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<2>Resist girl~抵抗~

<2>Resist girl~抵抗③~

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 目の前には食欲をそそるごはんとみそ汁、鰆の西京焼き。上品な和食にお腹が鳴る。

(お坊ちゃまか! 育ちがいいのかなぁ。……うっざ)

昨日の昼以降、一度も食事をとっていない。

(なんだっけ……。腹が減っては戦は出来ぬ、だったかな)

こめかみに指圧をくわえ、息をつく。

賢くなろうとしても無駄だと素直に食欲に応じることにした。

絨毯に座り、和食を前に両手をあわせる。

みそ汁に口をつけると内側からあたたまり、ほっこりと安らいだ。

(おいし~い! こんなの久しぶりだぁ!)

食欲は止まらず、パクパクと口に運んでいく。

そこら辺のホテルの料理よりもずっとおいしく、夢中になって頬張った。

あれほど強張っていたのに、今は気楽に食事を楽しんだ。

「うまいか?」

ピタッと箸をとめ、顔を赤らめて唇を結ぶ。

「ま、満足です……」

甘い声にしびれ、胸が高鳴る。

囚われの状態に緊張感がない。

男に餌付けされ、くつろいでいると我ながら呆れてしまった。

(むかつく! でもおいしい!)

手料理なんて遠い昔のことだと、懐古に目を閉じた。

手作りのあたたかさはいつになっても染みてくる。

腹を立てたいのに怒りきれないやさしさだった。

(ズルい。なんなの、このぬるさ。やってることは最低なのに)

囚われて「いざバトル!」と身構えたが、男が危害を加える様子はない。

それどころかしっかりと面倒を見てもらっている。

清潔な服に、おいしい食事、あたたかいお風呂。

そんな一般的なやわらかさを知らなかったと、まつ毛を伏せて陰った。

「お前、よく食べるな」

「優里。お前じゃなくて、優里という名前があるんだけど」

「突っかかるとこ、そこか」

クスクスと男は笑い出す。

「俺だけ名前を呼ぶのも不公平ではないか? 優里も俺を名で呼べ」


さらっと名前で呼ばれ、敗北感。

負けず嫌いを前面に両手を握り、戦いに出た。

「れ、蓮……!」

ふわっと甘い微笑みにやけどしそうだ。

口に出した途端、全身が火照ってしまう。

この響きは危険だ。

この名前を呼ぶのは初めてではないが、いつ呼んだかを思い出せない。

口に馴染む名前に困惑をぐっとこらえる。

蓮はつまらなそうに頬杖をついた。

「もう少し、抵抗があるかと思った」

(ムッカァァア! なんなのよ!)

殴りたい。

蓮はあたしの成す事すべてを否定したいのだろう。

絶対に見返してやると、反骨精神で気持ちを奮い立たせた。

「ふん! ごちそうさまです!」

「なんだ。キレイに食べたな。意外だ」

「バカにしないでよ!」

「いや、不慣れなんだろう? その割に頑張ったんだなって」

蓮の発言に目を丸くする。

言葉の意味もわからないが、一番驚いたのは表に出た微笑みだ。

「蓮って、そんな風に笑えるんだね」

「笑う……か。それは皮肉なことだな」

自嘲して目を逸らす。

表情も、言葉も、しぐさも、何を示しているかもわからない。

戸惑いが強く、あわてて連から目を反らし食器をとりまとめる。

(あんな風に笑えるなら、いつもそうしてればいいのに)

意地の悪い笑い方がわざとらしい。

穏やかな笑みは心が満たされる。

中毒性が抜群だ。

その笑みをもう一度見たいと思うのは不謹慎だと戒めた。

(敵だから余計にうれしいとか?)

そう思うことにしよう。
これ以上考えれば知恵熱が出そうだ。

あたしは蓮の言葉を放り出す。

微笑みだけを記憶に書き込んだ。


背中に強い衝撃が走ったとき、何が起きたか理解ができなかった。

仰向けで倒れこみ、目を見開く。

(なに。なんなの、これ)

今までで一番冷たい目だ。

触れれば射られてしまいそうなほどに。

そこに人の温度はない。

長い指があたしの輪郭をなぞる。

先ほどのやさしい微笑みの面影はどこにもなかった。

「なぁ、優里。聞きたい事があるんだ」

「な、なによ……」

上ずった声に蓮はせせら笑う。

ねっとりと感触を味わうように、あたしの頬を指が滑った。

「優里は……いままで何人の男に抱かれてきた?」

「なに、その、質問……。いきなり、なに」

「あぁ、答えられないか。無理な質問だったな」

髪の毛を指先ですくわれ、親指の腹で撫でる。

やさしい手つきかと思えば、手で握りしめる。

ゆっくりと開いた手から髪が落ちて、床に広がった。

明るくなりだしていた視界に黒い霞がかかった。

(あぁ、だまされるところだった)

人なんて信じたって意味がない。

誰かを蹴落として、見下すことが大好きな生き物だ。

一瞬でも蓮をやさしい人かもと考えた自分がバカらしい。

蓮に心を許す必要もないし、蓮もまたあたしを受け入れてはダメ。

自由を奪った敵対者だ。

ふたりの関係はあくまでも相容れてはいけない。

現実に心は急激に冷えた。

指先は冷たくなり、感覚がなくなった。

「自分でもわからなくなっちゃうくらい、たくさんの男に抱かれたよ」

心がきしむ。

誰かに抱かれていないと心が渇く。

生きるためには身体しか出せるものがない。

居場所のない若者が唯一武器に出来るのが身体。

動けば動くほど縄が食い込んで、痛みに叫ぶ。

抱かれている間は相手もあたしを求めてくれる。

生きていても良いと許された気分だ。

目に見える価値が、生きている証。

(橋の下しかなかった。ちゃんと自分の力で生きてる。何を恥じるの?)

欲しいならどうぞ。

求めてくれるならどうぞ。

でも対価はいただきますよ。

あたしを求めるなら、見える価値を示せと。

心が痛んでも、自分の選んだ道なのだから後悔はなかった。

「質問には答えたよ。満足?」

驚くくらい冷静な自分がいた。

こんなにも抑揚がなく、冷え切った声を出せることを知る。

ほだされた自分がバカだったと、瞳から光が消えた。

(……やめてよ)

だから蓮の表情の変化にすぐに気づく。

ふいに見せた蓮の表情はあまりに悲痛だった。

そんな表情を見せられて、動じないわけがない。

あたしの心臓は一瞬にして締め付けられた。

「なんで……」

「……忘れてくれ」

髪を一房すくわれ、唇が落ちる。

そっと離して、あたしの上から退く。

(ほんと、なんなの……)

触れた髪の先から全身に熱がまわる。

腕で顔を隠し、唇を結ぶ。

扉が閉まる音を耳にして、あたしは鼻をスンと鳴らした。

(わけわかんない。……自分が一番)

こんなにも気持ちを振り回す。

怒っているのか、それとも……と乱される。

移り変わる感情を抱く自分が一番理解できない。

あたしはあたしの理解者になれなかった。
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