終わらない復讐は初恋のかたち

いとま子

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26.木崎のいない日常

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 木崎がアパートに来なくなって一ヶ月が経った。
 小野塚は仕事以外でも外出もするようになり、アパートの隣人とも顔を合わせれば言葉を交わすようにもなったが、木崎によって綺麗に整頓されていた部屋は以前のように散らかり、三食全てをコンビニ弁当に頼るようになった。
 仕事は順調だ。職場の人たちもみんな良い人で、しばらく引きこもって生活していた小野塚の過去についても、深くは詮索しないでいてくれる。小野塚にはそれがありがたかった。
 木崎が来なくなってから、さらに仕事に打ち込むようになった。周りから少し休めと言われるほどだ。小野塚は笑ってそれをかわしながら、仕事へと戻った。
 早く認められたかった。誰から認められたいのか、小野塚自身もはっきりとは分からなかったが。それは社会からかも知れないし、木崎からかもしれないし、サッカーを捨てた過去の自分かもしれない。

(それに、このまま順調に自立した生活を送れるようになったら――もしかしたら木崎は、本当の恋人になってくれるかもしれない)

 そう考えて小野塚はため息をついた。木崎は身の回りの世話をしてくれ、休日は一緒に過ごし、体の関係もある。今までずっと恋人のようなことをしておいて、本当の恋人とはなんだろうかと頭を悩ませていた。

(散々、木崎を傷つけておいて、本当の恋人になりたいとか、調子が良すぎるだろ)

 自分の身勝手さに苛立ち、荒く首筋をかいていると、横から突然手が伸びてきて驚いた。コーヒーが差し出されていた。湯気が立ち上る。顔を上げると、月森がいた。

「あ、ありがとうございます」

 礼を言うと、月森は幼く見える顔をもっと幼くするような笑顔を浮かべた。後ろでひとつに束ねた髪が揺れる。

「すこし休憩したらどうですか?」
「はい、そうします」

 小野塚はそう言いながらも手元の資料に視線を戻した。だが気配を感じ、顔を上げると月森が無言でじっと小野塚の方を見ていた。どうやら小野塚が本当に休憩するまで動かないつもりらしい。小野塚は観念して、月森が持って来たコーヒーに手を伸ばした。

「あまり根詰めちゃ駄目ですよ。さっきからずっと、眉間に皺よせて資料とにらめっこしてるじゃないですか」

 月森はその小野塚の真似をしているのか、ぎゅっと眉根を寄せて見せた。月森の声はゆったりとしていて、聞いているだけでも体の余計な力が抜けるようだ。

「はは、見られてましたか。恥ずかしいですね」
「あっ、いや、別に、監視してたわけじゃないですからね。誰かを誘ったほうが私も休憩しやすいからで。それにほら、適度な休憩を入れた方が効率も良くなりますよ。今度いっしょにラジオ体操でもしませんか」

 と、いいながら、腕を小さく振った。その姿に癒やされ、顔を見合わせて笑った。
 月森は年齢的には小野塚の三つ下にあたるが、職場では先輩にあたるので何かと世話を焼いてくれていた。押し付けがましくもなく、さりげなくサポートしてくれる月森に対し、小野塚は純粋にいい子だなと思った。さりげない気配りが出来て、場を和ませてくれる雰囲気を持っている。小野塚はふと考えた。

(もし、彼女と恋人になれたら――)

 月森との未来は簡単に想像することができた。結婚して、子どもができて、子どもが独り立ちしたら、二人でのんびりと老後を過ごしながら、遊びに来る孫を存分に甘やかす。幸せで、どこにでもあるようなありふれた人生のかたちだ。

(じゃあ、木崎との未来はどうだ。このまま一緒にいて、どこに行き着く?)

 考えてみたが、全く想像できなかった。

「小野塚さん」

 呼ばれて、はっとした。月森がいたことも忘れて、ぼうっとしていたようだ。

「ほら、やっぱり疲れているんじゃないですか。ちゃんと休憩してくださいね」

 文字どおり口を尖らせながら言う月森に、小野塚は苦笑した。そういうわけではないのだが、心配してくれているのはありがたい。

「それとも何か、悩み事でもあるんですか」
(女の勘というやつか。それとも思い切り顔に出てたんだろうか。どっちにしろ、月森さんにこの話はできそうにない。相手が彼女でなくとも、できるわけないな)
「大丈夫ですよ。やっぱり疲れるのかもしれません」

 小野塚がそう言うと、「だったらいいんですけど」と月森は明るい声でいった。軽く伸びをして、立ち上がる。そして内緒話をするかのように声を潜めた。

「でも、何か悩んでいることがあったら、気軽に相談してくださいね」

 小さな声でも聞こえるようになのか、小野塚との距離が縮められていた。月森は女の子らしい、甘くていい香りがした。
 月森は自分のデスクへと戻り、小野塚も自分の仕事へ戻ろうと資料をめくった。しかし全然内容は頭に入ってこず、目は字の上を滑っているだけだった。

(……木崎に会いたい。会って、思い切り抱きしめたい)

 考えてみれば再会してから今まで、情事以外で木崎を抱きしめたことがなかった。抱きしめたり、触れるだけのキスをしたり、恋人同士でやるような甘ったるい時間は避けていた。やりたいと思ったことは何度もある。優しく抱きしめて、そのままゆったりとした時間を過ごしたいと思った。
 しかし、そういう考えが頭をよぎった時は、必要以上に木崎を避けた。少しでも木崎に恋人のような態度をとれば、木崎は離れていくのだと思った。
 頭の隅には池永のことがこびりついている。木崎とは全く違うはずなのに、あの歪んだ笑みを貼り付けた池永の顔が、いつのまにか木崎に入れ替わっている。
 気持ち悪い、と木崎が吐き捨てる。
 再会した公園で、木崎は『復讐したい』と言ってきたのだ。小野塚が、木崎の恋人だと付け上がったところを、突き落とそうとしているのかもしれない。より深く、一番ダメージを与えられる方法で、傷つけようとしているのかもしれない。
 木崎から向けられる行為を、純粋な好意だと思いたかった。受け取って、それ以上に返したかった。そしてまたそれを、木崎が返してくれるといい。ずっとそう、願っている。

(だが、違ったら。ただの俺の願望で、全ては復讐のためにやってるんだとしたら……)

 小野塚は残りのコーヒーを飲み干した。口内に広がる苦みに眉をしかめ、目頭を揉む。

(木崎が離れていくぐらいなら、偽りの好意を向け続けてくれる間でいい)

 恋人として、木崎と一緒にいたかった。
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