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第三章【青の月の章】16歳
第63話「一か月の約束」
立つことさえ苦痛だったはずの足は不思議と軽い。
無我夢中に手を伸ばし、彼の胸に飛び込んだ。
「時羽姫」
耳元をかすめる熱い吐息に触れたい。
泣きじゃくって彼の胸に頬擦りをし、冷たくなった手で彼の頬を包み込んだ。
(どうしよう。何も言葉が出てこない。話したいのに)
「失礼します、姫」
「……ひゃっ!?」
一瞬反応が遅れて、気づいたときには彼に抱っこされていた。
膝の下に手を回され、とっさに彼の頭にしがみつく。
「ははっ。息が出来なくなります、姫」
「だ、だってぇ! びっくりしたんだから!」
「はい。少し外に出ますね」
「落とさない?」
「落とされたいですか?」
「……いじわる。緋月ってそんなことも言えるのね」
冗談を言うのはめずらしい。
それくらい今日の彼はいつもより微笑みがやわらかくて、軽やかな息づかいだ。
ズルいと感じながら彼に身体を預け、胸に耳をあてて鼓動を聞く。
あれほど荒れていた気持ちが安らいでいく。
彼が地面を蹴ると軽々と屋根に着地し、風を浴びれば心地よい。
目を細めて前を見れば、大きく満たされた青の月。
兎は見えないけれど、今なら彼といっしょに月まで行けるような気がした。
***
水鞠、弾ける。
外は月と星しか灯りがないのに彼の輪郭がはっきり見えるほど視界が鮮明だ。
そっと草むらに降ろされると、すぐに顔をあげる。
「突然すみません。強行突破させていただきました」
「ううん。……うれしかった」
とても美しい殿方が狭い牢獄から助け出してくれる物語を連想させた。
青い月は私の足元を照らしてくれる道しるべだった。
「戦がはじまる。前に少しだけ話したかと思います」
「うん……。鬼との戦でしょ? どうして戦なんて……」
「鬼は戦いを好みます。人とは相容れない存在ですから」
そう言う彼の横顔はどこかさみしげだった。
(鬼と戦うために鬼の血を取り込む……なんて)
そんなのは”自分たちも人とは相容れない存在”と一線を引いているようなものだ。
彼らが隠密の戦闘集団であるのは、鬼の力を扱うから……。
悲しい認識だと私は耐え切れずに彼らの手を掴む。
「私、鬼は許せない。大切なものを奪っていくから」
「……そうですね」
物思いに沈んだ微笑みを浮かべる彼に、私はぐっと手を掴む力を強くした。
「緋月は緋月よ! 私にとって緋月は同じ人なの! 喜んだり悲しんだりする……。怒ったりもするわ!」
背伸びをして彼との距離を縮めようとする。
「自由に羽根を伸ばしてと、私に願うのなら。どうか私から離れないで……」
失うばかりは嫌だから。
彼は答えを出すと言ったから、私も精一杯の答えを出す。
私が選ぶのは”大切な人たちを失わない道”だ。
「もう……嫌なの。こんなに苦しいのはもう……!」
――熱い抱擁に息が止まる。
「一か月だけ、待っていてください」
「一か月……?」
「鬼の陣へ偵察に行きます」
その言葉に私は焦って彼の肩を押す。
「偵察って……そんな危ないこと!」
「俺は鬼の血が濃いんです。だから気配も探られにくい。……これを最後の仕事にします」
背伸びをした私に目線を合わせて彼は目を閉じ、コツンと額をぶつけてきた。
「戻ってきたら一番に姫に会いに行きます。その時、どうか俺の手をとってください」
「今、言ってくれないの?」
彼の言葉に私は意地悪に返すしかない。
それに彼はクスッと笑い、明確にうなずくと頭を引いて背筋をピンと伸ばした。
「約束です。俺はもう自分にウソはつきたくないんです。だから姫も、一か月で覚悟を決めてください」
ズルい。
単純にそう思った。
私の苦しみ悲しみをひっくるめて、彼は私を強制的に引っ張ろうとする。
鬼に対する憎しみも、どうしようもない嘆きも全部受け止めると。
彼のために今、何が出来るだろう。
きっと何もできないと彼は知っている。
今、彼の手をとったところで未練がましく後ろを見続ける。
後悔しないために、彼は私に猶予をくれたと理解した。
(一か月。一か月、ちゃんと考えよう)
「約束する。……待ってる。緋月が帰ってくるの、待ってるよ」
彼の胸に顔を埋め、小指を彼の指に絡めた。
青い満月の光を浴びて、川に白い光の粒が瞬いていた。
時折赤く見える瞳も愛おしいと、私は緋色に焦がれて微笑んだ。
(緋色……か)
彼の名前が本当の名前か、今も知らない。
だが彼にとっての真実は”緋月”だ。
緋色の組紐を手放さない彼も、青い月を背景に微笑む彼も、どちらも好きだと温かい気持ちに口角があがった。
一か月後、心からこの気持ちを伝えられるようにと願って。
卯月の初日、私と彼は約束をした。
青い満月がささやかな約束を見つめていた。
無我夢中に手を伸ばし、彼の胸に飛び込んだ。
「時羽姫」
耳元をかすめる熱い吐息に触れたい。
泣きじゃくって彼の胸に頬擦りをし、冷たくなった手で彼の頬を包み込んだ。
(どうしよう。何も言葉が出てこない。話したいのに)
「失礼します、姫」
「……ひゃっ!?」
一瞬反応が遅れて、気づいたときには彼に抱っこされていた。
膝の下に手を回され、とっさに彼の頭にしがみつく。
「ははっ。息が出来なくなります、姫」
「だ、だってぇ! びっくりしたんだから!」
「はい。少し外に出ますね」
「落とさない?」
「落とされたいですか?」
「……いじわる。緋月ってそんなことも言えるのね」
冗談を言うのはめずらしい。
それくらい今日の彼はいつもより微笑みがやわらかくて、軽やかな息づかいだ。
ズルいと感じながら彼に身体を預け、胸に耳をあてて鼓動を聞く。
あれほど荒れていた気持ちが安らいでいく。
彼が地面を蹴ると軽々と屋根に着地し、風を浴びれば心地よい。
目を細めて前を見れば、大きく満たされた青の月。
兎は見えないけれど、今なら彼といっしょに月まで行けるような気がした。
***
水鞠、弾ける。
外は月と星しか灯りがないのに彼の輪郭がはっきり見えるほど視界が鮮明だ。
そっと草むらに降ろされると、すぐに顔をあげる。
「突然すみません。強行突破させていただきました」
「ううん。……うれしかった」
とても美しい殿方が狭い牢獄から助け出してくれる物語を連想させた。
青い月は私の足元を照らしてくれる道しるべだった。
「戦がはじまる。前に少しだけ話したかと思います」
「うん……。鬼との戦でしょ? どうして戦なんて……」
「鬼は戦いを好みます。人とは相容れない存在ですから」
そう言う彼の横顔はどこかさみしげだった。
(鬼と戦うために鬼の血を取り込む……なんて)
そんなのは”自分たちも人とは相容れない存在”と一線を引いているようなものだ。
彼らが隠密の戦闘集団であるのは、鬼の力を扱うから……。
悲しい認識だと私は耐え切れずに彼らの手を掴む。
「私、鬼は許せない。大切なものを奪っていくから」
「……そうですね」
物思いに沈んだ微笑みを浮かべる彼に、私はぐっと手を掴む力を強くした。
「緋月は緋月よ! 私にとって緋月は同じ人なの! 喜んだり悲しんだりする……。怒ったりもするわ!」
背伸びをして彼との距離を縮めようとする。
「自由に羽根を伸ばしてと、私に願うのなら。どうか私から離れないで……」
失うばかりは嫌だから。
彼は答えを出すと言ったから、私も精一杯の答えを出す。
私が選ぶのは”大切な人たちを失わない道”だ。
「もう……嫌なの。こんなに苦しいのはもう……!」
――熱い抱擁に息が止まる。
「一か月だけ、待っていてください」
「一か月……?」
「鬼の陣へ偵察に行きます」
その言葉に私は焦って彼の肩を押す。
「偵察って……そんな危ないこと!」
「俺は鬼の血が濃いんです。だから気配も探られにくい。……これを最後の仕事にします」
背伸びをした私に目線を合わせて彼は目を閉じ、コツンと額をぶつけてきた。
「戻ってきたら一番に姫に会いに行きます。その時、どうか俺の手をとってください」
「今、言ってくれないの?」
彼の言葉に私は意地悪に返すしかない。
それに彼はクスッと笑い、明確にうなずくと頭を引いて背筋をピンと伸ばした。
「約束です。俺はもう自分にウソはつきたくないんです。だから姫も、一か月で覚悟を決めてください」
ズルい。
単純にそう思った。
私の苦しみ悲しみをひっくるめて、彼は私を強制的に引っ張ろうとする。
鬼に対する憎しみも、どうしようもない嘆きも全部受け止めると。
彼のために今、何が出来るだろう。
きっと何もできないと彼は知っている。
今、彼の手をとったところで未練がましく後ろを見続ける。
後悔しないために、彼は私に猶予をくれたと理解した。
(一か月。一か月、ちゃんと考えよう)
「約束する。……待ってる。緋月が帰ってくるの、待ってるよ」
彼の胸に顔を埋め、小指を彼の指に絡めた。
青い満月の光を浴びて、川に白い光の粒が瞬いていた。
時折赤く見える瞳も愛おしいと、私は緋色に焦がれて微笑んだ。
(緋色……か)
彼の名前が本当の名前か、今も知らない。
だが彼にとっての真実は”緋月”だ。
緋色の組紐を手放さない彼も、青い月を背景に微笑む彼も、どちらも好きだと温かい気持ちに口角があがった。
一か月後、心からこの気持ちを伝えられるようにと願って。
卯月の初日、私と彼は約束をした。
青い満月がささやかな約束を見つめていた。
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