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第3章 男性不信
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月明かりはあるものの、岩の合間を歩くには足もとに注意を払わなければならない。手を引いて先を行く道仁は、ついてくる琴子に終始気を配っているようで、少しでもよろけようものなら素早く支えて安定させてくれる。
まもなく岩が見えなくなり――
「着いた」
と、砂一面になったところで道仁が云い、顔を上げると、ほっとひと息をつきかけていた琴子は息を呑み、目を瞠った。
「……すごい」
「ああ」
思わず足を止めた琴子に合わせて、道仁は立ち止まった。
目の前には、ホテルのレストランから見た景色とは段違いに幻想的な群青の光景が広がっていた。波打ち際ではきらきらと青が揺らめいていて、別世界に迷いこんだ気分になる。
「空もすごい」
道仁の声に誘われて空を見上げると、天上もまた星が数えきれないほど光を放っている。
「ほんと。……こんな夜空、中学のときにやっと連れていってもらったキャンプ以来。でも、そのときよりもずっと星の数が多い感じ」
「あれが天の川だ」
道仁が天の川に沿って空を指差した。
「天の川? はじめて――あっ」
琴子の声が辺りに大きく響き、傍らで、はっ、と道仁が少年ぽく笑った。
「すごいな。見えるとは聞いてたけど、こんなに簡単に流れ星が見られるとは思わなかった」
「願い事、考えてなかった」
道仁は、空を無心に見上げている琴子を見て小さく笑みをこぼす。その声に気づいて、琴子は見上げる対象を空から道仁へと転じた。
「子供っぽいって笑ってるの?」
目が暗さに慣れてきて、道仁の表情もある程度は読みとれるようになった。琴子の問いを受けて可笑しそうに口を歪めた。
「琴子を笑ってるんじゃない。素直な琴子が見られて楽しんでる」
「そんなにひねくれてない」
「確かに、琴子がひねくれているのはおれに対してだけだ」
その理由は自分でもわかりかけている。いや、いままでもわかっていながら、琴子は直視しないようにしてきただけかもしれない。それは、道仁と一緒にいて不快にならない理由でもある。
けれど、道仁の言葉にはなんと応えればいいのかわからない。追及されたところで応えられるはずもなく、琴子の中にどうしようという戸惑いが生まれる。
道仁がいままた見せた笑みは、琴子を笑うものではなく、なだめるような雰囲気に感じられた。
「さっき、『やっと』って云ったけど、キャンプが好きなのか?」
「え?」
出し抜けに話題が変わって琴子はきょとんとして問い返した。
道仁はまた手を引いて歩きだす。そうしながらちらっと琴子を振り向いた。
「中学のときにやっとキャンプに連れていってもらったんだろう?」
「あ……その『やっと』はキャンプのことじゃなくて、泊まりがけで出かけたこと。お父さんがいなくなって、旅行なんていう贅沢はできなかったから。梓沙のところも同じで、ふたりでねだって一緒に親子で出かけたの。最初で最後の思い出」
「最初かもしれないけど、最後じゃないだろう」
「お母さんは再婚したから、やっぱり最後」
海に近づいていくなか、今度は道仁がぴたりと足を止めた。琴子はぶつかる寸前で立ち止まった。
「お母さんの再婚は気が進まなかった?」
道仁の首がかしぐ。月明かりの影になってその表情はよく見えず、琴子もまた首をかしげた。
「わたしには関係ない。反対するよりもほっとしてるかも」
「ほっとしてる、って?」
「お母さんがいつまでも独り身だったら、面倒みなくちゃいけないし、解放されないから」
迷惑だという意を込めた、その言葉の真意を探るべく、道仁はしばらく黙りこんだ。
「なるほど」
やがて道仁はおなじみの言葉を吐いた。
「なるほど、って?」
「琴子は面倒くさそうに云ったけど、本心はお母さんのことが心配でたまらない。独りにするということは、お母さんを裏切ることになる。そう思っていたんだ、琴子は。違う?」
恋愛で一度、裏切りに遭ってからは自立したい気持ちが強くなって、反面、母に対して、父の身勝手さにただ従ったことに情けないという苛立ちを感じるようになった。そのもどかしいようなわだかまりは自分でもよく説明できなかったのに、道仁は簡単な言葉でその答えを導きだした。
本人からも周囲からも話を聞くかぎり、不幸とは縁遠い家庭で育った道仁が、なぜそんな答えを想像できるのだろう。心もとなくなって――
「わたしのことを美化しすぎ」
琴子はそう云ってごまかした。
月明かりはあるものの、岩の合間を歩くには足もとに注意を払わなければならない。手を引いて先を行く道仁は、ついてくる琴子に終始気を配っているようで、少しでもよろけようものなら素早く支えて安定させてくれる。
まもなく岩が見えなくなり――
「着いた」
と、砂一面になったところで道仁が云い、顔を上げると、ほっとひと息をつきかけていた琴子は息を呑み、目を瞠った。
「……すごい」
「ああ」
思わず足を止めた琴子に合わせて、道仁は立ち止まった。
目の前には、ホテルのレストランから見た景色とは段違いに幻想的な群青の光景が広がっていた。波打ち際ではきらきらと青が揺らめいていて、別世界に迷いこんだ気分になる。
「空もすごい」
道仁の声に誘われて空を見上げると、天上もまた星が数えきれないほど光を放っている。
「ほんと。……こんな夜空、中学のときにやっと連れていってもらったキャンプ以来。でも、そのときよりもずっと星の数が多い感じ」
「あれが天の川だ」
道仁が天の川に沿って空を指差した。
「天の川? はじめて――あっ」
琴子の声が辺りに大きく響き、傍らで、はっ、と道仁が少年ぽく笑った。
「すごいな。見えるとは聞いてたけど、こんなに簡単に流れ星が見られるとは思わなかった」
「願い事、考えてなかった」
道仁は、空を無心に見上げている琴子を見て小さく笑みをこぼす。その声に気づいて、琴子は見上げる対象を空から道仁へと転じた。
「子供っぽいって笑ってるの?」
目が暗さに慣れてきて、道仁の表情もある程度は読みとれるようになった。琴子の問いを受けて可笑しそうに口を歪めた。
「琴子を笑ってるんじゃない。素直な琴子が見られて楽しんでる」
「そんなにひねくれてない」
「確かに、琴子がひねくれているのはおれに対してだけだ」
その理由は自分でもわかりかけている。いや、いままでもわかっていながら、琴子は直視しないようにしてきただけかもしれない。それは、道仁と一緒にいて不快にならない理由でもある。
けれど、道仁の言葉にはなんと応えればいいのかわからない。追及されたところで応えられるはずもなく、琴子の中にどうしようという戸惑いが生まれる。
道仁がいままた見せた笑みは、琴子を笑うものではなく、なだめるような雰囲気に感じられた。
「さっき、『やっと』って云ったけど、キャンプが好きなのか?」
「え?」
出し抜けに話題が変わって琴子はきょとんとして問い返した。
道仁はまた手を引いて歩きだす。そうしながらちらっと琴子を振り向いた。
「中学のときにやっとキャンプに連れていってもらったんだろう?」
「あ……その『やっと』はキャンプのことじゃなくて、泊まりがけで出かけたこと。お父さんがいなくなって、旅行なんていう贅沢はできなかったから。梓沙のところも同じで、ふたりでねだって一緒に親子で出かけたの。最初で最後の思い出」
「最初かもしれないけど、最後じゃないだろう」
「お母さんは再婚したから、やっぱり最後」
海に近づいていくなか、今度は道仁がぴたりと足を止めた。琴子はぶつかる寸前で立ち止まった。
「お母さんの再婚は気が進まなかった?」
道仁の首がかしぐ。月明かりの影になってその表情はよく見えず、琴子もまた首をかしげた。
「わたしには関係ない。反対するよりもほっとしてるかも」
「ほっとしてる、って?」
「お母さんがいつまでも独り身だったら、面倒みなくちゃいけないし、解放されないから」
迷惑だという意を込めた、その言葉の真意を探るべく、道仁はしばらく黙りこんだ。
「なるほど」
やがて道仁はおなじみの言葉を吐いた。
「なるほど、って?」
「琴子は面倒くさそうに云ったけど、本心はお母さんのことが心配でたまらない。独りにするということは、お母さんを裏切ることになる。そう思っていたんだ、琴子は。違う?」
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本人からも周囲からも話を聞くかぎり、不幸とは縁遠い家庭で育った道仁が、なぜそんな答えを想像できるのだろう。心もとなくなって――
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