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15.静かな夜

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 木崎の気持ちとは裏腹に、小野塚とすれ違う日々は増えていく。木崎は今日もひとり、薄暗い部屋で小野塚の帰りを待っていた。このままでいいはずはないと、木崎自身理解はしていた。だが、どうすればいいのかわからなかった。

(好きだと伝えれば、拒絶されるよな。世話をしてくれるだけの相手が、恋愛感情を抱いてるなんて迷惑なだけだ。僕のことを、先輩がどう思ってるのかわからないから、自分からは動けない。下手に動いて、関係を終わらせたくはない……)

 遠くから聞こえる断続的な電子音に、木崎は重い瞼を持ち上げた。いつのまにか眠っていたようだ。

(先輩が飲み会から帰って来るまで起きてようと思ったのに、疲れてるのか。……電話、誰だ)

 着信音が静かな室内に響いている。小野塚の匂いがする布団から身体を起こし、木崎は枕元に放っていたスマホを取った。画面に表示された名前は小野塚だ。

「もしもし先輩、どうし――」
「あ、木崎さん、ですか?」

 体が強張った。知らない、女性の声だ。

「夜分遅くに申し訳ありません。私、小野塚さんと同じ会社の月森といいます。実は――」
(……つきもり、月森……? なんで、月森さんが先輩のスマホから僕に電話を?)

 木崎はひどく動揺した。まだ覚醒しきれていない頭で必死に考える。
時刻を確認する。もう深夜といっていい時間だった。こんなにも眠っていたのかと同時に、なぜこんな時間に月森が小野塚のスマホから電話をかけるのかますますわからなくなった。

(いや、ただ先輩のスマホをたまたま拾ったからかもしれない。だけど、こんな遅くに、ましてや自分に電話をかけるか?)
「……――で、よろしいですか?」
「え、」

 木崎は月森の言葉を聞き逃した。

「すみません。もう一度」
「小野塚さんを迎えに来ていただけませんか? 飲み過ぎたみたいで」

 木崎は月森から場所を聞くと、急いでタクシーを呼びつけた。



 初めて見た月森は、木崎が想像していたよりも小柄で可愛らしい人だった。小野塚より三つ下だと聞いていたが、もっと下のように見える。学生と言っても通じるように思われた。
 地面に座り込んだ小野塚と、彼に寄り添う月森は、遠目から見てもお似合いの恋人同士のように見えた。木崎はしばらく、その場から動けなくなってしまった。

「あっ、すみません」

 月森は、こちらを見て立ち尽くす木崎に気付き、小さく頭を下げた。はっとして駆け寄る木崎に、月森は本当に申し訳なさそうにもう一度深く頭を下げた。

「ご自宅まで送ろうと思ったんですけど、住所を聞いても、木崎を呼んでくれって頑なだったので。小野塚さんの電話からご連絡をさせていただいたのですが」

 月森は言いながらも、小野塚の側により添い、背中に手を当てていた。木崎はその姿を一瞥し、視界からはずすように頭を下げた。

「ご迷惑かけて、申し訳ありません」
「いえ、こちらも早く止めておけばよかったんですが」

 本当に申し訳ありません、と月森は何度も謝罪の言葉を口にした。月森が頭を下げるたびにシャンプーの匂いなのか、今まで飲みに行っていたとは思えないほどいい匂いがした。甘い、女性的な匂いだ。

(月森さんには、僕が先輩のなにに見えてるんだろうな)
「小野塚さん、大丈夫でしょうか。普段はこんな無茶をするような方じゃないので――」

 月森の高い声が耳障りに思えた。月森の声量が大きいわけでも、辺りが静かなわけでもないのに頭に刺さるように響く。介抱してくれていた相手にそんな感情を抱く自分に木崎は苛立ち、自己嫌悪した。

「そうですか。ありがとうございました」

 不自然に思われても、早くその場を離れたかった。「タクシーを待たせているので」と言葉少なに月森と別れた後、木崎は小野塚を担ぐように支え、タクシーに乗せた。

「……木、崎?」

 住所を告げ、タクシーが走り出すと、小野塚は薄く目を開き、木崎のいる方へ顔を向けた。

「飲み過ぎですよ」

 木崎は自嘲めいた笑みを漏らす。

「……何かあったんですか」
(もしかしたら、先輩が飲みすぎてしまうほど僕の存在が負担になってたのかもしれない。それとも、月森の前で気持ちが高ぶり、飲みすぎてしまったのだろうか)

 今まで二人きりで飲んでいたのかも木崎は知らない。
 頭に浮かんだ最悪な想像を、小野塚の口から聞きたくなかった。しかし、酒を飲んでいるところを見せたことがなかった小野塚が、酔いつぶれるほど飲んでいる事実の方がつらかった。
 小野塚は答えなかった。話せない理由があるのだろうかと勘ぐり、恋人面してるなと首を振った。眠ってしまったのかと思ったところで、小野塚が口を開いた。

「……会ったんだ」

 呂律の回らない口で小野塚は吐息のような言葉を漏らした。誰かと会ったから。飲みすぎた原因が自分のことではないようでひとまず木崎は安堵し、軽く息をついた。

「誰と会ったですか?」

 尋ねると、小野塚はぼそりと名前を言った。池永。木崎の知らない名前だった。

「……サッカー部の、高校で、一緒だった……」
「その人が、どうしたんですか?」

 小野塚は小さくかぶりを振った。

「どうもしなかった……向こうは、俺のこと、気づいてもなかった。でも俺は……全部覚えてる……。思い出して、今も、苦しくなる……」
「っ、なにがあったんですか」

 木崎は焦りを押し殺して問いかけ続けたが、小野塚は目を閉じたまままで、そのまま眠ってしまいそうだった。

(その池永という後輩に会ったから、こんなにも飲んでしまったのだろう。思い出すと苦しくなるほどの過去……。また、僕の知らない、小野塚の世界だ)
「……き、ざき」

 木崎の問いには答えず、窓ガラスに頭をもたれかけた小野塚が、囁くように名前を呼んだ。小野塚が名前を呼ぶことは珍しかった。

「なんですか?」
「……きざき……」
「…………」
「木崎――」

 柔らかな外灯の明かりが小野塚の顔を照らしては過ぎていく。小野塚はただ、アパートに着く間、うわ言のように、何度も木崎の名前を呼んだだけだった。
 タクシーが小野塚のアパートの前で停止する。小野塚の腕を肩に回し、腰を持ち上げるようにして、やっとのことで二階へ続く階段を上った。敷きっぱなしの布団に小野塚を下ろし、水を飲ませる。早く寝た方がいいと促したが、小野塚は眠たそうに頭をもたげながらも、ぽつぽつと話し始めた。

「……俺は、ずっと、後悔してたんだ……木崎のこと――」

 木崎は静かに小野塚の言葉に耳を傾けた。小さな呟きも漏らさず拾えた。こんなときに限って虫も鳴かない静かな夜だった。
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