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75.LOVE全開(4)

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「怖い? 京吾が?」
 たった七年ほどでGUを業界のトップに伸しあげて、地下でも一目置かれて、デキる忠臣を従える強者なのに、それは意外すぎる言葉だった。
 津田は京吾のことを、さきを見越して計算して動くと云っていたけれど、それは頭が良くないとできないことだ。京吾の場合は、頭がいいということにおさまらない。生い立ちと、ホスト業のせいだろう、京吾は人の心の動きを察知し、それを読み解く。人の心をわかる人は、似た経験がある、もしくは想像できる人であるはず。
 京吾は自分の出生について傷つくほど繊細だし、智奈に関しては特に感受性が強くなる気がする。怒ったり慌てたり、少年ぽくなったり心配したり、そして抱きしめたり。
 そのひとつに怖さが新たに加わって――とそう考えたら意外なことなんかじゃない。
 京吾は、驚きから覚めていく智奈の顔を見つめて、おどけるように首をひねった。
「幻滅するだろう? おれは自分で思っていたように強くはないみたいだ。智奈はおれの弱点だって、之史さんにも七海さんにも云われた。そのとおりだな」
「幻滅なんかしない。勝ちに行く京吾に憧れてるし尊敬してるけど、弱音を吐かれるとうれしくなる。京吾には悪いけど」
 京吾の苦笑いは決して納得しているものではない。そんなことまで智奈に晒してくれるのをつくづく
貴いと感じているのに。
「おれの欠点を笑うって、ほんとに悪い」
 京吾は気に喰わなそうだ。
「ううん、笑うのとうれしいのは違うよ? わたしはなんでも話してくれてうれしいって云ってるだけ。だから、わたしが京吾の弱点になるっていうのは、なんだか、すごく嫌」
「おれも本意じゃない。人生において、永久課題を与えられた感じだ」
「永久課題?」
「そう、次から次に課題が出てきて、それが尽きることはないのかもしれない。けど、おれは智奈が云ったとおりチャレンジャーだ。それだけじゃない、勝ちに行く」
 智奈は吹きだした。
「京吾はやっぱり全然、弱くないよ」
 京吾はわざとらしく不敵に笑って見せた。すぐあと、そうありたいところだ、と云ったときは自嘲しているようにも見えた。
「結果論で云えば、じいさんが出した条件は、智奈に会ったことで近道になった。厳密に云えば、じいさんが結婚して子供を持つという条件を出して、その相手を智奈だと限定したのは母さんだ。おれたちのことを運命にしたがってただろう? 限定かどうかは関係なく、智奈が“智奈”でなかったら、後継者と認められるまでにおれはずっと遠回りしていた」
「京吾にはわたしがどう見えてるの? わたしがわたしでなかったらって云うほど、『わたし』ってわたしの中にない気がするけど」
 ややこしい云い方になったからか、それとも智奈の自覚のなさをおもしろがっているのか、京吾は吹くように笑った。
「じいさんの命令は、とりあえず智奈のお父さんが約束どおり沈黙していたか確かめることだった。条件は後付けだ。おれが条件をクリアするために智奈に近づいたと思ってるなら、それは大間違いだ。さっき云ったとおり、おれにとっては論外で撥ねのけるつもりだった。例えば、智奈が智奈でなかったら。おれはロマンチックナイトに乗りこんで、智奈を助けるようなことはしなかった」
 智奈は目を丸くしたあと、疑り深く京吾を見上げた。
「……もしかして、ほっとく……?」
「自業自得だろう」
 容赦ない言葉が返ってきた。そのとおりだというのは認めるけれど。
「京吾って、悪人とは云いきれないけど、ほんとに善人じゃないんだね」
「偽善者でもない。マンションで強引に同棲したのは――よからぬ連中に脅かされることがないように守りたい、その気持ちは嘘じゃなかったけど、どんなことよりいちばんに、智奈をおれのものにしたかった。それくらい、少なくともおれにとっては、智奈が智奈としてある。おれはあの日……リソースAで智奈に呼びとめられた日のことだ。お父さんのことを打ち明けてくれて、後ろめたい気にさせられたと云っただろう? おれはそのときにひと目惚れしたんだと思う」
 以前、ひと目惚れの話をしたことがあって、経験があるかどうか京吾は曖昧に濁していた。だからこそ、智奈は驚いて――
「わたし、あのとき名刺をもらったとき……すごく感動したの。きっと……わたしもひと目惚れだった。叶うことはないって思ってたけど……京吾に会えたことも、いまこうなっていることも、お父さんのおかげ……?」
 ふと、まだ一年にも満たない、ひと言で云えば転機、もっと云えば愕然として恐怖し、すべて失った虚しさ――そんないろんな出来事が智奈の脳裏をよぎった。
 すると、京吾が出し抜けに椅子から立ちあがり、ベッドの隅に腰を引っかけると、空いたほうの左手甲で智奈の頬を撫でた。その間に視界に映る京吾の顔が滲んでいく。京吾はまるで智奈が泣くのを予測していたみたいだ。
 大丈夫、とかすかにうなずくと、京吾は力づけるようにうなずき返した。
「智奈、お父さんが離婚しなかったことを自分のせいだと思ってるかもしれないけど……もちろん、それも一因だったろうし、おれのじいさんとの約束も一因だっただろう。ただ、もうひとつ――お父さんは律儀だ。その性格上、お母さんを見捨てられなかったのかもしれない。一度、家族になったんだ。どんな形であれ情はあるだろう? 愛するとはバカになるってことかもな」
 京吾の云うとおり、家族がまるきり他人になるのは――七海の場合のように言葉や力の暴力沙汰は例外だけれど――思いきりが難しい。智奈でさえ、母にうんざりして絶縁したいと思っていても実際にはできていない。
「……京吾もバカ?」
「ああ。盛大に」
 京吾はにやりとして、あっさり認めたものの、すぐまた真顔に戻った。
「智奈のお母さんのこと、あとはおれに任せてくれる?」
「UGに閉じこめる?」
 京吾は、そうはしない、と首を横に振った。
「お母さんから慰謝料の請求をされた。お父さんに“愛人”がいたってことを突きとめたらしいな。要求を呑むことと引き換えに、智奈がいた処置室に案内してもらったんだ」
「ごめんなさい。そんな要求、呑まなくても……」
「いや、智奈が生きているかぎり、面倒を見ると約束した。そうすることで、お母さんが一因になるような、今回のようなおかしな事態は防げる。それに、おれが約束したのは『面倒を見る』ことであって、“慰謝料を払う”ことじゃない。UGには閉じこめないまでも、お母さんにはきっちり働いてもらう。その対価として破格の労働料を払う。それだけだ」
 京吾にかかっては母の目論見も思いどおりにはいかない。智奈は笑ってうなずいた。
「いい考えだと思う。お母さん、結婚するまで苦労したかもしれないけど、その倍、もう好きなようにラクしてると思うから。京吾、ありがとう」
「お母さんを管理することは、おれのためでもあるんだ。ただ、UG送りのまえに、ぎりぎりのところまで、智奈の意思は尊重したいと思っている。だからこそ今日、手遅れになりそうだった。けど、やっぱりおれは強行突破して、智奈に嫌われたくない」
「そんなこと……」
「いや、おれは、おれがそうであるように、智奈から一点の曇りもなく愛されたい」
「ちゃんと愛してる!」
 必死すぎるくらいの勢いで智奈が訴えると――
「やっぱり同化したい」
 と、京吾は口走るように独占欲を吐いた。
「同化するよりも抱き合うほうがいい。でも……最後のときは同化したいかも」
 いつそれは訪れるのか、死がふたりをわかつことはある。考えたくはないけれど、父のことがあって、死が身近にあることを智奈は知っているし、怖い。
 さきに逝くから傍にいて、と智奈は京吾に云ったことがある。置いていかれることなんて想像もしたくない。
 京吾はそのときと同じく、ふっと、可笑しそうでもない笑みを浮かべた。
「そうだな。同化して朽ち果てる。神に逆らって、死をもって真に引き裂けなくなる。それは悪人にふさわしい」
「悪人の“別格の”愛人にもね」
 智奈は、以前のように『できる?』とは問わなかった。そうなることは奇蹟で、けれど、いろんなことを経て、こうなっているふたりが同じ気持ちでいること自体、奇蹟だ。
 智奈は冗談めかしつつも本心から京吾と運命を共にしたいと云ったつもりだけれど、それはうまく伝わらなかったのか、京吾は少し顔を陰らせた。
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