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<2>Resist girl~抵抗~

<2>Resist girl~抵抗①~

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目を覚ますと、知らない天井が視界に広がった。

ズキズキと痛む頭を右手でおさえ、重たい身体を起こす。

ビジネスホテルの一室のような部屋だというのが初見の感想。

寝台、机、テレビ、小さな冷蔵庫。
扉の脇には風呂とトイレがありそうだ。

広いだけの生活感のない部屋。

少しずつはっきりしていく思考に身をゆだねる。

昨夜の出来事を思い出すと寝台から飛び降りて、出口に向かって走り、ドアノブを掴んだ。

扉は開かない。

内側から鍵がかかっているわけでもないのに、出る方法が見つからない。

扉を叩いて声を出すしか道はなかった。

「誰か! 誰か助けて!」

外側からドアノブを引く音がした。

急に扉が開いたことで身体が前のめりに倒れていく。

「よく眠れたか?」

たくましい腕があたしの身体を受け止める。

鼻をくすぐったのは石鹸の香り。

昨夜出会った漆黒の男があたしの身体を支え、退屈そうな目をして立っていた。

「ずいぶんと疲れていたようだ。美弥が手をかざしただけで眠った」

「あ、あんた……何をしたかわかってんの? ここはどこよ!」

「ここは俺の家。あんたのことは”保護”したよ」

「ほ、保護ぉ?」

だから昨夜は人がいなかったのかもしれない。

男と美弥の行動で身寄せ橋は崩壊したのか。

それとも単に危険を察知し、散らばったのか。

のんきに橋の下に向かったあたしは捕まったというわけだ。

知らない部屋にいる事実が視界を揺らす。

(美弥ねぇ……)

悔しくて涙がこぼれそうだ。

美弥はあたしが外に出て、はじめてまともに交流した女の人。

橋の下の住人らしいが、色んなところを渡り歩く猫のような人だ。

もさっとしたあたしに色んなことを教えてくれた。

身寄せ橋のような界隈では長く居座るベテランだった。

(あーぁ。まぁ、そんなものよね)

現実に天井を見上げて息を吐く。

そもそも他人に期待しただけ損である。

その場限りの場所であり、期待してはいけない。

表面上の付き合いで、傷の舐めあいだ。

いつ何が起きてもおかしくないのだから、恨むのは筋違いであった。

問題はこの男とどう向き合うか。

想像しただけでゾッとした。

無力な自分に爪を立てる。

腕をがりがり引っ掻いて虚勢をはるも、強がりにもならない。

虚無の目がだんだんとぎらつき、妖艶に変わっていく。

男が顎に触れて、上向きにさせられた。

唇を噛みしめて睨むことが精一杯だ。

「……似合わない姿だ」

その言葉にカッと顔を赤らめる。

洗面室に引っ張られ、抵抗する間もなく水をはった洗面台に顔が叩きつけられた。

肌を突き刺す冷たい水。息ができない。

男の力が抜けたとわかった瞬間、水面から顔をあげる。

鼻や口に入った水を出すために咳き込むと、喉が裂かれた。

びしょ濡れになって男に威嚇する。

男の瞳から何も感じない。

無言でタオルを差し出してくる。

下唇を噛んで上目に睨み、タオルを乱暴に受け取る。

濡れた顔を荒々しい手つきで拭いた。

塗り重ねられた化粧が少し落ちて、タオルを黒く染めた。

洗面台に置かれたスキンケア用品を手に取り、ふてくされたまま顔を整えた。

「あんた、サイテー」

「ふん、それはいい誉め言葉だ」

女性にとって化粧は仮面だ。

もう一人の自分を生み出すための手段であり、たくましく生きよるための武器だ。

あたしもその中の一人で、化粧によって強い自分を保とうとした。

敵しかいない世界でも前を見れた。

何も怖くない。

生まれた時からあたしは一人だ。

孤独なんてもう慣れた。怖くない。

そう気を張っていても、仮面を失うと、途端に弱くなった。

(泣くもんか。絶対泣いてやらないんだから)

泣くのは嫌い。

弱さを見せない強い人間でいたい。

強い人間は泣いたりしない。

強い人間はどんなときでも堂々とし、輝いている。

強くあろうと歯を食いしばるあたしを否定された気分だ。

(何なの! コイツ、すっごくムカつく!)

洗面所から出ると部屋でソファーに腰かける。

優雅に珈琲を飲みだす男に怒りが募る。

当てつけにローテーブルを蹴飛ばすも、想像以上に痛くて涙ぐむ。

それを見てようやく男の表情が崩れ、鼻で笑われた。

(うわ。こいつ、性格わる!)

「お前、十七歳だったか? そんなに濃い化粧していたら老けてみえるぞ」

「はっ! おっさん発言かよ! 引き立てる化粧が出来るのは若さの特権ですぅ!」

「本当にかわいくないな。変な方に進んで、それがかわいいとでも?」

「うわー、うっざ」

口を開けば男の若さが見えてくる。口が悪い。

大人っぽく見えていたが、中身は大差ないと鼻で笑い返す。

見た目の美しさは群を抜いており、それが功を奏している。

一度見れば忘れないはずの美貌だが、男を凝視しても何も思い出せない。

男の口ぶりはあたしのことを知っているものだ。

「あんた、あたしの何? いつ会ったの?」

「さぁ……。君の出身くらいは理解しているよ」

見透かされた状態にめまいがする。

あたしにとって一番嫌な部分を知られている。

それだけで吐き気に襲われた。

「あたしのこと知ってるとして、目的はなに? お金なんてないよ」

「お金なんてどうでもいい。俺は君が従順になってくれれば満足だ」

「バカじゃないの? こんなことしてさ、ありえないよ」

ソファーから立つと、男を見下ろし優位に立った。

「お前なんか知るか! あたし、帰る!」

あたしの居場所は橋の下、その場限りの日暮らしだ。

人との繋がりで悩むのは御免だ。

やけくそに男に舌打ちをして部屋から出ようとする。

扉は外開きだったはずと、扉を押すも開かなかった。

背後でクスクスと笑い声がした。

「逃がすものか。バーカ」

漆黒の奥でむき出しになる狂気に震えた。

隠す気もない堂々とした冷酷さは人から遠ざかっていた。

振り返った先に男が歩み寄って、逃げ道を封鎖された。

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