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第二章 地響きの前夜
魔物とわずかな経験値
しおりを挟む翌朝の調理担当はラヴァナ家で、献立は黒猫特製の白オークの角煮と根菜の煮付けだった。そこにヒゲが作った麦粥がつく。
オートミール以外の料理は俺が〈鑑定〉で手に入れたレシピで、できればコメで食べたいメニューだね。鑑定によるともっと南の地域でしか採れないみたいだけど。
「にゃ……覚悟しろナンダカ」
角煮が好物の父さんは三毛猫と壮絶な戦いを開始し——俺は賑やかなラヴァナ家の隅で落ち込んでいた。
その朝一番に〈神託〉があり、俺は連続王手のすえに1手差で返り討ちにされるよう誘導された。まだ投了はしてないが、どう指してもダメっぽい。
父は三毛猫を制したあと仲間と迷宮に出かけ、俺と子猫は前日の酒などどこ吹く風の母さんと村外れの森に向かった。
◇
木々の合間から夏の日差しが差し込み、セミの声が響く。
郊外のさらに奥にあるこの森は板材を取る木こりも立ち寄らない場所で、人の管理を離れた木々が好き放題に立ち並び、大木の幹は厚い苔で覆われている。もののけのお姫様が出てきそうな深い森だ。
最前列を歩く母は分厚い革の鎧の上に黒オーク革のマントを装備しているが、その後ろでねむたい目をしているミケや最後尾の俺は蚊の嫌がる薬草を腕にこすりつけた程度で、昨日と同じシャツと短パンだ。ミケなんてブタのぬいぐるみを抱えているが……俺たちはこれで問題無い。
叡智の加護がモノをいう座学中心の昨日とは打って変わり、今日の俺に活躍の機会は少なかった。
「——盗人よ、偉大なる義賊ファイエモンよ……我にしばしの秘密を与え給え」
「にゃーにゃん・ににゃ。うにゃ。にゃー・にゃーにゃ・シーにゃ……☆」
斥候職の母と、冒険者の女神に愛されたミケが、それぞれ自分の持つ〈怪盗術〉を元に秘匿スキルを詠唱した。
スキルは通常、発動すると〈——剣術:ナンチャラ——〉のような表示が出るが、母とミケの秘匿系スキルは、自分のすべてのスキルを〈鑑定〉や〈調速〉などと同様にする。使っても表示ナシにできるということだ。
それだけではない。
鑑定や調速ですらスキルを使うと武器や体が発光するが、二人の秘匿スキルはこの光を出さない。二人は今、呪文を詠唱したが……失敗なのか成功なのか、後ろで見ている俺にはそれすらわからない。
厳密に言えば〈鑑定〉で成否を知れるが、俺は叡智の加護を受けている。場の空気くらい読めるさ。
「カッシェはしばらく鑑定禁止よ? 発動したときの光で鳥や角ウサギが逃げる」
「にゃ。黙っておれについてこいー☆」
二人は自由に喋っているが、ここで俺が声を出すわけにはいかない。俺の声はスキルで秘匿されていないのため、二人と違って獲物に聞こえてしまう。
「行くわよ。家を出る前にも伝えたけど、今日はかなり奥まで入るから、いつもの『遊び』は中止。HPを無駄にしないよう注意して」
「にゃ。HPを取っといてなにする?」
「それは行ってのお楽しみ。でも、まずは『お昼ご飯』を確保するわよ」
母・ナサティヤが森の下草を雑に踏んで走り始め、三毛猫も同様にしたが……マジでどうやるのそれ? どうして草や小枝を踏んでも音がしないの?
俺はどの草を踏んでも音を出さないのか〈鑑定〉したい気持ちをグッとこらえて二人の後を追いかけた。鑑定ナシでも方法が無いわけではなくて、先を歩く斥候職の足跡を踏むように歩けば足音はとても小さくて済む。
三十分ほど森を探索すると、母は停止してハンドサインを出した。俺は……ふはは。ミケと違って俺は即座に意味を理解できたが、ミケは小首をかしげ、母からもう一度サインを送ってもらった。
苔むした大木の枝に二羽の鳥が休んでいる。一羽はカラスのように真っ黒で、鶏のような黒いトサカがある。もう一羽はキジに似ていて、光沢のある緑色の体をしているが頭部だけ赤い。
母が二羽について追加のハンドサインを送ってきたが、俺は情報をもらうまでも無かった。
どちらも鳥という点では同じで、特に人間を襲うことも無いのだが、二羽の間には決定的な違いがある。うち一体はただの動物で、もう一体は「魔物」だ。
この世界において、魔物とは迷宮で発生した生物かその子孫であり、倒した者に〈経験値〉を与えるような生物のことだ。
例えば村にヒグマが現れ、ある村人が死闘のすえに倒したとしよう。しかしヒグマは「動物」なのでその村人は経験値を得られない。あるいは、俺と子猫は毎日試合をしているが、どちらが負けを認めても勝者は経験値を得ることがない。俺たちは「魔物」ではないからだ。
一方で、小さな子供がダンジョンに入り、その中で一匹の蚊を潰したとしよう。
ダンジョンに生息する生物はすべて「魔物」だ。蚊の一匹を潰しただけの子供は即座に経験値を得るし、レベルアップによる身体能力の向上やスキルレベルの上昇を得るし、時には新しいスキルの獲得といった恩恵を得ることがある。
——いいか、魔物はこの星に存在することを女神様に望まれていないんだ。だから倒すと〈経験値〉をもらえるし、その肉を食べるとMPが回復する——。
両親や村人たちに言わせると、それが生き物と魔物との違いだった。
「枝まで少し距離があるわね……カッシェ、魔物を印地か魔法で仕留められる?」
詠唱はイタいので俺は無言で小石を拾い上げた。格闘スキルは神々に捧げる「舞」だ。定められた套路を守りつつ、二羽の鳥のうち「キジ」を狙う。
体が青白く光った。視界の端に〈——印地:ストレート——〉の表示も出たが、俺は構わず石ころを投げる。ギーッと苦しげな声がした。
「下手くそっ! ミケ!」
「子猫ならここに!」
俺の小石はカラスに当たってしまった。すまんカラス。昼食にするから許してくれ。
カラスと違って「魔物」たるキジは素早く逃げようとしたが、ミケのほうが早かった。隠匿中なので表示は出ないが、おそらくスキルを使ったはずだ。子猫は人間離れした速さで大木をよじ登り、神速のレイピアでキジを突き殺す。
〈——魔物を討伐しました。パーティなので、お情けで混沌の影()にも経験値10が入ります——〉
アクシノの皮肉めいたアナウンスが響き、俺は10EXPを手に入れた。わかっていたけど少ねぇな……二羽の鳥が絶命し、森の下草にはらりと落下する。
この数年で知ったのだが、叡智の女神アクシノは冒険者らが敵を撃破したとき、その全員に獲得した経験値等を人々に神託する役目を負っている。
叡智さんのプライベートな〈神託〉は直接的な加護を得ている俺にしか聞こえないが、こうして任意の冒険者に通知するときのアクシノは丁寧なですます形で戦果を知らせる役目を負っていて、だから、今の神託はパーティ全員に聞こえているはずだ。
母が片耳を抑えながら叡智アクシノの〈神託〉を聞き、満足そうに頷いた。
「よし……小鳥を捕まえたわ。ミケは鳥を。カッシェは魔物を解体しなさい。印地を使ってしまったからわたしやミケの〈秘匿〉は切れてるし、好きに喋っていいわよ? ただし、いつもの通り〈鑑定〉してから解体ね」
母さんがちゃっちゃと指示を出し、俺はミケから魔物を受け取って鑑定をかけた。
「あ、“魔石”が残ってる。首の付根の右あたり。豆粒くらいの大きさだけど……」
魔石とは魔物が必ず持っている器官で、魔物にとって非常食のようなものだ。
人との戦いで苦境に立たされた魔物は、起死回生のスキルを発動するため魔石をMPに変える。だからワンパンした時以外、魔物が魔石を残していることは少ない——と鑑定が言っていた。
例えば、迷宮には“ゴブリン”が出現する。
俺はまだ戦ったことがないが、連中は経験値も少ないし、肉は臭くて食えたものではないそうだが、高位の冒険者は魔石を狙ってゴブリンを討伐する。
相手を即死させられるほどの冒険者であればゴブリンの魔石を回収できるし、ゴブリンの魔石は、各種回復薬の基本素材になっているそうだ。実際、我が家の収益の三割はゴブの魔石が占めている。
「キジの魔石が? ……ツイてるわね、その石はあとでギルドに売り飛ばしましょう。それで……そう、『鑑定さん』はやっぱり便利ね。ダンジョンではいつもポコニャの役目だけど、厳しい戦いの後だとMP的に鑑定の余裕が無いことも多くて——叡智様はキジ肉の味を教えてくれた?」
「【火頭雉】……肉は硬くて噛み切れないけど、弱点属性の関係で、お湯で煮込むと急に柔らかくなる」
「さすが〈鑑定Lv9〉ね。それ、鑑定Lv3からの情報よ」
母さんが褒めてくれたが、無理矢理褒めてる感が否めない。母はミケに解体用の包丁を渡し、俺と違って〈解体〉のスキルを持つ子猫を指導し始めた。
別に不満は無い。森での授業はいつもこうで、斥候の母と、“冒険”について天賦の才に恵まれたミケのあとを追いかけるだけなのが通常運転だ。EXPが入る唯一の機会でもあり、俺とミケはこの森の授業でレベルを上げてきた。
特にミケの成長は早かった。冒険者の日常そのものを体験するこの授業は冒険女神・ミケの加護を持つ子猫の独壇場で、ゼロ歳時に黒豚討伐で開いていたレベル差はあっという間に埋められた。
多少悔しさはあるが……例えばミケが楽しそうにやっている〈解体〉は俺的にかなり辛く、絶対やりたくない。
俺はなるたけ見ないようにしつつキジの胸元にナイフを突き立て、刃が小鳥さんの肉を割く感触に怯えながら魔石をほじくった。小声で〈水滴〉の呪文を詠唱し、血まみれでスプラッタな魔石を洗う。
鳥を捌くとか超怖い。こんなんだから俺は女神ニケが与えている〈解体〉のスキルを得られないのだろうが別にいい。ミケに成長で抜かれても構わねえ。マジで無理なもんは無理だ。
「——カッシェ、これ茹でて」
ミケがカラスのように黒い鳥の首と足を落として血抜きし、腹を割いて内蔵を取り出し、まだ羽の生えた肉を持って満足気に言った。よくできるよね。ボクも欲しいよその精神力。
「……ウンワカッタ」
ボクはインベントリから出した鍋に〈水滴〉スキルで水を貯め、〈火炎〉スキルで沸騰させた。さっと湯通しすると羽を抜きやすくなり、カラスがやっと、スーパーで売られているような鶏肉に変わってくれる。
ミケはキジも捌いてくれて、湯がいた鳥肌から羽をむしってくれた。
俺が〈常世の倉庫〉に鶏肉を収納すると、母は頷いて言った。
「よし! 今日のお昼は油揚げと鶏肉のうどんで決まり!」
「にゃにゃっ!? 油揚げが、ミケの好物と知ってのことか? うどんに浮かぶそれは、ちゃんと味醂で甘くしてるのか……!?」
「もちろんよ。だけど今日はそれだけじゃないぞー?」
「にゃ、にゃ……!!」
ポコニャさんと真逆で、うちの母は三毛猫に甘く、俺に厳しい所があった。お互い他人の子供だからかな。
油揚げだけじゃないと宣言された三毛猫は食欲の期待にしっぽの毛を膨らませた。ミケのしっぽは虎柄だが、先端だけ白い。
「昨日ギルドで聞いた話なんだけどね……」
母は暑そうに皮のマントを扇ぎながら言った。
「実はこの森で、またツキヨ蜂が出たらしいの。いつもならうちの父さんが——最近じゃ〈蜂殺しのナンダカ〉って呼ばれてるけど——うちのが〈剣閃の風〉のパーティを引き連れて即座に殺しに行く。それは二人とも知ってるでしょ? ——でも、今回は敢えて見逃してもらったの」
七年ぶりに聞いた宿敵の名に俺は緊張した。母が獰猛に笑う。
「……カッシェは覚えてないでしょうけど、あんた、生まれてすぐに女王を殺したのよ。母さんはうっかり刺されてしまって、死にかけて……以来、うちのパーティは蜂の討伐を最優先にしていて——」
「にゃ。パパがゆってた! 歌様と叡智様が赤子の体を操って、カッシェがなにも知らない間に〈鑑定〉して〈調速〉して倒しちゃった! 悲鳴を聞いてパパがかけつけたときには、ゼロ歳のカッシェが〈女王〉を握り潰してた……!」
邪神ファレシラやアクシノが俺を操った云々は、一歳のとき、喋れるようになった直後に俺がついた大嘘だ。
しかしミケと同様、俺の大嘘を信じている母は重々しく頷いた。
「今日は二人に、その蜂を倒してもらいます!」
「にゃ……!?」
ミケの体から圧倒的な気配が立ち上ったが、母さんはすぐに止めた。
「まだよ、ミケ。まだ〈冒険〉を発動させちゃダメ。あんたが持ってる〈冒険〉スキルは全ステータスを三倍にするけど、発動中は、スキルに使うMP消費も三倍になるでしょ?」
「にゃ。三毛猫としたことが」
「——おいで。ギルドで仕入れた情報だと、あの獣道の奥にいる……倒せばあまーい蜂蜜をゲットだぞ♪」
母は俺たちを森の奥に誘った。興奮しているのは俺も同じで、虎柄のしっぽを太くした子猫に続き、俺は斥候たちが踏んだ下草に足を降ろした。
応援ありがとうございます!
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