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28.月森への告白

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 月森が行きたいと言っていたところは、数駅離れた大型のショッピングモールだった。何度か木崎と訪れた場所である。

「少し前に水族館ができたみたいで、ずっと行きたいなーって思ってたんですけど、一人で行く勇気はなくて」

 待ち合わせの駅前で合流してからというもの、月森は何度も「今日は来てくれて本当に助かりました」と言っていた。

『できたら一緒に行きたいですね』

 そう言っていた木崎の顔を思い出し、打ち消した。隣にいる月森を見て、居心地の悪さを感じる。
 月森は年相応の、可愛らしい格好をしていた。職場では制服なので、私服姿は新鮮に見えた。仕事中は一つに束ねている髪を下ろすだけで、こうも雰囲気が変わるものか。普段、見られないような姿に、ああ女の子なんだなと、何故か感心してしまった。
 月森が一人で行きにくい、と言っていたことはあって、会場はカップルや親子連れでにぎわっていた。一人で来ている人など本当にいないのかもしれない。入り口で配られていたパンフレットにも、家族や恋人と、と書かれている。
 二人で、パンフレットにあらかじめ書いてあった、お勧めのルートを回った。巨大水槽の前には人だかりができている。その前を、何の悩みもなさそうに優雅に泳ぐ魚たちがうらやましいと思えた。

(お前たちは、恋人のことで悩むこともなさそうだな)

 隣で月森は、可愛いですね、と目を輝かせている。
 しばらく進むと、魚と触れ合えるコーナーがあった。子供向けのスペースのようだが、月森は何かに惹かれるように、子どもたちの間に混ざっていった。
 小さなものから、カラフルなものまで様々な魚がいた。エイやサメぐらいは小野塚にも分かった。子どもたちに愛嬌を振りまくように、ドーナツ形の水槽を泳いでいる。

「小野塚さん、触りましたよ。ぬるっとしてましたっ」

 月森は子どもに混ざってはしゃいでいた。目の前にやってきた魚の背中に手を伸ばしている。眩しい笑顔が、ほほえましい。
 月森の様子を後方で眺めていたら、「小野塚さんもどうですか」と手招きをされた。小野塚も子どもたちに混ざり、水槽の中の魚に手を伸ばす。月森の言うとおり、ぬるっとしていた。 

「仲がよろしいんですね。今日はデートですか」

 係員と思われる女性がにこやかに声をかけてきた。月森と並んでいる様子は恋人同士に見えるようだ。

(こういう時、否定していいもんなのか。あまりにもあからさまだと月森さんを拒絶してるようだし、だからと言って肯定するのも悪い気がするしな)

「ああ、えっと、まあ……」

 結局、小野塚は苦笑いを浮かべながら、曖昧な返事をした。微妙な空気感に係員も気づいたらしい。「ごゆっくりお楽しみください」と言い残し、そそくさと離れていった。係員が別の客に話しかけるのを見ていると、月森は頭を下げた。

「すみません小野塚さん。なんか、付き合ってると、間違われちゃったみたいですね。嫌な思いさせてごめんなさい」
「いや、月森さんが謝ることじゃないですよ。それに、嫌だとか、思いませんし」

 そう言うと、月森は不自然に固まってしまった。「そうですか」と言ったきり無言になってしまう。なんと言えば正解だったのか分からず、小野塚は目を逸らし、頭をかいた。
 そのまま水族館を後にし、しばらく無言のまま、目的もなく歩いた。ここは大人向けの、男性用の服や雑貨が多いフロアなのか、落ち着いた色合いの店舗が多い。先ほどのフロアは女性向けが多かったのか雑貨や服がカラフルで、目がちかちかした。
 ある場所に目が止まった。男性もののファッションを取り扱っている店舗だ。カジュアルな普段着からビジネス用品、スーツなど幅広く取り揃えてある。
 ガラスケースの中には、様々なデザインの腕時計が並んでいる。機能性も兼ねそろえた、お洒落な腕時計だ。小野塚の視線は、一つの腕時計を捉えて止まった。

「それ、かっこいいですね」

 小野塚の目線の先にあるシンプルなデザインの腕時計を見て、月森が言った。

「でも、小野塚さんにはこっちの方が似合いそうですよ」

 月森が指をさす。確かに、スポーティなデザインは小野塚の好みだった。
 小野塚が見ていた腕時計は木崎が以前、いいな、と言っていたものだ。あの時は、高くて手が出せないと思っていたが、今では何とかなりそうだ。それだけ、自分の生活も変わってきたということだろう。じっと眺めていると、月森が首をかしげた。

「買うんですか?」
「ああ、いや。そういうわけではないんですけど」

 慌てて否定し、話を変える。

「もう昼になりましたね。月森さんは何が食べたいですか?」

 尋ねると、月森は困ったような、照れたような表情をした。

「……月森、でいいですよ。年下ですし。敬語もなくていいです」
「でも、職場では、先輩ですし」

 小さい頃からサッカーをやっていて、部活では上下関係がはっきりとしていた。先輩相手に、馴れ馴れしい口は聞けない。刷り込まれているようなものだ。悩んでいると月森は笑った。

「ここは職場じゃないので、敬語はいりませんね、いりませんよね」
「……じゃあ、わかった」

 月森に押し切られる形で、砕けた口調にしてみた。月森は満足したのか何度も頷く。

「お腹がすきましたね」

 腹部に手を当てた月森が、店の前に並べられている食品のサンプルを眺めている。しばらくして、「ここにしましょうか」と月森が指したレストランで食事を取ることにした。見た目は日本家屋風で和食の店かと思っていたが、メニューを開いたらピザやカレーまであった。
 月森は和風パスタを、小野塚は生姜焼き定食を注文した。「生姜焼き、好きなんですね」と月森が笑う。しばらく雑談をしながら、食事をし、一息ついた月森が言った。

「小野塚さん、なにか悩みがあるんじゃないんですか」

 突然の話に、小野塚は、やっとのことで口に入れた生姜焼きを飲み込んだ。

「……それを聞くために、今日、誘ったの?」
「いえ、」

 月森が顔の前で激しく手を振る。

「これは、ついで、というか、おまけです。職場じゃないのでゆるーく話してもらえれば」
「ゆるーくか」

 小野塚は思わず笑った。月森なりの優しさなのだろう。できるだけくだらなく聞こえるように言った。

「実は、人が信じられなくて」
「しんじられない?」

 初めてその言葉を聞いたように、月森は繰り返す。

「表面上は、親切にしてるんだけど、裏ではきっと裏切るタイミングを計ってるんだろうな、とか。考え始めると、どう接していいかわからないから、冷たい態度をとってしまって。結局相手を傷つけてることに罪悪感があったり、深い関係に進めなかったり……なんて、自分でもさすがに考えすぎだとは思うけどね」

 話が重くなりすぎないよう、小野塚は無理矢理語尾を明るくした。ゆるーく、と言われたわりには結局、月森に真剣に悩みを打ち明けていた。人を信じられない、と相談しているわりに、月森のことは自然と信頼しているのかもしれない。

(もしくは自分でも気づかないうちに、切羽詰まってるのかもな。自分じゃどうやって現状を変えられるのか答えは出ねえし)

「考えすぎだなんて、そんなことないですよ」
 と、月森は緩く首を振った。

「私も考えること、あります。笑顔でお礼を言われてても、本心では迷惑だって思ってるんじゃないかな、なんて考えたり。でも、誰でも行動と別のことを考えてるわけじゃないと思いますよ。本当の親切心や好意から優しく接してくれる。自分がそう信じたいだけかもですけど。それに相手の考えてることまで気にしても、結局はわからないですし。悩むだけ損っていうか」
「まあ、そうなんだろうけど」
「ふふ、でも小野塚さんがこうやって相談してくれたってことは、私のこと、信頼してもらってるってことなんですかね」

 月森は楽しそうにフォークにパスタを巻きつけている。

「裏がない人なんていないんじゃないですか? 小野塚さんもありますよね?」
「……まあ、あるかな」

 現に今、木崎に嘘をついている。冷たく当たっていながらも、裏では木崎に尽くしたいと思っている。本当の恋人同士になりたいと思っている。

「裏も表もなくして、みんながみんな、さらけ出したら、世界は破滅しちゃいますよ」
「大げさじゃないか?」
「好きな人ですか」
「えっ?」
「裏がない人なんていないですよ。私もありますし」

 月森は微笑んだ。年下とは思えない、ひどく大人びた表情だった。

「話すことってやっぱり大事ですよ。その人のこと知りたいって思ったら、話してみないと。相手が大切な人なら尚更です。本音とか裏とか、考えてるだけじゃなにもわからないし解決しない。全部をさらけ出す必要はないと思います。大切な人だとは言っても、他人ですし。でも小野塚さんが相手の本心を知りたくて悩んでいるなら、やっぱり聞いて、話してみないと。それで関係がかわることを恐れてたら駄目なんです。ずっと同じまま、なんて無理だから」

 話すこと。相手を理解すること。
 小野塚はそれを意識的に避けていた。木崎の本音は知りたくなかったのだ。
 恋人を演じてくれているのなら、その木崎だけを見ていたかった。復讐を考えている木崎の本音を知ってしまえば、木崎は離れていく。
 しかしそれは、小野塚が勝手に想像していたことだ。本当かどうかは分からない。当たっているかもしれないし、もっとひどいことを考えているかもしれない、全く別のことを考えているかもしれない。

(だから話してみないといけないのか)

 その結果、どうなるかは分からないが、話してみないと何も変わらない。傷つき、何かを犠牲にする覚悟が必要なのだ。
 月森がいうように、ずっと同じままなんていうのは無理だ。自分から一歩踏み出す覚悟が必要だ。
 そんな簡単なことも分からないのか、と小野塚は思わず苦笑する。

「悪い裏切りばかりでも、ないと思いますよ」

 小野塚の考えを見透かしたかのように、月森は言って小さく肩をすくめた。

「それが、どんなものかは分からないですけど」
 
 食事を終えると、月森は時計を確認してから、申し訳なさそうに言った。

「すみません。この後、少し用事があるんです。急ですけど、今日はこれで」

 バスで帰るという月森に連れ立って、正面入り口へ向かう。バスの時間にはまだ少し早いようだ。バス停が見えるベンチのところで、月森は軽く頭を下げた。

「今日は、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかったです」

 改まった口調で言うと月森は笑った。そして月森は、顔に影を落とした。
 
「……すみません。まだ、少し迷っていて」
「どうしたの?」

 尋ねると、月森は言いよどんだ。しばらく沈黙する。バスを待つ人たちの笑い声が聞こえる。恋人たちは手を繋ぎ、子どもは母親らしき女性をせかすように引っ張る。
しばらくして月森は少し、言葉を飲み込んでから口を開いた。

「……私、小野塚さんのこと、好きなんです」

 決して大きな声ではなかったのに、にぎやかな喧騒の中でもはっきりと聞こえた。
 月森は告白をした。目にはうっすら涙を浮かべて、小野塚を真っ直ぐに見つめている。その姿が、過去の木崎と重なって見えた。
 予感はあった。手作りの弁当を渡し、休日にふたりきりで出かけようと誘う。視線に熱を感じることもあった。向けられる笑顔が、優しい気遣いが嬉しくなかったといえば嘘になる。それでも。
 小野塚の心を占めるのは、十年前からただひとりしかいなかった。

「今日、一緒に過ごせて本当に楽しかったです」
「月森さん……」
「職場以外のところで会ったら、どこか嫌なところでも見つけられるかなーとか思ったんですけど」
「え?」
「もっと、好きになってしまいました」

 月森は困ったように弱々しく微笑んだ。小野塚はなんと答えていいのか分からず、じっと月森を見ることしかできない。彼女の告白を聞いても、思い浮かべるのは木崎のことばかりだ。

(昔よりも、もっと好きになってるのは、俺だって同じだ)
「小野塚さん、他に好きな人がいるんじゃないですか」

 どきりとした。木崎の顔が浮かぶ。「どうして、」と間の抜けた声が出る。

「ずっと上の空だったので」

 月森は弱々しい笑みを浮かべた。

「これも、私の裏ですよ。なんでもないように見せておいて、ずっと告白する機会を図っていたんですから」

 告白するのには、どれほどの勇気が必要なのだろか。思えば小野塚は自分から告白したことがないことに気づく。関係の悪化を恐れてなにも言えない小野塚とは違い、勇気を出して一歩踏み出した月森に尊敬の念を抱く。
 真剣な告白には、真摯な言葉を返さねばならない。相手を傷つけることになっても、自分の気持ちには嘘はつけな い。ついてはいけない。
 今になって、そんな単純なことに気付いてしまう。

「……ごめん。月森さんの言葉、嬉しかった。でも気持ちには応えられない」

 月森はいい人だ。恋人になれば、きっとお互いに、いい付き合いが出来ると思う。職場でも月森の存在は助かっているし、今日も月森と過ごした時間はとても楽しかった。こんな関係が続くのならば、理想的で幸せな、普通の生活が送れるのかもしれない。
 だが、木崎のことが、どうしても頭から離れなかった。

「好きな人がいるんです」
「そうだろうなって、思ってました」

 月森は弱々しく微笑んだ。が、次の瞬間には、いつもの表情に戻っていた。

「それで、さっきのお悩み相談は、その人が関係するんですか」
「……そうですね。でも、そもそも俺が言葉で傷つけたのが原因なんです。今もまた、傷つけたままです。許されるとも、許してもらおうとも思ってません。だからあいつが俺に復讐する機会を窺ってるなら受け入れなきゃいけない」

 木崎への気持ちを、初めて他人へ告白した。言葉にして改めて想いを自覚する。

「相手の言葉も気遣いも信じられなくても、復讐されるとわかっていても、この気持ちは抑えきれない。誰に認められなくても、否定されても、ずっと、あいつのことが好きなんです。俺はこの先も木崎と一緒にいたい」

 はっとする。目を丸くしていた月森が苦笑を浮かべる。

「あーあ、すんごくのろけられちゃった。さっき小野塚さんに告白したのが誰か忘れたんですか」
「えっ、いや……すみません」
「小野塚さんがその人を傷つけちゃったことがあったとしても、やっぱり言葉にしないと伝わらないですよ。さっき私に話してくれたこと、そのままその人に伝えたほうがいいです、絶対」

 バスが来る。他にもベンチの周りでバスを待つ人がいたようだ。その人たちの流れに混ざり、月森はバスへと向かっていった。

「今日は楽しかったです。ありがとうございました。小野塚さんと、小野塚さんの好きな人がうまくいくよう、応援してますから」

 また職場で、と頭を下げ、月森はバスへと乗り込んだ。曲がり角で姿が見えなくなるまで、小野塚はバスを見送った。
 ベンチの横で、小野塚は一人、その場に立ち尽くす。周りの人は歩き続ける。恋人と手を繋ぎ、子どもに引っ張られ、バスを待つ人も、誰かと繋がっている。

(――木崎と別れたくない。ずっと一緒にいたい。たとえ復讐のために裏切られたとしても、この気持ちを伝えないと。話さないとなにも変わらないんだ)

 今からでも、間に合うだろうか。この腕で、抱き留めることができるだろうか。
 あふれ出した感情に突き動かされるように、小野塚は走り出した。
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