穢れ姫

落汰花

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 今回の騒動の調査をする、と言った天碧だったが、向かったのは外だった。宴会場を出てから長い階段を降りていく間も、天碧は取り出した札に向かって何かを呟いた他に口を開かない。考え事をしているのかと思ったが、似た黙りを行きの馬車でも見た気がする。
 穂白は少しの気まずさを覚えながらも、言わないわけにはいかにかと口を開いた。

「さっきは助けてくれてありがとう」

 先を歩いていた天碧はぴたりと止まった。それに合わせて穂白もなんとなく止まると、天碧が手を差し出してきた。

「式神を誘導しても、怪しむ人はいない」
「は?」
「ありがとうって言うなら、お礼に僕と手を繋いでくれてもいいよね」
「そんなのがお礼になるの?」

 たしかに社交界中ということもありこの階段周辺に人気はまったくない。止まって手を差し出したまま動かない天碧に、穂白は目を眇め肩を竦め、まぁ謝意は本当にあるし……とその手を取った。

「さっきの不浄は」
「君たちを掬うときにうっかり始末してしまった」
「そう」
「ねぇ、穂白」

 呼ばれて、それがどこか少し懐かしく感じた。思えば、今朝からずっと鳰がそばにいたし、会場では当然名前を呼ばれるわけにいかない。天碧は穂白のことをずっと君と呼んでいた。

「あのときどうして、あの禍穢を見て捨てなかったの」
「どうしてって……この件の大事な参考人でしょ」

 あの男はおそらくただ買収されたわけじゃない、この国に迫っている悪意についてなにかしらを知っているかのようだった。この国は既に腐敗している——宮廷か、その周辺か、あるいはその全てに既に暗い種が植えられているということだろうか。

「それだけ?」

 天碧は前を向いたまま、問うてくる。

「……寝覚めが悪いでしょ」

 穂白がそう答えると、天葵は何か眩しいものを見るように瞳を細めた。

「君は」
「変わらないな」

 後ろから降ってきた声に、は、と振り向けば、そこには丹和様がいた。思わず後ずさって段を踏み外すが、天碧が肩を抱き支えてくれた。

「丹和様。本日はご協力ありがとうございました」
「天碧は相変わらずよそよそしいな。一応これでも私はお前の師だというのに」
「一応なんかじゃありませんよ。丹和様がいなければ、今の僕はありませんから」

 穂白はぽかんとした。天碧が言っていた師とは、丹和様のことだったのか。
(ということは、天碧の憧れは丹和様で、一応私の弟弟子みたいなことになるのか……?)

「穂白」

 きっとこの世で弟の次に多く名を呼んでくれたであろう馴染んだ声の、馴染んだ呼び名につい、

「はい」

 と答えてから、は、とした。
 穂白が嫌な汗をかき出すと、後ろの天碧が言った。

「丹和様は知ってるよ。僕が君を喚んだことも、君が穂白であることも」
「え」
「今日のことも、もし僕か穂白に何かあったら力を貸してほしいと頼んでた」

 そうだったのか……いや、そうだったのかで片付けられることはない。
 穂白にはこの師を懐かしく思ったり頼りにもしていたが、合わせる顔がないとも思っていた。彼が再三してくれていた助言を無視した挙げ句、災厄と成り果てたのだ。最後に会ったのは審問の場だったが、穂白の直属の師であることから情が混じるとも限らないと発言は許されてなかった。穂白もだんだんと泥を塗ってしまった師の顔を見ることができなくなっていった。だから、穂白はあの災厄の後の彼の内心を知ることはなかった。
 つい俯いて黙り込んでいると、ふいに穂白の肩を抱いていた力が解け離れる。

「先に札で鳰に連絡して馬車を麓に回してもらったんだ。あまり待たせると鳰が心配するから、先に行くよ」

 呼び止めたかったが、言葉が出ないままその背を見送る。穂白はひとつ呼吸し、勇気を振り絞って振り向いて跪いた。

「丹和様、謝って許されることではないと承知しておりますが——」
「穂白。あのとき、お前のことを守ってやれなくてすまなかった」
「え……?」

 思わず穂白が顔を上げると、月光を背負った師が眉を下げて微笑んでいた。顔に幾つか皺ができた記憶よりも少し老けた顔は、懐かしむように、それでいてどこか切なげに、穂白を見下ろしていた。

「お前が嘘を吐いていない、お前に罪がないと信じながらも、それを弁護しきることができなかった。お前の心身をひどく傷つけたまま、封印を許してしまった。不甲斐ない師をどうか許してほしい」

 穂白の胸がぎゅっと締まる。呼吸が詰まって、眼窩が熱くなるのを感じた。それを堪えながら、穂白は再び頭を下げた。

「謝るのは、私の方で……丹和様は、いつだって親身に助言をしてくださってました。それを聞かず、勝手に堕ちたのは私です」
「たしかに、人一倍まっすぐで正義感も強く頑固で困ったところのある弟子であったのはたしかだがな。しかし、それがお前の良いところでもあった」

 頭を撫でられる、懐かしい感覚がした。それにうっかり眦に滲みかけたものがあった。

「今も変わらずのようだがな。これでは、天碧の心臓はいくつあっても足りなさそうだ」
「丹和様が天碧の師だったのですね」
「彼の一番の師はお前だろう」
「え?」

 顔を上げた穂白が首を傾げると、丹和様は言った。

「彼が私の門を叩いたのは、お前が潜った門だからだ。昔に会ったことがあるんだろう、彼と」
「天碧と私がですか」
「少なくとも天碧の言い分だとそうだったがな」

 たしかに、天碧はこれまでも穂白と会ったことがあるような物言いはしていたし、穂白にやけに詳しかったけれど。前者はずっと昔に少し関わったぐらいのことだろうと、後者は天碧の後悔の真相を掴むための情報収集が故だと思っていた。
 しかし、穂白が一番の師とは。天碧が丹和様に弟子入りしたのは、穂白を追ってのこととは。穂白が困惑していると、丹和様は眦をそっと下げて言った。

「お前が封じられた香炉は禁区に放られた」

 どこぞに追いやられるだろうとは思っていけれど、そんなことになっていたのか。花樹国唯一の枯れ地であるそこは、一般人はもちろん祓穢ですら余程がない限り立ち入ってはならないという場所だ。穂白も空上からしか見たことがないが、端的に言えば人間が地獄と想像するときに真っ先に浮かぶ絵図だった。草木は枯れ腐り、崖の底は黒く暗くどこまで続いているか分からない。ここで万一風操術を解いたら死体を見つけてもらうことは叶わないだろうという確信があった。

「天碧はそれを何年もかけて探し出し、解放術を編んだ。そしていざ、彼がお前を解放する時、私は立ち会った」
「そう、だったのですか」
「封印が解かれ、お前の姿現したときの天碧は……」

 丹和様は遠くに思い馳せるようにそっと目を閉じ、それから灰色の瞳を開いた。

「穂白、お前はこれからどうするつもりだい。彼の式神のふりをして生き続けていくのか。それとも……」
「私は」

 穂白は短く呼吸し答えた。

「……変災のとき、私は誰にも信じてもらえなくて、自分に非がないとも言いきれなくて、白凪も人質に取られて、全てを諦めました。封印から解放されてからも、ずっと、かえりたいと思ってました」

 けれど——十年越しに穂白を信じるという人に出会った。
 その人のことを穂白はまだよく知らない。ずっとにこにこしているかと思ったら妙なところで不機嫌になる。さんざん紡がれる愛の言葉は軽薄なのにやけに神妙に聞こえるときもある。なにを考えているか分からないし、うるさいほどに見目が整っているし、やっぱり底が知れない。だが、彼は出会ってから一度も穂白を貶めることを口にしなかった、目を見てきちんと対話をしくれた。出会ってからずっと穂白と真正面から向き合ってくれていた。

「正直、まだ真相を受け入れる覚悟はありません。けれど、彼が担っている、この国の未来がかかった厄介な祓穢事を手伝うという誓約も結んでしまいましたから」

 だから、穂白も彼と向き合ってみたいと思った。
 天碧と自分の関係も、どうして天碧はそこまでして穂白の封印を解こうとしたのかも、天碧の後悔も。そして、丹和様が見たという、天碧の表情も。気にならなかったとなれば、嘘になる。

「しばらくは天碧の側で、見落としていたものを拾い、行くべき道を探していこうと思います」
「そうか」

 丹和様はそっと瞳を細めた。
 積もる話はあるが、きっと止むことはないし、宮廷前の会談なんかで延々と話し込んでいるわけにもいかない。それに天碧たちも待たせてしまっている。穂白は立ち上がり拱手して、けれど、やはりどうしても聞かねばならないと思い口にした。

「……丹和様、ひとつ、伺ってもいいですか。白凪のことです。あの子は」
「生きてるよ」

 すぐ返ってきた答えに穂白はほっとした。

「丹和さまが見てくださっていたのですか。感謝いたします」
「数年前まではな」
「え」
「今は官吏になった」

 穂白は目を見開いた。白凪が官吏に——無事に生きていることは嬉しいが、どういう経緯があって役人になったのか。胸がかすかななざわめきを覚える。

「今度天碧と屋敷に来なさい。その件も含めて話そう」
「感謝、いたします」

 穂白は拱手し、階段をのぼっていく丹和様を見送った。それから、穂白は麓に向かえば、馬車があり、乗り口で天碧が待っていた。
 天碧は穂白を捉えると相変わらずの微笑みを浮かべ、先に馬車の中に乗り込み、手を差し伸べてきた。穂白はその手と、翡翠の瞳を交互に見てから、自分の手を重ねた。
 ——十年越しに封印が解かれ、この世界に戻ってきたら、不思議な男に出会った。そして、さまざまな思惑や謎が立ちはだかった。既に複雑に絡み合っているそれは、十年前の変災とも関わっているかもしれない、始点も終点もまだ定かではない、非常に厄介そうなものだけれど。
 今の穂白の胸の中には、不安、恐怖、後悔、様々な苦い感情だけでなく、久しく抱いた好奇や探究そして希望が浮かんでいた。
 その光はまだ少しの不安に揺らいでしまう細くあわい色だ。けれど天碧とならば、あらゆる澱みや壁に立ち向かって行けるのではないかと、そしていつかは進むべき道をたしかに照らせるようになるかもしれないという予感がした。
少なくても今は、今の穂白が帰る場所は天碧の屋敷だと、あのやわらかな寝台が恋しいと思えていた。
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