愛しているから問題なくない?

秋草

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唯一の日常

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 大学の正門まで一緒だった穂村さんとは、到着とほぼ同時に呆気なく別れた。彼も講義があるというのは嘘ではないらしい。

「それじゃあ、また後でね」

 連絡先も知らない、講義スケジュールを聞かれてもいないけれど、そう言い残したからにはきっと、帰りの時間にはどこからともなく現れるのだろう。
 穂村さんの情報源、というより情報収集力にため息をついて教室のドアを開ける。と、私の視線がドアの向こうに向くか否かというところで、腕をがっしり掴まれた。

「おはよう緋鞠! さっき一緒にいたのって誰?」

 腕を掴んできたのは他でもない、高校からの友人の奏衣(かなえ)だった。

「お、おはよう奏衣。さっき、って?」

 ようやく訪れた私の「日常」に思わず口角が緩む。この子はいつもこんな調子で周りを巻き込み、時に明るく照らしてくれる。そんな彼女がいてくれるからこそ、私もずっと笑顔でいられるのだろう。

「もしかして、大学に来た時のこと?」
「そうそう、その時のこと! 大層な美形をお供にしてたみたいだけど、誰?」
「あの人は……」

 そういえばこの友人、顔が良い異性に目がないのだった。穂村さんは変質者の類であることは間違いないけれど、顔の整いようも間違いない。そこは流石に蓮さんの弟さんだと思う。

「大学の先輩だって。まあ、私もよく知らないのだけど」
「知らないって、どういうこと? あの人の感じからして彼氏かと思ったけれど、違うの?」
「どういうこと?」
「なんかね、緋鞠のことが可愛くてたまりませんって感じの甘ったるい顔だったわよ」
「ああ……」

 思いがけず低くなった声に奏衣が小首を傾げる。そして私の目をじっと見たかと思うと、大きな目をわずかに細めた。

「訳あり? 詳しい話、後できかせて」

 美形が大好きだけれど恋愛はさほど。男の人の顔は好きだけれど、彼らの人間性は信じていない。それ故なのか何なのか、この友人は異性絡みの話になった途端にやたらと勘が鋭くなる。

「緋鞠は私が絶対守ってあげる。だからもう安心してね」

 そう言って握ってくれた手の温もりに、私はつい視界を揺るがせた。


**********


 穂村さんが突然現れて同居を迫ったこと、そして私の情報を何でも知っていたこと……その全てを友人に打ち明けたのは、空きコマでの昼休憩中だった。あまりに真剣な顔で、頷きながらじっくり聞いてくれるものだから、本当に洗いざらいと言えるほどに話してしまった。そこまで話せば彼女が何を言うかは、火を見るより明らかなわけで。

「……緋鞠、警察に通報しよう」

 ほら、やはりそうきた。

「緋鞠は優しすぎるのよ。あの男が恩人の弟だからって躊躇ったのでしょうけど、そんな遠慮は必要ないわ」
「そ、そうだよね。……でも、それで恨まれて刺されたりしないかな」

 今のご時世……いや、歴史を見ても、こういったトラブルで刺して刺されてはたくさんある。あの人がそういうことをしそうにも見えないけれど、万が一があったらと思うと恐ろしい。

「それは大丈夫!……って言いたいところだけど、たしかに難しいわね。いいわ、ひとまず私がそいつと話す」
「そ、そんな迷惑かけられないよ!」

 奏衣に何かあったら、私にもとてもよくしてくれる奏衣のご両親に合わせる顔がない。もちろん、奏衣自身の安全も心配なのだけれど。

「いいの、私がそいつを気に入らないだけだから。まったく、初対面の男を易々と家にあげるばかりか同居を認めるなんて馬鹿なことを」
「ば、馬鹿って言わないで。私だってあの人の弟じゃなければ、」

 弟じゃなければ、全力で抵抗していた。……そう、結局のところ怖いだなんだと言っておきながら、蓮さんの面影に弱いのだと思う。

「はああ、緋鞠の弱みにつけ込むなんて最低な男ね!」

……あ。

「今すぐここに呼び出して罵倒の一つでもしてやりたいわ!」
「か、奏衣」
「なに!」
「うしろ……」

 憤慨する奏衣のすぐ後ろ、いつのまに現れたのか背後霊のように立っているのは、他でもなかった。

「僕に何かご用ですか、裏橋(うらはし)奏衣さん?」

 奏衣が小首を傾げた直後、穏やかな笑みと共に穂村さんが奏衣の顔を覗き込む。その時の奏衣の顔といったら……幽霊とドッキリが苦手な彼女らしく引き攣った顔は、大層気の毒でありながらも少しだけ、可笑しいと思ってしまった。



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