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3.叶った、はずなのに
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木崎は小野塚のつむじに声を落とした。小野塚は声をかけられても顔を上げようとはしなかった。
「小野塚先輩ですよね? 懐かしいな。十年振りくらいですか」
(そういえば、つむじなんて初めて見たかもしれない)
木崎の頭の片隅に浮かんできたのは場違いなほど呑気な感想だった。未だ現実だと認識できていないのか、夢の中にいるかのように足に力が入らない。高校生の時は、背の高い小野塚を、いつも見上げてばかりだったのだ。つむじはふたつあった。
「探したんですよ。先輩が東京の大学に行ったって聞いたので、卒業後は、てっきりどこかのチームに入ってるか、東京で就職してるかと思っていたんですけど、こっちに帰ってきていたんですね。東京にいても会えないはずだ」
なぜ小野塚がここにいるのか、と今更ながら疑問が湧いてきた。
(こんなところで、こんな時間に、そんな格好で、なにをやっているんだろう)
「いま、何やってるんです? 先輩」
遠くで、車のクラクションが響いた。公園の中だけが静かだ。この二人だけ、世界から公園と一緒に見捨てられたのかもしれない。
小野塚は何も答えなかった。それでも木崎は続ける。胸の奥に積もり続けた言葉は、まだ全てを吐き出せていないのだ。
「もしかしたら留学でもしてるのかなって思ってたんですよ。先輩、外国に行ってみたいなって話してたじゃないですか。でも、先輩の友人に聞いても何も知らないっておっしゃってたんで……先輩、ですよね? 随分と変わってるんで先輩じゃないのかなって思ったんですけど、思い出の場所だし、もし先輩だったら運命だなって思い切って声かけたんですよ」
両手を広げ、大げさな身振りを交えて話す。普段の自分からは考えられない姿は、目も当てられない大根役者のようだ。しかしそうでもしないと、頭の中を渦巻く混乱を隠し切れずにいた。
小野塚の姿は、木崎の思い出の中の先輩とは、かけ離れていた。さっぱりと清潔感のある髪型は伸びきって耳まで覆いかぶさっていた。小綺麗でセンスよくまとめられた服装も、今では上下ちぐはぐで、襟口も広がり、ずいぶんとくたびれて見えた。
だが、年月が経ち、昔とは真逆の人間のようになっていても、十年振りの再会でも。
(……先輩だ。本当に、小野塚先輩が目の前にいる)
不思議と木崎には、目の前にいる男が、小野塚だと分かった。
小野塚は何も答えずじっとしていたが、木崎はかまわず言葉を繋いだ。
「覚えてますか? よくここでいろんなことを話しましたよね。落ちていたボールを蹴りあったりして、一緒にアイスも食べましたね。あの時は楽しかったなあ」
小野塚がピクリと反応したように見えた。小野塚にとっては思い出したくもない出来事だったのだろうか。木崎は昔を懐かしむように遠くを見て目を細めたが、小野塚は何も答えない。
「部活が終わった後、俺が待ってる姿を見つけたら、先輩、走ってきてくれたんですよ。すごく嬉しかったんですから。ああ、先輩も疲れてるのに俺のために走ってくれてるんだって。帰りも家の側まで送ってくれましたよね。先輩の家は、逆方向だったのに」
木崎は思わず笑みを零したが、小野塚は何も答えない。
「みんなの前でキスもしましたよね。囃し立てられて、すごく恥ずかしくて逃げちゃったんですけど。その後みんなが受け入れてくれてるんだって一人で勝手に勘違いして……ばかみたいに舞い上がってたんですよ。先輩とはこの先もずっと大丈夫だって、根拠もないのに思ってたんです。恋は盲目なんて誰が言ったんでしょうね。本当にそうだ」
木崎は肩をすくめたが、小野塚は何も答えない。
「だから先輩が、受験に専念したいから別れようって言ったときも、悲しかったんですけど大丈夫だって思ってたんですよ? だって、俺のことが嫌いだから、やっぱ男相手は無理だって分かったから付き合えないって、直接言われたわけじゃなかったから」
(大丈夫でした……なんて、そんなわけない)
嘘をついた。大丈夫だなんて、そんなこと微塵も思えなかった。思っていたなら、何年も小野塚に復讐しようとは思い続けなかった。
木崎は微笑んで見せ、「先輩」と、その言葉を慈しむように言い、続けた。
「――俺のこと、気持ち悪いって言ってましたよね?」
小野塚の肩が小さく跳ねた。だが、それだけだった。
「どんな気分ですか? そんな相手から馬鹿にされるのって。結局、あの日々は全部遊びだったんですよね? 本気で先輩が俺のことを恋人だって、特別な存在だと思ってくれてるって、一人で勝手に勘違いして舞い上がってた俺を見て面白がってたんですよね? みんなの前でキスしたのだってパフォーマンスに過ぎなかったんでしょ? それとも自分は同性と付き合える特別な奴だと周りに見せたかったんですか? どうなんです?」
詰め寄っても、小野塚は何も答えない。
木崎は奥歯を強く噛み締め、震える声を抑えて続ける。
「こんな一方的に言われてなんとも思わないんですか? 言い返したいでしょう? それとも全部、図星だから何も言えないと? ……何とか言ったらどうなんですか!」
木崎は声を荒げた。たまたま公園の前を通りがかった人が、何事かとこちらに目を向けたが、すぐに視線を逸らし歩き始めた。
「…………」
同じ姿勢のまま、小野塚はピクリとも動かない。うなだれたまま、じっと地面の一点を見ている。そこに答えがあるはずもなく、落ちているはずのない答えを、必死に探しているようにも見えなかった。その姿に木崎は余計に腹が立った。
「……――俺は」
木崎は唸るように声を絞り出した。
「先輩を、一生許しませんから」
それだけ吐き捨てると、振り返らずに早足で立ち去った。
無心で歩いているうちに人通りが増えてきた。公園の中とは打って変わり、この辺りは飲食店が多いのか、大声で笑いながら歩くサラリーマンらしき人たちとすれ違った。木崎は彼らと真逆の表情を浮かべ、先ほどのことを思い返した。
(言いたいことは、言った。全部、ってわけじゃないけど、心の準備が出来てなかったわりには、言えたんじゃないか……)
ずっと会えたら言いたかった。
『あなたを恨んでいるんですよ』と。
あなたが過去に鋭く尖った言葉で傷つけたことを、今までずっと心の内に溜めて、いつか長い年月をかけて研ぎ澄ました言葉を、何度も突き立ててやろうと思っていたんですよ、と。
それが、叶った。
(叶った、はずなのに……)
木崎は胸元をぎゅっと掴んだ。
なのに、今この胸の中に渦巻く気持ちはなんだろう。
すっきりすると思っていた。溜めに溜めていた思いを小野塚にぶつけてしまえば、この泥のように汚く堆積した感情が、全てではないにしろ、消えてなくなるのだと思っていたのに。
原因はなんとなく分かっている。
小野塚の、あの姿だ。
彼を見返したくて、東京の国立大学に入った。誰もが名前を知っているような企業に入社した。それだけのことをやったのは、小野塚が同等か、それ以上の生活をしていると思ったからだ。小野塚と対峙したときに、自分の方が劣っているようでは、小野塚に何を言っても刺さらないと思った。
(先輩と対等な立場じゃないと、先輩の目に僕の姿は入らないと思ったから。なのに先輩がこちらを向かないと何も話せないじゃないか。だから、こんなに頑張ったというのに――)
木崎ははっとした。これではまるで、小野塚にまた振り向いて欲しくて努力していたようではないか。今も小野塚のことが好きだとでも言うように。
(――ばかばかしい)
いい大学に入ったのも、いい会社に入ったのも、少しでも小野塚に付け入れられる隙を減らしたかったがためのステータスだろう。
(まだ先輩のことが好きだなんてありえない。……もう二度と、あんな思いはしたくない)
小野塚のことが好きだという気持ちは、あの日以来、時間が経つにつれて、恨みや悲しみで覆い隠されていった。何重にも巻かれた恋慕は歪に曲がり、好きだという気持ちは見えなくなり、復讐という目的を忘れないためのものとなった。
小野塚の姿を思い出す。ピクリとも動かない、みすぼらしい姿。
あれで終われるわけがなかった。
もっと話さなければならない。何故そんなに生気の抜けた姿をしているのか問いたださなければ、いつまで経っても前には進めない。過去に囚われ、傷を化膿させるままだ。
その日の夜、久しぶりに夢を見た。夏の暑い陽が残る公園でキスをする、あの夢だ。
小野塚に会ったら、すべてをぶちまけてしまえば、その夢も見なくなると思っていた。だが、そうはならなかった。結婚式の装いで女性と手を繋ぎながら歩く姿なんて、今日見た小野塚の姿からは想像すらできないはずだ。それなのに、今日の夢も全く同じだった。
『気持ち悪い。ありえねえよ』
小野塚の言葉が、頭に響いている。その言葉が吐き出される寸前に、いつもは目を覚ますのだが、今日ははっきりとその言葉を聞いた。
最悪だ。
どうすればこの夢を見なくなるだろう。
(――先輩のことを、許したときか?)
「小野塚先輩ですよね? 懐かしいな。十年振りくらいですか」
(そういえば、つむじなんて初めて見たかもしれない)
木崎の頭の片隅に浮かんできたのは場違いなほど呑気な感想だった。未だ現実だと認識できていないのか、夢の中にいるかのように足に力が入らない。高校生の時は、背の高い小野塚を、いつも見上げてばかりだったのだ。つむじはふたつあった。
「探したんですよ。先輩が東京の大学に行ったって聞いたので、卒業後は、てっきりどこかのチームに入ってるか、東京で就職してるかと思っていたんですけど、こっちに帰ってきていたんですね。東京にいても会えないはずだ」
なぜ小野塚がここにいるのか、と今更ながら疑問が湧いてきた。
(こんなところで、こんな時間に、そんな格好で、なにをやっているんだろう)
「いま、何やってるんです? 先輩」
遠くで、車のクラクションが響いた。公園の中だけが静かだ。この二人だけ、世界から公園と一緒に見捨てられたのかもしれない。
小野塚は何も答えなかった。それでも木崎は続ける。胸の奥に積もり続けた言葉は、まだ全てを吐き出せていないのだ。
「もしかしたら留学でもしてるのかなって思ってたんですよ。先輩、外国に行ってみたいなって話してたじゃないですか。でも、先輩の友人に聞いても何も知らないっておっしゃってたんで……先輩、ですよね? 随分と変わってるんで先輩じゃないのかなって思ったんですけど、思い出の場所だし、もし先輩だったら運命だなって思い切って声かけたんですよ」
両手を広げ、大げさな身振りを交えて話す。普段の自分からは考えられない姿は、目も当てられない大根役者のようだ。しかしそうでもしないと、頭の中を渦巻く混乱を隠し切れずにいた。
小野塚の姿は、木崎の思い出の中の先輩とは、かけ離れていた。さっぱりと清潔感のある髪型は伸びきって耳まで覆いかぶさっていた。小綺麗でセンスよくまとめられた服装も、今では上下ちぐはぐで、襟口も広がり、ずいぶんとくたびれて見えた。
だが、年月が経ち、昔とは真逆の人間のようになっていても、十年振りの再会でも。
(……先輩だ。本当に、小野塚先輩が目の前にいる)
不思議と木崎には、目の前にいる男が、小野塚だと分かった。
小野塚は何も答えずじっとしていたが、木崎はかまわず言葉を繋いだ。
「覚えてますか? よくここでいろんなことを話しましたよね。落ちていたボールを蹴りあったりして、一緒にアイスも食べましたね。あの時は楽しかったなあ」
小野塚がピクリと反応したように見えた。小野塚にとっては思い出したくもない出来事だったのだろうか。木崎は昔を懐かしむように遠くを見て目を細めたが、小野塚は何も答えない。
「部活が終わった後、俺が待ってる姿を見つけたら、先輩、走ってきてくれたんですよ。すごく嬉しかったんですから。ああ、先輩も疲れてるのに俺のために走ってくれてるんだって。帰りも家の側まで送ってくれましたよね。先輩の家は、逆方向だったのに」
木崎は思わず笑みを零したが、小野塚は何も答えない。
「みんなの前でキスもしましたよね。囃し立てられて、すごく恥ずかしくて逃げちゃったんですけど。その後みんなが受け入れてくれてるんだって一人で勝手に勘違いして……ばかみたいに舞い上がってたんですよ。先輩とはこの先もずっと大丈夫だって、根拠もないのに思ってたんです。恋は盲目なんて誰が言ったんでしょうね。本当にそうだ」
木崎は肩をすくめたが、小野塚は何も答えない。
「だから先輩が、受験に専念したいから別れようって言ったときも、悲しかったんですけど大丈夫だって思ってたんですよ? だって、俺のことが嫌いだから、やっぱ男相手は無理だって分かったから付き合えないって、直接言われたわけじゃなかったから」
(大丈夫でした……なんて、そんなわけない)
嘘をついた。大丈夫だなんて、そんなこと微塵も思えなかった。思っていたなら、何年も小野塚に復讐しようとは思い続けなかった。
木崎は微笑んで見せ、「先輩」と、その言葉を慈しむように言い、続けた。
「――俺のこと、気持ち悪いって言ってましたよね?」
小野塚の肩が小さく跳ねた。だが、それだけだった。
「どんな気分ですか? そんな相手から馬鹿にされるのって。結局、あの日々は全部遊びだったんですよね? 本気で先輩が俺のことを恋人だって、特別な存在だと思ってくれてるって、一人で勝手に勘違いして舞い上がってた俺を見て面白がってたんですよね? みんなの前でキスしたのだってパフォーマンスに過ぎなかったんでしょ? それとも自分は同性と付き合える特別な奴だと周りに見せたかったんですか? どうなんです?」
詰め寄っても、小野塚は何も答えない。
木崎は奥歯を強く噛み締め、震える声を抑えて続ける。
「こんな一方的に言われてなんとも思わないんですか? 言い返したいでしょう? それとも全部、図星だから何も言えないと? ……何とか言ったらどうなんですか!」
木崎は声を荒げた。たまたま公園の前を通りがかった人が、何事かとこちらに目を向けたが、すぐに視線を逸らし歩き始めた。
「…………」
同じ姿勢のまま、小野塚はピクリとも動かない。うなだれたまま、じっと地面の一点を見ている。そこに答えがあるはずもなく、落ちているはずのない答えを、必死に探しているようにも見えなかった。その姿に木崎は余計に腹が立った。
「……――俺は」
木崎は唸るように声を絞り出した。
「先輩を、一生許しませんから」
それだけ吐き捨てると、振り返らずに早足で立ち去った。
無心で歩いているうちに人通りが増えてきた。公園の中とは打って変わり、この辺りは飲食店が多いのか、大声で笑いながら歩くサラリーマンらしき人たちとすれ違った。木崎は彼らと真逆の表情を浮かべ、先ほどのことを思い返した。
(言いたいことは、言った。全部、ってわけじゃないけど、心の準備が出来てなかったわりには、言えたんじゃないか……)
ずっと会えたら言いたかった。
『あなたを恨んでいるんですよ』と。
あなたが過去に鋭く尖った言葉で傷つけたことを、今までずっと心の内に溜めて、いつか長い年月をかけて研ぎ澄ました言葉を、何度も突き立ててやろうと思っていたんですよ、と。
それが、叶った。
(叶った、はずなのに……)
木崎は胸元をぎゅっと掴んだ。
なのに、今この胸の中に渦巻く気持ちはなんだろう。
すっきりすると思っていた。溜めに溜めていた思いを小野塚にぶつけてしまえば、この泥のように汚く堆積した感情が、全てではないにしろ、消えてなくなるのだと思っていたのに。
原因はなんとなく分かっている。
小野塚の、あの姿だ。
彼を見返したくて、東京の国立大学に入った。誰もが名前を知っているような企業に入社した。それだけのことをやったのは、小野塚が同等か、それ以上の生活をしていると思ったからだ。小野塚と対峙したときに、自分の方が劣っているようでは、小野塚に何を言っても刺さらないと思った。
(先輩と対等な立場じゃないと、先輩の目に僕の姿は入らないと思ったから。なのに先輩がこちらを向かないと何も話せないじゃないか。だから、こんなに頑張ったというのに――)
木崎ははっとした。これではまるで、小野塚にまた振り向いて欲しくて努力していたようではないか。今も小野塚のことが好きだとでも言うように。
(――ばかばかしい)
いい大学に入ったのも、いい会社に入ったのも、少しでも小野塚に付け入れられる隙を減らしたかったがためのステータスだろう。
(まだ先輩のことが好きだなんてありえない。……もう二度と、あんな思いはしたくない)
小野塚のことが好きだという気持ちは、あの日以来、時間が経つにつれて、恨みや悲しみで覆い隠されていった。何重にも巻かれた恋慕は歪に曲がり、好きだという気持ちは見えなくなり、復讐という目的を忘れないためのものとなった。
小野塚の姿を思い出す。ピクリとも動かない、みすぼらしい姿。
あれで終われるわけがなかった。
もっと話さなければならない。何故そんなに生気の抜けた姿をしているのか問いたださなければ、いつまで経っても前には進めない。過去に囚われ、傷を化膿させるままだ。
その日の夜、久しぶりに夢を見た。夏の暑い陽が残る公園でキスをする、あの夢だ。
小野塚に会ったら、すべてをぶちまけてしまえば、その夢も見なくなると思っていた。だが、そうはならなかった。結婚式の装いで女性と手を繋ぎながら歩く姿なんて、今日見た小野塚の姿からは想像すらできないはずだ。それなのに、今日の夢も全く同じだった。
『気持ち悪い。ありえねえよ』
小野塚の言葉が、頭に響いている。その言葉が吐き出される寸前に、いつもは目を覚ますのだが、今日ははっきりとその言葉を聞いた。
最悪だ。
どうすればこの夢を見なくなるだろう。
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