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第一章<異世界生活編>

07:国王、やってくる

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 開店準備を終えた俺は、店を開けて客を迎え入れようとしていた。
 けれど、普段なら店先で開店を待ちわびている子供たちの姿が見当たらない。それどころか、他の客の姿もなかった。
 このところ、客が訪れない日など久しくなかったので油断していた。しかし、何度か通った客に飽きられたとしてもおかしなことではない。

(だとしても、いきなり誰も来なくなるなんてことあるか……?)

 俺と同じように、コシュカも疑問を感じていたようだ。猫たちの皿の片付けを終えると、俺のところへとやってきた。

「お客さんが誰もいないなんて、珍しいですね」

「ああ……もしかして、今日はみんな忙しいのかもな」

 などと言ってはみたものの、客がゼロなんてオープン初日を思い起こさせる。
 しばらく待てば誰か来るだろうかと思っていた時、屋外から低い鳴き声が聞こえてきた。それがバンのものであることは考えるまでもないが、大人しいバンにしては珍しい。

「バン、どうかしたのか?」

 不思議に思って外に出てみると、バンは町の方へと首を向けている。何かをじっと凝視しているようにも見えた。
 それが何なのかわからなかったのだが、少しずつ何かの足音が近づいてきている。それは明らかに動物の、馬が駆ける音のようにも聞こえた。
 足音が近づくにつれて、地を揺らすような振動も響き始める。やがて、町に続く道の向こうから姿を現したのは、馬に跨る兵士の集団のようだった。
 森へと続く一本道を通って目指す場所など、このカフェ以外にはない。
 瞬く間に目の前まで迫ってきた一団は、俺の姿を見つけると手綱を引いて馬を止まらせた。音に驚いた猫たちの何匹かが、横目に森の方へと逃げていくのが見える。

「な、何なんだ……」

 鎧を身に纏い槍を手にする者もいれば、腰には剣を携えている者もいる。その一団の後方には馬車があり、兵士たちは明らかにその中にいる人物を警護しているように思えた。
 馬から下りた兵士の中の一人が、俺の傍へと歩み寄ってくる。見るからに強そうな出で立ちだ。
 その兵士が兜を脱ぐと、束ねられた銀色の長い髪が風になびく。威圧感が凄いので気圧されてしまいそうになったが、顔立ちはかなり整っているのではないだろうか。

「黒き魔獣を従えた勇者……貴様が魔獣を飼い慣らしているという男か?」

「え、あの……」

「二度は聞かん。今すぐ答えろ」

 突然の出来事に答えられずにいる俺に、男は抜いた長剣の切っ先を向けてくる。
攻撃的な言動に身体が硬直してしまうが、答えなければ斬られるかもしれない。

「ヨウさん……!」

 そんな時、店の中からコシュカが姿を現す。わけがわからないが、こんな危険な場所に彼女を出させるわけにはいかない。

「仲間がいたか」

 男の視線がコシュカに向いたことで、武器の矛先までもが彼女に向いてしまうのではないかと焦る。丸腰の相手に突然剣を抜いてくるなんて、危険な集団なのかもしれない。

「ちょっと待って……!」

 そう思って声を上げかけたのだが、彼の行動を止めたのは俺でもコシュカでもなかった。

「よさないか、ルジェ。私は戦を仕掛けに来たわけではないぞ」

 低く威圧感のある声が聞こえたのは、間違いなく馬車の中からだ。その声を聞いた男は手を止め、俺に視線を戻した後に不本意そうに剣を鞘に納めた。
 そして、馬車の近くに立つ兵士が扉を開くと、中から声の主が下りてくる。ルジェと呼ばれた男が膝をつくと同時に、周囲にいた兵士たちも一斉に膝をついて頭を下げた。

「お言葉ですが陛下、魔獣の出方次第では戦にもなり得る状況かと」

 男の言葉に、俺は目を丸くしてしまう。戦という言葉に反応したのではなく、その前だ。

(陛下……? この人、今そう言ったよな……?)

 この世界で暮らし始めて日が浅い俺でも、その単語の意味するところはわかる。
 馬車から下りてきたのは、身なりの良さがわかる衣服や宝飾品を身に着けた、恰幅のいい男性だ。黒々とした髪に、口元にはふさふさの髭を蓄えている。
 頭に王冠こそ被っていないが、この人物はまさか。

「国王……陛下……?」

 俺の言葉にいち早く反応を示したのは、ルジェという男だった。
射抜くような鋭い視線を向けてくる彼は、声音にも剥き出しの敵意を隠そうともしない。

「陛下のご尊顔を知らぬとは、不敬な愚民め」

 不敬だと言われても、まだこの世界について知らないことの方が多いのだ。仕方がないだろう。
 そう思いはしたのだが、彼らにとってみれば俺の都合こそ知ったことではないだろう。

「このお方こそ、我がルカディエン王国の当代国王、バダード・ルカディエン様であらせられる」

 自身の髭を撫でつける男性は、やはりこの国で一番偉い人物であることは間違いないようだ。国のトップが、直々にやってきたということか。
 国王が戯れに猫カフェに遊びに来たというわけではないだろう。それは、国王を取り囲む兵士たちの様子から見ても明らかだ。

(もしかして、店をやるのに営業許可とか必要だったのか……?)

 店をやるという話をした時も、町長や住人たちはそんなことは言っていなかったはずだ。だとすれば、恐らく目的はひとつしかない。

「魔獣を集めて商いを始めた者がいると聞いたのだ。戯言かと思ったが、どうやら本当だったようだな」

「魔獣を扱おうなど、善良な国民の考えることではない。悪事を企てているのだろう。今すぐに白状しろ」

 魔獣は長年恐れられる対象だった生き物だ。今でこそ町の人々には受け入れてもらうことができたが、確かに普通の人間ならばあり得ない発想だろう。
 彼らは、俺が魔獣を使って国に害をなそうとしていると考え、処罰に来たのだ。

「あ、悪事なんて企ててません……! それに猫……魔獣たちは、あなた方が想像しているような危険な生き物じゃないんです!」

「悪事を働こうというのなら、もう少し使える嘘を並べるべきだな。お前たち、店の中を確認しろ」

 俺はただ事実を訴えただけなのだが、当然ながら聞く耳を持ってはもらえない。
 ルジェの指示に従って、周りにいた兵士たちが一斉に動き出す。このままでは、魔獣というだけで猫たちが殺されてしまうかもしれない。
 そう思うや否や、俺は店の入り口を塞ぐように兵士たちの前に立ち塞がっていた。

「……!? 貴様、何の真似だ? 陛下の前でそのような行動を取るとは、命が惜しくないと見える」

「命は惜しいです。でも、あなた方が店の中に立ち入ることは許可できません」

 俺を取り囲むように、一斉に武器が向けられる。
 正直足が震えてしまいそうになったが、たとえ首を刎ねられようともこの場を離れるわけにはいかなかった。

「あなた方は、猫に……魔獣に対して敵意を持っている。そんな人間が店内に入れば、彼らは怯えるし、身を守るために攻撃的にもなるかもしれない」

 猫たちが彼らに怪我をさせるようなことがあれば、たとえそれが身を守るためだとしても、二度と受け入れてはもらえないだろう。
 だからこそ、俺は彼らがこのまま店に入ることを許可するわけにはいかない。

「もし、実際にあなた方の目で見た魔獣がイメージ通りの生き物であったなら、俺が悪事を企てているとして罰を下してもらって構いません。だけど、そうじゃないことを証明させてもらえませんか」

「本当に、疚しいことは何もありません。私からも、国王陛下にお願い申し上げます。どうか、ご一考の余地をいただけないでしょうか?」

 説得を試みる俺に加勢してくれたのは、それまで扉の向こうで事の成り行きを見守っていたコシュカだった。彼女と共に頭を下げて頼み込む。

「……良いだろう。ならば、私とルジェで店の中を確認させてもらう」

「っ!? 陛下、御身を自ら危険に晒すような真似は……!」

「なに、この者たちからは誠意はあれど悪意は感じられん。それに、もしもの場合でもお前の実力があれば、私一人を守ることなど造作もないだろう?」

「それは……ッ」

 まさか、国王陛下が直々に店の中を確認するとは思わなかった。けれど、さすがに国王の言葉に逆らうことはできないようで、ルジェという男も交渉に応じるほかないようだ。
 他の兵士たちを店の外で待機させると、俺は国王とルジェを店内に招き入れることにした。

 互いの安全のためにも、始めに店のルールを説明する。部屋の多くはガラス張りの造りになっているので、すでに猫たちの姿は二人の視界にも入っているだろう。
 できる限りリスクが少なく、なおかつ猫の魅力を伝えられる。そのために選んだのは、子供向けに用意してある掌猫カップキャットのいる部屋だった。
 ソファーに案内してから、そこに掌猫カップキャットを連れてくる。
 ルジェは国王に近づく猫に警戒を怠っていない様子だったが、敵意を向けないでほしいという条件から、忠実に見守りに徹している。──とはいえ、少しでも不審な動きがあれば即座に対応できるのだろうが。

「ミャア」

 緊張の一瞬だったが、国王と目が合った掌猫カップキャットは、小さい身体から元気な鳴き声を響かせる。その姿を見ていた国王は、しばし押し黙った後に口を開く。

「……これは、触れてみても良いものか?」

「はい、顎の下や頬の辺りを撫でられるのを好みます」

 国王の太い指が、恐る恐る掌猫カップキャットの頬に触れる。すると、掌猫カップキャットは自ら頬を擦りつけて、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
 その様子が、国王の目にはどのように映ったのか。
 次に発せられる言葉を待つ時間は、途方もないほど長く感じられた。

「……そうか、これがそなたの……勇者の力なのか」

「え……?」

 ぽつりと呟かれた言葉に、俺は国王を見る。
 先ほどまで真剣そのものだった表情が、気づけばどこか綻んでいるように見えるのは、恐らく見間違いではない。

「言い伝えでしか耳にしたことがなかったゆえに、私は今日までその存在を疑っていた。しかし、勇者の手によって魔の獣が無害な生き物へと転じたのだ……!」

 興奮気味の国王は、よくわからないが都合の良い方向へ勝手な解釈をしてくれたらしい。
 ルジェも俺と同じくらい呆気にとられた様子だったが、それからしばらく猫と戯れる国王の姿を見ているうちに、渋々ではあるが害は無いのだと納得してくれたようだった。
 そうはいっても、最後まで周囲に気を張り巡らせている様子だったので、完全に気を許してくれたわけではないようだが。

 心配になった他の兵士たちが窓の外から店の中を覗き込むようになって、ようやく国王はカフェから引き上げていくことになる。
 すっかりその存在に魅了された国王は、驚くことに掌猫カップキャットを連れて帰りたいとまで言い出していた。
 けれど、さすがに国王の頼みであっても、いきなり猫を飼うのはハードルが高い。迎え入れる準備だって必要だ。

 そのことを説明し──なぜかルジェも説得に加わってくれた──なんとか諦めてくれた国王は、再び馬車に乗り兵士たちと共に帰っていったのだった。
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