モラトリアム・ダンス

シュンスケ

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第一章

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 アルコールが回ってきたことで場の盛り上がりも最高潮になってきた。
 しかし、安伸は酔い潰れてしまう訳にもいかず、酎ハイをゆっくりと飲んでいた。「ノリが悪いじゃんか」という悟の絡みにも「今日朝早かったから下手に飲んだら酔いが回りそうなんだよね」とかわせるくらいには冷静でいられた。
 女性陣は最初の数杯だけ付き合うように飲んでいたが、今は安祐美を除いて全員ソフトドリンクを飲んでいる。かくいう安祐美もいつもよりかなり控えめに思えた。
 対して安伸の以外の男性陣は競うようにグラスを空けては次の飲み物を頼んでおり、大将に少し申し訳ない気持ちになった。経験上「金を払うから良いだろ」と無謀な注文をする客を目にしたことがあるが、そのような客を快く思ったことは一度としてなかった。
「悪い、ちょっとトイレ」何事もない様子で席を立つ。いよいよサプライズの時間だ。
 妙に緊張しているのがわかる。終わり良ければ全て良しと言うように、このメインの部分でミスをしてしまえば、驚くほどに上手く運んでいる今日という日が台無しになってしまう。いや、逆にこの緊張感はこの「驚くほどに上手く運んでいる今日という日」がもたらしているように思えた。ここまで上手く運んでいるからこそ最後に失敗してしまう、なんて話は誰もが一度は経験として持っているだろう。
「すみません、騒がしい奴らで」トイレに立ったついでに大将に詫びを入れる。
「別に構わなねえよ。こういう祝い事は大勢で楽しむってもんよ」
「確かにそうかもしれないですけど」
「なにガキんちょが大人の心配してやがんだ」ははは、と大きな声で大将は笑った。「本当に他のお客さんに迷惑がかかるようなら、とっくにこっちから声かけてるわけだ。そのくらいの相手の仕方なんて嫌というくらいしてきたからな」
「…そうですね、ありがとうございます」お辞儀をして、トイレの扉を開けた。
 ふと、大学で学んだある単語を思い出していた。
『モラトリアム』
 学生と社会人の間の猶予期間のことを指すこの言葉を聞いたとき、安伸は「都合の良い言葉だな」と心の中で嘲笑った。
 社会の在り方が多様な時代の中で、自らが進むレールを決められない人間が「決められないこと」を正当化させるために、この言葉を蔓延させているように感じたからだ。
 そこに可能性があるならば踏み出せば良い。そこにやりたいことがあるならば体裁など気にせず始めれば良い。
 しかし、それは同時に安伸自身を卑下する考え方であった。彼はまだレールすら見つけられていないのだ。
 高校生の頃は成人すれば大人であると思い込んでいた。大学生はその前段階、準備段階だと思っていたこともあった。階段の踊り場で、その先にある光を眺めるような…。だが、現実はそんなに簡単なものではない。
 もう何か月も経てば社会の荒波に揉まれ、嫌でも「大人」という存在を思い知ることになるのだろう。それでも、そこにいるはずの「安伸」という存在を見つけることができなかった。
 トイレから出ると、大将が隠してケーキを持っていた。
 安伸は他のメンバーから見えないようにこっそりと受け取ると、一度だけ息を整えた。
 店内の電気が一斉に消され、安伸の手元だけがぼおっと薄く照らされる。停電でも起きたのかとざわつく店内に響き渡らせるような声で歌い始めた。
 今まで幾度となく歌ってきたフレーズも、心臓の鼓動と共に振動してしまうのではないかと思えた。客たちはおおっと歓声を上げたが、安伸の耳には届いていていない。
 視線の先にいる今日の主賓は「まじか」と呆気に取られている。
 隣では悟が友一の肩に手を伸ばし、まるで自分も主役に加わったかのように気分を高ぶらせていた。
 巧はこの時を待っていたと言わんばかりにスマホのカメラを安伸のほうへ向けていた。このサプライズに協力を仰いでいたとはいえ、しっかりカメラを構えられるほどにタイミングを窺っていたのかと思うと恐ろしい観察力だと素直に驚いた。
 周囲の客も一緒に祝福するように手拍子をして、店全体を盛り上げていた。大将のノリの良さは同じような客を呼ぶのかもしれない。
―大学生活の中でも有数の思い出になるだろうな。
 何に引き出されるわけもなく、心からそう思った。

(続く)
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