北の大地に花束を

透峰 零

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1章 その首160億につき

罪人と行き倒れⅠー ⑧

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 アッシュと別れてから、クロスに声をかけてきたのは見覚えのある男達だった。
 適当にあしらおうとしたのだが、そんな彼女に彼らが言ったのだ。
 面白いものが見られる、と。
 そんなことを聞いてやる義理も、貸してやる耳も暇も惜しかったのだが、さっき別れた青年の存在をちらつかされると、どうにも気になる。
 ロクなことにならないだろうという予想はあった。同時に、山賊風情に何が出来るのかと侮る気持ちも、確かにあった。
 そうして町の入口に戻った彼女の目に映ったのは、こちらに歩いてくる青年。
 と、教会上空に集まる魔零子。
 叫んだ時には、すでに遅い。
 彼女の目の前で、その惨劇は起こった。



「死体を掘り起こさねぇと、な」
 おそらく、最初から教会の崩れる角度も調整されていたのだろう。
 無事だった場所から次々に出てきた男達が、足元の瓦礫をいたずらに蹴り上げる。
 愉悦に歪んだ唇を釣り上げ、彼らは口々に勝手なことを言い始めた。
「でもよぉ、何もやる必要はなかったんじゃないか?」
「そうそう。本人かわからなくなったら、信用してもらえないかもしれねーしよぅ」
「ちげぇねぇや。いくらお役人でも挽肉を判別はできねぇからな」
 安心感からか、不必要なまでに彼らは勝鬨を上げ騒ぎまくる。
 だが、その顔に広がった笑いはクロスの凍てついた声に硬直した。
「どけ」
 その、少女が発したとは思えない一言に、山賊達は驚くことも忘れて息をのむ。
 男達の間を通り、彼女もまた瓦礫の側に立った。
 そして、おもむろに屈むと瓦礫を素手でどかし始める。
 普通に考えるなら、青年が生きている可能性は低い。限りなくゼロに近いと言っても良いかもしれない。
 濃厚な血の匂いが立ち込めていることからも、それは明らかだ。
 それでも彼女は無言で瓦礫をどかしていく。無防備なはずのその背中から立ち上る気迫に、知らず男達は一歩引いた。
 だがすぐに、年端もいかない少女に恐れたことに気づいたのだろう。
 ことさらに下卑た笑みを浮かべて、一人がその肩に手をかける。
 その手が高い音と共に打ち払われたのは、次の瞬間だった。
「私はどけ、と言ったはずだぞ」
 もし、彼らが少しでも修羅場をくぐったことがあれば。あるいは彼女の外見に騙されないだけの眼力を持っていれば、その冷たい目と声に宿った沸騰寸前の『何か』に気づけたかもしれない。
 だが、悲しいかな。その場にいたのは、自分より弱い者から奪うことしか知らない者達である。
 くわえて、不幸なことに。とても不幸なことに、彼女の戦いぶりを、彼らは知らなかった。
「お嬢ちゃん、何も知らねぇみたいだな。そいつはとんでもない悪人なんだ」
 顔つきを険しくするクロスに、男達は嘲笑を返す。
「なにしろサザンダイズが目の色変えて追ってる大罪人だ。かばっても良いことはないぜ。むしろ、おれ達に協力しろよ。そうしたら分け前も考えてやって良い。おれ達が七、お嬢ちゃんが三でどうだ?」
 もちろん、本当に遇するわけがなかった。
 こんな少女など簡単に黙せると、彼らはそう考えたに違いない。ことさら甘い、猫撫で声で囁く。
 その言葉が火に油を注ぐに等しい行為だったと彼らが気づいたのは、目の前で火柱が上がってからだった。
 悲鳴を上げて転がる男達を振り向いた彼女は、容赦なく二撃目を彼らの足元にぶち込んだ。
「いいか、よく聞け馬鹿共。私は他人から金品を強奪し、あげくその命を奪っても平然としている卑怯者の言うことを信じる間抜けではない」
 反対側から、新たな足音が響く。現れたのは、アッシュをけしかけたロウドだった。
 仲間の帰りが遅いので確認に来たのだが、その場のただならぬ雰囲気を感じ取って足を止めた。
 クロスにすれば前後を挟まれた格好になるが、彼女は動じることなくさらに続ける。
「加えて、そんな輩に命の恩人を売るような恥知らずでもない。わかったら速やかに私の目の前から消えろ。不愉快だ」
「なんだと、このアマ……」
 唸るような声を上げたのは、誰だったか。
 もはや言葉は不要だった。
 数を頼りに一斉に、彼女に襲いかかろうと男達の手に、足に力がこもる。
 それらが解き放たれるより前に。

 ――がらり。

 音が響いた。
 決して大きくはない。むしろ微かな音であったはずなのに、聞き逃した者はその場に一人もいなかった。
 音は瓦礫の下。
 ――潰されたはずの青年がいるであろう場所から聞こえたのだった。


「おい……」
 震える声で、男の一人が瓦礫の山に顔を向ける。
 音は確かにそこから聞こえた。他の者もつられてそちらを向く。
 きっと、何かの拍子に欠片が崩れただけに違いない。不思議と、そう言いだす者は誰もいなかった。

 がらん

 また聞こえた。
 続いて、明らかに質量のあるものを崩していくガラガラという音。土煙が上がり、たちまち空気が白く染まった。
 白い煙が立ちこめる奥で、黒く細い『何か』がにゅっと瓦礫から突き出す。それはまるで腕のような——。
「馬鹿な……」
 掠れた声で言ったのは誰だったか。
 音はどんどん大きくなり、やがて煙が晴れた向こうでは、よろめきながらも立ち上がる人影が――いや、人ものの姿が浮かび上がる。
「ひっ……!」
 その姿を見た男達は揃ってうわずった悲鳴を上げて腰を抜かした。

 彼らの反応など気にもせず、『それ』は奇跡的に肩とつながっている状態の左腕を支えに、ゆっくりと立ち上がる。
 液体の滴る重い、暗い音がその場に響く。
「なんで……何で生きていられるんだよ?!」
 やはり後ろでへたりこんでいたロウドが、ついに堪えきれずにそう叫ぶ。
 くしくもその叫びは、その場にいる全員の思いを代弁していた。
 月に照らされた青年は、右の手足が歪な方向にねじ曲がっていた。
 頭部も顔面も右側は潰れ、溢れ出る血の狭間からは白い骨と筋肉が剥き出しになっている。
 手足や顔だけではない。胴体にしたって瓦礫に潰され、砕けた窓ガラスに刺され、おびただしい量の血が服を浸している。
 かろうじて原型を留めている、と言えそうな左側の瞳が、地面にへたりこむ男達を睥睨した。 
 まるで蛇に睨まれた蛙のように、男達は動けない。
 どう考えても、動き回れるような怪我ではないのだ。
 いや、生きていられる怪我ではないといった方が正しいだろうか。
 ただただ、恐怖に目を見開く彼らの耳にゴボリ、とおよそ人体から発せられたとは思えないおぞましい音が飛び込んでくる。
 尻でいざって逃げようとする男達の顔を覗き込むようにし、『それ』は口であろう穴を歪める。どうやら笑ったようだったが、恐怖に震える彼らには悪魔の嗤いにも等しい。
「これがお前達の求めていた『罪人』の正体だよ」
「あ……あぁ……!」
「どうした? 俺を捕まえるんじゃなかったか?」
 今ならトドメを刺して生け捕りに出来る。そんな当然のことすら考えられないほど、今の彼らは恐怖していた。
 それは未知のものに対する恐怖であり、動く死体を見ているような気持ちの悪さからくるものでもあった。
 中には、思わず口を抑える者すらいた。
 不気味なほど穏やかに、青年が問いかける。
「あれごときで俺を殺せるとでも思ったか?」
 ぐちゅりという音とともに、青年の潰れていた右顔面から眼球が現れた。
「俺の首を持って帰る? やってみろよ。俺は首だけになっても生きてるけど」
 瞼もなにもない、剥き出しの眼球が闇の中で怪しく輝いた。
 青年の言葉が比喩などではなく、真実だとわかってしまったのだろう。
 そこまでが男達の精神の限界だった。
「あああああああああ!」
「く、来るな化け物! 来るなああああ!」
 男達は一様に色を失い、我先にと腰を抜かしたままバタバタと不格好に逃げていく。
 その姿が完全に消えるまで一体どれほどかかったろうか。
 姿が消えるやいなや、青年はその場に崩れるようにして突っ伏した。
「…………行かねぇよ」
 呟き、その場に残っていた最後の一人に気がついた。
「よぉ、あんたも俺を『化け物』って呼ぶか?」
「わ、私は……」
 喘ぐクロスに、アッシュは目を伏せた。
「悪い」
 答えなど、選択する余地もないというのに。
「それが……お前の追われている『理由』か?」
 今もなお再生を続ける身体。確かに、どの国も欲しがるだろう。
 彼の身体の構造を解明すれば、どんな傷を負っても死ぬことのない兵士を作ることも可能なのだから。
 だが、そんな彼女の予想は外れた。
「違うよ」
 ぼんやりと大地に視線をやりながら、アッシュは投げやりに答える。
「これは副産物でしかない。あいつらが欲しいのは、もっと別の……もっと根源的な力だ」
「何なんだそれは? ……お前は、お前は一体何をしたというんだ?!」
 クロスは苛立たしげに問いかけた。
 だが、己の作った血だまりに沈む青年は唇を歪めただけだった。
「言えるはずないだろう」
 そう、彼女に対する彼の答えは最初から否で。
 その頑なな横顔は、それ以上の干渉を拒むようでもあった。
 無事な左腕に力を込めて、青年は再び立ち上がる。
「ま、待て……!」
「あんたとはここまでだ」
 放たれた言葉に、手を伸ばしかけた格好のままクロスは硬直する。
「最初から、そういう約束だったはずだ」
 遠ざかっていく背中に向けて、クロスは唇を噛み締める。
 伸ばした手は、やがて震えながらも拳を形作る。
「……痛くは、ないのか?」
 やがて彼女の口から出たのは、何とも間抜けな問いかけだった。
「その身体は、痛みはないのか? お前は平気なのか?」
 返事は無かった。だが、不意に立ち止まったアッシュがぽつりと呟いた。
「ありがとな」
 呆然とするクロスに背を向け、青年は彼女とは逆方向に不自由な身体を引きずっていく。
 頑に干渉を拒むその背中を追いかけることは、クロスにはどうしても出来なかった。
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