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<1>Under ground〜橋の下〜

<1>Under ground~橋の下②~

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瞳に飲まれそうになったとき、男はあたしから目を反らし、慎を見据えていた。

対して慎は呼吸を荒くし、鋭く睨んで吠える。

「優里を返せ!」

むき出しの敵意に鳥肌が立つ。

橋の下に人の気配がなく、乾いた風が頬を撫でた。

ようやくあたしは男の美しさに惑わされていたと知る。

(警察のしわざ? それともなんかの団体?)

異常な事態を前に手に汗を握る。

いや、本当に異常なのは何かもわからない。

少なくとも目の前の男はあたしたちにとって強い影響を与える者。

頭の中で警報が鳴り、男から離れようと肩を押す。

だが力が勝てるはずもなく、掴まれた手を解けない。

「やだ、離してよ」

「ずっと探していた」

ほんのわずかな街明かりでもわかる憂いた影。

無表情に見えるのにどうして悲痛に見えるのだろう?

複雑に入り混じった情報に、本能が危険を訴えた。

腰に手をまわされ、持ち上げられる。

状況を理解したときには身体は男の右肩に担がれていた。

急な視界の変化にぐるぐる目を回し、手足をばたつかせる。

「ちょちょ、ちょっと! なに、なんなの! 意味わかんないんだけど!」

「あれ、もう見つけたの?」

暴れるあたしに動じない男にやきもきしていると、暗がりの奥から女性が顔を出す。

赤ぶちの眼鏡をかけた強気な顔立ちの女性は、あたしも慎も知る人物だ。

「美弥ねぇ……」

「やっほー、久しぶり。急にごめんね。彼があなたを探してて」

「なんで……あたし、コイツ知らな……」

「余計なことを言うな、美弥」

「はいはーい」

思考回路をショートさせる。

今、何が起きているのか何一つ把握できない。

美弥は身寄せ橋の住人であり、気まぐれに現れては消えるを繰り返す。

この状況に慎は何を思っているだろう?

疑問に顔を向けた時、慎の身体が草むらに倒れた。

美弥がおもいきり慎に腹パンを食らわしている。

その光景にゾッとして悲鳴をあげて、全力で暴れて手を伸ばした。

「やだ、慎! 慎っ!」

不安が、恐怖が、内側に降り積もる。

慎が遠のくたびにノイズが聞こえた。

この危機的状況を打破する術はないのだと知り、伸ばした手をおろす。

声を出せば震えるだろう。

唇を噛むことでかろうじて耐えた。

「あんた、あたしをどうする気?」

「お前を連れ去ろうと考えている」

「なんでっ……あたし、あんたのこと知らない!」

傷心するあたしに男は滑らかに口角をあげた。

全身脈を打つように熱くなるかと思えば、冷えていく感覚もあり身体も思考も追いつかない。

声は喉奥で詰まる。

助けを呼ぶことさえ叶わない。

「しばらく眠ってな」

「なにを……」

「あなたはもう、ここにいなくていい。ここを居場所にしちゃダメよ」

「美弥ねぇ……なん……」

言葉は続かない。

美弥があたしの目元を手で覆う。

途端に視界が歪んで、頭が重くなる。

その言葉のあとを、あたしは覚えていない。

思考がぐちゃぐちゃで、耳も鼻も口も麻痺していた。

美弥がなぜ、男を連れてきたのか。

誰もいなくなった身寄せ橋はどうなるのか。

そんなことを考えても何一つ、答えは出なかった。
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