《勇者》兼《魔王の嫁》

いとま子

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32.戦いの終わり

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 身体を包み込んでいた光が消え、喧騒が耳をつんざいた。
 頭上に振りかぶられた剣を払い落とし、ルーチェは仲間との再会を果たした。

「ッ! ルーチェ、なぜ!」

 突然、目の前に現れた勇者の姿に、オルトスは目を見開いた。
 ルーチェは周りに注意を払う。魔王である深紅の竜が空から消えたことで、ゲーティア軍は混乱していた。しかし戦が止まることはなかった。大将が倒されたのだと確信はしておらず、また憎き人間を前に、争いを止める事など出来るはずもなかった。
 オルトスに向き直る。後衛で兵士に守られながら魔法攻撃の詠唱に従事していたはずのオルトスはぼろぼろで、自ら慣れない剣を握っている始末だった。

「ルーチェ、……なぜ、ここに、」

 助けに行ったのに連れ戻すことはできず、敵の魔族に振り下ろした一撃はたった今弾かれた。待ち望んでいた勇者の姿だったが、今にも倒れそうなほど満身創痍で、なおかつ現れたタイミングが、斬りかかった魔族を助けるものだったのだ。混乱するのも無理はない。

「落ち着け、オルトス」

 かばった魔族に目で逃げるよう伝えて、いつもと変わらぬ口調でルーチェは言った。

「オルトスの元まで空間転移魔法をかけるよう、魔王ソティラスに頼んだ」
「――っ! どういうことだッ!」

 忌み嫌う魔王の名と、その相手に頼んだと言う単語。信じられない言葉の羅列に顔を歪めながら声を荒げるオルトスとは反対に、ルーチェは平静に事実だけを告げた。

「ゲーティア軍と、休戦協定を結ぶ」
「なッ!」

 オルトスは動転し、気色ばんだ。

「何を言っている! お前ッ――やはり魔王に操られているんじゃ、」
「取り乱すな」

 ルーチェは鋭く制した。

「落ち着け。冷静になれ」

 ぐっと言葉を飲み込み、ルーチェに強い眼差しを向けながらも、オルトスは無理やり深呼吸をした。やはり根は冷静で、こうするのが一番だと分かっているのだ。

「……話してくれ」

 ルーチェは頷き、続ける。

「魔王ソティラスと休戦協定を結ぶことで話をつけてきた。このままではハイリヒ軍は全滅だ」

 しばしの幸福な逢瀬を噛み締めたあと、ルーチェとソティラスは現状に対し早急に協議した。有効で効果的な案は互いにひとつしかなかった。

「しかし、」

 と、オルトスは歯噛みするも、このままでは大敗することは明白だ。躊躇っているのは気持ちの面で納得できないからに他ならない。
 ハイリヒ軍の大将ではなく、オルトスに話を持ちかけたのは、大将に魔王に捕らわれていたルーチェの言葉を信用してもらえないというのもあるが、オルトスの方が優先すべきはどちらか冷静に判断できるはずだと信じているからだ。
 オルトスが視線を上げる。

「……魔王を、倒したのか?」
「ああ。だがとどめはさしていない。向こうも説得している最中だろう」

 戦況を見る。周りに敵はいないが依然力をぶつけ合う轟音は途絶えることは無い。犠牲者は増える一方だ。一刻も早く話をつけなければならない。

「ハイリヒ軍が押されているとはいえ、こっちは魔王を倒している。不利な条件は出してこない」
「操られているわけじゃないんだな」
「今のところ向こうは優勢なんだ。わざわざ自分たちに不利な協定なんて結ばないだろう」

 ゲーティア国にとってはこのまま戦争を続け、ハイリヒ国を侵略した方がいいように思える。しかし、どちらかの降伏を待つより、はるかに好条件で戦争を止めることができるのだ。互いに争いを望んでいないのは事実。ゲーティアの損害もまだ少なくて済む。

「でもまあ、俺が本物だと信じられないようなら、オルトスが酒場で一目惚れした女性に、延々と幻影魔法の話をしたことを朗々と語って見せようか」

 この場に不釣合いなほど両手を広げ、にやりと口角を上げて見せると、オルトスは目を見開き、やがて呆れたように弱々しく笑った。

「はは、そこまで言ったら話す必要はないじゃないか、――我が親愛なる盟友よ」
「その言い方いちいち大げさなんだよ、お前は」

 オルトスはふっと笑って背を向けた。その頼もしい背を見送りながら、ルーチェは喧騒の向こうに思いをはせる。

(あいつも話を通してる。心配はいらないな。なんとしてでも休戦に持ち込むはずだ。協定中に掛け違えば再び争うことになるが……今は、ひとまずこれでいいよな)

 この一歩は小さくも、やがて大きな変革をもたらすはずだ。
 二つの国を分断する黒き森だけが、いつもと変わらず両国を隔てているだけだった。



 ハイリヒ国の城中は賑やかな喧騒に包まれていた。
 ハイリヒ城では戦地から帰還したものへの歓迎と、犠牲者への哀悼の意を込めて食事の席が設けられた。戦地での活躍を称えられ、仲間を失った悲しみを癒し、祖国への帰還を喜ぶ宴は夜通し続けられた。
 ハイリヒ軍とゲーティア軍の間には正式な休戦協定が結ばれた。その後は負傷者や犠牲者の救出に尽力されている。犠牲者は出たものの、休戦の申し入れが早かったため、奇跡的ともいうほどに被害は少なかった。中には戦争続行を掲げるものもいたが、平和には変えがたい。
 怪我を負ったものは、戦争が終わった後、自国へと連れて帰られた。魔王との戦いで負傷したルーチェも例に漏れず、そのままハイリヒ国へと連れ戻された。

 魔王ソティラスに、別れの言葉もないまま。
 
 ルーチェは歓迎された。魔王を倒した勇者として、世界を救った勇者として大いに称えられた。
 仲間との再会も果たし、互いの無事を祝福しあった。気を使われたのか向こうにいる間のことは聞かれなかったが、魔王との死闘の話をせがまれルーチェは曖昧に濁した。
 しかし戦地には多くの兵がいた。ルーチェの活躍は尾ひれがつき、深紅の竜の言い伝えを覆した勇者として、国中に語り継がれていった。



 不安定でつかの間だが、待ち望んだ平和である。人々の安堵した笑顔に囲まれ、ルーチェはようやく自らの役目が終わったのだと理解した。
 そう、終わったのだ。
 同時に、魔王ソティラスとの関係も。
 勲章や騎士長の地位を辞退し、旅立ってから長らく帰らなかった村へと戻った。一回り小さくなった里親に涙ながらに叱責され、熱い抱擁で出迎えられた。リンゴの収穫はまだ全て手が回っておらず、ルーチェはさっそく収穫を手伝った。
 勇者の服ではなく、作業服を身にまとって。
 勇者の肩書きもなくなった。同時に期待や重責も脱いだ。これからは村でのんびりと暮らしていくのだ。特別な日々が終わりを告げ、平穏だが幸せな人生の道を再び歩み始める。小さな村でのんびりとリンゴをつくりながら、いずれは家族を作り、五十年も経てば安らかな眠りにつくのだろう。
 これからの人生を思いながら、子どもの頃と同じように、こっそりとリンゴを一つもぎって思い切りかじる。
 口に広がる甘さに思い起こすのは、ゲーティア城で過ごした日々、ソティラスの姿――
 冷静になって、日常に戻って考えれば、心変わりするかもしれないとも思っていた。
 しかし未だ心に燻るのは、知ってしまった真実の姿と熱く満たす想い、胸を締め付ける痛みだ。
 昔と変わらず、村のリンゴは美味しかった。
 善悪を知る果実と呼ばれるその甘さに、しかしルーチェの心が満たされることはなかった。
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