終わらない復讐は初恋のかたち

いとま子

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16.池永

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 小野塚は高校を卒業すると、推薦で大学へ入学した。サッカー部での功績が認められたからだ。ずっと憧れていた、赤いユニフォームの大学だ。
 大学生活は楽しかった。サッカー部の練習は高校の時よりもきつかったが、充実した毎日だった。同じ学部の友人たちと遊びに行くことは少なかったが、サッカー漬けの毎日に不満を抱くことはなかった。
 しかし、小野塚の頭の中にはずっと引っかかっていることがあった。木崎のことだ。悩んでももう仕方のないことだと自分に言い聞かせ、よりサッカーに集中した。大学で活躍して、のちにプロになることが、木崎に対してやった行いへの償いになると、勝手に思っていた。
 だが、その考えは早くも打ち砕かれた。
 小野塚はなかなか試合に出られなかった。高校時代の活躍が認められて入ったとはいえ、小野塚ほどの選手は珍しくなかった。全国から集められた選手の中では、高校時代エースだといわれて頼りにされてきた小野塚も、選手の一人にしか過ぎなかった。
 しばらくして、同い年の一年が、頭角を現わし始めた。公式戦で活躍し、メディアにも取り上げられることもあった。
 小野塚は焦った。自主練習を増やし、サッカーに関して改めて勉強し直した。講義の時間もサッカーのことを考えるか、疲れた身体を休めるために使い、生活の全てをサッカーに捧げるように過ごしていた。それでも、変わったという実感は持てないまま、焦りと練習時間だけが増えていった。
 殺伐とした日々の中、無性に木崎に会いたいと思うようになった。過去のことは忘れて幸せな学校生活を送っている姿を見たいのか、過去の事を引きずり、ひとり沈んでいる姿を見たいのか、分からなかった。ただ、一目でいいから会いたかった。
 半年ぶりに母校を訪れた。しかし、校内には入らなかった。自分に期待を向ける人たちを前に、どういう顔をしていいか分からなかったからだ。放課後、グラウンドではサッカー部が練習をしていた。ボール蹴る動作ひとつ見ても、だらけているように見え、いらついた。
 小野塚はグラウンドの隅に目を向けた。陸上部がいた。昔と変わらず、グラウンドの隅で練習をしているようだ。その中に木崎の姿を見つけた。
 木崎は笑っていた。隣にいる、サッカーボールを脇に抱えた男子生徒に、肘でわき腹を突かれながら、笑っていた。小野塚は静かにその場を後にした。真面目に練習しろよ、と思った。



 急に伸びた一年が伸び盛りだったのかもしれない。ほんの一握りの稀有な才能の持ち主だったのかもしれない。小野塚も練習方法を変えれば、一年後には飛躍的に技術が向上したのかもしれない。
 しかし小野塚は焦りばかりが募り、余裕を持って考えることが出来なかった。
 自分の練習が足りないのだと思い込み、周りに止められるまで身体に鞭を入れ続けた。練習を続け努力をすれば、いつかは認められるようになると思った。走り込みを増やし、ボールを蹴り続け、筋肉に負荷をかけ続けた。
 そして、小野塚は身体を壊した。左膝の故障だった。
 目の前が真っ暗になった。手術とリハビリをすれば治ると言われた。しかし、医師に告げられた時間は気が遠くなるほど長かった。頑張って治していきましょう、と言う医師の言葉が、小野塚には引退宣告にしか聞こえなかった。手術とリハビリをしている間に、他のやつらはどんどんと上達していく。自分は動けない時間が増えるほど退化していく。これ以上差を広げられたら、自分はもう、プロどころかこのチームで試合にすら出られない。
 松葉杖をつきながら、グラウンドを走り回る部員たちを眺めた。小野塚が慣れない松葉杖で一歩進むごとに、ボールを蹴る選手たちは一瞬で見えなくなってしまうほど、遠くまで駆けていった。自分の存在意義がなくなり、ボールを見るのも嫌になった。手術はしたが、小野塚はサッカー部を辞めた。
 何の目標もなく、怠惰な日々を過ごしていた。考えてみれば、幼い頃からサッカーばかりやっていて、それ以外に何をすればいいか分からなかった。ただなんとなく日々を過ごしていた。大学に行き、食事を取り、寝る。生きているか死んでいるかも分からないような生活だった。
 そんな中、小野塚は一人の男と再会した。高校時代、サッカー部の後輩だった、池永だ。
 池永はサッカーを辞めていた。

『三年の時に、怪我しちゃって』

 池永は自嘲するように笑った。サッカーは出来なくなったが、強いサッカー部を近くで見たかったからこの大学に入った、と言った。小野塚が入学したのを覚えていたから、とも言った。小野塚は池永の言葉に、申し訳なく思った。左膝の怪我で、サッカー部を辞めたことを話した。つらいですよね、と池永は自分のことのように表情を暗くした。
 小野塚は池永に親近感を覚えた。池永も自分と同じような気持ちを味わっている、理解してくれる唯一の人間のように思えた。それから、小野塚は池永と急速に親しくなった。
 池永とともに過ごす時間が多くなった。たまに講義をさぼっては、二人で映画を見に行ったり、ゲームセンターやカラオケに行ったりした。
 空っぽになった小野塚の生活の中で、池永の存在が大きくなっていった。サッカーが生活の中心だった小野塚には、他の親しい友人などいなかった。
 ある日、池永といつものように学食で昼食をとった。池永は日替わり定食を、小野塚はメロンパンを食べていた。雑談をしていると、池永は不意に真剣な顔つきになった。あまりにも深刻そうな表情で、思い詰めているようだった。

『どうした?』

 小野塚の問いに、池永は、一瞬言葉を飲み込んだ。

『……実はこの前、告白されたんです』
『なんだ、よかったじゃないか』

 努めて明るく言うと、池永は顔を歪め、言いにくそうに口を開いた。

『……そいつ、男なんです』

 小野塚は息を呑んだ。別れを告げたときの、木崎の姿が頭をよぎる。

『気持ち悪い、って思ったのか』
『違うんです。俺、その……男とも付き合ったことがあるんで』
『男も女も、恋愛対象ってことか』

 小野塚がそう言うと、池永はうなだれるようにして頭を下げた。

『……すみません。こういう話、聞きたくないですよね』
『そんなことねえよ』

 小野塚は慌てて否定した。

(池永が言いにくいことを話してくれてる。それは俺のことを信頼してくれてるからだ。さったら俺も池永の信頼に答えないと) 

 せき立てられるように、小野塚は心の奥底に隠していたことを口にした。

『……俺も、男と付き合ったことあるぞ』

 池永は目を見開いた。

『じゃあ、あの噂、本当だったんですね』
(あの噂……木崎のことか)

 付き合っていた期間は長くなかったとはいえ、同じ部内だ。もしかしたら全員知っていたのかもしれない。小野塚は黙って頷いた。
 池永はしばらく思案し、『付き合うか悩んでて』と話した。

『相手はその……男だし……』
『その人のこと好きなら、付き合ったらいいじゃねえか』
(無責任なことを言ってんな。じゃあ俺はどうだったんだよ)
『自分が好きだと思ったのなら、周りは関係ないと思うぞ』
(どの口が言ってんだ。俺は周りのことばっか気にして、結局、木崎を傷つけてしまったくせに)

 綺麗ごとを並べただけのアドバイスに、それでも池永は、『ありがとうございます』と弱々しく微笑んだ。『先輩に相談に乗ってもらえて、すごく嬉しかったです』と何度も感謝の言葉を並べた。
 上面だけの台詞に何度も礼を言う池永に対し、小野塚は申し訳なく思った。ただ、友人の恋を後押しできたことには、満足感があった。
 数日後、池永はさっぱりした顔で言った。

『お断りしてきました』
『はあ?』
(池永は、自分も相手のことが好きだから、付き合うかどうか悩んでたんじゃないのか?)

 数日で意見をかえて、吹っ切れた表情をしている池永を見て、小野塚はぽかんと口を開けた。

『どうして、また。なにがあったんだ?』

 小野塚が尋ねると、池永ははにかみながら答えた。

『他に好きな人が出来たんです』
『随分と急だな』
『気付いたんです。最初は一緒にいて楽しいな、程度だと思ってたんですけど、いろいろ話を聞いてもらってるうちに、その人のこと好きだって思いました』

 小野塚は木崎のことを思い出した。最初は一緒にいて楽しいな、と感じるぐらいだった。相手の告白が先だったが、付き合っているうちに可愛いと思えた。自分に向けられる好意が純粋に嬉しいと思えたのだった。

(池永も、昔の俺と同じような気持ちなのかもな)
『で、その相手って誰なんだよ。俺の知ってるやつか?』
『それはまだ秘密です』

 池永は人差し指を口元に当て、にやりと笑った。

『自分から誰かを好きになったことってあまりないんです。だから、相手が自分のことを好きになってくれたかもって、確信持てるまで告白はしません。慎重に行こうかと思います』
『そうか。俺も応援してるよ。だから、言いたくなったら教えてくれ』
『多分その時は、告白する時ですよ』

 そう言って池永は小野塚をじっと見つめた。小野塚は池永の視線の意味が分からず首をかしげた。
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