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68.サプライズ(2)

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 京阪大学といえば国立の難関校だ。智奈は口に入れたサーモンのマリネを味わう間もなく呑みこんだ。
「やくざに就職?」
 俄には理解しがたいことで、智奈が思わず口にすると、甲斐は興じた様子を見せた。
「その反応、思いだすな。世里奈せりなと同じだ」
「世里奈さん、ですか」
「之史さんの奥さんだ。智奈より一つ年下だから話しも合うだろうし、きっといい友だちになれる」
 ですよね? と、京吾は智奈から之史へと目を転じた。
「ああ。同席させたいところだったが、子供が病みあがりで用心した。今度、うちに遊びにきてくれ。世里奈の気分転換にもなる」
「はい、ぜひ!」
 と答えつつ、智奈は思考をフル回転させた。
 二十歳近くも年上の人と、しかも悪人中の悪人と――そう極悪な人には見えないけれど――結婚する人ってどんな人だろう。
「世里奈さんは至って普通だ。智奈と同じで」
 京吾は智奈の心を読んだかのようにそう云った。
「子供さん、おいくつですか。病気は大丈夫ですか」
「生後八カ月だ。病気は突発性発疹といって、大方の赤ん坊が患うらしい。熱を出したのがはじめてで慌てたな」
「之史さんが?」
「世里奈には内緒にしてくれ」
 甲斐は冗談めかして京吾に釘を刺した。
「笑えませんよ。お互いさまだって一年後は云ってるでしょうね」
 京吾がそう応じると、甲斐は問うように目を見開いた。
「京吾、つまり、めでたいこと続きか?」
「そうです。三月に誕生する予定ですよ」
「フィクサーはひと安心だろうな」
「どうでしょう。極端な放任主義だったはずが、いまになってやたら孫の人生に口出ししてなんの得があるのか」
 京吾が肩をすくめると、甲斐はしたり顔で笑みをこぼす。
「逆に、フィクサーはいままでが口を出さないように努めていたんじゃないか? おまえがだれにも侮られず一人前になれるように。さきが短く感じるようになれば、御大も心残りは解消しておきたいはずだ。フィクサーにはこの世界に入った駆けだしの頃、世話になった。懇意になって、おまえのこともよく聞かされた。御大が孫の行く末を気にかけていないはずがない」
 経験が豊かゆえなのか、京介について甲斐は智奈が思いつかないような解釈をしている。おそらくは京吾も考えが及ばなかったことで、そうしたら、京吾にとって淡々としていた祖父との関係も辻褄が合うんじゃないだろうか。智奈にしろ、今日、京介と話したときのことを思い浮かべれば、甲斐の言葉も納得しやすい。
「なるほど。之史さんはなんでもお見通しですか」
「そうじゃない。おれはこの世界に来てから、両親とは疎遠になってる。勘当同然で二十年、会っていない。父は現役引退しているだろうし、このままというのもどうなんだろうなと考えている」
 それぞれの、家族だからこそ拗れてしまう、そんな共通点に智奈は親近感を覚える。父の行雄は、甲斐がやっているようなフロント企業に関わったことで名実ともに葬られた。それを思うと複雑な気が多少なりとあったのに、悪人だけれど善人には手を出さない、という、話しているうちに京吾の云ったことが理解できた。それもまた京吾と甲斐の共通点だろう。
 会食が終わる頃にははじめに感じていた緊張を忘れて、甲斐から大学生だった京吾と出会った頃のことだったり、見かけによらない京吾のセンセーショナルな裏の顔だったり、智奈が聞きたかったことを聞けて、楽しくリラックスしてすごした。
 帰り際、甲斐はあらためて智奈に向かった。
「京吾は大した男だ。だが、きみの存在は京吾の弱点にもなるだろう。弱点になったところで、それを問題にしない、最終手段を京吾は牛耳っている。とはいえ、おかしな男がうろついているようだし、油断は禁物だ。きみも無茶をしないこと。結婚の立会人を引き受けさせてもらう以上、ふたりのことにはおれも責任がある。何かあれば遠慮なくおれを頼ってくれ」
 京吾に内緒にしたいことでも――と、甲斐はちらりと京吾を見やりつつ揶揄して付け加えた。
 そうして、そろってヘラートを出ると、迎えの車に乗った甲斐を見送り、京吾と智奈はコージの運転で帰途についた。
「甲斐さんが云ってた『おかしな男』って、もしかしてシンジくんのこと?」
 後部座席に落ち着くと、智奈は訊ねてみた。さっきの甲斐の言葉は一般的な話ではなく、具体的に聞こえた。
「ああ、之史さんを頼って、所在はつかんでる」
 そこまで用心深くする必要があるのか、智奈が驚いていると、京吾は責めるように目を細めて警告する。
「大げさだって思ってるなら、そんな楽観思考は捨ててほしい。とことんおかしな奴はいるんだ。現に之史さんの奥さん――世里奈さんもひどい目に遭いかけた。そいつも含めて、UGで引き受けた奴の罪状リストを見せてやろうか」
「……気をつける」
 京吾の言葉は充分、脅しになった。加えて、京吾がそれだけ案じてくれているのに、無駄にするわけにはいかない。
「そうしてくれ」
 智奈はその切願に誓うつもりで深くうなずいた。
「甲斐さんの不思議な感じ、うちで同棲を始めた頃のキョウゴのときと同じ」
「あの人は頭が良すぎだ。良すぎて、表のルールは退屈だからって地下に棲みついたらしい。変わってるだろう? 頭が切れるだけじゃなく、行動も早い。こっちが情報を出せば、思いがけない道筋を立てる。之史さんの依頼で、UGで罪人を引き受けたことも何度かある。持ちつ持たれつ、やってきた。おれにはじいさんの後ろ盾があるけど、之史さんは何もないところから地下の怪物とまで囁かれる人になった。じいさんと同じだな。少なくとも、アングラの世界では之史さんからも智奈は守られる」
 京介に対するのと同じで、甲斐のことを語るとき、京吾の言葉の節々に憧憬が表れる。そして、甲斐に引き合わせたのは思ったとおり理由があって、京吾は智奈を守ろうとそうしたのだ。
「わたしって京吾の弱点?」
 甲斐に限らず、七海も同じことを云っていた。ずっと気にはなっていたけれど。
「ある意味、そうなり得るけど、負担になるとか思ってるなら大間違いだ」
 京吾はやっぱり智奈の心を読んでいる。智奈の顔が笑みに綻ぶと――
「ただし、おれに内緒事はやめてくれ」
 と、甲斐の言葉を根に持っているかのように、京吾は釘を刺した。
「……誕生日のサプライズとかも?」
 京吾の誕生日は十月だ。智奈が問うと。
「そのサプライズ、おれも乗ります」
 すかさず、コージは手を上げた。
「そう云った時点でサプライズになってないけどな」
 京吾は呆れて智奈たちに突っこみを入れた。
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