が、人間には、聞くことも発音することもできない。でも、精霊に良く聞こえるのはこっちの方なんだよ。人間が知る精霊言語は、精霊にとって、賢い九官鳥の囀りみたいなものでしかないから」

 剣に引きずられるジャックに、視線を促す。

「今から私は、聞こえない言葉で、ジャッ君の剣を叩き落とすように言うよ」

 宣言は、即座に実現した。慄くようなざわめきが広がる。
 見物は引き気味だが、相対するジャックは目を輝かせる。どうやら頭も冷えたようで、立ち姿にも隙がなく、相当な強者なのだろうと感じさせた。

「お遊びはしまいだ!」と叫び、嬉々とした剣を振る「《炎!》」

 縄上の炎がはい上り、刃に巻き付き、覆い尽くす。伸び縮みする艶やかな熱に、好戦的な鋭い笑みが照らしだされた。クロエは息を飲み、興奮に声を震わせる。

「魔剣士とはね!」

 正式な称号ではない。だが、英雄譚ではお馴染みだ。騎士としても、魔術師としても、並みはずれた実力を持つものを、そのように表現する。クロエでも、ほとんどお目にかかったことがない。

「…私のせいで、魔術なんて簡単だと思うかもしれないけど、一般の魔術師は、もっともっと面倒で難解なことを考えながらやってるんだよ」

 クロエは敬意を払い、門前払いのような真似は控えた。指先を伸ばして呟けば、切っ先が凍り付き、ジャックの動きが乱れる。それを危うく回避した。

「魔剣士が希少なのは、知力を限界まで酷使しているところに、身体的負荷まで要求されるから。まともな人間にはとても無理。…私が知る限り、例外は、思考を思考とも思わない大天才。あるいは、そもそも思考したことがない阿呆」

 聞いていたものたちが、何とも言えない顔付きになった。アランは腹を抱えた。明白すぎる事実に、全員の心が一つになる。

 ジャックが雄たけびを上げ、《炎》と繰り返す。火力が増し、氷が砕けた。気合を込めた一閃。引き千切れた火玉が散る。クロエがなでるような動きをすると、手近の熱が一つ集まり、ジャックの元へと打ち戻された。だが、苦も無く剣に飲み込まれる。

「器用なことするじゃん。火以外はどう?」
「軽口叩くな…! 《雷!》」

 安い挑発に乗るものだ。だからこその魔剣士か。
 炎の揺らめきに光がちらつく。――思う間に、閃光が目を焼き、雷が打ち出された。
 轟音、粉塵、障壁に達し破裂する火花、抉れた床に覗く闇…瞬きする度、辺りの様子が一変していく。
 それにしても、周囲への安全に気を取られ、床の保護を忘れたことが、どうにも情けない。深いため息がもれた。

 妙な感触に足元を見ると、地面ともども凍り付いていた。この状況はつい最近も経験した。弓の魔道具を、面白半分に射てみた時だ。その時は悠長に溶かしていたが、――今度は駄目だ。やられる。
 地面ごとえぐり、風を生んで身を投げた。案の定、寸暇の差で斬撃が襲う。

「やるじゃん。見直した」

 魔術師だったら歓喜にむせぶところだが、あいにくとジャックの胸は打たなかった。爛々とした目で、獣性の強い気炎をはくばかり。…段々、相手は人か獣かと、不安に感じ始めた。通常時でも会話ができないのに、興奮状態ではどうなるのだろう。それに、全身に被った粉塵が不快で、早くお風呂に入りたい。
 クロエの頭は、広い湯舟のことでいっぱいになった。

「…うん。これくらいで十分かな。じゃあ最後に、一番面白いものを見せてあげよう」

 視線を向けられ、ノアはびくりと背筋を伸ばす。
 本当に試すべきか、ちょっとの間ためらうが、直観には従うことにしていた。
 だから、まっすぐにノアへと語り掛ける。

「精霊言語の内に、人に近いものがあるのなら、反対の極には、どんなものがあるんだろうね」

 ――《―――――》

 クロエが何事か言う。しかし、何も聞こえない。
 何かが起こっている。でも、それが何かは分からない。
 見物人たちは、不安そうに囁きあう。

 ノアは逆に、すべての屈託を拭い去ったようだった。初めてクロエを見た日を、思い出していた。
 何か大きな力を使ったらしく、濃密な魔力を滴らせていた。その力の、あまりに純粋なことに、胸を打たれた。とても人のものとは思えない、狂いのない、透明で無機質な力。

 眼前にしているものは、あれと同じだ。
 甘くて酷薄な瞳が、ノアの憧憬を絡めとる。渇望か恐怖か…度を失い、天にあえいだ。
 そうして時を無為にしたことは確かだ。それと同じくらい、彼女がノアに語り掛けていることも、確かだった。
 何も聞こえない。だが、そこにあるという感覚が、あるいは、そこを押しのけて在る空隙が、生々しい実感として、うなじをちりつかせている。――そして、突如。

《――眠れ、眠れ、眠れ。ポピーの羽に包まれて、柔肌に身を寄せて、羽は高く降り積もる。沈む、沈む、沈む、夢を連れて》

 剣の炎が爆発するように膨れ、ジャックの手をあぶる。凄まじい形相。歯ぎしりまで聞こえそうな気迫。彼は断固として手を離さない。アランが口笛を吹く。

《星降るかすみ草、ほつり、ほつり、ほつり。みなもは震え、やがて鎮める。夢にいざない、眠れ、眠れ、眠れ》

 優しく揺するようなリズムに、頭の芯が麻痺するようだ。
 目の前が遠ざかり、無感覚の暗闇の中に、現実と過去と夢が、一緒くたに投げ込まれる。
  
「子守歌、ですか?」

 ああ、なんてかんのいいにんげんだ。

 アランは怪訝そうに目をすがめる。ノアが何を聞いたのか、彼には分からない。クロエは呆気にとられた。自分が試したのではあるが、結果を目の当たりにすると、信じられない気持ちが膨らむ。喚く大男がうるさい。おざなりに手を振る。

 ぞっとするような地響き。巨大な氷柱が生え、彼の半身を抱き込む。ぱちりと弾ける稲光…落ちていく剣を、茫然と見送る。熱風に目をあげれば、視界を覆いつくす炎の塊。
 ようやくにして、ジャックも知る。彼女と、戦うべきではなかったのだ。

 足元に転がる剣を蹴り、興味もなさげに拾い上げる。それは、クロエが持つとやけに大きく、重そうで、華奢な肢体を際立たせた。だが、その声は、時の奥底から響くようで、

「自分の剣で貫かれるっていうのも乙かもね」

 その内容も、愛らしい容姿とはかけ離れていた。
 剣は独りでに向きを変え、矢のように飛ぶ。最期を確信したのは、ジャックだけではなかった。その証拠に、見物の大多数は、腰を抜かすか失神している。

 ありがたいことに、えぐられたのは氷だけだ。髪をいくらか切りはしたが、飛び散ったのはダイヤのような無色の輝きのみ。
 それと同時に全ての魔術が消え、ジャックが投げ出される。実のところ、彼はかすり傷しか負っていないのだが、そのままぴくりとも動かなくなった。

「仕留められたと思うけど?」

 何事もなかったかのような問いかけに、答えられるものなど、いはしなかった。

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