終わらない復讐は初恋のかたち

いとま子

文字の大きさ
26 / 33

26.木崎のいない日常

しおりを挟む
 木崎がアパートに来なくなって一ヶ月が経った。
 小野塚は仕事以外でも外出もするようになり、アパートの隣人とも顔を合わせれば言葉を交わすようにもなったが、木崎によって綺麗に整頓されていた部屋は以前のように散らかり、三食全てをコンビニ弁当に頼るようになった。
 仕事は順調だ。職場の人たちもみんな良い人で、しばらく引きこもって生活していた小野塚の過去についても、深くは詮索しないでいてくれる。小野塚にはそれがありがたかった。
 木崎が来なくなってから、さらに仕事に打ち込むようになった。周りから少し休めと言われるほどだ。小野塚は笑ってそれをかわしながら、仕事へと戻った。
 早く認められたかった。誰から認められたいのか、小野塚自身もはっきりとは分からなかったが。それは社会からかも知れないし、木崎からかもしれないし、サッカーを捨てた過去の自分かもしれない。

(それに、このまま順調に自立した生活を送れるようになったら――もしかしたら木崎は、本当の恋人になってくれるかもしれない)

 そう考えて小野塚はため息をついた。木崎は身の回りの世話をしてくれ、休日は一緒に過ごし、体の関係もある。今までずっと恋人のようなことをしておいて、本当の恋人とはなんだろうかと頭を悩ませていた。

(散々、木崎を傷つけておいて、本当の恋人になりたいとか、調子が良すぎるだろ)

 自分の身勝手さに苛立ち、荒く首筋をかいていると、横から突然手が伸びてきて驚いた。コーヒーが差し出されていた。湯気が立ち上る。顔を上げると、月森がいた。

「あ、ありがとうございます」

 礼を言うと、月森は幼く見える顔をもっと幼くするような笑顔を浮かべた。後ろでひとつに束ねた髪が揺れる。

「すこし休憩したらどうですか?」
「はい、そうします」

 小野塚はそう言いながらも手元の資料に視線を戻した。だが気配を感じ、顔を上げると月森が無言でじっと小野塚の方を見ていた。どうやら小野塚が本当に休憩するまで動かないつもりらしい。小野塚は観念して、月森が持って来たコーヒーに手を伸ばした。

「あまり根詰めちゃ駄目ですよ。さっきからずっと、眉間に皺よせて資料とにらめっこしてるじゃないですか」

 月森はその小野塚の真似をしているのか、ぎゅっと眉根を寄せて見せた。月森の声はゆったりとしていて、聞いているだけでも体の余計な力が抜けるようだ。

「はは、見られてましたか。恥ずかしいですね」
「あっ、いや、別に、監視してたわけじゃないですからね。誰かを誘ったほうが私も休憩しやすいからで。それにほら、適度な休憩を入れた方が効率も良くなりますよ。今度いっしょにラジオ体操でもしませんか」

 と、いいながら、腕を小さく振った。その姿に癒やされ、顔を見合わせて笑った。
 月森は年齢的には小野塚の三つ下にあたるが、職場では先輩にあたるので何かと世話を焼いてくれていた。押し付けがましくもなく、さりげなくサポートしてくれる月森に対し、小野塚は純粋にいい子だなと思った。さりげない気配りが出来て、場を和ませてくれる雰囲気を持っている。小野塚はふと考えた。

(もし、彼女と恋人になれたら――)

 月森との未来は簡単に想像することができた。結婚して、子どもができて、子どもが独り立ちしたら、二人でのんびりと老後を過ごしながら、遊びに来る孫を存分に甘やかす。幸せで、どこにでもあるようなありふれた人生のかたちだ。

(じゃあ、木崎との未来はどうだ。このまま一緒にいて、どこに行き着く?)

 考えてみたが、全く想像できなかった。

「小野塚さん」

 呼ばれて、はっとした。月森がいたことも忘れて、ぼうっとしていたようだ。

「ほら、やっぱり疲れているんじゃないですか。ちゃんと休憩してくださいね」

 文字どおり口を尖らせながら言う月森に、小野塚は苦笑した。そういうわけではないのだが、心配してくれているのはありがたい。

「それとも何か、悩み事でもあるんですか」
(女の勘というやつか。それとも思い切り顔に出てたんだろうか。どっちにしろ、月森さんにこの話はできそうにない。相手が彼女でなくとも、できるわけないな)
「大丈夫ですよ。やっぱり疲れるのかもしれません」

 小野塚がそう言うと、「だったらいいんですけど」と月森は明るい声でいった。軽く伸びをして、立ち上がる。そして内緒話をするかのように声を潜めた。

「でも、何か悩んでいることがあったら、気軽に相談してくださいね」

 小さな声でも聞こえるようになのか、小野塚との距離が縮められていた。月森は女の子らしい、甘くていい香りがした。
 月森は自分のデスクへと戻り、小野塚も自分の仕事へ戻ろうと資料をめくった。しかし全然内容は頭に入ってこず、目は字の上を滑っているだけだった。

(……木崎に会いたい。会って、思い切り抱きしめたい)

 考えてみれば再会してから今まで、情事以外で木崎を抱きしめたことがなかった。抱きしめたり、触れるだけのキスをしたり、恋人同士でやるような甘ったるい時間は避けていた。やりたいと思ったことは何度もある。優しく抱きしめて、そのままゆったりとした時間を過ごしたいと思った。
 しかし、そういう考えが頭をよぎった時は、必要以上に木崎を避けた。少しでも木崎に恋人のような態度をとれば、木崎は離れていくのだと思った。
 頭の隅には池永のことがこびりついている。木崎とは全く違うはずなのに、あの歪んだ笑みを貼り付けた池永の顔が、いつのまにか木崎に入れ替わっている。
 気持ち悪い、と木崎が吐き捨てる。
 再会した公園で、木崎は『復讐したい』と言ってきたのだ。小野塚が、木崎の恋人だと付け上がったところを、突き落とそうとしているのかもしれない。より深く、一番ダメージを与えられる方法で、傷つけようとしているのかもしれない。
 木崎から向けられる行為を、純粋な好意だと思いたかった。受け取って、それ以上に返したかった。そしてまたそれを、木崎が返してくれるといい。ずっとそう、願っている。

(だが、違ったら。ただの俺の願望で、全ては復讐のためにやってるんだとしたら……)

 小野塚は残りのコーヒーを飲み干した。口内に広がる苦みに眉をしかめ、目頭を揉む。

(木崎が離れていくぐらいなら、偽りの好意を向け続けてくれる間でいい)

 恋人として、木崎と一緒にいたかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

ビジネス婚は甘い、甘い、甘い!

ユーリ
BL
幼馴染のモデル兼俳優にビジネス婚を申し込まれた湊は承諾するけれど、結婚生活は思ったより甘くて…しかもなぜか同僚にも迫られて!? 「お前はいい加減俺に興味を持て」イケメン芸能人×ただの一般人「だって興味ないもん」ーー自分の旦那に全く興味のない湊に嫁としての自覚は芽生えるか??

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

ラベンダーに想いを乗せて

光海 流星
BL
付き合っていた彼氏から突然の別れを告げられ ショックなうえにいじめられて精神的に追い詰められる 数年後まさかの再会をし、そしていじめられた真相を知った時

ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。 大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。 裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。 困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。 その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。

望まれなかった代役婚ですが、投資で村を救っていたら旦那様に溺愛されました。

ivy
BL
⭐︎毎朝更新⭐︎ 兄の身代わりで望まれぬ結婚を押しつけられたライネル。 冷たく「帰れ」と言われても、帰る家なんてない! 仕方なく寂れた村をもらい受け、前世の記憶を活かして“投資”で村おこしに挑戦することに。 宝石をぽりぽり食べるマスコット少年や、クセの強い職人たちに囲まれて、にぎやかな日々が始まる。 一方、彼を追い出したはずの旦那様は、いつの間にかライネルのがんばりに心を奪われていき──? 「村おこしと恋愛、どっちも想定外!?」 コミカルだけど甘い、投資×BLラブコメディ。

目線の先には。僕の好きな人は誰を見ている?

綾波絢斗
BL
東雲桜花大学附属第一高等学園の三年生の高瀬陸(たかせりく)と一ノ瀬湊(いちのせみなと)は幼稚舎の頃からの幼馴染。 湊は陸にひそかに想いを寄せているけれど、陸はいつも違う人を見ている。 そして、陸は相手が自分に好意を寄せると途端に興味を失う。 その性格を知っている僕は自分の想いを秘めたまま陸の傍にいようとするが、陸が恋している姿を見ていることに耐えられなく陸から離れる決意をした。

処理中です...