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18.告白

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『……小野塚先輩』

 名前を呼ばれて、ぞくりとした。小さくも、はっきりとした台詞だ。池永は酔っていたのではなかったのか。それは池永の目を見れば分かる。上から小野塚を覗く瞳は、焦点の合った、はっきりとしたもので、酔いつぶれた人のものではなかった。

『先輩』

 もう一度呼ばれてはっきりと感じた。寒気がする。

(これは――嫌悪感か)

 頭の中で警鐘が鳴り響くが、動けなかった。あまりにも突然の、予想だにしなかった展開に体が固まってしまった。ただじっと、池永を見ることしかできない。
 池永が、ゆっくりと顔を近づけてくる。小野塚ははっとして、池永の身体を力任せに、思い切り押しのけた。池永が、横に転ぶ。

『どうした!』
『すげー音したけど、なんかあったのかっ?』

 同時に、突然、部屋の扉が空いた。入り口の方に顔を向ける。池永の友人たちが飛び込んできた。四人は、池永と小野塚の不自然な姿を見て、戸惑ったように顔を見合わせた。

『えっと……池永が心配で様子を見にきたら、大きな音が聞こえたんで……』
『……大丈夫。寝かせようとしたら、バランスを崩しただけだから』
『本当ですか? 何もないなら、まあ……』

 懐疑的な目を向ける友人たちに小野塚が説明をする。その間、池永は扉の方に背を向け、寝転んだまま起き上がらなかった。しぶしぶ納得した友人たちが帰っていくと、池永は起き上がり、口を開いた。

『すみません。まだ酔っているみたいです。……頭、冷やしてきます』

 そう言い残し、出て行った。一人、部屋に残った小野塚は自分自身を抱くように、腕をさすった。暖房の聞いた部屋は、寒くはないはずなのに、鳥肌が立っていた。
 翌日、周辺の観光地をめぐり、岐路に着いた。昨日、遅くに帰ってきた池永は、何事もなかったかのように普段通り接してきた。小野塚としてはありがたいことだった。池永の前でどういう顔をしていいか、分からなかったからだ。

(昨日の池永の行動は、そういう意味なのか? 池永は男も恋愛の対象になると言ってた。今までの過剰なスキンシップも、そう考えれば納得できる部分もある。だけど池永は他に好きな人がいるんじゃなかったのか? ……そうだ、池永は酔ってた。だから好きな相手と間違えて……いや、小野塚先輩と呼んでたじゃねえか)

 小野塚が一人で考えている間も、車中は相変わらず賑やかだった。他の四人も疲れてはおらず、楽しんでいるようだ。そのまま旅行は幕を閉じた。
 四人を帰した後、二人きりになった車中は少し気まずかった。ぽつぽつ会話はあるもののどこかぎこちない空気が小野塚と池永の間に漂う。以前は沈黙も苦にならなかったし、そもそも沈黙が続くようなことがなかった。何か会話をしようにも、何を話していいのか分からない。
 当たり障りのない話題を探しているうちに、池永が口を開いた。

『……昨日は、すみませんでした』
『気にしてねえよ。悪ふざけだったんだろ』

 言ったあとで、しまった、と思った。池永は口元に笑みを浮かべた。

『悪ふざけじゃないです』

 ハンドルを切り、前を見据えながら続けた。

『俺、小野塚先輩のこと、好きなんです』
『…………』
『前に言ったじゃないですか。学食で、告白されたけど好きな人がいるからふったって。あの、好きな人って、実は小野塚先輩のことなんですよ』

 どこかで予感はあったが認めたくなかった。ただ、そう言われれば今までの池永の行動の理由も説明できた。過剰なスキンシップも、好きな人と一緒に過ごすようなそぶりを見せなかったのも、旅館で押し倒されたことも。
納得はできたが、告白を受け入れるかは別だ。

『……俺は――』
『待ってください』

 小野塚の言葉を遮るように、池永は言葉を重ねる。赤信号を見つめながら、池永は言った。

『すみません。いきなり言われても戸惑いますよね。でも、よかったら少し考えてもらえませんか。返事、待っていますから』

 池永はそれきり無言になる。唇をかみ締めているようだ。池永が今、どういう心境なのかは窺い知れない。ただ、これ以上話を続ける気はないようだ。
 アパートの前で、小野塚は車を降りた。暖房が効いた車内から出ると、余計に冷気が肌に刺さるようだ。あっという間に、池永の車が次第に小さくなっていった。
 白い息を吐きながら、小野塚は木崎のことを思い出していた。木崎にも同じように告白されたことを。

(あの時みたいな気持ちにはならなかった。なんというか……満たされたような感じだ。少しは大人になったからか。男に告白されるのは二度目だからか。池永のことを友人として長く見てきたからか。それとも……俺は、木崎のことを――)
 
 小野塚は乱暴に頭をかいた。今考えるべきは池永の告白だ。
 告白を断ったら、と考えてみた。

(池永とはもう友達として付き合っていけなくなるだろうな。サッカーもなくして、ただひとり、友人と呼べる相手まで疎遠になってしまうのは正直きつい。今までずっと人に囲まれてきて、サッカーをなくした途端、周りには誰もいなくなっちまった。池永だけだ。同じ痛みを知って、側にいてくれるのは……)

 告白を受け入れたら、と考えてみた。

(恋人同士になるということは、池永が今までやってきたスキンシップ以上の行為をするってことだよな。出来るか……? 男同士のやり方もなんとなくは分かってるが。池永と……)

 想像して、止めた。無理だと思った。
 だが、と、小野塚は思い直す。一度だけ、男と付き合ったことはある。

(木崎の時も、始めは友人の延長みたいなものだと思って、付き合いはじめたんじゃなかったか。だったら池永とも恋人として付き合っていくうち、恋人として好きになっていくかもしれない。池永が望んでいるかは別として、体の関係なしで付き合っていけるかもしれないし、もしかしたら、俺の気持ちが変わるかもしれない)

 数日間、同じことを何度も考えた。行き着く答えは毎回、同じ場所だ。あれから、池永とは会っていない。小野塚から連絡するまで、池永から会いに来ることはないだろう。
 携帯電話を見つめる。まだ、躊躇っている自分がいる。それを振り切るように、小野塚は素早く通話ボタンを押した。池永に、『話がしたい』と電話をかけた。

『池永と、付き合ってみようと思う』

 呼び出した池永に、結論から伝えた。池永の目が少し見開いたように見えた。散々考えた答えを思い出しながら、小野塚は続ける。

『正直に言うと、池永のことが恋人を見るように好きだとか、そういうのはよくわからない。でも、池永とはこれからもいい関係でいたい。勝手なことを言ってるよな。でも、だからこそ、少しずつ恋人になっていけたら、と思う』

 池永はこの返事をどう思うだろうか。あまりにも身勝手で中途半端な答えだった。ずるいとも思う。だが、それが小野塚のできる最大限の譲歩だった。このまま池永と疎遠になるのはつらい。だから、友人のままでいるのが駄目なら、恋人という関係でもいいと思った。全く違う関係だということは分かっているが、今、選べる答えはきっとこれしかない。
 池永はしばらく考え込むように眉根を寄せ、やがて口を開いた。

『俺が、先輩にキスしてください、って言ったら出来ますか』
(できるか……いや、できないな。だけど池永がそれを求めているなら)
『できるよ』
『本気で、そう言ってくれてるんですか』

 小野塚は静かに息を吐いた。

(ここで引いたら駄目だ)

 だから、嘘をついた。

『ああ、本気だよ』

 そう言うと、池永は顔を両手で覆い、震え始めた。泣いているのかと思った。緊張の糸が切れて、泣いてしまったのだと。

(そういや、告白してきた後、木崎も泣いてたよな。きっと同じだ。同じように、池永とも恋人になれるはずだ。今度こそ、傷つけないよう努力しよう)

 池永を慰めようと近づく。肩に手を置こうとした時、池永はいきなり顔を上げた。その口は大きく開かれ、歪んでいた。
 笑っているのだ、としばらくしてから気が付いた。腹から出された声は、空気を震わせ、辺りに響いた。空気の振動に頭を殴られ続け、何も考える余裕を与えないようだった。
 あまりにも突然のことで何がなんだか理解できなかった。あっけにとられ、その場に立ち竦んでいると、ぴたりと笑い声は止まった。眦に溜まった涙を拭い、池永は小野塚の目を見て、吐き捨てた。

『気持ち悪い』
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