10 / 12
第10話 光と闇の精霊
しおりを挟む
インドラとイザークは、月と星明かりだけを頼りに走る。
ゴロゴロした小石が多く、歩きにくい道を走り、天空の明かりさえも遮るほどの鬱蒼とした森の中も、迷わず突き進んだ。
眠れる魔女レディ・ヴェヌシェのあとを、ふたりは追っている。
今夜のうちに魔女の住処にたどり着かないと、全てが手遅れになってしまう。そうならないためにも、夜道を怖がってはいられない。
幼い時から森や山を歩き回っていたインドラは、こんな暗い夜道でも、しっかりとした足取りで走ることができた。
イザークがアンジェリーンの匂いを辿り、インドラを魔女の元へと導いてくれている。
「今度は、必ず助けますからね、アンジェリーン」
自らを奮い立たせるように呟くと、前を走るイザークが、突然足を止めたので首をかしげた。
「どうしたの? イザーク」
耳をピンッと立て、低い唸り声を前方に向けて放っている。イザークの全身から険しい気配を感じ、インドラは息を飲んだ。すると、突然強い風が前方から吹き付けた。驚いたインドラは、目を閉じ咄嗟に腕で顔を覆う。風に逆巻かれたガウンに引っ張られ、その拍子に後ろに倒れそうになって踏ん張った。
風が落ち着いて恐る恐る目を開けると、あたりの様子にインドラはギョッとした。
濃紺の夜空を淡く彩っていた月や星も見えず、暗闇に浮かんでいた木々のシルエットもなく、真っ暗な闇にすっぽりと包み込まれていた。唯一の救いは、そんな真っ暗な中でもイザークの頼もしい姿が、くっきりと見えていることだった。
「一体どうしたのでしょう……」
不安げに肩をすぼませ、手を胸の前で組み合わせていると、妖艶な笑い声が闇の中に響き渡った。
「聖なる夏至の夜に、古の魔女の元へ向かうお前、なんの真似なんだい?」
姿なき声が、咎めるようにインドラに問いかける。
「わたしの大切な人が連れ去られてしまいました。魔女の下へ赴いて、返してくださるよう、お願いをしに行きます」
途端、ケタケタと妖艶な声が笑う。
「レディ・ヴェヌシェはメイズリーク伯爵と正式に契約をして、報酬にアンジェリーンを受け取っただけじゃないか。それなのに何故、返さなくちゃいけないの?」
「それは……それは判っています。でも、アンジェリーンの心を無視して、勝手にやり取りしていいわけがありません。彼は物ではないのです」
何もわからない子供の頃に、勝手に魔女への生贄になると、実の父親に言われて生きてきたアンジェリーン。どれほど絶望と悲しみに心を痛めただろう。
「文句は父親の伯爵に言えばいいのさ。レディ・ヴェヌシェは約束を守ったんだから、お前が出てきて責め立てるのは筋違いだ」
やがて、インドラの目の前の闇がゆらゆらと揺らぎ、それは次第に大人の女の姿に固まっていった。
真っ暗な中に青白く浮かび上がる白い顔。美しいがどこか不気味で、首から胸元までが同様に白い。思わずといったようにイザークが吠え立てた。
闇をはめこんだような真っ黒な瞳が、じっとインドラを見据える。
「レディ・ヴェヌシェの報酬に、惚れたお前が悪いのさ」
鮮やかなマニキュアに塗られた長い爪が、インドラを責めるように指す。
たしかに、目の前の女の言うとおりなのだ。
20年も前に取り決めたこと、レディ・ヴェヌシェは約束を守り伯爵家を助けた。自分は最近伯爵家に関わりだしただけの新参者。
けれど、自分の運命を弄ばれたアンジェリーンが、唯一希望を見出したのがインドラだ。
ほんの少しでも一緒にいたいと望んだインドラに、アンジェリーンは救いの望みを抱かなかったのだろうか。きっと、無意識に境遇を変えたいと望んでいたのではないのか。だからインドラを伯爵家に招いた。
「お前がどう思おうと、アンジェリーンはレディ・ヴェヌシェの物。悪あがきはみっともないから、およし!」
女はピシャリと言った。でもインドラは怯まなかった。
闇を見つめながら、インドラは思う。
真実を知ったあの日から、毎日考えた。アンジェリーンにもレディ・ヴェヌシェにも、納得のいく形でおさめることはできないかと。
もしアンジェリーンを諦めてもらえたとしても、別の誰かが犠牲になる。他者を犠牲にして、それでこの先アンジェリーンは気持ちよく生きていけるのだろうか?
それは絶対無理だ。
ならば、眠るときのお伴を止めてもらうことは可能だろうか?
それもきっと無理だろう。
どんな風に考えても、どちらかが不幸な結末になってしまうのだ。
今も答えは見つからない。けれど、これだけはハッキリと決まっている。
「みっともなくてもいい、わがままだと言われてもかまいません。わたしは、アンジェリーンを必ず助けます」
イザークも呼応するように力強く吠えた。
女は忌々しげに舌打ちし、インドラとイザークを睨みつけた。その時、突然闇の中に眩いばかりの光が差し込んで、一瞬であたり一面を光で塗り替えてしまった。
「うふふ、イヴォナ、あなたの負けね」
明るく感じのいい笑い声が光の中に漂う。光の中でもくっきりとした闇色の髪とドレスをまとった女――イヴォナは、隣に顔を向けて、わなわなと唇を震わせた。
「私は負けてなどいない!」
「ダメよ、あなたが何を言っても、このお嬢さんの決意は変わらないのだから」
光がキラキラと瞬き、やがてプラチナのように輝く髪と白い肌、髪と同様に輝く白いドレスをまとった女が姿を現した。
「あたくしは光の精霊リリアナ、こちらは闇の精霊イヴォナ。あたくしたちは共にレディ・ヴェヌシェにお仕えする精霊です」
にっこりと輝く笑みを向けられて、インドラは眩しそうに頷いた。
「レディ・ヴェヌシェに肩入れすれば、アンジェリーンは戻らない。アンジェリーンを最優先すれば、誰かが犠牲になる。あなたは究極の二択を迫られているわね」
「はい……」
「でも、あなたの心は、もう答えを出しているわ。あたくしには、どちらが正しいかは判らない。けど、迷いはレディ・ヴェヌシェの怒りを買うことになるの。彼女の元にたどり着くまでに、心をしっかり固めなさい」
「はい!」
インドラが決意を込め返事をすると、リリアナは優しく微笑んだ。
「さあ、進みなさい。この道はレディ・ヴェヌシェの城へと続いているわ」
スッと細い指で、リリアナは後方を指さした。イヴォナも仕方なくといった様子で道を示した。
光の奥へ続いていく道。その先に浮かび上がる大きな城のシルエット。
――あそこにアンジェリーンがいる!
リリアナとイヴォナが指し示す道へ、インドラとイザークは踏み出した。
第10話 光と闇の精霊 つづく
ゴロゴロした小石が多く、歩きにくい道を走り、天空の明かりさえも遮るほどの鬱蒼とした森の中も、迷わず突き進んだ。
眠れる魔女レディ・ヴェヌシェのあとを、ふたりは追っている。
今夜のうちに魔女の住処にたどり着かないと、全てが手遅れになってしまう。そうならないためにも、夜道を怖がってはいられない。
幼い時から森や山を歩き回っていたインドラは、こんな暗い夜道でも、しっかりとした足取りで走ることができた。
イザークがアンジェリーンの匂いを辿り、インドラを魔女の元へと導いてくれている。
「今度は、必ず助けますからね、アンジェリーン」
自らを奮い立たせるように呟くと、前を走るイザークが、突然足を止めたので首をかしげた。
「どうしたの? イザーク」
耳をピンッと立て、低い唸り声を前方に向けて放っている。イザークの全身から険しい気配を感じ、インドラは息を飲んだ。すると、突然強い風が前方から吹き付けた。驚いたインドラは、目を閉じ咄嗟に腕で顔を覆う。風に逆巻かれたガウンに引っ張られ、その拍子に後ろに倒れそうになって踏ん張った。
風が落ち着いて恐る恐る目を開けると、あたりの様子にインドラはギョッとした。
濃紺の夜空を淡く彩っていた月や星も見えず、暗闇に浮かんでいた木々のシルエットもなく、真っ暗な闇にすっぽりと包み込まれていた。唯一の救いは、そんな真っ暗な中でもイザークの頼もしい姿が、くっきりと見えていることだった。
「一体どうしたのでしょう……」
不安げに肩をすぼませ、手を胸の前で組み合わせていると、妖艶な笑い声が闇の中に響き渡った。
「聖なる夏至の夜に、古の魔女の元へ向かうお前、なんの真似なんだい?」
姿なき声が、咎めるようにインドラに問いかける。
「わたしの大切な人が連れ去られてしまいました。魔女の下へ赴いて、返してくださるよう、お願いをしに行きます」
途端、ケタケタと妖艶な声が笑う。
「レディ・ヴェヌシェはメイズリーク伯爵と正式に契約をして、報酬にアンジェリーンを受け取っただけじゃないか。それなのに何故、返さなくちゃいけないの?」
「それは……それは判っています。でも、アンジェリーンの心を無視して、勝手にやり取りしていいわけがありません。彼は物ではないのです」
何もわからない子供の頃に、勝手に魔女への生贄になると、実の父親に言われて生きてきたアンジェリーン。どれほど絶望と悲しみに心を痛めただろう。
「文句は父親の伯爵に言えばいいのさ。レディ・ヴェヌシェは約束を守ったんだから、お前が出てきて責め立てるのは筋違いだ」
やがて、インドラの目の前の闇がゆらゆらと揺らぎ、それは次第に大人の女の姿に固まっていった。
真っ暗な中に青白く浮かび上がる白い顔。美しいがどこか不気味で、首から胸元までが同様に白い。思わずといったようにイザークが吠え立てた。
闇をはめこんだような真っ黒な瞳が、じっとインドラを見据える。
「レディ・ヴェヌシェの報酬に、惚れたお前が悪いのさ」
鮮やかなマニキュアに塗られた長い爪が、インドラを責めるように指す。
たしかに、目の前の女の言うとおりなのだ。
20年も前に取り決めたこと、レディ・ヴェヌシェは約束を守り伯爵家を助けた。自分は最近伯爵家に関わりだしただけの新参者。
けれど、自分の運命を弄ばれたアンジェリーンが、唯一希望を見出したのがインドラだ。
ほんの少しでも一緒にいたいと望んだインドラに、アンジェリーンは救いの望みを抱かなかったのだろうか。きっと、無意識に境遇を変えたいと望んでいたのではないのか。だからインドラを伯爵家に招いた。
「お前がどう思おうと、アンジェリーンはレディ・ヴェヌシェの物。悪あがきはみっともないから、およし!」
女はピシャリと言った。でもインドラは怯まなかった。
闇を見つめながら、インドラは思う。
真実を知ったあの日から、毎日考えた。アンジェリーンにもレディ・ヴェヌシェにも、納得のいく形でおさめることはできないかと。
もしアンジェリーンを諦めてもらえたとしても、別の誰かが犠牲になる。他者を犠牲にして、それでこの先アンジェリーンは気持ちよく生きていけるのだろうか?
それは絶対無理だ。
ならば、眠るときのお伴を止めてもらうことは可能だろうか?
それもきっと無理だろう。
どんな風に考えても、どちらかが不幸な結末になってしまうのだ。
今も答えは見つからない。けれど、これだけはハッキリと決まっている。
「みっともなくてもいい、わがままだと言われてもかまいません。わたしは、アンジェリーンを必ず助けます」
イザークも呼応するように力強く吠えた。
女は忌々しげに舌打ちし、インドラとイザークを睨みつけた。その時、突然闇の中に眩いばかりの光が差し込んで、一瞬であたり一面を光で塗り替えてしまった。
「うふふ、イヴォナ、あなたの負けね」
明るく感じのいい笑い声が光の中に漂う。光の中でもくっきりとした闇色の髪とドレスをまとった女――イヴォナは、隣に顔を向けて、わなわなと唇を震わせた。
「私は負けてなどいない!」
「ダメよ、あなたが何を言っても、このお嬢さんの決意は変わらないのだから」
光がキラキラと瞬き、やがてプラチナのように輝く髪と白い肌、髪と同様に輝く白いドレスをまとった女が姿を現した。
「あたくしは光の精霊リリアナ、こちらは闇の精霊イヴォナ。あたくしたちは共にレディ・ヴェヌシェにお仕えする精霊です」
にっこりと輝く笑みを向けられて、インドラは眩しそうに頷いた。
「レディ・ヴェヌシェに肩入れすれば、アンジェリーンは戻らない。アンジェリーンを最優先すれば、誰かが犠牲になる。あなたは究極の二択を迫られているわね」
「はい……」
「でも、あなたの心は、もう答えを出しているわ。あたくしには、どちらが正しいかは判らない。けど、迷いはレディ・ヴェヌシェの怒りを買うことになるの。彼女の元にたどり着くまでに、心をしっかり固めなさい」
「はい!」
インドラが決意を込め返事をすると、リリアナは優しく微笑んだ。
「さあ、進みなさい。この道はレディ・ヴェヌシェの城へと続いているわ」
スッと細い指で、リリアナは後方を指さした。イヴォナも仕方なくといった様子で道を示した。
光の奥へ続いていく道。その先に浮かび上がる大きな城のシルエット。
――あそこにアンジェリーンがいる!
リリアナとイヴォナが指し示す道へ、インドラとイザークは踏み出した。
第10話 光と闇の精霊 つづく
0
あなたにおすすめの小説
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
ローズお姉さまのドレス
有沢真尋
児童書・童話
*「第3回きずな児童書大賞」エントリー中です*
最近のルイーゼは少しおかしい。
いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。
話し方もお姉さまそっくり。
わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。
表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成
左左左右右左左 ~いらないモノ、売ります~
菱沼あゆ
児童書・童話
菜乃たちの通う中学校にはあるウワサがあった。
『しとしとと雨が降る十三日の金曜日。
旧校舎の地下にヒミツの購買部があらわれる』
大富豪で負けた菜乃は、ひとりで旧校舎の地下に下りるはめになるが――。
「いっすん坊」てなんなんだ
こいちろう
児童書・童話
ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。
自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・
まほうのマカロン
もちっぱち
絵本
ちいさなおんなのこは
貧しい家庭で暮らしていました。
ある日、おんなのこは森に迷い込み、
優しいおばあちゃんに出会います。
おばあちゃんは特別なポットから
美味しいものが出てくる呪文を教え、
おんなのこはわくわくしながら帰宅します。
おうちに戻り、ポットの呪文を唱えると、
驚くべき出来事が待っていました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる