終わらない復讐は初恋のかたち

いとま子

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19.後悔

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 時間が止まったような気がした。
 突如として足元に空いた、深くて暗い穴の中に、突き落とされたような感覚を覚えた。その穴の底が、高校時代に繋がった。池永の言葉と、昔、自分の口から出た言葉が重なった。

『先輩が男好きだっての、本当だったんすね』

 軽蔑と嘲笑の含まれた声で、現実に戻された。池永が、今まで見たこともない曲がった笑みを浮かべて話している。目の前にいるのは、本当にあの池永なのかとさえ思う。

『俺が、先輩の事好きなわけがないじゃないですか』
『…………』
『男と付き合うなんて、ありえませんよ』
『…………』
『先輩が、俺に告白するかどうか、あいつらと賭けてたんすよ。ほら、一緒に旅行に行った奴ら。先輩が告白してきたら俺のひとり勝ち。旅行の時、決めるつもりだったのに駄目でしたね』

 口調まで変えた池永が、楽しそうに、愉快そうに、種明かしを続けた。

『先輩が襲ってきたところで、あいつらが入ってくる予定だったんすよ。既成事実ってやつ?あそこで決めるつもりだったのになあ。先輩に拒絶されて、めっちゃ落ち込んだんすよ』

 池永の言葉を聞き、噛み砕き、理解しようとする。今までの、笑顔を見せてきた池永を思い出す。自分も怪我でサッカーを辞めたと話した、一緒に映画や買い物に行った、先輩のことを好きだと言った、あの、池永だ。

『あーあ、もっと楽勝な賭けかと思ったんすけど長引きましたからねえ、嫌々演技続けなきゃいけなかったから、賭けた自体めっちゃ後悔しましたもん。でも最終的には俺の勝ちなんで。先輩からってのは無理だったんすけど、最終的に俺の告白、受け入れてくれたんで、まあオッケーっすね。ありがとうございました、小野塚先輩』

 目の前の男を見る。醜く歪んだ口元や蔑んだような目は、かたちは変わっていても池永のものだ。今までの池永が偽りで、目の前にいる池永が本来の姿だと理解する。

『……――全部、』

 小野塚はようやく言葉を搾り出した。

『全部、嘘だったのか』
『そうっすね、全部です』
『怪我で、サッカーを辞めたっていうのも』
『あれも嘘ですよ。あー、辞めたのは本当ですけど。サッカーは、別に好きでやっていたわけじゃないんで。練習きついし、周りは熱血サッカーバカばっかりでだるくなっちゃって』

 今まで見たことのないような、温度を感じない目を向け、池永は言葉を吐く。もう、池永だったもの、にしか見えない。彼は宙を見て、思い出すようなしぐさをする。

『ああ、あと、男に告白されたとかも嘘っすよ。てか、嘘に決まっているじゃないですか。男と付き合うとかありえない。告白されたって考えるだけでゾッとします。気持ち悪い』

 彼は苦虫を噛み潰したような顔で、言い捨てる。

『ってか、先輩からサッカー取ったら本当、何も残らないんすね。最初の方は滑稽だったんですけど、俺だけしか友達いないのかと思ったら、なんか哀れで、同情しちゃいましたよ』

 芝居がかった口調で続ける。彼がもう、何を言っているのか分からないのに、台詞だけは頭にこびりついた。
 ――ありえない、気持ち悪い、哀れ。
 彼は、大げさに嘆くような仕草をする。肩をすくめながら、首を横に振った。

『ねえ先輩、俺ってそんなに魅力なかったすか? 先輩がいつまでたっても告白してくれないから、酔ったふりしてべたべた触って、押し倒したりしないといけなかったじゃないすか。あれも結構、大変だったんですよ』

 全部、先輩が悪いんですよ、と池永は大きなため息をつく。小野塚は池永が話すたびに、体からどんどんと体温が奪われていくように感じていた。

『これでもモテるほうだと思ってたんすけど、自信なくすなあ。俺、木崎よりは魅力あると思ったんですけどね』

 ふいに、名前を出された。

(――木崎)

 だんだんと体が熱を取り戻しはじめ、頭に、顔に、体中の熱が集まっていくように感じた。ちりちりと、目が焼け、視界が赤く染まる。

(俺は今まで、何に執着してたんだろう。なんで好きでもない奴の告白を受け入れようとしてたんだ?)

 後輩だった池永を思い出そうとする。しかし、小野塚の脳内に蘇ったのは、照れたように笑う木崎の姿だった。ああ、と小野塚は気づく。

(木崎の代わりに慕ってくれる後輩がいて、その姿を重ねて満足していたのか)

 小野塚の変化に気付かず、池永は嘲り笑う。

『あいつ、そんなによかったんですか? 全然、釣り合ってませんでしたけど。もしかして、体の相性とかめっちゃよかったんですか? なんだ、人は見かけによらないんですね』

 池永がにたにたと醜い笑いを浮かべていた。ほんの少し前までの、池永の姿は欠片もなかった。
 冷静でいられるわけがなかった。怒り過ぎて押さえ込んでいるだけだった。自然と握られていたこぶしは震え、視界は赤く染まったままだった。

(バカだな、俺は。今まで池永の真意なんて気づかずに信頼してたなんて。こんなやつに、木崎を悪く言われたくなかった。名前すら出されたくなかった。みっともなく未練を残した思い出までけなされるなんて――!)

 気付いた時には、池永が顔を押さえ、うずくまっていた。硬く握られたこぶしがずきずきと傷む。荒い息を吐きながら、うっすらと血がにじむこぶしを眺めた。池永を殴ったのだ、と気付いた。警察署に呼び出された。刑罰はうけなかったが、もう、全てがどうでもよくなった。その後、すぐに大学を辞めた。
 池永を信頼していた自分を後悔した。殴ったことは後悔していない。
 その後はバイトを転々とした。就職もしたが、やはり長くは続かなかった。周りが親切にしてくれているのに、それは表面上のことではないかと疑っていた。高校や大学の話をされるたび、身が詰まるような思いをした。考えすぎなのも、過去のことを引きずり過ぎなのも分かっている。それでも、周りが信じきれず、疑心暗鬼になった。
 少しずつ貯めていた貯金を切り崩しながら、日雇いのバイトに行った。何をするわけでもなく、食べて寝るだけの生活を繰り返していた。家賃が高く、払い続けるのも困難になってきたので、親に黙って地元に戻った。街を歩くだけで昔を思い出すから、安いボロアパートに引きこもるようになった。通帳の数字はどんどん減っていった。
 ふと、思い立って公園に行った。木崎と過ごした思い出の公園だった。
 貯金が底をついたらどうしようかと考えた。死んでもいいかと思った。死んだところで、誰も悲しんだりしない。何も持たない自分など、誰も必要としない。
 そこに、木崎がやってきたんだ。



 小野塚が寝息を立て始めると、木崎も小野塚の隣で横になった。仰向けになり、じっと天井の木目を見つめた。

(知らなかった。何も知らずに、先輩のことずっと恨んでいたなんて……。先輩は高校を卒業してからずっと、つらい目に遭っていた。それも、僕と付き合ったせいで。男である僕と付き合ったことを、先輩はずっと後悔してたのか)

 もっと早く小野塚と再会して話していれば、小野塚の考えは変わっていたかもしれない。そもそも自分が付き合ってほしいと言わなければ、小野塚はきっと幸せな人生を送っていたはずだ。
 彼を好きになったことは、後悔していない。
 だが、告白したこと、まだ側にいることを後悔した。
 考えれば考えるほど、木崎は小野塚の側から離れるべきなのだと思えた。小野塚の側にいても、小野塚を幸せにするどころか不幸にするばかりだ。
 再会してから今までの、小野塚のことを思い返してみる。うつむく姿か、後姿ばかりだった。目が合ったことなどあっただろうか。笑いかけてくれたことがあっただろうか。
 隣で腕を投げ出して眠る小野塚の、小指にそっと指を絡ませた。

(先輩に捨てられる前に、自分から離れよう)

 初めて愛した人に、二度も捨てられることなど、耐えられるはずもなかった。
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