終わらない復讐は初恋のかたち

いとま子

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5.小野塚先輩

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「ちゃんと話をしたかったんです。この前は俺が一方的に話しただけだったので、先輩の話も、ちゃんと聞きたいと思ったんですよ」

 納得できる説明をして欲しい。何故サッカーもしないでこのような生活をしているのか。大学を辞めたのはどうしてか。昔聞かせてくれた夢は諦めたのか――。

(なんでもいい。なにか話してほしい。先輩のことが聞きたい。そうしないと、この気持ちをどこへ向けていいのか分からない)

 木崎は真っ直ぐに小野塚を見つめたが、彼は鼻で笑った。

「俺の話? そんなこと聞いてどうすんだよ。笑いたいのか? 仕事もしてない俺が、こんなところで死んだようにただ時間を浪費してる姿を見て、生きてる価値もないような俺が、全うな生活をしてるお前の姿を見て、羨望や嫉妬してる姿を見せればお前は満足か?」

 そんなことありません、と否定は出来なかった。しかし、肯定も出来なかった。
 相手を見下し、自分より劣っている奴だ、と思えることで、もしかしたら満足できるかもしれない。ただ、それが本当にやりたかったことかと問われると、それは明らかに違った。小野塚も自分が受けた精神的苦痛と同じような不幸を味わえばいいと、漠然と考えていただけだ。

(復讐、って……なにをすればいいんだ……?)

 小野塚に問われて初めて、木崎は復讐するという強い思いとは裏腹に、内容については明確なビジョンがないことに気付いた。
 黙ってしまった木崎を見て、小野塚は呟く。

「……お前、今こっちにいんのか?」

 声のトーンが変わった。小野塚の気が変わったのだろうか。話してくれる気になったのかもしれない。まずは自分のことを話さなければと、木崎は咄嗟に答えた。

「いえ、東京に」

 勤めている会社の名前をあげた。母が自慢する企業だ。小野塚は目を細めた。

「帰省してんのか? それともわざわざ、俺に会いに来るためにここまできたのか?」

 木崎はそっと、唇を湿らせた。

「先輩と話をしたくて、戻ってきました」

 この会話を皮切りに話が出来るのではないかと思った。
 しかし、期待を込めた目で見つめる木崎を一瞥し、何故か小野塚は表情を歪めた。

「良いところに勤めてんだな。すごいじゃねえか。立派だ、リッパ。無職の俺とは大違いだな」

 小野塚は左だけ、口角を吊り上げた。

「笑いたきゃ笑えよ。俺のこと、恨んでんだろ? 怒鳴りたけりゃ怒鳴ればいいし、殴りたければ好きなだけ殴ればいい。それでお前の気が済むんならな。恨み言があんならいくらでも聞いてやる。時間なら腐るほどあるしな」

 そう言って小野塚は万年床に仰向けに倒れた。何がそんなにおかしいのか、いきなりゲラゲラと腹を抱えて笑い始めた。
 木崎は、小野塚のその姿を哀れに思った。憧れていた先輩は、世界一愛していた恋人は、復讐しようとしていた男は、こんなにも惨めな姿だったのか。こんな相手に十年もの間、復讐しようと思っていた自分のほうが笑えるほどおかしいとも思った。
 ふと視線を外すと、部屋の隅に無造作に投げられたパンの袋が目に入った。几帳面に三角に折りたたまれている。
 ぽつんとそこに転がっている三角形に、思わず頬が緩んだ。昔の癖と同じだ。

(なんだ、今も昔も、先輩は先輩のままなんじゃないか)

 復讐してやろうという考えなど、どこに向けていいかも分からないまま、消えてしまった。
 落ち着いたのか、小野塚は笑い終えると深く息をつき、口を開いた。

「お前、まだ俺のこと、好きだったりすんのか?」
「――っ」

 不意打ちだった。
 予想だにしなかった質問に、木崎は何も答えられず、不自然に固まってしまった。脈打つ心臓の音だけが警鐘を鳴らすように早い。
 ゆっくりと小野塚に視線を合わせる。小野塚はいつのまにか身体を起こし、木崎の心を見透かすかのようにじっと見つめていた。
 長く伸びた、ぼさぼさの髪。筋の通った鼻。尖ったあご先。のびきった襟元。広い肩幅。
 木崎は無意識に、目の前の小野塚から、思い出の中の先輩の面影を探した。ぱっと見た感じでは別人のように見えたが、骨格などは、当たり前かもしれないが変わっていなかった。
 
 ――お前、まだ俺のこと、好きだったりすんのか?
 
 小野塚に投げられた問いを、ぼんやりと頭の中で反芻した。好き、なんて考えてなかった。好きなわけがなかった。一時は恋人同士だったとはいえ、気持ち悪いとまで言われた相手なのだ。会って、復讐したいとも思っていた。
 気持ち悪いと言われて、裏切られて、恨んでいるから、イコール嫌いなんだろう。
 だが、さっき自分の中に、明確な復讐のかたちがなかったことを思い知らされたばかりだ。
 では何故、小野塚の後を追うように東京の大学に入り、小野塚の華々しい経歴に劣らないような企業に入社し、毎回のように小野塚の夢を見て、毎日のように小野塚のことを考えていたのだろう。小野塚と並んで写った写真を、捨てられずにいるんだろう。
 小野塚の変わらない細く長い指、変わらない匂い、変わらない唇の形――。
 小野塚先輩。
 その言葉は、塞がれた口から出ることはなかった。唇の感触も記憶の中ものと同じだった。
 唇はすぐに離れてしまった。軽く触れ合う程度の口付けだった。それでも目の前にいる小野塚の体温ははっきりと感じることができた。

(夢でも見てるんだろうか。悪夢の続きなのか? これが、悪夢?)

 ぼうっとする思考の中で、木崎は胸の中に生まれた不思議な気持ちの存在を感じた。嫌悪感ではない。ただ、手放しに歓迎できる幸福感でもなかった。
 突然生まれたこの気持ちに、名前があるのだろうか。

「やろうぜ」

 小野塚は言った。ただの挨拶のように。

「だから、金、くれよ」
 と、小野塚は顔を歪ませた。

「持ってんだろ」

(ああ、そういうことか……)

 すとん、と何かが落ちるような、はまるような感覚を覚えた。小野塚にとって自分は、やはりその程度の存在だったのだ、と納得する。なんだ、そうか。どうでもいいのか。
 木崎は微笑んで、小野塚の首に手を回し、唇を塞いだ。
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