皇海翔

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 サンシャイン60にあるコニカミノルタが作製したプラネタリウムの、満天の星空を見上げながら、ここから何かが始まるような予感がした。それがアンドロメダ星団であるかペルセウス星団であるかはわからない。
 もし私に翼があったなら――翼があったら宮沢賢治が描いた「よだかの星」のように、天高くどこまでも飛翔していきたい。小説を三作書き、なすべきことはなしたと思っている自分は、よだかのように熱線にあぶられ焼け焦げてこの身を終わらせてもよい、と考えるようになった。
 愛犬のショウと私とではどちらが星に近いだろう。寿命の短いぶんショウの方が星に近いようである。そうだいつかショウが死んだら、子供のように星になったと思うようにしよう。鳥類は犬より寿命が短い。翼をもっているのでさらに星に近い。
 私はいま、デコイという彫像の水鳥を彫っている。自室にこの水鳥をおいていると不思議に孤独感が薄まった。一個目はノガモの模様を施したが二個目からはヒドリガモにした。ノガモより彩が美しかったからだ。
 昨日出かけた行きつけのカフェ、根津神社裏門坂上の「つつじ屋」では、冬用に掲げた絵画として窓外に雪が降っている情景を壁にかけていた。二枚あるのでまるで店内に雪が降っているようだった。私はヒドリガモのデコイをこの店にプレゼントした。今店の棚に飾られているが店の雰囲気に妙にマッチしている。
 そうだ星の波紋を友人たちに届けようと考えた。

 日々の生活を星を起点にして展開していきたい。
 しかし東京に住む私は天体望遠鏡を買っても星空を見ることができない。いつか小金がたまったら、望遠鏡をたずさえ大気の澄んだ土地に出かけてみたい。
 星に想いを託していると日常のもろもろのこと――社会に起こった殺人事件、政治家の派閥でなされている裏金疑惑――そういったことがいっぺんに吹き飛んでしまい愉快だった。
 魂は虚空に瀰漫している。星が見たければいくらでも近づくことができる。「ちいさな人」を書いた私には、そのことが実感として認識できた。
 高山は平地より満天の星々に接近している。穂高で働いていた私は流れ星の降りしきる天上の星々を、テント場の赤青黄のきらめきとともに懐かしく思い出す。
 共に働いた小屋のスタッフの宇田川君は天体観測が好きで望遠鏡を夜空に向け、
「これが髪の毛座です」と言った。
 望遠鏡をのぞいてみたがどれがその星座なのかわからなかった。おそらくそれはすべての星座が頭に入っていないと気付かない、そういうたぐいの技術なのだろうと思う。そのころ私は岩登りに熱中していたので星には関心がなかった。

 60年生きてきて,無数の記憶や思い出を宿している自分はまるで星団のようだと思う。
 宗教もまた無数の信仰を集めているので星団のようだった。
 高校時代、私の書いた作文「土の中から」が「学年で一番の出来栄え」という評価を現代国語の教諭より頂いた。
教諭はこの作文を学校の機関誌に掲載すると宣言し、私は頻回にわたり職員室で教諭に作文の添削を受けた。そうして作品をより完成度の高いものにするため何度も訂正した。「よし、これでいいだろう」という段になったので私は作文を先生に預けた。ところがいつになっても作文は機関誌に載らなかった。
 体育教諭に握りつぶされたのである。体育教諭は学校に通う生徒一人一人について、厳しい監視の目を緩めず、その頃は体罰が日常的に横行し、生徒たちは教諭の目を恐れ、教諭もまた私たちを厳しく訓導していた。自由奔放に生きていた私には天敵以外の何物でもない。教諭は現国教諭に、
「あの作文は誰かほかの者に書かせたものに違いないから載せるわけにはいかない」と詰め寄ったらしい。むろん作文は私の書いたものだった。ただ私は不登校を繰り返していたので素行不良とみなされていたらしい。
 以来、現国教諭は校内の廊下で私と行き合っても、背を寒そうに縮めて教簿を胸に抱き、申し訳なさそうな、侘びしそうな顔をして横を素通りしていった。
 それはかすかに灯る孤独なひとつ星のようだった

 早朝のラジオから北イタリアミラノのミサ曲が流れている。この美しい合唱曲は教会の聖堂のステンドガラスのように透明感にあふれ、星々の奏でる楽曲のように私のうちに浸透した。ナレーターがレオナルドダビンチがどうの、と言っている。かつて私は上野でモナリザの絵画展に行き、多くの手描を見学して画集を購入した。ダビンチなどは全くモナ・リザとともに天空高くに佇立しきらめく、威容を放つ巨星だった。

 テレビに出るような芸能人を人々はスターという。自ら光り輝く存在、ほどの意味であろう。私は昨年暮れに亡くなった八代亜紀を思い出す。ハスキーな彼女の歌声はよく私の心を打った。彼女は少年院や刑務所へ慰問に行き、歌声を披露したという。彼ら――社会からあぶれて塀の中に暮らしている受刑者にとっては、八代亜紀は女神のごとき特級星に見えたに違いない。
 星たちは我々地上に生きる人々を見下ろしているが私たちもまた、日中の太陽光の向こう側に星々が侍っていることを知っており、それはあたかも宇宙全体に均衡する反照のようだった。交響曲もまた星空に瞬く星団のようにひとつのまとまった形象を反映している。
 母は優しい星だった。父は厳しい星だった。兄もまた親切にしてくれる星である。ショウは私とともに輝く星である。

   毎朝私は愛犬のショウと東大構内を散歩しているので、東大に星を研究する学科があるのかどうか、webを検索してみた。すると、「東京大学大学院理学系研究科・理学部地球惑星科学専攻・地球惑星物理学科・地球惑星環境学科」というホームページがあった。さっそくそこにある講座webを読んでみることにした。
 そこには文学では味わうことのできない文字列が居並んでいた。考えてみれば私は北アルプスで働いていたが、当たり前だが星は山々のはるか上方に瞬いていたのである。地球惑星科学とは壮大だ。文頭の一端を紹介すると、
「地球を取り巻く宇宙空間、太陽系内外の惑星、宇宙プラズマなどを研究の対象としています。
 隕石をはじめとする宇宙起源の物質の精密分析、探査機での物理量直接観測、惑星の光学遠隔観測、さらには理論分析、コンピュータシミュレーションや室内物理実験まで、様々な角度から研究を行っています。とくに地球磁気圏、惑星探査や太陽大気観測ではJAXAと協力しながら観測データ解析や装置開発などの研究・教育を推し進めています」
 とある。大学に入ることはできないがこのwebを読みつくすことにした。
 読み進めるにつれ、そこに描かれている「プラズマ宇宙物理学」「太陽惑星系科学」「惑星物質科学」「比較惑星学」「宇宙惑星探査」などの文字や概略に全神経を集中していると、ラジオからワーグナーの交響曲が流れてきた。直観で「宇宙的だ」と私は思った。
 それが今読んでいる惑星物質科学の専門用語の影響なのか、あるいはワーグナーにもともとそういった気分を引き起こさせるエネルギーが備わっているのか、私にはわからなかった。

 ショウとの散歩の途中にグラウンド脇の垣根に椿の赤い花がほころんでいるのをみたり、構内に桃の花が開花しているのを見ると、アア「太陽軟X線全面像」のようだと思ったり、「ひので衛星によって観測された2006年12月13日の太陽フレア」のようだと思ったりした。
 グラウンドを過ぎて農学部の門の方へ向かうと上野英三郎博士とハチ公が抱き合っている像が立っている。私はこれを写真にとって、引き伸ばしてもらい部屋に飾った。
 リチャードギアのハチ公の映画を観た外国人はみんな渋谷駅前のハチ公前に集まり、写真を撮ったり像の足をなでたりしているが、人と犬の情愛という点では、東大の博士を迎えているハチの姿のほうがずっと味わい深いと思う。
 犬好きだった博士は当時駒場にあった農学部への通勤や渋谷駅からの通勤の時、いつもハチに送り迎えさせた。学生たちは教授の飼い犬を呼び捨てにすることをはばかり「ハチ公」と呼んで敬意を表した。
 1925年5月21日,博士が大学構内で急死すると、ハチは死ぬまでの10年間、朝夕に渋谷駅に通い、博士の姿を探し求めた。
 「東京大学農学資料館」にはハチを解剖した際に取り出した、アンモニア漬けの肝臓、心臓、肺、脾臓が展示されている。
 農学部教授上野英三郎博士は、整然とした耕地の区画整理の考え方を指導され、日本の原風景とも呼ぶべき美しい水田風景を創出した。
 私は群馬にいたころ、行きつけの飲み屋の女将に頼まれて、休日には彼女が飼っている雑種犬を荒川の河川敷に連れていった。河川敷は敷地面積が広大なのでここへ来るといつでも首輪を外して遊ばせていた。町との境の土手上に立ち、私がそっと首輪を外し一目散に河川敷に向かって走り出すと、ハッピーもまた目まぐるしいスピードで私を追い抜き、グラウンドを駆け巡っていた。
 荒川の水深の浅いところに二人でつかるとハッピーは犬かきをして泳いでいた。ハッピーとは二年も付き合ったろうか。この楽しい思い出をハッピーは生涯忘れないだろうと思った。
 ところが私が退職して東京へ戻り、二三年たって女将の店に訪れた際、ハッピーのところへ行くとハッピーの表情が固まっている。「ハッピー」と声をかけると後ずさりする。鼻先に手を差し出すと指先にカプリとかみついた。女将にそのことを言うと、
「怖かったのね」と呟いた。
 その時はじめて私は、十年間飼い主のことを忘れずに渋谷駅に通い詰めた、ハチ公の情愛、恩愛の深さ、行動力、偉さに全く恐れ入る気持ちになった。


 「星つむぎの村」というのがある。山梨県北杜市大泉町だ。活動内容はプラネタリウム、星空観望会、手作りワークショップ、クリエイトアート活動などがある。一度行ってみようと思った。

 気象予報では「明日は穏やかな晴れ間になると思われます」と言っている。

   フィンセント・ファン・ゴッホに「星月夜」がある。
 ゴッホが精神病院に入院していたころ、描かれたものと言われている。「ローヌ川の星月夜」など百枚近い星月夜がwebに掲載されている。
 昨年退職した私は、朝、通学通勤して今頃は屋内で勉強や仕事をしている人々とは違いこうして日中からカフェでゴッホの星月夜を鑑賞できる。
 魔法使いの老婆がかむるトンガリ帽のような、うねりくねる糸杉が描かれた星月夜がある。湖の湖面に映る街灯りの影、星の一つの光芒がカンバスの縦辺の四分の一ほども占めている巨大な星月夜がある。波濤のようにうねりくねる大気の流れが描かれているもの。背後の山並みの山麓に丹念に描かれた建て込んだ家々。オレンジ色の月。
 私は精妙に描きこまれた「ひまわり」より雑駁なタッチの「星月夜」のほうが好きだった。ゴッホの画家の目には実際に星月夜がこのように映っているのだということがありありと伝わってくる。
 ゴッホは小さい時から癇癪もちで、両親や家政婦からは兄弟の中でもとりわけ扱いにくい子と見られていた。ゴッホはアルルについて、「この地方は大気の透明さと明るい色の効果のため、日本みたいに美しい。水が美しいエメラルドと豊かな青の色の広がりを生み出し、まるで日本版画に見る風景のようだ」と言っている。ゴッホはてんかん、
もしくは統合失調症により天才と呼ばれるきっかけとなった。彼にとって日本はユートピアだった。貧しい生活の中で、彼は歌川広重をはじめとする500点近くもの浮世絵を収集している。ゴッホは「日本人は素早く、電のように実に素早く素描する。それはその神経がいっそう細やかで、その感情がいっそう素朴だということだ」と言っている。ゴッホの「星月夜」は、サン=レミ時代、不安な気持ちを表すかのような渦やうねりに満ちている。

 ゴッホが自分の耳を切り落として恋人に差し出したのは、ゴーギャンとの不仲により彼の話を聞きたくなかったからではないか、そう私は想像した。
 「ローヌ川の星月夜」には北斗七星が描かれている。
 北斗七星は春の宵の北の空高くに上る。遠い昔には世界中のあちこちの民族が北斗七星だけで、北の空をぐるぐるめぐるクマの姿と見ていた。北斗七星の先端α星とβ星の間隔を5倍伸ばすと北極星がある。ギリシア神話では大熊座の大きな熊はもともとは美しいニンフ、つまり森の泉の精の一人カリストの姿であると伝えている。
 山小屋で共に働いた宇田川君が言っていたかみのけ座は北斗七星のすぐわきにあった。
 星は空間を動いているので遠い将来には形が崩れてしまう。十万年後の北斗七星はだいぶひしゃげてしまっていた。
 大熊子熊のしっぽが長いのは大神ゼウスが天界にあげた際、あわててしっぽをつかんで放り投げたためと言われている。
 日本では東北地方の北部から北では、北斗七星は北の地平線低く下がった時でも沈むことなく、休みなくめぐり続ける。これは嫉妬深いと評判のゼウスの妃ヘラが、オリンポスの山を下って海の神オケアノスと女神テチスのところへ出向き、ほかの星はみんな一日に一度空をめぐって海に入り一休みできるのに、この母子熊だけは絶えず空をめぐって一度も休むことのできない運命にさせてしまったからだといわれる。
 大熊座の銀河M81とM82は、距離が1200万光年だそうである。
 夏の宵、北西に浮かぶ大熊座の対局に南の空にいて座の南斗六星がある。私の星座だ。中国の仙人は
「北側にいた仙人が北斗で死をつかさどり、南側にいた仙人が南斗で生をつかさどる神なのじゃ・・・」とつぶやいたそうである。いて座の゛いて゛は゛射手゛の意で弓を射る人のことである。
    荒海や佐渡に横たふ天の川
 という芭蕉の句があるが、英語では天の川のことを゛ミルキィウェイ゛つまり「乳の道」と呼んでいるそうである。北欧のスウェーデンなどでは亡くなった人の魂が馬車で星空に運ばれていく「魂の道」と呼んだ。天の川の光芒を目にとめると改めて宇宙の広大無辺さを直接実感させられる。

 伝説や神話をひとつでも多く知りたいと願っていた私には、いま参照している藤井旭著「全天星座百科」に書かれている多くの星々の生誕、とくにギリシア神話の数々はたちどころに私の内部に浸透していった。
 作家というのは不思議だ。苦労してなんとか三作品を制作し、世に問うと、今度は知りたいと思う情報がひたひたと自然に寄せてくる。あとはそれらからまた材料を拾い、アイデアを絞って新作を作ればいいわけだ。
 「全天星座百科」の表紙裏には次のように記されている。
 「春の宵のおぼろな北斗七星の輝きからたどる春の大曲線
  真夏の南の地平線から立ち昇る天の川の光芒
  秋の夜長のドラマチックな星空絵巻
  そして、凍てつく真冬のオリオンの輝かしい星群たち・・・
  星空を仰いで、あの星この星とたどれば
  古代の人々が夜空のカンバスに描き出した
  ロマンあふれる星座の世界が目の前に広がります。
  夜ごと頭上の星空舞台でくり広げられる
  華やかな星空物語の主人公たちとの出会いを楽しむ・・・
  なんと素敵で心豊かなひと時でしょうか」

  天空高くに瞬いている星々の静謐。安穏なたたずまいのもとで、大地では今年一月一日、能登半島地震が起こり200人以上が死亡した。これはどうも天地がアンバランスではないかと私は感じた。

 FMラジオから谷村新司の「昴」が流れてきた。昨年谷村新司の訃報を耳にした時、私は「まさか」と思い信じられなかった。青春時代、私を強く感化したあの歌声。美的なメロディと歌詞。情熱的、精力的なアリスの歌声を響かせていた谷村新司は死とは無縁な存在に思われた。「早すぎる」と思う。彼には未来永劫歌っていてほしかった。
 プレアデス星団は日本では「すばる」と呼ばれ、ハワイのマウナケア山頂に日本が建設した口径八メートルの大望遠鏡の愛称になったり、車や劇場、雑誌など様々なところで耳にする。これはれっきとした日本語名で、平安時代のエッセイリスト清少納言の「枕草子」の中でも「星はすばる・・・」と、その美しさがたたえられている。
 「すばる」とは日本の古代人のアクセサリーの首飾りの玉が糸でまとめたように結ばれている、という意味で「統ばる」とも書き古事記には「水須麻流珠(みすまるのたま)」として登場している。
 プルアデス星団は私たちからおよそ400光年のところにある若い星の集まりで、直径15光年の範囲に約120個の星が集まっている。


 陰陽師は常に天文の観測をしていた。天変――星図における異変――を発見するのが仕事で989年のハレー彗星は天変の最たるもので、天皇に報告すると天皇は年号を改めた。四月十日の暦注(その日がいい日か悪い日かを示す陰陽師のアドバイス)には月食と記されている。陰陽師の天文の知識は平安京の人々の暮らしを安定したものにした。陰陽道は当時の最新科学だったのである。天皇に天変を伝えるのが陰陽師安倍晴明の役目だった。安倍晴明の屋敷は天皇の御所の近く、平安京の一等地にあった。
 陰陽師は干ばつ、水害、相次ぐ異変の原因を探り、早良親王の怨霊が来ているためだといった。陰陽師は50ほどもある追儺(ついな)という儀式で人々の不安を払った。悪夢祭では悪夢を払った。

   家では高齢の両親と私の三人が暮らしているが、昨年退職した私を含め三人とも他人とは接していなかった。ところがショウを飼うようになると、犬はほかの犬に飛びついていくので多くの飼い主と知り合いになった。中でも親しくしている犬にエドがいる。ショウが小さいころからの遊び相手だ。この犬を連れている婦人とも仲良くなった。この人はエドを上野の不忍池まで連れていくというからショウの倍は歩いていることになり、たいした運動量だと感心している。
 今日この婦人とエドに会い、父は婦人と話していた。父が「今年の二月一日に92歳になりました」と笑って言うと夫人は目を丸くして驚いていた。歳についてもそうだが、婦人もまた二月一日の生まれなのだそうである。
「みずがめ座ですね」と婦人は言った。
 ギリシア神話ではみずがめ座で大きな水瓶を持つ少年は、トロイアのイーダ山で羊を飼っていた美少年ガニメデスと言われている。ガニメデスは永遠の美と若さを表す金色に輝く体をしているといわれる美少年である。
 みずがめ座の原名アクアリウスは「水をもつ男」「水を運ぶ男」を意味する。


 小説を三本書いて人生のほとんどを描き切った私は「やるべきことはした、もう死んでもいいな」と思っている。朝目覚めると、どうして目覚めるのかその意味が解らず、今日一日が始まるのが「めんどくさいな」と思ってしまう。寝てばかりもいられないので仕方なく起きFMラジオをつけて聞いていると「そうだショウを散歩に連れていかなくっちゃ」と思い「ショウが死ぬまでは俺も生きていなくっちゃな」、と思い返した。
 雪がボタン雪の大きさになってきた。サッシ窓に貼ってあるモネの海浜風景の向こう側にふわふわと雪が舞っている。
 町中に雪が積もるとショウは大喜びで、まだ4歳なので雪の感触に興奮し、狂ったように跳ね回っている。
 今、夜はショウと一緒に寝ているが、いつもならテレビをつけてもそっぽを向いているショウが、NHKの「さわやか自然百景」画面で二ホンリスやアトリ、カケスの水浴び、枯れ木の穴倉の寝床に入るアカゲラなどを興味深げにじっと見入っていた。

 伝説、神話はフィクションではない。また学校の講義で聞くような科目でもない。この歳にして初めて触れる分野だった。

 「全星座百科」をスターバックスで読んでいると、カウンターの中でせわしなく立ち働いている娘たちの声が四六時中聞こえてくる。
「ルージュオペラフラペチーノのグランデひとつ
 マンゴーパッションティのショートふたつ
 イングリッシュブレックファストティラテのベンティひとつですね」と言っている。
 私はどのティーも飲んだことはないので味の想像がつかない。わきを通った店員に、
「グランデとベンティってどういう意味ですか?」と尋ねると、
「グランデが470ml、ベンティが590mlです」と教えてくれた。私はカフェミストとはどんなものかを聞いた。
 一日に一度、こうして若い娘と接していると活力が与えられ、生活が潤ったものになる。
 私はおとめ座のページをめくった。
 古星図では乙女に大きな白い羽がついていた。おとめ座は全天で二番目という大きな星座だ。おとめ座で一番目につく白色の一等星スピカは針とか穂先といった意味の名で、女神が手にもつ麦の穂先に輝いている。日本ではかつて福井県のあたりで「真珠星」と呼ばれていた。
 スピカは表面温度2万度と1万8000度の灼熱の高温星2つが、わずか4日の周期で巡り合う「近接連星」である。

 立ち食いそば屋のおやじに、
「このそばつゆは何からとったダシですか?」と尋ねると、
「カツオです」と言った。
 私の住む町に一食2000円近い代金を取る手打ちそば屋に人々が行列していることは知っているが、私は500円でかけから天ぷらまで食べられる立ち食いそばで充分満足だった。
 階下で母が、
「卵にとろろ昆布を入れて厚焼き玉子を作るととってもおいしいの」と言っている。
 私はそれより冷蔵庫にしまってある、おかゆの賞味期限が気がかりだった。魚介でダシを取りご飯を煮た。私は調理師なので味には自信がある。口にすると間違いなくうまい。
 一食百円で済んでしまう。食べながら「江戸時代の人のほうがもっとうまいものを食べていいたかもしれないな」と思いおかしくなった。しかしこれこそ貧乏な作家にはふさわしいと思う。
   こういった最廉価な食事をしていた方が、実感としてARTのアイデアがよく浮かぶ。高級な美食を食べてしまうと心身ともに充足してしまって新作を作ろうとするハングリーな挑戦心、意欲が薄まってしまう。
 おそらくそれはARTに限らず、人が生きていくうえで向上心を維持し続ける秘訣なのだろうと思う。
 ショウは私が酒のつまみを食べているとフンフン鼻をひくつかせる。それでつまみを取り上げて鼻先へ持って行くのだが、「フン」とでも言わんばかり顔をそむけてしまう。
 不必要に摂取しない、生きていくうえでの法に順守している彼にとって、美食は不必要であるらしい。

 国立天文台は広大な敷地に恵まれいくつもの施設が林の中に点在している。展示室、図書館、大赤道儀室、天文台歴史館、アインシュタイン棟、すばる棟、アルヌ棟など多くの棟があって私はいっぺんに気に入ってしまった。
 4D2U「四次元デジタル宇宙ビューワーMITAKA」を鑑賞する。
 町中のあまたのプラネタリウムは高額な料金を取るのに天下の国立天文台のシアターが無料なのは妙な話だと思う。
 黒サングラスをかけるとドーム内の星々が立体的に見え、私の眼前、肩先、脇下をいくつもの星々が流れていく。ほかのプラネタリウムでは体験できない、まったく宇宙にいるかのような感覚がした。スターウォーズの宇宙船を操縦する船長のように星々の間を抜けていく。幸いなことに私はドーム天頂の真下に座っている。ドームシアターで地球をこれほど大きく眺めたのも初めてである。解説者が、
「地球一周は4万キロになります」と言っている。
 観測中初めて知ったことや気づいたことをメモしておこうと思い、ペンライトをつけると
「ほかの方のご迷惑になりますので」と注意されてしまった。
 ブラックホールのシアターは新作で、
「皆さんが初めてご覧になることになります」と言う。「映像のすべてが計算と綿密な論理に基づいて描かれています」
 私はドームの映像に出てくる多くの銀河、宇宙における諸現象があまりに広大なのでめまいがしてきた。
 鑑賞後、ドームを出ていくつかの施設を見学しているとガリレオの望遠鏡精密復元というのがあった。
 第一赤道儀室でスタッフが講義している。
「太陽の黒点は何でできているんですか?」と尋ねると、彼は
「good question!」と言い、「あれは磁力のある部分で約4000度あります。まわりが6000度なので黒く見えるのです」と教えてくれた。

  国立天文台から帰宅する途中、この日何も食べていなかったのでつつじ屋へ行き生ビールと赤魚の粕漬を注文した。
 国立展望台のパンフレットをマスターに見せ、
「マスターは星というとどんなことを想い出す?」と訊くと、
「そりゃあやっぱり自分が生まれた月の星座だろう」と言い、「うちの娘は星香っていうんだ」
「星の香り・・・どうしてそんな名を?」
 するとマスターは、
「星というとみんなあこがれるからね」笑ってそう言った。

 ショウの散歩から帰ってくると風呂に入る。湯温は40°で私にはぬるかったが高齢の両親が設定したので手は出さない。ぬるめの湯に長時間つかるようにしている。
 ある日風呂に入ろうとすると父が湯を抜いて浴槽を掃除していた。そこで久々に銭湯へ行くことにした。銭湯が健康にいいのはよく知っていたからだ。働いている人たちは一日の終わりに風呂につかるのだろうが浴場に入ると幾人かの人がいた。みな私より高齢な人たちである。
 この日の代わり湯トリチウム鉱泉に入った。浴場の二階吹き抜けの高い天井に野太い梁。天窓から午前の光が射しこんでいる。壁にトリチウム鉱泉の泉質と効能――打ち身、肌荒れ、食欲増進――などが記されていた。高齢の人は多くが湯温の低い漢方湯につかっている。やはり高齢者はどこでもいっしょなんだなと思った。風呂から出るとストレッチをして家路についた。

 国立天文台のホームページは次のように言っている。
  街灯りがあふれ星の光を覆ってしまう都会の空にも宇宙が確かに広がっていることを思い出してください。空を     
  見上げて天体の動きや現象を見つめる体験は最先端の宇宙観へとつながります
 宇宙観――私たちは日々の生活に忙殺されてこの宇宙観を忘れていないだろうか。私はこれからの余生、常にこの宇宙観を身にまとっておこうと思った。死んだらこの世界へ昇天するのだろうから――。
 「太陽塔望遠鏡」(アインシュタイン塔)の脇に立つ説明版には次のように記されている。
   太陽の精密分光観測を行うため1930年に建設されました。「塔望遠鏡」の名が示す通り、この建物全体が望  
   遠鏡なのです。
    この観測施設は、アインシュタイン博士の一般相対性理論によって予言されていた、「太陽の重力によって
   太陽光スペクトルの波長がわずかに長くなる現象」(アインシュタイン効果)を検出することを目的に作られま   
   した。当時、同じ目的でドイツポツダム市に作られた「アインシュタイン塔」とほぼ同一形式の観測施設なの
   で、「アインシュタイン塔」の愛称で親しまれてきました。

 ショウはすっかりこの界隈で有名になった。みな「かわいい。イケメン」と言う。郵便局の前を通ると女性の局員が走り出てきて「ショウちゃん!」と言って頭をなでる。根津神社裏門坂を登っていると写真館から晴れ着を着た女の子が飛び出してきてショウに抱き着き、周りの大人たちを驚かす。
 ところが今日の朝刊に次のような記事があった。
 「ペットと避難 つづく模索」
   能登半島地震の被災地では、ペットとともに避難した人も少なくない。金沢市の「額谷ふれあい体育館」には
   犬や猫のための専用スペースが置かれている。同市から愛犬を連れ避難した被災者は「わが子同然なのであり
   がたい。同行できなかったら避難していなかった」と話す。
    災害時のペットの扱いはこれまでも課題になってきた。避難所には動物が苦手な人やアレルギーの人も身を
   寄せる。鳴き声の心配もある。飼い主にとっては家族同然で手放しがたく、被災した自宅にとどまったり車中
   泊を続けたりするケースは多い。
    環境省は13年、「ペットは家族の一員であるとの意識が一般的になりつつあり、飼い主の心のケアの観点
   からも同行避難が重要」として対応指針をまとめた。

        「さそり座」
 神話では狩猟の名人オリオンを刺殺した毒々しい大サソリ。真っ赤な一等星アンタレスを中心にゆるやかにSの字にカーブするさそり座は真冬のオリオン座とともに最も形の整った美しい星座である。
 赤色超巨星アンタレスの図像を見て驚いた。直径が太陽系の惑星の軌道ほどもある。
 宮沢賢治は「星めぐりの歌」のなかで「サソリの赤い目玉」とアンタレスのことを歌っている。
        「ヘルクレス座」
 ヘルクレスは大神ゼウスが、ペルセウスとアンドロメダの娘アルクメーネに産ませた子だった。このため生まれながらに大神ゼウスの妃ヘラの呪いを受けている。
        「へびつかい座」
 へびつかい座になっている巨人はアスクレピオスというギリシア神話第一の名医である。彼は人一倍医療に取り組んだが、余りに熱心になりすぎて、とうとう死んだ人まで生き返らせてしまった。
        「こと座」
 ギリシアの竪琴の名人オルフェウスの琴の音が流れると、人間はもちろん森の動物たちや草花、果ては川のせせらぎさえその流れを止めて聞きほれるほどだった。
 こと座の環状星雲M57は惑星状星雲で、今から50億年後の太陽も惑星状星雲になると考えられている。
        「はくちょう座」
 天の川を飛ぶはくちょうは、キリスト教星座ではその十字の形から「キリストの十字架」と呼ばれた。
 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、この十字架のはくちょう座を始発としてはるか南十字星へと旅をする物語だ。

 コンビニのレジで会計をしていてフト脇を見るとゼリーが何段にも積み重ねられ、「いま話題です」と書いてある。
「何が話題なの?」と店員に訊くと
「それはブドウ糖のゼリーで考える力がつくそうなんです。入荷してからもう百個くらい売れていますよ」と言う。
「ここは東大が近いからね・・・でも本当に考える力がつくの?」
「さあ。それはわかりませんがお酒とも相性がいいみたいで、僕ものんだ時に食べてます」と言うので私も一つ買うことにした。

        「や座」
 や座の持ち主は愛の神エロスで、神通力のある黄金の矢で射られると人間や神はもちろん、大神ゼウスでさえ恋心を起こしてしまうといわれた。
        「アンドロメダ座」
 秋の星座に限っては、たった一つの物語に登場する人物や動物たちに物語の大半を占められ星座絵巻が繰り広げられる。
 アンドロメダ姫は古代エチオピア王家のケフェウス王とその妃カシオペヤ王妃との間に生まれた美しい王女だった。カシオペヤは
「海のニンフ(妖精)ネレイドの50人姉妹たちとて、私の娘の美しさの足元にも及びますまい・・・」と口を滑らせた。ネレイドは海の神ポセイドンの孫娘たちで50人おり、海底の宮殿で踊り暮らしていた。
 海神ポセイドンによりアンドロイド姫が鎖で大岩につながれている時、馬のいななきとともに羽音たかく天空から舞い降り、立ち向かった勇敢な若者がいた。それは女怪メドゥサを退治し、その血が岩にしみたところから躍り出た翼の生えた天馬ぺガススにうちまたがり、メドゥサの生首を皮袋にいれ、故郷へ持ち帰る途中のペルセウス王子だった。
メドゥサはゴルゴンの三姉妹の一人で髪の毛の一筋一筋が全て生きた蛇で、その顔を見たものは恐ろしさのあまりたちまち石と化してしまうという怪物である。
   月のないよく晴れた晩、アンドロメダ姫の腰のあたりになにやらボウと青白く小さな雲の一片のような淡い光芒を見つけることができる。これが秋の夜空の一番の見ものアンドロメダ座大銀河M31である。私たちとの距離は230万光年あるので人類の先祖たちが人間への進化をしつつある頃、この銀河が発した光をいま我々は目にしていることになる。まさに人間が目にできる、この世で最大のスケールのものを見ていることになる。
 アンドロメダ座M31は銀河系に秒速300メートルのスピードで地球に接近しており、このままいくと太陽が寿命を終える50億年後には両者は衝突することになる。
        「ぺガスス座」
 雪のように白く銀色の翼をもつぺガススは、その美しい翼を広げて自由に大空を飛ぶことができ、ペルセウス王子とともにアンドロメダ姫を助け出すことになる。
        「やぎ座」
 やぎ座の逆三角形はギリシア時代には人間が昇天するときの入り口と見られ、「神々の門」と呼ばれていた。山羊はもともとは森と羊と羊飼いの牧人パンの姿だとされている。
        「うお座」
 ギリシア神話では、この二匹の魚は愛と美の女神アフロディテ(ビーナス)とその子エロス(キューピット)親子とされている。2匹を結びつけるリボンのようなひもはチグリス・ユーフラテス両大河を表している。うお座が話題になるのは、現在の座標の原点となる゛春分点゛が西の魚のしっぽ近くにあるからだ。春分の日の太陽はここに位置して、春の始まりを告げる柔らかい日差しを投げかけてくる。


 スターバックスの店員に
「一番体が温まる飲み物は何ですか?」と尋ねると、
「チャイティラテです」と教えてくれた。
「チャイってチャイニーズのチャイ?」と訊くと
「いいえ、様々なスパイスが入っていることです」と言う。
 後日、「前にチャイティにはさまざまなスパイスが入っていると聞いたのですが、そのスパイスの名前ってわかりますか?」と娘に訊くと、
「調べますのでしばらくお待ちください」と彼女は言い、やがて紙片をもって私の席へやってきた。そこにはシナモン、カルダモン、ブラックペッパー、ジンジャー、クローブ、八角と記されている。
 飲んでみると体がじんわり温まって実にうまい。「コーヒーよりこっちのほうがいいや」と思った。

          

































              
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