終わらない復讐は初恋のかたち

いとま子

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27.名ばかりの恋人

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 昼休憩になると、小野塚はいつものように朝買って来たパンをいくつかデスクに広げた。

「あ、小野塚さん、またパン食べてますね」
「月森さんは、今から外ランチですか」
「そうです、この近くに……って、私のことより小野塚さんですよ。いっつもパンじゃないですか。ずっと気になってたんです。お節介かもですけど、栄養バランス大丈夫ですか。なんか顔色も最近は悪く見えてて、正直心配です」

 休日は木崎が食事を作り、帰る前にはいくつかおかずを作り置きしていた。始めは品数も少なく、お世辞にも美味しいとはいえない品々だったが、最近はバリエーションも増え、心から美味しいと思えるようになった。それが底をつき、別のものを食べようにもコンビニの弁当はすぐに飽きて食べる気がせず、外食は高いので手は出せず、結局、手軽で食べ慣れたパンばかり食べていた。

「あー……、パンが楽なので」
「あまりよくないですよ。そう、この近くにある食堂が、すごく美味しいんです。野菜もたっぷり入っててボリュームもあるのに、値段がすごく安くてびっくりなんです。今から行こうと思ってて、よかったら小野塚さんも一緒に行きましょう」

 いつになく月森の誘いは強引で、そこまで言われたら無下に断ることも出来ない。一瞬、木崎のことが頭をよぎる。

(……いや、名ばかりの恋人に、女性と二人きりで食事をしたからといって、浮気も何もないよな)

 小野塚は月森と連れ立って会社を出た。
 会社から徒歩数分、路地に入った先にある古びた食堂は、月森があれだけ勧めることもあって美味しかった。小野塚は生姜焼き定食を注文したが、栄養バランスもよく考えられているようで、久しぶりにまともな食事を食べた気がした。
 夢中で箸を進めていると、月森がじっと見ていることに気付いた。一人で黙々とがっついているところを見られていたのかと思うと恥ずかしい。ごまかすように、ゆっくりと咀嚼し、温かい茶を飲む。

「美味しいですね」

 小野塚が微笑むと、月森は顔を輝かせた。

「結構遅くまでやってるみたいですし、お持ち帰りもできるみたいですよ。パンよりずっといいですって」

 確かに夜も適当にパンで済ませることがあった。部屋には綺麗に折りたたまれたパンの袋が隅に寄せられている。
 食事は確かに美味い。妙に味付けが濃かったり、キャベツの千切りが不揃いなわけでもない。が、何か物足りなさも覚えた。

(木崎が作ってくれた生姜焼きは、全然生姜の味がしなかったんだよな。たぶん俺が甘党だってわかってて生姜を減らしたんだろうけど、生姜焼きではなかったな。かわりに醤油を増やしたのか肉が液に浸かってたし、キャベツも千切りも太さがバラバラで……)

 思い出して、木崎は小さく苦笑を零す。

(木崎が作ってくれた飯が懐かしい。こんなことなら、もっと素直に美味しいと言っておくべきだったな。それか礼だけでも)

 だが、どこまでが恋人らしくない台詞なのか、小野塚には判断できなかった。結局、間の抜けた返事しか返せなかったことを今になって悔いている。

(次はいつ来てくれるんだろう。しばらく来れない、ってどのくらいの期間なんだ。……いや、待つことが嫌ならば自分から会いに行けばいいじゃないか)

 と、思い立ったところで、小野塚は木崎が住んでいるところを知らない、ということに気付き、愕然とした。

(恋人のくせに、木崎のこと、何も知らねえのかよ)

 動きが止まった小野塚に気付き、月森が首をかしげた。小野塚は、動揺を悟られないようにご飯を口に運び、茶で流し込んだ。



「小野塚さん」

 月森に呼ばれて、パソコンから顔を上げた。気づかずに昼休憩の時間になっている。食事の誘いだろうか。小野塚は自然と断わる口実を探している。あれから何度か食事に誘われたが、居心地の悪さを感じ、断わっていた。
 月森は、少し言葉を飲み込んでから、ゆっくりと口を開いた。

「……これ、差し出がましいようですが、つくってきたんです」

 目の前に、小さな包みを差し出された。白地に、ピンクとオレンジの水玉模様が入った、なんとも月森らしいハンカチで包まれていた。

「外食、あまりお好きではないのかなって思って。あ、でも、中のほうも、あまり、期待はしないでほしいんですけど、いやそんなもの渡すなって話ですけど……」

 しどろもどろに言いつつ、最後には「よかったら食べてください」と早口で言いながら包みを押し付け、さっさとどこかへ行ってしまった。小野塚は状況がうまく飲み込めず、つつみを受け取ったまま固まった。
 周りの社員たちが、笑みを浮かべてこちらも見ているのに気付き、隠れるように包みを開けてみることにした。焦ったのか、なかなか紐が解かれない。何とか、結び目を解く。
 予想通り、包みの中見は手作りの弁当だった。さすが女子、といっていいのか、鮮やかで食欲をそそる色が目に飛び込んできた。一段目のメインはハンバーグのようだ。ポテトサラダにミニトマト、スパゲッティまで入っている豪華な弁当だった。どれも手作りのようだ。二段目はそぼろと卵焼きと絹さやの三色が白米の上に乗せられていた。朝からわざわざ作ってくれたのだろうか。感謝しながら、口に運ぶ。
 弁当は冷めていても美味しかった。味付けもちょうどよかったし、小野塚の好みだった。
 しばらくして帰ってきた月森に礼を言うと、顔を輝かせて喜んだ。

「料理が得意なんですね」
「全然そんなことないですよ。でも、作るのは好きです」

 月森ははにかみ、名案が浮かんだかのように軽く手を合わせた。

「そうだ。小野塚さんがよかったら、これからもつくってきていいですか?」
「えっ、と」

 小野塚は月森の提案に困惑し、首を傾げた。

「そんな……、悪いですよ。大変なのでは……」
「自分の分も作るので、手間はかからないですよ。それに、誰かに食べてもらった方が、張り合いも出ますし」

 社員たちは口を挟まずとも、耳をそばだてているのはわかった。居心地の悪さを感じる。

「……ありがとうございます。だったら、食材費を」

 当たり前の申し出だったが、しかし月森は要らないと突っぱねた。申し訳ないからと粘ると、月森は少し考えてから言った。

「それしゃあ、今度の休み、少し付き合ってくれませんか? 行きたいところがあるんですけど、一人では、なかなか行きにくいところなので」

 そんなことなら、と小野塚は了承した。
 名ばかりの恋人に、浮気も何もないのだ。



 木崎とあの日、再会できたことは嬉しかった。同時に怖いとも思った。高校の頃とは別人のように落ちぶれてしまったことを知られてしまったのだし、木崎が今まで、自分のことをどう思っていたのか知らなかったからだ。
 木崎に散々言われた。言われて当然だ。あの時、廊下で友人に言った言葉を、木崎が聞いているとは思わなかった。しかし、あの言葉を聞けば木崎がそう思うのも、復讐しようと考えるのも無理はないかもしれない。そう思われても仕方が無いし、弁解しようとも、その権利があるとも思わなかった。
 もう一度、木崎に会いたいと思った。聞きたいことも言いたいこともたくさんあったが、自分が聞ける立場ではないことも分かっていた。ただ、会いたかった。
 だが探す方法が分からなかった。連絡を取れるような友人はいなかった。大学を辞めてから疎遠になっている。ましてや木崎のことなど聞けるわけがない。こういう時、しかるべき場所に依頼するのだろう。だが、そんな金があるはずもなかった。
 とにかく動いていないと落ち着かなかった。空腹や疲労を超えるような、木崎に会いたいという衝動に突き動かされていた。うろ覚えの記憶を頼りに木崎の実家に行ってみたが、知らない人が住んでいた。それぐらい月日が経っているのだ。自分は過去に縛られたまま立ち止まり、木崎は背中が見えないほど先を歩き続けている。
 自分が本当に何も出来ない無価値な人間だと突きつけられたようだった。人間の価値を決めるのは、金なのだ。
 金を貯めて、自分の力で木崎に会いに行こう。そう思い立ってから、小野塚は給料の高い仕事を片端から探していった。そのうちに、木崎がやってきた。結局、木崎の方からやってきた。興信所を使って、新幹線に乗って。
 木崎は話を聞きたいと言っていた。何故わざわざ会いにきたのか。まだ不満を言い足りなかったのか。自分を切り捨てた男の醜い顛末を聞いて、ざまあみろ、と踏みにじりたかったのだろうか。それもそうだろう。自分から会いにも来られないような男は、彼にとって最低な存在なのだから。
 どうでもよくなった。いっそのこと、付き合っていた相手に『気持ち悪い』と言ったひどい男を演じきって冷たくあしらえば、罵り、憤り、恨みを晴らしたと、木崎は満足してくれるのかもしれない。
 どうせなら完璧に拒絶してほしい。未練が残らないように、ずたずたにしてほしい。
 気付けば、身体を重ねていた。口内に差し込まれる木崎の熱に、はっとした。木崎は何をやっているんだろう。拒絶するにではなかったのか、と混乱する。
 木崎が目の前で乱れている。腹にまたがり、顔を歪め、自慰をする。誰にでも、こういうことをするのか。キスだけで顔を真っ赤にする木崎を思い出した。昔は想像もできなかった姿に、頭に血が上った。自ら木崎を押し倒し、乱暴に腰を揺らした。動きに合わせ上擦った声をあげる木崎を、自分の知らない誰かも見ているのだと思うと、なんともいえない複雑に混ざり合った気持ちが湧き上がってきた。
 隣で糸が切れたかのように、木崎が眠っている。安らかに眠る横顔は、昔の面影が残っていた。起こさないように、木崎の頬をそっとなでる。

(この満たされた感じはなんだろう。相手が木崎だったからか、これで最後だと思ったからか、ただ人と触れ合えたことがよかったのか……)

 自問自答に答えが出るはずもない。木崎が短く声を漏らす。微笑んでいるようにも見えた。
 夢を見ているようだ。この安らかな時間を、勘違いしそうになる。現実に戻ろうと、木崎を起こさないように、いつも利用している近所のコンビニへ向かった。
 買ってきたあんパンを差し出す。しかし木崎には、甘いものは嫌いだと言われた。

(好きだと言ってたのは嘘だったのか、趣向が変わったのだろうか。どっちにしろ、もう昔とは違うってことだよな)

 好きだ、と言ってくれた昔の方が分かりやすかった。木崎はすぐ顔に出た。赤くなり、戸惑い、はにかむ。高校時代の二年の差は、ずいぶんと遠かったはずだ。年齢差は変わらないはずなのに、今の方がずっと近い。だが、目の前の木崎が、何を考えているのかさっぱり分からない。
 いきなり「恋人になってくれ」と言ってきたからだ。
 その後も木崎の考えていることは、全く理解できなかった。食事をつくり、掃除をし、身の回りの世話をする。バイトを一緒に探し、休日は外へと連れ出す。木崎は金曜日の深夜にやってきて、日曜の夕方帰って行く。休日の、全ての時間をここで過ごしているようだ。
 まるで本当の恋人のように。

(――いや、違う。これこそが木崎の思惑なんじゃないか。愛情を注いでいるようにみせて、本当はタイミングを計り、一番効果的な時期に、効果的な方法で、どん底まで突き落とす。あの、池永のように……)

 そう考えると、木崎の全ての行為を信じられなくなった。純粋に、喜びたかった。自分に向けられた好意を素直に受け取り、自分もそれ以上に木崎に返したかった。
 でも、出来なかった。そうしたが最後、木崎は復讐相手である小野塚を突き放し、姿を消すように思えた。それだけは避けたかった。だから、何も返さない。
 木崎が夕食を作って待っていてくれても、極力感情を込めず、礼を言ってみせた。
最低だ。
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