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13.友人
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「それ、営業先で仕事褒められて、お土産ってもらったやつでさ――」
「それは、よかったですね」
「そんで、この前松戸さん――先輩なんだけど、部長の代わりに会議に出ることになってさ、託されてた書類を月森さんに間違えて渡しちゃって――」
「……そうなんですか」
「でも、それから――」
最近、小野塚がよく職場の話をするようになった。仕事の大変さが主な内容だったが、充実振りが窺えた。職場の様子もよく分からないし、話に出てくる社員の人達もイメージはできないが、自分から滅多に話さない小野塚が、生き生きと進んで話しかけてくれ、木崎も嬉しくなった。
「そうしたら、月森さんが手伝ってくれて――」
(……また、月森さんか)
小野塚の話の中でも、特に頻繁に出てくる名前が気になった。月森という人だ。小野塚より三つ年下で、電話対応や伝票の処理など事務作業を主にやっているらしい。小野塚の話をつなぎ合わせ、月森は女性だということがわかった。
月森以外にも女性はいるらしい。だが、木崎は姿を見たこともない月森という女性が気になって仕方がなかった。
「月森さんのこと?」
「はい、どんな人なのかなって」
自然と、月森の話を聞きだそうとした。小野塚はそのたびに宙を見て、記憶をたどり、月森の一つ一つの細かいしぐさまで思い出そうとしているかに見えた。
自分で聞いておきながら、小野塚の口から月森の名前が出るたび、話の途中でふと口元がほころぶたび、木崎は胸がえぐられる思いをした。
小野塚の世界には瞬く間に、自分以外の人間が入り込んでいた。たくさんの人達に囲まれている姿は、高校時代の小野塚と重なって見えた。そうなってほしいと願ったのは、そうしようとしていたのは木崎自身のはずだったが、いざ、現実になってしまうと素直に喜べなかった。
少し考えれば分かったはずだ。高校時代の小野塚に木崎は必要なかった。高校時代の先輩に戻ってしまえば、自分はまた捨てられてしまう。
――気持ち悪い、と言われて。
(先輩が、僕のことを好きなわけがない。先輩は僕のことを、身の回りのことをやってくれる、便利な財布ぐらいだとしか思ってないんじゃないか)
しかし、それでもいいと思っていたのは自分だ。小野塚の気持ちなど考えずに、自分が小野塚のためになるであろうと思ったことを、勝手にやっていただけではないか。
こうも関係がねじれてしまったのは、小野塚の気持ちを無視してまで、幸せだった頃の過去の思い出にすがってしまったからだ。大切なのは、今の小野塚だというのに。
小野塚が自分をどう思っているのかが知りたかった。しかし、それを聞いてしまえば、小野塚は自分を鬱陶しがるとわかる。恋人面するな、と。
月森の話をする小野塚に引きつった笑顔を見せながら、木崎は一人、心を決めた。
(恋人ごっこでもいい。先輩の気持ちも、もう聞かなくていい)
これはただのエゴだ。
(先輩に捨てられるまで、側にいたい)
「あれ? 木崎だ」
仕事が終わり、木崎がいつものスーパーで値引きされた弁当を眺めていると、ふいに背後から名前を呼ばれた。
振り返ると、佐伯がいた。思いがけない突然の再会に木崎は目を丸くした。
よっ、と片手を挙げ、佐伯は高校時代と変わらない満面の笑みを浮かべた。
「うわ、佐伯、久しぶりだな。元気だった? 最近忙しくて全然連絡もできてなかったけど」
「お互いなー、いやあ、まさかここで木崎に会えるなんてなー。でもここら辺は木崎の生活圏なんだっけ――……」
近づいてきた佐伯は笑顔を一瞬にして消し去り、目を細めた。佐伯の目線の先には、木崎の手にしている三割引の塩サバ弁当があった。
「いっつも割引弁当食べてんの?」
「……まあ、一人だしね」
小野塚がいれば作るのだが、一人だと仕事の後というのもあり、毎回出来合いのもので済ませていた。自分のために食事をつくることはない。
「寂しいやつめ。作ってくれる人とかいないのか?」
佐伯がにやにやとしながら、木崎のわき腹を肘で突いてくる。木崎も笑って返したかったが、乾いた笑いがスーパーのBGMに浮いた。
(こんな簡単なこともできないのか。昔はもっと上手く取り繕えてなかったか)
最近は小野塚とのすれ違いもあって、木崎は肩を落とした。その肩を、ばしっと佐伯が叩いた。
「よし、飲みにいくぞ」
「えっ? ちょっと佐伯」
佐伯は木崎の持っていた塩サバ弁当を引ったくって元の場所に戻し、腕を掴んでさっさと店を出た。有無を言わせない力で握られているので簡単に引き離せそうにないし、特に引き離すような理由もない。引っ張られるままに、木崎は佐伯について行った。
佐伯が連れてきたのは路地の奥まった場所にある居酒屋だった。たどり着くまではこんなところに飲み屋があるのかと訝っていた木崎だが、店内に入ると感嘆のため息を吐いた。広くはないが小綺麗で温かみのある居酒屋だった。
佐伯は店員とも顔なじみのようで、二三言葉を交わすと、慣れた様子で奥の方へと歩いていった。
「よく来るんだ?」
「まあね」
「女の子と?」
その問いに佐伯は答えず、にやりと口角を上げた。プロのチームで活躍するサッカー選手で、親しみやすく、加えて好青年の佐伯は、さぞかしモテるのだろう。
カウンター席以外は半個室のようになっており、他にも客はいるのだろうが、全くといっていいほど気にならない。佐伯は腰を下ろすと、「俺が決めていい?」と聞いてきた。常連の佐伯に任せた方がいいだろうと快諾すると、佐伯はメニューも開かずに店員を呼んであれこれと注文していた。
ほどなくして運ばれてきた料理はどれも美味しかった。酒も飲みやすい。食べながら、互いの近況を話した。サッカーと仕事、最近見た面白い映画。核心には触れないまま、食事を楽しんだ。
やがて、話が一段落したところで佐伯が声を落とした。
「それで」
佐伯が木崎を真っ直ぐに見据えた。
「何があったんだ?」
木崎は目を伏せ、誤魔化すようにグラスを傾けたが入っていなかった。佐伯の真剣な眼差しを前に、これ以上はぐらかすこともできない。木崎はグラスを置き、一度深く息を吐いた。
「……佐伯も、知ってるよね。僕が、小野塚先輩に復讐を考えていたこと」
高校の時、小野塚に気持ち悪いと言われて別れてからのことを思い返し、言葉にしていく。
思い出す暇もなくなるほど、その後の高校時代は勉強と部活に打ち込んだこと。
小野塚に負けないよう、目標通り、東京の大学に入り、有名な会社に就職したこと。
「ずっと実家には帰ってなかったんだけど、前に帰省したとき、たまたま公園で小野塚先輩と再会して――……」
木崎は口をつぐんだ。
(勝手に先輩の現状を話してもいいんだろうか。誰にも知られたくなかったから、夜の公園でひとり、ベンチに座ってたんじゃないのか?)
佐伯はただ静かに、木崎を見つめている。だがその視線の奥には、高校生の時、小野塚への復讐を勧めたときと同じ熱があった。
(昔を知ってる佐伯なら、何を聞いても受け止めてくれるはずだ。それに、佐伯についてきた時点で、僕も佐伯に聞いてもらいたかったのかもな)
頼れる友人の姿が、木崎の背中を押すきっかけになった。
「……再会した小野塚先輩に、ずっと溜めていた言葉をぶつけた。何度も」
木崎は話を続けた。もう胸の中に渦巻く黒い感情を、自分ひとりで抱え続けるのもつらかった。高校時代を知っている佐伯が相手なら話せる。
「先輩は、高校のときの面影なんかなかった。変わっていたのは見た目だけじゃない。なんというか……雰囲気が、暗く沈んでるようだった。そのときは一方的に話しただけだったから、先輩になにがあったかちゃんと知りたくて、居場所を聞くために先輩の実家を訪ねたんだけど、大学でサッカー部を辞めて、勝手に退学してから、連絡を取っていないと言われて……」
「その話は、俺も人づてに聞いたことがある」
佐伯は思い出すように宙を睨んだ。
「確か膝の怪我だったよな」
「膝……?」
「知らなかったのか」
うつむいた木崎に、「まあ、言いにくいよな」と佐伯は呟いた。
「……佐伯は、今の先輩のこと、どう思った?」
恐る恐る木崎は尋ねた。同じ高校に入学しようと思えるほど憧れていた小野塚が、怪我でサッカーを辞め、自堕落な生活を送っていたことを佐伯はどう思っているのか。
「やっぱ、ショックだな」
と、佐伯は弱々しく笑って答えた。
「怪我は誰にでも起こりうることだし、仕方ないところもあるよ。俺も十分に気をつけてはいるけど、いつ怪我をするかは分からないし。ただ、その、小野塚先輩の怪我は、手術とリハビリをすれば治るものだって人づてに聞いてる。だから、あんなにサッカーがうまくて、それ以上に誰よりもサッカーが好きな先輩がさ、治す努力もしないで怪我をしたから辞めるっていうのは、小野塚先輩だと、ちょっと信じられないってか、まあ、ショックだわ」
そこまで言って、佐伯は「えらそうなこと、言っちゃったけど」と苦々しい顔をした。
「まあ、小野塚先輩にも、怪我とか関係なしに、サッカーから離れるほどの事情があったのかもしれないし」
佐伯は目線で木崎に話の続きを促した。木崎は頭の中で話を整理しながら、口を開いた。
その後、小野塚の居場所を突き止め、会いに行ったこと。
「まだ好きかと聞かれて、金をくれるならやろうって言われた」
佐伯はその話に息を呑んだ。意味も理解しているのだろうが、何も言わなかった。木崎は続きを話した。自分の事のはずなのに、他人事のように淡々と話し続けた。
「僕は先輩に、恋人になってほしいと申し出た。見た目も生活も態度も変わってたけど、昔の面影は残ってた。だから憧れの先輩に戻せるんじゃないかって。やっぱり僕は、過去の先輩の姿を振り切れずにいたから」
休日は小野塚のもとへ行き、身の回りの世話をしていること。
気づけば、いつのまにか自分の方が小野塚を必要としていたこと。
小野塚が正社員になり、すれ違うようになったこと。
何をやっても空回りしてしまうこと。
小野塚の職場にいる女性が気になること。
淡々と続けながらも、次第に木崎は自分が惨めに思えてきた。
(何をやっていたんだろう。全部独りよがりだ。こんな関係、先輩のためを思うのなら、今すぐにでも止めなきゃいけないのに。新しい生活が始まった先輩に僕は必要ないじゃないか)
順調な再出発を果たした小野塚に、偽の恋人である木崎という存在は足枷になる。
(分かっているのに、関係を終わらせたくはない。まだ先輩の側にいたい)
「……これで全部だよ。どうすればいいか悩んでいるときに、佐伯が声をかけてくれたってとこ。タイミングばっちりだったよ。さすがエースストライカー」
「ミッドフィルダーだよ。でも、そうか。それならよかった。話してくれてありがとな、木崎。……つらかったな」
木崎はゆるゆるとかぶりを振った。
「ほんと、なにやってんだろうね。馬鹿だよ。改めて話すと、わけわかんないし」
は、と自嘲した笑みがこぼれた。グラスを傾ける。空だったことすら忘れていた。ビールを手酌する。ぬるい苦みが喉に絡みつく。
「自分を卑下すんなよ。木崎は頑張ってる」
真っ直ぐに佐伯が見つめてくる。話し始めたときは背中を押してくれた視線の強さが、今はいたたまれなくなって目を逸らした。自分の愚かさが恥ずかしい。同時に、友人の短い励ましの言葉に、自分を認められたようで、目頭が熱くなる。
「あんま自分を責めんなよ。木崎はなんも悪くない。こんだけ大切にされて、先輩がうらやましいくらいだ」
「……そっか」
沈黙が続いたが、空気は軽く感じた。佐伯はすっかり冷めた餃子をつまみながら、どう励ましたらいいかまだ考えているのかもしれない。だが木崎は、誰にも明かせなかった悩みを聞いてもらえただけで十分だった。高校の時もそうだった。佐伯はずっと、木崎の言葉に耳を傾けていてくれた。
「ありがとう、佐伯」
佐伯に向かって微笑んだ。佐伯は木崎を見つめたまま、餃子をつついていた手を止めた。
「佐伯?」
「……え? ああ、いや。俺はまだなんもしてないよ」
佐伯はつついていた餃子を二つまとめて口に放り込み、ぐ、と酒で流し込んだ。
「じゃあさ、次は俺の話、聞いてよ」
グラスを置いて、佐伯は「あー」と考えながら口を開いた。
「そう、この前さ、グラウンドに犬が入って来たんだ」
「犬?」
「それが、」
佐伯が笑いをこらえながら続けた。
「監督にそっくりな、土佐犬でさ」
「全然関係ない話じゃん」
「いやーバランスとったほうがいいかなって。木崎も落ち込んでるみたいだし」
「落ち込んでるわけじゃないよ、正直者」
いきなり佐伯が突拍子もない話を始めるので驚いたが、小野塚のことをぐるぐると考えていた中に、急に土佐犬が割り込んできた。思わず噴き出して、腹を抱えて笑ってしまう。涙が出てきた。佐伯と笑いながら、犬とサッカーの話をした。
こんなに笑ったのはいつ振りだろうか。友人の存在がありがたかった。
「それは、よかったですね」
「そんで、この前松戸さん――先輩なんだけど、部長の代わりに会議に出ることになってさ、託されてた書類を月森さんに間違えて渡しちゃって――」
「……そうなんですか」
「でも、それから――」
最近、小野塚がよく職場の話をするようになった。仕事の大変さが主な内容だったが、充実振りが窺えた。職場の様子もよく分からないし、話に出てくる社員の人達もイメージはできないが、自分から滅多に話さない小野塚が、生き生きと進んで話しかけてくれ、木崎も嬉しくなった。
「そうしたら、月森さんが手伝ってくれて――」
(……また、月森さんか)
小野塚の話の中でも、特に頻繁に出てくる名前が気になった。月森という人だ。小野塚より三つ年下で、電話対応や伝票の処理など事務作業を主にやっているらしい。小野塚の話をつなぎ合わせ、月森は女性だということがわかった。
月森以外にも女性はいるらしい。だが、木崎は姿を見たこともない月森という女性が気になって仕方がなかった。
「月森さんのこと?」
「はい、どんな人なのかなって」
自然と、月森の話を聞きだそうとした。小野塚はそのたびに宙を見て、記憶をたどり、月森の一つ一つの細かいしぐさまで思い出そうとしているかに見えた。
自分で聞いておきながら、小野塚の口から月森の名前が出るたび、話の途中でふと口元がほころぶたび、木崎は胸がえぐられる思いをした。
小野塚の世界には瞬く間に、自分以外の人間が入り込んでいた。たくさんの人達に囲まれている姿は、高校時代の小野塚と重なって見えた。そうなってほしいと願ったのは、そうしようとしていたのは木崎自身のはずだったが、いざ、現実になってしまうと素直に喜べなかった。
少し考えれば分かったはずだ。高校時代の小野塚に木崎は必要なかった。高校時代の先輩に戻ってしまえば、自分はまた捨てられてしまう。
――気持ち悪い、と言われて。
(先輩が、僕のことを好きなわけがない。先輩は僕のことを、身の回りのことをやってくれる、便利な財布ぐらいだとしか思ってないんじゃないか)
しかし、それでもいいと思っていたのは自分だ。小野塚の気持ちなど考えずに、自分が小野塚のためになるであろうと思ったことを、勝手にやっていただけではないか。
こうも関係がねじれてしまったのは、小野塚の気持ちを無視してまで、幸せだった頃の過去の思い出にすがってしまったからだ。大切なのは、今の小野塚だというのに。
小野塚が自分をどう思っているのかが知りたかった。しかし、それを聞いてしまえば、小野塚は自分を鬱陶しがるとわかる。恋人面するな、と。
月森の話をする小野塚に引きつった笑顔を見せながら、木崎は一人、心を決めた。
(恋人ごっこでもいい。先輩の気持ちも、もう聞かなくていい)
これはただのエゴだ。
(先輩に捨てられるまで、側にいたい)
「あれ? 木崎だ」
仕事が終わり、木崎がいつものスーパーで値引きされた弁当を眺めていると、ふいに背後から名前を呼ばれた。
振り返ると、佐伯がいた。思いがけない突然の再会に木崎は目を丸くした。
よっ、と片手を挙げ、佐伯は高校時代と変わらない満面の笑みを浮かべた。
「うわ、佐伯、久しぶりだな。元気だった? 最近忙しくて全然連絡もできてなかったけど」
「お互いなー、いやあ、まさかここで木崎に会えるなんてなー。でもここら辺は木崎の生活圏なんだっけ――……」
近づいてきた佐伯は笑顔を一瞬にして消し去り、目を細めた。佐伯の目線の先には、木崎の手にしている三割引の塩サバ弁当があった。
「いっつも割引弁当食べてんの?」
「……まあ、一人だしね」
小野塚がいれば作るのだが、一人だと仕事の後というのもあり、毎回出来合いのもので済ませていた。自分のために食事をつくることはない。
「寂しいやつめ。作ってくれる人とかいないのか?」
佐伯がにやにやとしながら、木崎のわき腹を肘で突いてくる。木崎も笑って返したかったが、乾いた笑いがスーパーのBGMに浮いた。
(こんな簡単なこともできないのか。昔はもっと上手く取り繕えてなかったか)
最近は小野塚とのすれ違いもあって、木崎は肩を落とした。その肩を、ばしっと佐伯が叩いた。
「よし、飲みにいくぞ」
「えっ? ちょっと佐伯」
佐伯は木崎の持っていた塩サバ弁当を引ったくって元の場所に戻し、腕を掴んでさっさと店を出た。有無を言わせない力で握られているので簡単に引き離せそうにないし、特に引き離すような理由もない。引っ張られるままに、木崎は佐伯について行った。
佐伯が連れてきたのは路地の奥まった場所にある居酒屋だった。たどり着くまではこんなところに飲み屋があるのかと訝っていた木崎だが、店内に入ると感嘆のため息を吐いた。広くはないが小綺麗で温かみのある居酒屋だった。
佐伯は店員とも顔なじみのようで、二三言葉を交わすと、慣れた様子で奥の方へと歩いていった。
「よく来るんだ?」
「まあね」
「女の子と?」
その問いに佐伯は答えず、にやりと口角を上げた。プロのチームで活躍するサッカー選手で、親しみやすく、加えて好青年の佐伯は、さぞかしモテるのだろう。
カウンター席以外は半個室のようになっており、他にも客はいるのだろうが、全くといっていいほど気にならない。佐伯は腰を下ろすと、「俺が決めていい?」と聞いてきた。常連の佐伯に任せた方がいいだろうと快諾すると、佐伯はメニューも開かずに店員を呼んであれこれと注文していた。
ほどなくして運ばれてきた料理はどれも美味しかった。酒も飲みやすい。食べながら、互いの近況を話した。サッカーと仕事、最近見た面白い映画。核心には触れないまま、食事を楽しんだ。
やがて、話が一段落したところで佐伯が声を落とした。
「それで」
佐伯が木崎を真っ直ぐに見据えた。
「何があったんだ?」
木崎は目を伏せ、誤魔化すようにグラスを傾けたが入っていなかった。佐伯の真剣な眼差しを前に、これ以上はぐらかすこともできない。木崎はグラスを置き、一度深く息を吐いた。
「……佐伯も、知ってるよね。僕が、小野塚先輩に復讐を考えていたこと」
高校の時、小野塚に気持ち悪いと言われて別れてからのことを思い返し、言葉にしていく。
思い出す暇もなくなるほど、その後の高校時代は勉強と部活に打ち込んだこと。
小野塚に負けないよう、目標通り、東京の大学に入り、有名な会社に就職したこと。
「ずっと実家には帰ってなかったんだけど、前に帰省したとき、たまたま公園で小野塚先輩と再会して――……」
木崎は口をつぐんだ。
(勝手に先輩の現状を話してもいいんだろうか。誰にも知られたくなかったから、夜の公園でひとり、ベンチに座ってたんじゃないのか?)
佐伯はただ静かに、木崎を見つめている。だがその視線の奥には、高校生の時、小野塚への復讐を勧めたときと同じ熱があった。
(昔を知ってる佐伯なら、何を聞いても受け止めてくれるはずだ。それに、佐伯についてきた時点で、僕も佐伯に聞いてもらいたかったのかもな)
頼れる友人の姿が、木崎の背中を押すきっかけになった。
「……再会した小野塚先輩に、ずっと溜めていた言葉をぶつけた。何度も」
木崎は話を続けた。もう胸の中に渦巻く黒い感情を、自分ひとりで抱え続けるのもつらかった。高校時代を知っている佐伯が相手なら話せる。
「先輩は、高校のときの面影なんかなかった。変わっていたのは見た目だけじゃない。なんというか……雰囲気が、暗く沈んでるようだった。そのときは一方的に話しただけだったから、先輩になにがあったかちゃんと知りたくて、居場所を聞くために先輩の実家を訪ねたんだけど、大学でサッカー部を辞めて、勝手に退学してから、連絡を取っていないと言われて……」
「その話は、俺も人づてに聞いたことがある」
佐伯は思い出すように宙を睨んだ。
「確か膝の怪我だったよな」
「膝……?」
「知らなかったのか」
うつむいた木崎に、「まあ、言いにくいよな」と佐伯は呟いた。
「……佐伯は、今の先輩のこと、どう思った?」
恐る恐る木崎は尋ねた。同じ高校に入学しようと思えるほど憧れていた小野塚が、怪我でサッカーを辞め、自堕落な生活を送っていたことを佐伯はどう思っているのか。
「やっぱ、ショックだな」
と、佐伯は弱々しく笑って答えた。
「怪我は誰にでも起こりうることだし、仕方ないところもあるよ。俺も十分に気をつけてはいるけど、いつ怪我をするかは分からないし。ただ、その、小野塚先輩の怪我は、手術とリハビリをすれば治るものだって人づてに聞いてる。だから、あんなにサッカーがうまくて、それ以上に誰よりもサッカーが好きな先輩がさ、治す努力もしないで怪我をしたから辞めるっていうのは、小野塚先輩だと、ちょっと信じられないってか、まあ、ショックだわ」
そこまで言って、佐伯は「えらそうなこと、言っちゃったけど」と苦々しい顔をした。
「まあ、小野塚先輩にも、怪我とか関係なしに、サッカーから離れるほどの事情があったのかもしれないし」
佐伯は目線で木崎に話の続きを促した。木崎は頭の中で話を整理しながら、口を開いた。
その後、小野塚の居場所を突き止め、会いに行ったこと。
「まだ好きかと聞かれて、金をくれるならやろうって言われた」
佐伯はその話に息を呑んだ。意味も理解しているのだろうが、何も言わなかった。木崎は続きを話した。自分の事のはずなのに、他人事のように淡々と話し続けた。
「僕は先輩に、恋人になってほしいと申し出た。見た目も生活も態度も変わってたけど、昔の面影は残ってた。だから憧れの先輩に戻せるんじゃないかって。やっぱり僕は、過去の先輩の姿を振り切れずにいたから」
休日は小野塚のもとへ行き、身の回りの世話をしていること。
気づけば、いつのまにか自分の方が小野塚を必要としていたこと。
小野塚が正社員になり、すれ違うようになったこと。
何をやっても空回りしてしまうこと。
小野塚の職場にいる女性が気になること。
淡々と続けながらも、次第に木崎は自分が惨めに思えてきた。
(何をやっていたんだろう。全部独りよがりだ。こんな関係、先輩のためを思うのなら、今すぐにでも止めなきゃいけないのに。新しい生活が始まった先輩に僕は必要ないじゃないか)
順調な再出発を果たした小野塚に、偽の恋人である木崎という存在は足枷になる。
(分かっているのに、関係を終わらせたくはない。まだ先輩の側にいたい)
「……これで全部だよ。どうすればいいか悩んでいるときに、佐伯が声をかけてくれたってとこ。タイミングばっちりだったよ。さすがエースストライカー」
「ミッドフィルダーだよ。でも、そうか。それならよかった。話してくれてありがとな、木崎。……つらかったな」
木崎はゆるゆるとかぶりを振った。
「ほんと、なにやってんだろうね。馬鹿だよ。改めて話すと、わけわかんないし」
は、と自嘲した笑みがこぼれた。グラスを傾ける。空だったことすら忘れていた。ビールを手酌する。ぬるい苦みが喉に絡みつく。
「自分を卑下すんなよ。木崎は頑張ってる」
真っ直ぐに佐伯が見つめてくる。話し始めたときは背中を押してくれた視線の強さが、今はいたたまれなくなって目を逸らした。自分の愚かさが恥ずかしい。同時に、友人の短い励ましの言葉に、自分を認められたようで、目頭が熱くなる。
「あんま自分を責めんなよ。木崎はなんも悪くない。こんだけ大切にされて、先輩がうらやましいくらいだ」
「……そっか」
沈黙が続いたが、空気は軽く感じた。佐伯はすっかり冷めた餃子をつまみながら、どう励ましたらいいかまだ考えているのかもしれない。だが木崎は、誰にも明かせなかった悩みを聞いてもらえただけで十分だった。高校の時もそうだった。佐伯はずっと、木崎の言葉に耳を傾けていてくれた。
「ありがとう、佐伯」
佐伯に向かって微笑んだ。佐伯は木崎を見つめたまま、餃子をつついていた手を止めた。
「佐伯?」
「……え? ああ、いや。俺はまだなんもしてないよ」
佐伯はつついていた餃子を二つまとめて口に放り込み、ぐ、と酒で流し込んだ。
「じゃあさ、次は俺の話、聞いてよ」
グラスを置いて、佐伯は「あー」と考えながら口を開いた。
「そう、この前さ、グラウンドに犬が入って来たんだ」
「犬?」
「それが、」
佐伯が笑いをこらえながら続けた。
「監督にそっくりな、土佐犬でさ」
「全然関係ない話じゃん」
「いやーバランスとったほうがいいかなって。木崎も落ち込んでるみたいだし」
「落ち込んでるわけじゃないよ、正直者」
いきなり佐伯が突拍子もない話を始めるので驚いたが、小野塚のことをぐるぐると考えていた中に、急に土佐犬が割り込んできた。思わず噴き出して、腹を抱えて笑ってしまう。涙が出てきた。佐伯と笑いながら、犬とサッカーの話をした。
こんなに笑ったのはいつ振りだろうか。友人の存在がありがたかった。
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