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29.終わりだ
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外の空気は変わっていた。小野塚と会わないまま二ヶ月が過ぎた。もう、自分のことなど忘れて、いい人でも見つけているかもしれない。
(月森さんと付き合ってたりして)
と、考えて木崎は苦笑した。ありえるかもしれない。
時間と距離を開けて、気持ちを整理することが出来た。
部屋の机の引き出しを開け、思い出の写真を取り出し、木崎はじっと眺めた。
「…………」
(もう、この時にはどうやっても戻らないんだな)
慈しむように、写真の表面をそっと撫でた。思い切って捨ててしまおうかと思ったが、止めた。出来なかった。自分だけの思い出にするぐらい、許してもらおう。木崎はそっと引き出しにしまった。
小さな鞄一つで新幹線に乗った。こうやって、小野塚のもとへ向かうのも最後になるだろう。窓から流れる景色を見るのも久しぶりで、いつもと違って見えた。それもそのはずだ。今までは仕事終わりの深夜に新幹線に乗っていたのだ。今は昼間だ。道のりはこんなにも鮮やかだったのか、と外を眺めながら考える。
(先輩はどうしてるんだろう。なんの連絡もなしに、いきなり来たら驚くよな。女の子と、アパートで鉢合わせしたらどうしよう。食事はちゃんと取ってるのかな。パンばかり食べてるかも。煮物か何か作ってくればよかった……いや、もう必要ないのか)
木崎は何度も自分に言い聞かせてきた言葉を、思い浮かべた。
(ちゃんと、別れを告げよう。一応、恋人なのだから)
小野塚と再会してからの日々を思い返してみた。公園で暴言を吐いて、アパートに押しかけて、身体を重ねて、恋人になろうと迫った。
木崎は自嘲に口元をゆがめる。改めて考えてみると、かなりおかしい。
それからは毎週末通いつめて、いろんなところに連れまわして、部屋の掃除や食事の世話をして、仕事を探して、次第に会える時間が減って、小野塚のつらい過去を聞いて、それから――。
気付くと涙が頬を伝っていた。周りに気付かれないようにそっと拭う。つらいこともあったが、少しでも小野塚と一緒の時間を過ごせたことはよかった。後悔はしていない。
ただ、ひとつ贅沢をいうなら。
(先輩の恋人として、一緒に幸せになりたかったな)
小野塚のアパートに着いた。相変わらず、人が住んでいるのか疑わしくなるほど古い。これも今日で見納めになるのだと思うと感慨深い。
全て終わったら、佐伯に会いにいこうと考える。あの告白から三ヶ月ほど経っていたが、まだ返事はしていなかった。
(佐伯のことは好きだけど、友人として、だ。先輩と別れても恋人にはなれない。先輩と話をしたら、きちんと全て報告しよう)
――初恋が、終わったのだと。
ドアを三回ノックする。今日は休みのはずだ。外出していなければいいが。
しばらくしてドアが開いた。感情を乱さないように身構えていたにもかかわらず、二ヶ月ぶりに見た小野塚の姿に、木崎の胸はすぐに熱くなった。初めて会った時はぼさぼさの伸び切った頭で、にらむようにして見られていたのに、今では爽やかな好青年といった感じだ。
小野塚は木崎を見るなり、目を丸くした。
「お久しぶりです」
木崎は声が震えないように気をつけた。
「上がってもいいですか」
「……いや」
小野塚は躊躇うそぶりを見せたが、一瞬だった。
「どうぞ」
部屋は散らかっていた。初めてこの部屋に上がったときよりも、散らかっているように思えた。部屋の隅に畳まれたパンの袋が大量にまとめられていて、おもわず笑みがこぼれた。この様子だと誰もこの部屋には上がっていないようで胸を撫で降ろす。
(なにほっとしてんだろ。もう僕には関係ないというのに)
小野塚は変わっていなかった。いや、少し明るく見えるか。パンばかり食べていたという割にはそんなに顔色も悪いようには見えなかった。自炊していた形跡はないので、外で栄養のあるものでも食べていたのかもしれない。
「いきなり押しかけてすみません」
「……いや、大丈夫だ」
小野塚は目線を逸らした。気まずそうに眉を寄せている。連絡もなしにいきなり来られたことに迷惑がっているのかもしれない。木崎も小野塚から視線を外す。ふと、部屋の隅に大きなボストンバッグが見えた。荷造りをしていた跡のようにも見える。
(何も知らせないで、ここから消えようとしていた? 僕と二度と会わないように……)
想像して、暗い気持ちになった。
会いに来なかった間、どう生活していたのか聞きたいことはたくさんあったが、自分のためにも長居しない方がいいだろう。「座らないのか」と言う小野塚に首を振る。長く留まれば、三ヶ月かけてせっかく固めた決意が揺らいでしまう。
「お話があってきました。すぐ、帰るので」
座りかけた小野塚も立ち上がった。小野塚と目が合う。真っ直ぐに、木崎を見つめている。吸い込まれそうな目だ。大好きな瞳だ。過去の小野塚ではない、目の前にいる、小野塚の瞳だ。
「……なんだ?」
静かに、小野塚は問う。心の中で深呼吸をし、木崎は口を開いた。
「……ちゃんと、お別れを言おうと思ってきました」
小野塚から目線を逸らすために、茶化すように肩をすくめ笑った。
「なに言ってんだって思うかもしれませんが、僕の中で先輩は、一応、恋人なので」
反応が気になって、ちらりと視線を上げる。小野塚は無言で眉間に皺を寄せた。少しの期待も砕かれたようで早口になる。
(バカだな、期待なんて。始めからわかっていたことだろ、名ばかりの恋人だって)
「今までありがとうございました。短い間でしたけど先輩と一緒にいられて幸せでした」
高校時代の甘い疼きも、再会してからの胸の痛みも蘇った。話したいことはまだたくさんあった。でもこれ以上、木崎は口を開くことができなかった。
声は震えてなかった。涙も出なかった。
練習通りだ。
これで終わりだ。全部、終わりだ。
「では、これで」
終わりだ。
「……さようなら」
短く言い残すと、すぐに背を向け、玄関へと向かった。振り返らず、ドアを開け、外へと踏み出すのだ。
駅へ戻り、新幹線に乗り、東京へと帰る。会社に行き、休みの日は予定を立てて、たまには佐伯に会い、たまには実家へ帰り、会社に行く。繰り返す。今までと同じ日々だ。
そこに小野塚はいない。
ただひとり愛した、初恋の人はもう――。
「待て」
背を向けた木崎の腕を、小野塚が掴んだ。
(月森さんと付き合ってたりして)
と、考えて木崎は苦笑した。ありえるかもしれない。
時間と距離を開けて、気持ちを整理することが出来た。
部屋の机の引き出しを開け、思い出の写真を取り出し、木崎はじっと眺めた。
「…………」
(もう、この時にはどうやっても戻らないんだな)
慈しむように、写真の表面をそっと撫でた。思い切って捨ててしまおうかと思ったが、止めた。出来なかった。自分だけの思い出にするぐらい、許してもらおう。木崎はそっと引き出しにしまった。
小さな鞄一つで新幹線に乗った。こうやって、小野塚のもとへ向かうのも最後になるだろう。窓から流れる景色を見るのも久しぶりで、いつもと違って見えた。それもそのはずだ。今までは仕事終わりの深夜に新幹線に乗っていたのだ。今は昼間だ。道のりはこんなにも鮮やかだったのか、と外を眺めながら考える。
(先輩はどうしてるんだろう。なんの連絡もなしに、いきなり来たら驚くよな。女の子と、アパートで鉢合わせしたらどうしよう。食事はちゃんと取ってるのかな。パンばかり食べてるかも。煮物か何か作ってくればよかった……いや、もう必要ないのか)
木崎は何度も自分に言い聞かせてきた言葉を、思い浮かべた。
(ちゃんと、別れを告げよう。一応、恋人なのだから)
小野塚と再会してからの日々を思い返してみた。公園で暴言を吐いて、アパートに押しかけて、身体を重ねて、恋人になろうと迫った。
木崎は自嘲に口元をゆがめる。改めて考えてみると、かなりおかしい。
それからは毎週末通いつめて、いろんなところに連れまわして、部屋の掃除や食事の世話をして、仕事を探して、次第に会える時間が減って、小野塚のつらい過去を聞いて、それから――。
気付くと涙が頬を伝っていた。周りに気付かれないようにそっと拭う。つらいこともあったが、少しでも小野塚と一緒の時間を過ごせたことはよかった。後悔はしていない。
ただ、ひとつ贅沢をいうなら。
(先輩の恋人として、一緒に幸せになりたかったな)
小野塚のアパートに着いた。相変わらず、人が住んでいるのか疑わしくなるほど古い。これも今日で見納めになるのだと思うと感慨深い。
全て終わったら、佐伯に会いにいこうと考える。あの告白から三ヶ月ほど経っていたが、まだ返事はしていなかった。
(佐伯のことは好きだけど、友人として、だ。先輩と別れても恋人にはなれない。先輩と話をしたら、きちんと全て報告しよう)
――初恋が、終わったのだと。
ドアを三回ノックする。今日は休みのはずだ。外出していなければいいが。
しばらくしてドアが開いた。感情を乱さないように身構えていたにもかかわらず、二ヶ月ぶりに見た小野塚の姿に、木崎の胸はすぐに熱くなった。初めて会った時はぼさぼさの伸び切った頭で、にらむようにして見られていたのに、今では爽やかな好青年といった感じだ。
小野塚は木崎を見るなり、目を丸くした。
「お久しぶりです」
木崎は声が震えないように気をつけた。
「上がってもいいですか」
「……いや」
小野塚は躊躇うそぶりを見せたが、一瞬だった。
「どうぞ」
部屋は散らかっていた。初めてこの部屋に上がったときよりも、散らかっているように思えた。部屋の隅に畳まれたパンの袋が大量にまとめられていて、おもわず笑みがこぼれた。この様子だと誰もこの部屋には上がっていないようで胸を撫で降ろす。
(なにほっとしてんだろ。もう僕には関係ないというのに)
小野塚は変わっていなかった。いや、少し明るく見えるか。パンばかり食べていたという割にはそんなに顔色も悪いようには見えなかった。自炊していた形跡はないので、外で栄養のあるものでも食べていたのかもしれない。
「いきなり押しかけてすみません」
「……いや、大丈夫だ」
小野塚は目線を逸らした。気まずそうに眉を寄せている。連絡もなしにいきなり来られたことに迷惑がっているのかもしれない。木崎も小野塚から視線を外す。ふと、部屋の隅に大きなボストンバッグが見えた。荷造りをしていた跡のようにも見える。
(何も知らせないで、ここから消えようとしていた? 僕と二度と会わないように……)
想像して、暗い気持ちになった。
会いに来なかった間、どう生活していたのか聞きたいことはたくさんあったが、自分のためにも長居しない方がいいだろう。「座らないのか」と言う小野塚に首を振る。長く留まれば、三ヶ月かけてせっかく固めた決意が揺らいでしまう。
「お話があってきました。すぐ、帰るので」
座りかけた小野塚も立ち上がった。小野塚と目が合う。真っ直ぐに、木崎を見つめている。吸い込まれそうな目だ。大好きな瞳だ。過去の小野塚ではない、目の前にいる、小野塚の瞳だ。
「……なんだ?」
静かに、小野塚は問う。心の中で深呼吸をし、木崎は口を開いた。
「……ちゃんと、お別れを言おうと思ってきました」
小野塚から目線を逸らすために、茶化すように肩をすくめ笑った。
「なに言ってんだって思うかもしれませんが、僕の中で先輩は、一応、恋人なので」
反応が気になって、ちらりと視線を上げる。小野塚は無言で眉間に皺を寄せた。少しの期待も砕かれたようで早口になる。
(バカだな、期待なんて。始めからわかっていたことだろ、名ばかりの恋人だって)
「今までありがとうございました。短い間でしたけど先輩と一緒にいられて幸せでした」
高校時代の甘い疼きも、再会してからの胸の痛みも蘇った。話したいことはまだたくさんあった。でもこれ以上、木崎は口を開くことができなかった。
声は震えてなかった。涙も出なかった。
練習通りだ。
これで終わりだ。全部、終わりだ。
「では、これで」
終わりだ。
「……さようなら」
短く言い残すと、すぐに背を向け、玄関へと向かった。振り返らず、ドアを開け、外へと踏み出すのだ。
駅へ戻り、新幹線に乗り、東京へと帰る。会社に行き、休みの日は予定を立てて、たまには佐伯に会い、たまには実家へ帰り、会社に行く。繰り返す。今までと同じ日々だ。
そこに小野塚はいない。
ただひとり愛した、初恋の人はもう――。
「待て」
背を向けた木崎の腕を、小野塚が掴んだ。
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