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9.恋人
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夢を見た。いつものあの夢だ、と自覚した時、ぶるりと寒気に体が震えた。
木崎は肌に布が擦れる感触で、自分が全裸であることに気付いた。
「……? なんで……――っ!」
身体を起こそうとした瞬間、背中に鋭い痛みが走った。確かめるように恐る恐る身体を動かすと、どうやら背中ではなく腰が痛いようだ。一瞬で昨日のことを思い出し、身体を確かめた。情交の後は無く、身体は綺麗に拭かれていた。
辺りを見る。狭い部屋。無秩序に散らばっている物。万年床。小野塚の姿を探したが、見当たらなかった。
一度寝転がり、シーツを撫でる。ゆっくりと息を吸い込む。
(これが今の、先輩の匂いか……)
スマホで時刻を確認する。もう昼近い。結構長い間眠っていたようだ。服を着ようと探すと、枕元の方にあった。小野塚の服は雑に隅に寄せられ、開いたスペースに木崎の服は几帳面に畳まれていた。軽く笑いながら袖を通していると、玄関の方から鍵の回る音がした。
「起きたか」
小野塚はジスウェットの上下に着古したジャンバーを羽織った姿で、右手にはコンビニの袋を提げている。ぼさぼさの髪は相変わらずだった。
「おはようございます」
不思議と気まずさのようなものはなかった。むしろ自分の中から何かが抜け落ちたようにすっきりとしている。
(相手に気持ちがないって分かってれば、案外楽なものなんだな。これ以上嫌われないようにと、気を遣わないでいいし)
小野塚を見る。くたびれたその姿に、木崎は小野塚が身近な存在になったのだと感じた。実際の距離ではなく、目には見えない感覚的なものだ。ピッチを駆け、多くの人に囲まれていた高校生の小野塚は、ひどく遠くにいる、手の届かない存在のようだった。今ではものすごく、近い。簡単に手は届き、触れることすら容易だ。
(この先輩の側になら、僕もいてもいいのかもしれない)
木崎は自分の中に芽生えた新しい感情を自覚した。
(僕は、先輩の側にいたい。小野塚先輩は、小野塚先輩だから)
復讐という膜が剥がれ、露わになった想いは、元の形と同じものだとは分からないほどにひしゃげていたが、確かに存在した。そしてその感情を客観的に見ることが出来た。その感情につけた名前は間違っていると分かってはいたが、なぜかそれを恋だと呼びたかった。
「食べるか?」
小野塚は、「こんなものしかないが」と言いながら、袋の中からあんパンを取り出した。
「すみません。甘いもの、苦手なんですよ」
「……そうか」
小野塚は一瞬、目を見開いたが、すぐにあんパンを袋に戻し、無言でペットボトルの紅茶を渡した。木崎はあまり紅茶も好きではなかったが、黙って受け取った。そういえば、昔は先輩がくれた甘いものは、美味しいと言って食べていたことを思い出した。
小野塚は袋から取り出したメロンパンを食べはじめた。木崎はその間、ただずっと窓の外に目を向けていた。空はどんよりと曇っており、いつ降り出してもおかしくないほど暗かった。
小野塚はメロンパンを食べ終わると、袋を丁寧に折り畳み、小さな三角形の形にしてから、コンビニの袋に入れた。
「お金は、払いません」
木崎は小野塚が食べ終わるタイミングを待って口を開いた。小野塚は無言で目を細めた。
「だから恋人になりましょう」
今度は、不可解な生き物でも見たかのように小野塚は顔を歪めた。実際に小野塚には、今しがたの発言をした木崎が、未知の生物に見えているのかもしれない。
(恋人になれば、変えられる)
木崎はぎゅっと 両の手を握った。
(思い出の中の先輩の姿を取り戻せるはずだ。それも、僕自身の手で――)
手も、唇も、袋を結ぶ癖も、昔の小野塚の面影は残っている。恋人として一緒にいれば、その小さな一つ一つを拾い上げて、あの時の輝いている先輩の姿に戻すことが出来ると思った。
この気持ちはきっと、一般的にいう恋という感情とは程遠いのだろう。それでも木崎は自分の中に芽生えた、小野塚に向けられたこの複雑な感情を全部ひっくるめて恋と呼んだ。小野塚に抱いた二度目の恋だ。小野塚も、今抱いている感情をまとめて恋だと呼べばいい。それを自分に向けてくれるといい。そうしたら、今度こそ本当に恋人同士になれる。ずいぶんと乱暴な考えだ。
しばらくして、無言だった小野塚は案の定、
「意味が分からん」
と、呟いた。
「どうしてそういう考えになるのか、理解できねえな」
「理解してもらわなくてもいいです。俺は……いや僕は、先輩と、恋人になりたい」
木崎は真っ直ぐに小野塚を見つめた。小野塚は口をへの字に曲げ、視線を落としたままだ。考える隙を与えないように、木崎は一気にまくし立てた。
「恋人になったら、先輩の生活も助けられます。一緒に住んでもいいですし、それが嫌だったら今のままでもいいです。僕は東京にいるので頻繁には会えませんけど、休みの日にはこっちへ来ますし、その時は何か美味しいものでも作ってきます。手作りが嫌だったら外で食べてもいいですし。そして少し買い物したり、映画を見に行ったり、どこか出かけられたらきっと楽しいですよ」
考えが纏まらないまま話し続けた。木崎は自分でも何を言っているのかもよく分からないまま、自分と付き合う利点を並べ立てた。とはいっても、結局は金銭的援助をする、という意味でしかないが。
きっとこれは恋人とは言わない。小野塚もきっとそう思うだろう。それでも木崎はなんとしてでも小野塚と繋がりを持ちたかった。
ずっと好きだった、昔の先輩に戻ってほしい。
相手に執着することも、きっと恋だ。
「……んなもの、恋人だとは言わないだろ」
「いいえ、恋人です」
木崎は断言した。
「お互いのことを想っていれば、考えていればその人たちは恋人です」
小さい甥たちでも言わないような屁理屈だ。小野塚に屁理屈だと言われれば、じゃあ、恋人って何ですかと聞けばいい。体の関係があることならば、自分たちはもうありますと言えばいいし、お互いに好意の持っている人たち同士だと言われれば、試しに付き合って恋人同士だと言う人もいます、と答えればいい。
いろいろなパターンの回答を探していたが、小野塚は小さな声で「わかった」と答えただけだった。
「……え?」
「だから、お前の言いたいことはわかった。じゃあ、恋人になるか」
自ら話を持ち出したとはいえ、いざ受け入れられると不安になった。
(先輩は、付き合ってほしいと言われれば誰とでも付き合うのだろうか。だったらあの時も……? それなら、僕と付き合ったのも少しは納得できる。それに今回は、先輩にとって利害がはっきりしてる。気持ち悪いと言っていた人間と付き合うことを天秤にかけて、利をとる事にしたんだろう。だが、本当にそれでいいのか……?)
木崎は小野塚を見る。長い月日で変わった見た目、変わらない癖。
(いや、言質はとった。どんなかたちであれ、これはチャンスだ)
「……本当にいいんですか?」
「だからいいって言ってんだろ」
「ありがとうございます。……よかった」
木崎は胸を撫でおろして、気付いた。このやり取りは、自分が初めて先輩に告白した時と同じだ。小野塚が気づいているかどうかは分からないが、木崎は嬉しかった。
(十年の空白なんか関係ない。もう一度先輩とやり直せるんだ。次こそは――)
木崎は小野塚を見つめた。数秒視線が絡み合い、目を逸らされないと安堵すると、おそるおそるキスをした。すぐに唇を離し、鼻が触れそうなほど近くで視線を絡めた。いま小野塚を満たしているのは嫌悪感だろうか。
考えていると、今度は小野塚から口をつけた。何度も探り合うようなキスを繰り返しているうちに、小野塚の手が、木崎のわき腹をなぞった。徐々に深くなる口付けに、木崎の心は満たされていった。小野塚に気持ちが無くとも、この感触だけは現実のものだ。
これでもう、昔のように小野塚がいきなり日常から消えることはない。木崎は小野塚の首に腕を回した。
(次こそはちゃんと、憧れの先輩と恋人同士になってみせる。先輩を助けられる男になったんだから)
彼の世界の中で、彼を助けることができるのは、自分ひとりしかいないのだから。
しばらくして小野塚は新しくバイトを始めた。働き次第では、正社員になれる職場らしい。実は木崎がアパートに来る前にコンビニの深夜バイトが決まっていたそうだが、辞めてもらった。今現在、昼夜逆転したような生活を送り、人とあまり接したがらない小野塚にはちょうどいい仕事のように思えるが、深夜に仕事だと昼間働いている木崎とはすれ違ってしまう。会う時間がなくなっては意味がないので、木崎は小野塚に昼の就業時間で、人と話すような事が苦ではなさそうな仕事をいくつか勧めた。
バイトの面接を受ける前に、小野塚は髪を切った。伸びきった髪をばっさりと切ったその姿は、昔の面影がはっきりと見てとれた。
「格好いいですね」
「切りすぎじゃないか」
いきなり視界が広くなって落ち着かないのか、小野塚は眉間に皺を寄せ、何度も頭をなでた。
「いえ、そのくらいがちょうどいいですよ。昔はもっと短かったじゃないですか」
木崎がそう言うと、小野塚は眉間に皺を寄せたまま、押し黙ってしまった。
(ちゃんと覚えてますよ。ふたりで撮った写真、まだ持ってますし)
付き合い始めて変わったのは、小野塚だけではなかった。
木崎は休みの日の前日、仕事が終わると、すぐに新幹線に飛び乗った。小野塚と恋人になってから、休みの日は必ず小野塚と一緒に過ごしていた。小野塚が仕事の日は、郵便受けの中に無造作に入れられている部屋の鍵を使って上がり込み、食事を作り、部屋を掃除し、浴槽にお湯を張って帰りを待った。
「おかえりなさい」
帰宅した小野塚に笑顔を向けると、ああ、と短くため息にも似た返事が返ってくる。
「先にご飯にしますか。お風呂の方も準備してありますけど」
「……飯」
「じゃあ少し待っていてください、温め直します」
そう言って、木崎は鍋に火をかける。鍋をかき混ぜながら、口元がにやけているのを見られないよう手で覆った。
(ふふ、なんかこそばゆいな。今の会話。まるで新婚夫婦みたいじゃないか?)
沸騰してから、火を止め、ご飯を盛った皿にかけた。カレーの匂いが部屋に広がる。向かい合って食卓につき、手料理を口に運ぶ小野塚を見つめる。
「どうですか?」
ああ、と小野塚は短く返事をする。どちらかは分からないが、黙々と食べてくれているので、食べられないほどまずくはないのだろう。カレーならば、ルゥの箱の裏面に作り方が載っているので、普段料理をしない木崎でも何とか形にはなった。
「……ありがとう」
食べ終わった小野塚が、呟くように礼を言う。その言葉だけで十分報われた気分になった。
くつろいでいるとき、床に入る前、ふとした瞬間に手を重ねても、振り払われることはなかった。長く見つめて顔を近づけても、小野塚は顔を背けなかった。
(許されてる。僕はちゃんと、先輩に恋人として受け入れられてるんだ)
そっと木崎は唇を重ねた。そのまま体の中心に触れても拒まれなかった。木崎の中に小野塚の熱を感じられる瞬間は、確かな恋人同士の繋がりを錯覚できた。
小野塚が休みの日は出来るだけ外へと連れて行った。買い物をしたり、食事をしたり、映画を見た。その時間はまるで昔に戻ったかのように木崎は幸せだった。ペースを合わせる歩き方、食べ終わった後に小さく手を合わせる仕草、スクリーンを見つめる横顔……小野塚をいろんなところに連れて行っては、自然と過去の面影を探していた。
(ほんとに先輩が隣にいるんだ。僕が知ってる先輩のままだな)
小野塚の映画や小説の趣味は変わらなかったし、食事もいつも同じメニューばかり頼むところは昔と変わっていなかった。
昔と違うところはといえば、小野塚はあまり笑わなくなり、代金は割り勘ではなくなったということだ。それでも木崎はかまわなかった。小野塚が買い物や映画に付き合ってくれるだけでも嬉しかったし、小野塚の生活に余裕がないことも十分承知だ。無理に誘っているのは自分の方なのだから、デート代出すのも当然自分だ。
もう体の関係もあるんだぞ、と思ったらなんだか笑えた。
(完璧な恋人同士じゃないか)
木崎は肌に布が擦れる感触で、自分が全裸であることに気付いた。
「……? なんで……――っ!」
身体を起こそうとした瞬間、背中に鋭い痛みが走った。確かめるように恐る恐る身体を動かすと、どうやら背中ではなく腰が痛いようだ。一瞬で昨日のことを思い出し、身体を確かめた。情交の後は無く、身体は綺麗に拭かれていた。
辺りを見る。狭い部屋。無秩序に散らばっている物。万年床。小野塚の姿を探したが、見当たらなかった。
一度寝転がり、シーツを撫でる。ゆっくりと息を吸い込む。
(これが今の、先輩の匂いか……)
スマホで時刻を確認する。もう昼近い。結構長い間眠っていたようだ。服を着ようと探すと、枕元の方にあった。小野塚の服は雑に隅に寄せられ、開いたスペースに木崎の服は几帳面に畳まれていた。軽く笑いながら袖を通していると、玄関の方から鍵の回る音がした。
「起きたか」
小野塚はジスウェットの上下に着古したジャンバーを羽織った姿で、右手にはコンビニの袋を提げている。ぼさぼさの髪は相変わらずだった。
「おはようございます」
不思議と気まずさのようなものはなかった。むしろ自分の中から何かが抜け落ちたようにすっきりとしている。
(相手に気持ちがないって分かってれば、案外楽なものなんだな。これ以上嫌われないようにと、気を遣わないでいいし)
小野塚を見る。くたびれたその姿に、木崎は小野塚が身近な存在になったのだと感じた。実際の距離ではなく、目には見えない感覚的なものだ。ピッチを駆け、多くの人に囲まれていた高校生の小野塚は、ひどく遠くにいる、手の届かない存在のようだった。今ではものすごく、近い。簡単に手は届き、触れることすら容易だ。
(この先輩の側になら、僕もいてもいいのかもしれない)
木崎は自分の中に芽生えた新しい感情を自覚した。
(僕は、先輩の側にいたい。小野塚先輩は、小野塚先輩だから)
復讐という膜が剥がれ、露わになった想いは、元の形と同じものだとは分からないほどにひしゃげていたが、確かに存在した。そしてその感情を客観的に見ることが出来た。その感情につけた名前は間違っていると分かってはいたが、なぜかそれを恋だと呼びたかった。
「食べるか?」
小野塚は、「こんなものしかないが」と言いながら、袋の中からあんパンを取り出した。
「すみません。甘いもの、苦手なんですよ」
「……そうか」
小野塚は一瞬、目を見開いたが、すぐにあんパンを袋に戻し、無言でペットボトルの紅茶を渡した。木崎はあまり紅茶も好きではなかったが、黙って受け取った。そういえば、昔は先輩がくれた甘いものは、美味しいと言って食べていたことを思い出した。
小野塚は袋から取り出したメロンパンを食べはじめた。木崎はその間、ただずっと窓の外に目を向けていた。空はどんよりと曇っており、いつ降り出してもおかしくないほど暗かった。
小野塚はメロンパンを食べ終わると、袋を丁寧に折り畳み、小さな三角形の形にしてから、コンビニの袋に入れた。
「お金は、払いません」
木崎は小野塚が食べ終わるタイミングを待って口を開いた。小野塚は無言で目を細めた。
「だから恋人になりましょう」
今度は、不可解な生き物でも見たかのように小野塚は顔を歪めた。実際に小野塚には、今しがたの発言をした木崎が、未知の生物に見えているのかもしれない。
(恋人になれば、変えられる)
木崎はぎゅっと 両の手を握った。
(思い出の中の先輩の姿を取り戻せるはずだ。それも、僕自身の手で――)
手も、唇も、袋を結ぶ癖も、昔の小野塚の面影は残っている。恋人として一緒にいれば、その小さな一つ一つを拾い上げて、あの時の輝いている先輩の姿に戻すことが出来ると思った。
この気持ちはきっと、一般的にいう恋という感情とは程遠いのだろう。それでも木崎は自分の中に芽生えた、小野塚に向けられたこの複雑な感情を全部ひっくるめて恋と呼んだ。小野塚に抱いた二度目の恋だ。小野塚も、今抱いている感情をまとめて恋だと呼べばいい。それを自分に向けてくれるといい。そうしたら、今度こそ本当に恋人同士になれる。ずいぶんと乱暴な考えだ。
しばらくして、無言だった小野塚は案の定、
「意味が分からん」
と、呟いた。
「どうしてそういう考えになるのか、理解できねえな」
「理解してもらわなくてもいいです。俺は……いや僕は、先輩と、恋人になりたい」
木崎は真っ直ぐに小野塚を見つめた。小野塚は口をへの字に曲げ、視線を落としたままだ。考える隙を与えないように、木崎は一気にまくし立てた。
「恋人になったら、先輩の生活も助けられます。一緒に住んでもいいですし、それが嫌だったら今のままでもいいです。僕は東京にいるので頻繁には会えませんけど、休みの日にはこっちへ来ますし、その時は何か美味しいものでも作ってきます。手作りが嫌だったら外で食べてもいいですし。そして少し買い物したり、映画を見に行ったり、どこか出かけられたらきっと楽しいですよ」
考えが纏まらないまま話し続けた。木崎は自分でも何を言っているのかもよく分からないまま、自分と付き合う利点を並べ立てた。とはいっても、結局は金銭的援助をする、という意味でしかないが。
きっとこれは恋人とは言わない。小野塚もきっとそう思うだろう。それでも木崎はなんとしてでも小野塚と繋がりを持ちたかった。
ずっと好きだった、昔の先輩に戻ってほしい。
相手に執着することも、きっと恋だ。
「……んなもの、恋人だとは言わないだろ」
「いいえ、恋人です」
木崎は断言した。
「お互いのことを想っていれば、考えていればその人たちは恋人です」
小さい甥たちでも言わないような屁理屈だ。小野塚に屁理屈だと言われれば、じゃあ、恋人って何ですかと聞けばいい。体の関係があることならば、自分たちはもうありますと言えばいいし、お互いに好意の持っている人たち同士だと言われれば、試しに付き合って恋人同士だと言う人もいます、と答えればいい。
いろいろなパターンの回答を探していたが、小野塚は小さな声で「わかった」と答えただけだった。
「……え?」
「だから、お前の言いたいことはわかった。じゃあ、恋人になるか」
自ら話を持ち出したとはいえ、いざ受け入れられると不安になった。
(先輩は、付き合ってほしいと言われれば誰とでも付き合うのだろうか。だったらあの時も……? それなら、僕と付き合ったのも少しは納得できる。それに今回は、先輩にとって利害がはっきりしてる。気持ち悪いと言っていた人間と付き合うことを天秤にかけて、利をとる事にしたんだろう。だが、本当にそれでいいのか……?)
木崎は小野塚を見る。長い月日で変わった見た目、変わらない癖。
(いや、言質はとった。どんなかたちであれ、これはチャンスだ)
「……本当にいいんですか?」
「だからいいって言ってんだろ」
「ありがとうございます。……よかった」
木崎は胸を撫でおろして、気付いた。このやり取りは、自分が初めて先輩に告白した時と同じだ。小野塚が気づいているかどうかは分からないが、木崎は嬉しかった。
(十年の空白なんか関係ない。もう一度先輩とやり直せるんだ。次こそは――)
木崎は小野塚を見つめた。数秒視線が絡み合い、目を逸らされないと安堵すると、おそるおそるキスをした。すぐに唇を離し、鼻が触れそうなほど近くで視線を絡めた。いま小野塚を満たしているのは嫌悪感だろうか。
考えていると、今度は小野塚から口をつけた。何度も探り合うようなキスを繰り返しているうちに、小野塚の手が、木崎のわき腹をなぞった。徐々に深くなる口付けに、木崎の心は満たされていった。小野塚に気持ちが無くとも、この感触だけは現実のものだ。
これでもう、昔のように小野塚がいきなり日常から消えることはない。木崎は小野塚の首に腕を回した。
(次こそはちゃんと、憧れの先輩と恋人同士になってみせる。先輩を助けられる男になったんだから)
彼の世界の中で、彼を助けることができるのは、自分ひとりしかいないのだから。
しばらくして小野塚は新しくバイトを始めた。働き次第では、正社員になれる職場らしい。実は木崎がアパートに来る前にコンビニの深夜バイトが決まっていたそうだが、辞めてもらった。今現在、昼夜逆転したような生活を送り、人とあまり接したがらない小野塚にはちょうどいい仕事のように思えるが、深夜に仕事だと昼間働いている木崎とはすれ違ってしまう。会う時間がなくなっては意味がないので、木崎は小野塚に昼の就業時間で、人と話すような事が苦ではなさそうな仕事をいくつか勧めた。
バイトの面接を受ける前に、小野塚は髪を切った。伸びきった髪をばっさりと切ったその姿は、昔の面影がはっきりと見てとれた。
「格好いいですね」
「切りすぎじゃないか」
いきなり視界が広くなって落ち着かないのか、小野塚は眉間に皺を寄せ、何度も頭をなでた。
「いえ、そのくらいがちょうどいいですよ。昔はもっと短かったじゃないですか」
木崎がそう言うと、小野塚は眉間に皺を寄せたまま、押し黙ってしまった。
(ちゃんと覚えてますよ。ふたりで撮った写真、まだ持ってますし)
付き合い始めて変わったのは、小野塚だけではなかった。
木崎は休みの日の前日、仕事が終わると、すぐに新幹線に飛び乗った。小野塚と恋人になってから、休みの日は必ず小野塚と一緒に過ごしていた。小野塚が仕事の日は、郵便受けの中に無造作に入れられている部屋の鍵を使って上がり込み、食事を作り、部屋を掃除し、浴槽にお湯を張って帰りを待った。
「おかえりなさい」
帰宅した小野塚に笑顔を向けると、ああ、と短くため息にも似た返事が返ってくる。
「先にご飯にしますか。お風呂の方も準備してありますけど」
「……飯」
「じゃあ少し待っていてください、温め直します」
そう言って、木崎は鍋に火をかける。鍋をかき混ぜながら、口元がにやけているのを見られないよう手で覆った。
(ふふ、なんかこそばゆいな。今の会話。まるで新婚夫婦みたいじゃないか?)
沸騰してから、火を止め、ご飯を盛った皿にかけた。カレーの匂いが部屋に広がる。向かい合って食卓につき、手料理を口に運ぶ小野塚を見つめる。
「どうですか?」
ああ、と小野塚は短く返事をする。どちらかは分からないが、黙々と食べてくれているので、食べられないほどまずくはないのだろう。カレーならば、ルゥの箱の裏面に作り方が載っているので、普段料理をしない木崎でも何とか形にはなった。
「……ありがとう」
食べ終わった小野塚が、呟くように礼を言う。その言葉だけで十分報われた気分になった。
くつろいでいるとき、床に入る前、ふとした瞬間に手を重ねても、振り払われることはなかった。長く見つめて顔を近づけても、小野塚は顔を背けなかった。
(許されてる。僕はちゃんと、先輩に恋人として受け入れられてるんだ)
そっと木崎は唇を重ねた。そのまま体の中心に触れても拒まれなかった。木崎の中に小野塚の熱を感じられる瞬間は、確かな恋人同士の繋がりを錯覚できた。
小野塚が休みの日は出来るだけ外へと連れて行った。買い物をしたり、食事をしたり、映画を見た。その時間はまるで昔に戻ったかのように木崎は幸せだった。ペースを合わせる歩き方、食べ終わった後に小さく手を合わせる仕草、スクリーンを見つめる横顔……小野塚をいろんなところに連れて行っては、自然と過去の面影を探していた。
(ほんとに先輩が隣にいるんだ。僕が知ってる先輩のままだな)
小野塚の映画や小説の趣味は変わらなかったし、食事もいつも同じメニューばかり頼むところは昔と変わっていなかった。
昔と違うところはといえば、小野塚はあまり笑わなくなり、代金は割り勘ではなくなったということだ。それでも木崎はかまわなかった。小野塚が買い物や映画に付き合ってくれるだけでも嬉しかったし、小野塚の生活に余裕がないことも十分承知だ。無理に誘っているのは自分の方なのだから、デート代出すのも当然自分だ。
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