最終死発電車

真霜ナオ

文字の大きさ
23 / 34

23:執念

しおりを挟む

 絶体絶命とは、こんな状況のことを言うのかもしれない。
 乗降扉の向こう側から姿を現したのは、まさに巨漢と呼ぶに相応しい体格の怪異だった。

「……梨本さん、っ」

 狭すぎる入り口に無理矢理押し込まれた身体は、不自然に形を変えながら車内に侵入してくる。
 ゼリーみたいにぶよぶよと波打つ腹やたるんだ顔には、拳ほどの大きさの赤黒い出来物がいくつもあって、その一つが扉に擦れて破裂した。

 ブチュッと音を立てて弾けたその中からは、うみのような黄白色の粘ついた液体が飛び散る。生温かさのあるその飛沫が、僕の頬に付着した。

「うえっ、オエッ……! なんだこれッ!?」

 黒い液体のように、皮膚が溶け出したらどうしようかと焦ったのだが、痛みを感じるようなことはなかった。
 代わりに、とんでもない悪臭が鼻をついて反射的に嘔吐えずく。

 魚が腐ったような、それすら比較にならないような、とてもじゃないが我慢できるレベルの臭いではない。

 肩でそれを拭い取ったのはいいが、やってから僕は後悔する。布地に染みたその臭いは、消えるどころかずっと傍で臭い続けることになるのだ。
 こんな強烈な悪臭、どれだけ洗っても落ちる気がしない。

 ただ、臭いに気を取られている場合ではない。車内に入り込んできた怪異は、全身から無数の黒い糸を引きながら車両の床に張り付いている。
 汚い餅のようなその身体は、重力にも負けず床にくっついていることができるらしい。

 幸いにも動きは鈍いようだが、この状況で真上にでも落下されればひとたまりもないだろう。

「高月さん、網棚のほうに移動できますか?」

「や、やってみる……!」

 このまま腕だけを使って、手すりを移動していくのは厳しい。
 優先席まで扉一つ分だ。そこに辿り着きさえすれば、幡垣さんの待つ貫通扉の方まで行ける。

 吊り革に掴まっていた高月さんは、どうにか網棚の方へと移動することができた。
 網棚や広告、車内案内表示装置の僅かなでっぱりを利用して、高月さんは上へと登っていく。
 
 続いて後を追いかけようとした僕の耳に、ギチッ、ギチッという音が聞こえる。
 それはどうやら足元から響いてくるもので、見下ろした僕の目にもう一人の怪異が映ったように見えた。

「清瀬えぇ!!!!」

「き、喜多川……っ!?」

 さっきまで距離があったはずの喜多川が、僕のすぐ足元にまで迫ってきていたのだ。
 彼は吊り革を使って、腕力だけでここまで登ってきたらしい。

 逃げなければと動き出す前に、僕は左の足首を掴まれてしまう。明らかに僕を引っ張り落としてやろうという強い意思を感じる。

「やめろ、喜多川ッ……!! 今はそんなことしてる場合じゃないって……!!」

「死ねって言ってんだよ!! 落ちろ落ちろ落ちろッ!!」

「バカ!! このままじゃお前も死ぬんだぞ!?」

「知ったことかよ!!」

 狂ってしまった喜多川は、自分の命など惜しくはないらしい。僕の脚にしがみついて、体重をかけたまま登ろうとしてくる。

 喜多川の全体重を支えることになって、いよいよ自分の腕が限界を訴えているのがわかった。
 両手で手すりを掴んではいるが、掌から溢れる血が手首から腕へと伝い落ちてくる。いつ落下してもおかしくない。

「ふざけんな、っ離せ!!」

 僕は自由な右足を使って、喜多川の顔面を思いきり蹴りつける。攻撃を受けた喜多川の身体はずり落ちていくが、まだ手を離そうとはしない。
 こんなところで共倒れなんて御免だ。僕は高月さんと一緒に電車を降りると決めたんだから。

 何度も何度も蹴ることで、反撃ができない喜多川の顔面は腫れ上がり、ボロボロになっていく。
 やがて分が悪いと判断したのか、喜多川は一つ下の手すりへと飛び移った。チャンスは今しかない。

「清瀬くん、上ッ……!!」

「っ……!!」

 そう思って顔を上げた時、巨大な影が視界に飛び込んでくる。
 それが何なのか考えるよりも先に、僕は反射的に網棚の方へと飛びついていた。

「ぐああぁっ!!!!」

 間一髪、飛びついてきた怪異を避けることに成功する。けれど、左肩から脇腹にかけて、落下していく怪異の巨体が接触していった。
 熱した油を浴びせられたような感覚に叫ぶが、手を離さなかったのは運が良かっただけかもしれない。

「うぐううぅ、っ……!! おごっ、やめ、ぉよぉッ!!!!」

 痛みと悪臭で朦朧とする中、耳に届いた苦悶の声に足元を見る。僕の横を落下していった怪異は、その下にいた喜多川をターゲットにしたらしい。
 あの巨漢に纏わりつかれた喜多川は必死に手すりにしがみついているが、あれではもう助からないだろう。

 怪異が喜多川に集中している間に、僕たちは2両目に向かって移動していく。
 高月さんを引っ張り上げた幡垣さんが、僕に向かって腕を伸ばしてくれる。どうにか優先席のところまで辿り着いた僕は、唯一の命綱となるその手を取った。

「清瀬、上がってこられるか?」

「はい、っ……あと少し、引っ張ってもらえますか」

「待って、私も手伝うから……!」

 歯を食いしばって痛みを堪えながら、二人に両腕を引っ張ってもらって2両目へと乗り込んでいく。
 車内が見えて、どうにか助かったのだと思った瞬間、僕の身体が急激に重さを増した。

「う、わっ……!?」

「きゃっ!! 清瀬くん……!?」

 左脚を締め付けられるような感覚。
 焼けるような痛みを伴わないことから、それが怪異ではないのだと瞬間的に判断する。妙に冷静に状況を分析している自分の頭は、どこか他人事のようだ。

 まさかと思って下を見た僕は、狂った笑みを浮かべながら、ガッチリとしがみついてくる喜多川と目が合った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

皆さんは呪われました

禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか? お勧めの呪いがありますよ。 効果は絶大です。 ぜひ、試してみてください…… その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。 最後に残るのは誰だ……

【電子書籍化】ホラー短編集・ある怖い話の記録~旧 2ch 洒落にならない怖い話風 現代ホラー~

榊シロ
ホラー
【1~4話で完結する、語り口調の短編ホラー集】 ジャパニーズホラー、じわ怖、身近にありそうな怖い話など。 八尺様 や リアルなど、2chの 傑作ホラー の雰囲気を目指しています。現在 150話 越え。 === エブリスタ・小説家になろう・カクヨムに同時掲載中 【総文字数 800,000字 超え 文庫本 約8冊分 のボリュームです】 【怖さレベル】 ★☆☆ 微ホラー・ほんのり程度 ★★☆ ふつうに怖い話 ★★★ 旧2ch 洒落怖くらいの話 ※8/2 Kindleにて電子書籍化しました 『9/27 名称変更→旧:ある雑誌記者の記録』

百の話を語り終えたなら

コテット
ホラー
「百の怪談を語り終えると、なにが起こるか——ご存じですか?」 これは、ある町に住む“記録係”が集め続けた百の怪談をめぐる物語。 誰もが語りたがらない話。語った者が姿を消した話。語られていないはずの話。 日常の隙間に、確かに存在した恐怖が静かに記録されていく。 そして百話目の夜、最後の“語り手”の正体が暴かれるとき—— あなたは、もう後戻りできない。 ■1話完結の百物語形式 ■じわじわ滲む怪異と、ラストで背筋が凍るオチ ■後半から“語られていない怪談”が増えはじめる違和感 最後の一話を読んだとき、

父の周りの人々が怪異に遭い過ぎてる件

帆足 じれ
ホラー
私に霊感はない。父にもない(と言いつつ、不思議な体験がないわけではない)。 だが、父の周りには怪異に遭遇した人々がそこそこいる。 父や当人、関係者達から聞いた、怪談・奇談を集めてみた。 父本人や作者の体験談もあり! ※思い出した順にゆっくり書いていきます。 ※場所や個人が特定されないよう、名前はすべてアルファベット表記にし、事実から逸脱しない程度に登場人物の言動を一部再構成しております。 ※小説家になろう様、Nolaノベル様にも同じものを投稿しています。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

私の居場所を見つけてください。

葉方萌生
ホラー
“「25」×モキュメンタリーホラー” 25周年アニバーサリーカップ参加作品です。 小学校教師をとしてはたらく25歳の藤島みよ子は、恋人に振られ、学年主任の先生からいびりのターゲットにされていることで心身ともに疲弊する日々を送っている。みよ子は心霊系YouTuber”ヤミコ”として動画配信をすることが唯一の趣味だった。 ある日、ヤミコの元へとある廃病院についてのお便りが寄せられる。 廃病院の名前は「清葉病院」。産婦人科として母の実家のある岩手県某市霜月町で開業していたが、25年前に閉鎖された。 みよ子は自分の生まれ故郷でもある霜月町にあった清葉病院に惹かれ、廃墟探索を試みる。 が、そこで怪異にさらされるとともに、自分の出生に関する秘密に気づいてしまい……。 25年前に閉業した病院、25年前の母親の日記、25歳のみよ子。 自分は何者なのか、自分は本当に存在する人間なのか、生きてきて当たり前だったはずの事実がじわりと歪んでいく。 アイデンティティを探る25日間の物語。

(ほぼ)1分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話! 【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】 1分で読めないのもあるけどね 主人公はそれぞれ別という設定です フィクションの話やノンフィクションの話も…。 サクサク読めて楽しい!(矛盾してる) ⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません ⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください

処理中です...