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幕間 シュコニの冒険

姫とメイド

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 月の眷属だと明かしてフィウとマガウルの信用を得たシュコニは、その数日後にはフィウ専属のメイドになっていた。

 推薦したのはマガウルで、急な話だったし、どうしてそこまで信用するのかと訝ったのだが、彼はシュコニの指輪をじっと見つめ、耳に手を当てて言った。

「むぅ、常世の女神様が……わくわくしておる」
「……はい?」
「ワクワクしておる。もうダメじゃ。わしには逆らえぬ……」

 わけのわからない理由だったが、とにかくマガウルはツイウス王家にシュコニをメイドにすると言い張り、認めさせた。ジビカは大喜びで、小物を鑑定するたび「一緒に冒険者を殺せ」と叫び、シュコニは王家のお城に入って、支給されたメイド服を着てフィウの相手をすることになった。

 最初はとても嫌だった。

 この星で死んだ命は月で生まれ変わると聞いているし、フィウが生まれたのはちょうどシュコニが人殺しになった頃だった。この子が両親の生まれ変わりなら良いが、もしもルシエラの生まれ変わりだったら? そう思うと吐き気がしたし、メイドなんかやりたくなかった。

 そもそも「生まれ変わる」ってなんだ。死んだらそれでおしまいじゃダメなのかっ。

 シュコニはそんな気持ちでフィウの側に付き、朝、ベッドで眠る少女を起こし、着替えをさせ、超豪華な王宮のメシを食べさせ……そんな生活を一ヶ月ほど続けた彼女は、最初の嫌悪感をすっかり忘れていた。

 シュコニがぎこちなかったようにフィウもまた最初は彼女に心を開かなかった。しかしフィウは少しずつシュコニの前で笑顔を見せるようになり、なにかあるたびシュコニに言った。

「お姉ちゃん、ピアノの楽譜が見当たりません。どこに置いたか忘れてしまいました」

 フィウはシュコニを「お姉ちゃん」と呼び、シュコニはだんだん、そう呼ばれるのが好きになっていた。

 ——まずいぞっ。この子は麻薬のようだっ。

 話してみるとフィウは優しく気遣いできる子で、彼女に「お姉ちゃん」と呼ばれるたび、シュコニは骨が柔らかくなったような妙な感覚を覚えたし、シュコニと違って敬語を使われていないマガウルに対抗心を燃やす自分に驚いた。

 最後の決め手は17歳の誕生日だろう。

 その朝、フィウは珍しくシュコニが起こしに行く前に目を覚ましていて、シュコニに花束とケーキを渡して微笑んだ。

「お姉ちゃん、お誕生日おめでとう。見てください。王様にお小遣いをねだりました! 今日は仕事をお休みにして、町を歩いてみませんか?」

 その日、シュコニはフィウと王都を歩いた。フィウは金貨を大量に持っていて、「これはおいしい」とシュコニにオススメのお菓子を食べさせ、街頭の曲芸におひねりを投げ、演劇に連れ出してくれた。

 王城に戻る頃には2人はすっかり仲良くなっていて、シュコニは自分を「お姉ちゃん」と呼ぶ月の小鬼を抱きしめ、何度も誕生日のお礼を叫んだ。


 月から拐われてきた少女——フィウと出会ってからの一年は、シュコニにとって夢のような時間だった。

 ずっと復讐のためだけに生きていたシュコニはフィウと一緒に街歩きを楽しむようになり、一緒に服を買ったり、吟遊詩人の演奏に耳を傾けたり、ある夜なんて、王宮に呼ばれた火の魔法使いが夜空に浮かべた花火に見とれたりした。ずっと火炎魔術を嫌っていたが、使い方次第ではあんなに美しいものを生み出せるのかとメイドは認識を改めた。

 迷宮のある町に生まれ、ずっと冒険者にばかり憧れてきたが、世界には冒険以外にも楽しいことがたくさんあった。シュコニはフィウにそれを教えてもらった。

 一方で、王家がフィウに毎日やらせている殺人には怒りを覚えた。王家は彼女に豪華な食事と衣服を与え、自分たちが誘拐してきたくせに「殺らなきゃすべて失うぞ」「子供がひとりで生きていけるのか」と脅し、公開処刑の処刑人にしていた。

「気にするなっ。フィウがやっつけたのは悪い奴らだ。犯罪者だぞ? フィウは良いことをしたんだよ」

 罪人を殺すたびフィウは髪の毛を真っ赤にして角を生やし、シュコニはそのたびに励ました。そういうセリフが苦手なマガウルは、ある日「助かる」と静かにお礼してくれた。老人は多くを語らなかったが、フィウを誘拐してきた彼がそのことを悔いているのは間違いなかった。

 フィウを月に帰してあげたいな。

 出会ってから1年、シュコニはいつの間にかそればかり考えるようになっていた。


〈——最近楽しそうだな、おい。そろそろ「夢」を諦めるか?〉


 だからその夜、王宮の使用人室で寝ていたシュコニは、夢枕に立ったニケに対して舌打ちしてしまった。

(……なんの話?)
〈別に良いんだぜ。大冒険はいつでも取り消しできるし、わたしはおまえを責めたりしない。諦めるのもまた「夢」さ。癒快ムリアフバも同じだ。あいつはおまえを気にかけてるから天罰なんて下さない〉
(諦めてない)
〈他の神々も気にするな。わたしはおまえのことを他の神々に隠しているし、おまえには素敵な指輪がある。月の眷属だということは永久にバレないし、天罰の心配は無い〉
(——しつこいぞっ!)
〈それならおまえに提案しよう。そろそろウユギワ村に行ったらどうだ?〉

 嫌なやり方だなと思った。ひとの夢を逆手に取って、プライドをくすぐって操ろうとするのは卑怯だ。シュコニは常に無言を貫き、眷属になにも指示しない愉快の神が一番好きだった。

〈マガウルという老人がレテアリタ語を知っていて助かったな。教わっているんだろ?〉

 シュコニはまた舌打ちした。赤毛の夢魔はニヤついた顔で言った。

〈諦めてないならウユギワに行けよ〉
(そうだね。言われなくてもそろそろ行こうと思ってたよ。ジビカにはフィウと一緒に冒険者を襲う下見に行くとでも言えばいいし。だって私の夢はずっと……)

 シュコニは怒りに任せて口を開いたが、そこで口をつぐんだ。

 そういえば、最下層でマスターと交渉すれば〈月〉に行けるんだよね? 私としてはどうでも良いことだったけど、ジビカが言ってたし、マグじいも昔、そうやって月に行ったと聞いたぞ。

 なら、うまくやればフィウを月まで帰してやれるかもしれない……!?

(……確認したいけど、ウユギワ迷宮は雑魚なんだよね)
〈他と比べればな。侮るなよ。それでも勝つためにはSランクの実力が要るし、来年の冬までが期限だ。ウユギワ迷宮のマスターはその頃に暴れると予想されていて、おまえを最下層まで運んでくれる子供らは勝手に戦いに行ってしまうだろう〉

 シュコニは目まぐるしく考えた。ドーフーシで乱読したかいがあった。シュコニは月の叡智が加護を授ける程度には賢かったし、自分の力で物を考える能力を身に着けていた。

(例えばさ、マグじいは強いぞ。私とじいさんの2人で最下層に行くのは?)
〈難しいだろうな。月の眷属は普通に魔物から襲われるし、おまえはEランクだ。じじいは……常世が守っているから予想しずらいが、BとCの中間くらいだろう。しかしあのじいさんはパーティ戦が下手すぎるし、あの迷宮にはツキヨ蜂が出る。蜂は倉庫に入り込むし、服に紛れ込んで一緒に転宅までするから、常世系の能力者は分が悪い〉
(そう……だけど、その村にいる子供たちってのは——)
〈Sだ。今はまだCランク程度の雑魚だが、Sランクになれる才能を持っている〉
(Cランクで雑魚かよっ!?)

 ずっとEランクのままのシュコニは苛ついたが、父さんと母さんと、殺してしまった「お姉ちゃん」の顔が脳裏に浮かんだ。

 ニケのクソに従ってやるのは癪だが、確かに村に行くべきだ。

 ずっとそのために努力してきたのだし、村に向かって、時期が来たと思ったらフィウに手紙を書こう。噂の子供2人にマグじいさんも仲間に入れて、ジビカのアホを通行証に、最短ルートで最下層に向かって……。

 シュコニはワクワクしてきた。ニケに誘導されているのはわかっていたが、忘れていた冒険の「夢」が心の底から湧き出てくる。

 フィウを、月にいる本当の家族に会わせてやりたい!

〈——ところでさ、おまえの「夢」ってなんだっけ?〉
(…………起きるよ。トイレだっ)

 強く念じると夢の女神が消え去り、シュコニは目を開いて起き上がった。時刻は深夜で、使用人のための寝室は暗く、窓から青白い光が差し込んでいる。女神ファレシラが存在を否定しているため光源は目に見えないが、夜空に浮かぶ月が太陽光を反射した「月明かり」だ。

 シュコニは使用人室を抜け出し、王宮の暗い廊下を歩いてフィウの部屋に向かった。そっと扉を開くと、なんとなく予感がしていた通り、フィウはまだ起きていた。

「どしたのー? 寝ないとダメだぞっ」
「お姉ちゃん……どうしてわかったんですか」
「ふはは。お姉さんのカンだっ」

 ベッドに腰を降ろすとフィウは言葉少なに悪夢を見たと告げ、はっきりとは言わなかったが、昼間殺した罪人の夢を見たのだとわかった。

「……寝なよ。フィウが寝るまでお姉さんは寝られないっ。私はフィウのメイドさんだからね」

 そしてシュコニは子守唄を歌った。自分でも下手だなと思う腕前だったが、フィウはそのうち眠りにつき、翌朝シュコニはツイウス王国を発った。


  ◇


 レテアリタ帝国の旅は楽しいものではなかった。

 シュコニは毎夜、旅に出ると告げた時のフィウの泣き顔を思い出したし、自分が毎日死に向かって旅をしている予感がした。

 それでもシュコニはマグじいから覚えた最低限のレテアリタ語を頼りに道中出会ったすべての人に声をかけ、しつこいほどお喋りをして語彙を増やした。

 相手の言葉はジビカの〈翻訳〉で理解できるが、これは叡智の狡猾な罠であり、頼りすぎてはいけない。

 ニケが人間の夢を貪るように、叡智は人の情報を食べたがる。ジビカやアクシノにとって情報は呼吸や食事と同じで、連中は人の言葉に群がり、聞きたがるし、知ったことを他人に言いふらすのが楽しくて仕方ない。

 だから叡智は眷属に対し翻訳スキルを与える。シュコニのそれはジビカが与えた能力なので、翻訳を利用している時にシュコニが手に入れたすべての情報は食べられ、宿敵たる月に筒抜けになってしまう。

 ——叡智より、むしろ諜報の神を名乗るべきだっ。

 シュコニは日中、全力でレテアリタ人と会話し、夜は覚えた言葉を何度も反芻して暗記しながら旅を続けた。ラーナボルカの町で村の場所を聞き、険しいウトナ山を超えてウユギワにたどり着いたときはホッとした。

 季節は秋で、18歳になっていた。

 へとへとで村のギルドに入ったシュコニは「ゴドリー」というヒゲのおっさんに冒険者カードを見せ、ギルドの2階にある酒場に入った。

 こんな田舎だし、ろくな食べ物は出ないだろうが仕方ないっ。そもそもレテアリタの連中は手づかみで食事する蛮族だし……。

 マキリンというウェイトレスに「なんでもいいから」と注文したシュコニは、期待していなかったこともあり、出された料理に驚愕した。

 茶色い謎のタレを絡めたひき肉と白いふわふわのパンは目が覚めるほどウマく、シュコニは即座に鑑定し、

〈……知らん〉

 叡智ジビカの悔しそうな声を聞いてさらに驚いた。叡智の神が知らないと答えた……!?

「あの、これってなんです? 初めて食べた……パンが惜しいなぁ。ごろっとした肉入りで旨いけど、このスープにはお米のほうが合うっ」
「気に入ったかしら? それは『季節野菜とオークのシセン風ピリ辛マーボー・ウィズ・黒豚チャーシュー肉まん定食』なんだって。料理名の意味はわからないわ。シセンってなんだろ……? ——とにかく、今朝『怪盗』がギルドにレシピを売ったの。値が張るし私はまだ食べてないけど、その様子じゃ美味しいみたいね?」

 シュコニは詳しく話を聞き、ナサティヤという怪盗に、カオスシェイドという異常な息子がいると聞いた。Sランク冒険者を約束された星辰の子は、すでに意味不明の影響力を村に与えていた。

 シュコニは食事を終え、これもカオスが村に広めたというハーブティをまったりと楽しみながら今後の計画を練った。

 ——あの受付の人……自分を「ゴリ」と呼んでくれって言ってたけど、怪しかったな。

 うまく言語化できなかったが、シュコニはゴリに違和感を覚えていた。見た目は気のいいおっちゃんだったが、明るい笑顔にどこか影がある。カマをかけてみようかな。もしもあの人が……。

〈——さすが私が目をかけた娘だな、シュコニよ。お前は賢い〉

 シュコニのカンは正解だった。鑑定するとジビカの冷たい声で神託があり、ゴリは狼狽した。彼は結婚指輪に鑑定偽装を仕込んでいたが、効果があるのはアクシノだけで、ジビカには効き目が無いことを彼は知らなかった。

 この世界には〈不徳のコイン〉を筆頭に多くの鑑定偽装アイテムが流通しているが、これらの多くは叡智ジビカが仕組んだ魔道具であり、所持していれば「加護」や「前科」を偽装できるし、魔物を殺しても経験値を得られない〈月の眷属〉でも、経験値を得たかのように偽装することができる。

 しかしその実態は、ジビカが仕掛けた盗聴器だ。

 月の叡智ジビカはステータスを偽装してやる代わりに魔道具を通じて装備者を監視することが可能で、集めた情報を元に装備者の心へ神託を下すこともできる。シュコニが詳しく知っているのは本人から説明を聞いたからで、不徳のコインを手に入れてバラ撒けとうるさく指示されていた。

 シュコニは指輪を持っているし、取り外せないという“設定”にしているため持たずに済んでいたが、ジビカは彼が直接の加護を与えていない月の眷属の情報に飢えていた。

 ゴリは見ていて可哀想になるくらい青ざめ、誰にも言わないでくれと必死に頭を下げた。

「頼むよ、俺は……俺にはもう、ギルドの仕事くらいしか残っていないんだ。毎日ムダに生き散らかして、やりてえことは仕事くらいしかない」

 ギルド建物の裏手でゴリは泣いた。結婚指輪を通してジビカが見ているので迂闊な発言はできなかったが、シュコニは強い怒りを感じた。

 やっぱり迷宮はぶっ殺すべきだし、月の悪魔も全員ぶち殺すべきだ。

「……ねえゴリ、月に行きたいかい? 実は大陸でも名の知られた暗殺者の友人がいるんだ」
「暗殺者……?」

 シュコニはマガウルの話をし、哀れなゴリを味方につけた。


  ◇


 それから約一年、シュコニはウユギワ村のウェイトレスとして多くの村人に接した。

 残念ながら村外れに住むカオスシェイドやミケとは接点を作れなかった。彼らがたまに村まで来ても、カオスは「話しかけたら殺す」という表情を浮かべてギルド3階の図書室で読書に没頭したし、子猫のミケはなにが楽しいのか村の建物の屋根の上を走り回った。

 あれがニケの言っていたクソガキどもか。

 星は違えど同じ叡智持ちのはずのカオスは、知識というより娯楽に飢えた子供に見えた。

 読む本は物語ばかりだったし、村に吟遊詩人が来るたびに少年は必ず現れて歌に聞き入り、少しでも物音を立てた村人に殺人鬼のような表情を見せた。

 そのうえ少年は見るものすべてに鑑定を連打する癖があり、しかもレベルは9だった。シュコニの手には最強の指輪があるが、ちょっと怖すぎて近づきたくないし、ジビカも〈今は近づくな〉と警告した。

 逆に近づきたくても不可能だったのが三毛猫だ。

 シュコニと同じ〈冒険〉持ちのミケにはHPの壁というチートが与えられていて、子猫は「落ちても死なないし」とばかり村に来るたび建物の屋根を走り回り、シュコニのステータスでは追いかけるのが不可能だった。

 しかも泥棒猫は村にうまそうなものがあると躊躇いなく盗んで食べ、激怒した村人に殴り合いのケンカを挑んで、大剣使いの親父に殴られていた。親父さんは殴るたびHPで拳を砕かれていた……。

 クソガキどもはそんなだったが、シュコニは「剣閃の風」とは顔なじみになれた。

 ウユギワ村の最高戦力として名高い彼らは雷花らいかを知るシュコニとしてはまだ駆け出しのパーティに見えたが、それでも全員がシュコニより遥かに強かったし、彼らの持っている情報は貴重だった。

 酒の注文があるたびにあえて濃い目で給仕してやると剣閃たちの口は緩くなり、シュコニは親から見たガキんちょどもの情報や、ウユギワ迷宮について多くの知識を得た。

 出現する敵の情報や秘密の抜け道は、どれもギルドで買おうとするとフェネ村長に高い情報料を出さなければいけないものばかりだ。あの婆さんの夢は迷宮の最下層を黄金の光で満たすことだそうだが、強欲も程々にしてほしい。

 迷宮の情報は月の神たるジビカの鑑定を使えば即座にわかることばかりだったが、シュコニにとってジビカは世界一信用できない神であり、剣閃を経由して「聞いた」という事実こそが重要だった。これでジビカはシュコニが知っている情報について嘘を言えなくなる。

 シュコニは親父に勘当されて村に流れ着いた新米冒険者だと嘘をつき、周囲に助言を仰いで、自分でも迷宮に入ってみたりしながら約束の冬に備えて情報を集めた。

 ウゴールとバウの兄弟と仲良くなれたのは収穫だった。彼らはムサに次ぐ村のルーキーで、倉庫と回復を持つシュコニは後衛として彼らと迷宮に挑み、信頼を勝ち取った。

 そして初夏の頃、シュコニは毎月やりとりしているフィウに新しい手紙を書いた。

 ——時は来たっ。ウユギワ村においで!

 ニケとの約束の時まではまだ6ヶ月ほどあったが、シュコニはフィウを呼ぶことにした。

 この何年もニケが告げていた通り、あのガキどもはやばい。異常だっ。なら、約束の冬までにどうにかフィウを2人に紹介し、できれば友達にして、あの子たちにフィウを最下層まで連れて行ってもらいたい。

 難しいのはフィウが月の眷属であり、カオス少年が鑑定持ちだという点だ。バレたら即座に天罰なのでニケは他の神々に情報を隠してくれているが、フィウには不徳のコインのような気持ちの悪い道具を持たせたくなかった。

 ——月に帰れるよ。村には月の眷属がひとりいて、もしかしらたら、もうひとりいるかもしれない。

 シュコニは書いた。手紙はどうせマガウルも読むだろうから、じいさんに向けたメッセージも付け加えておく。

 ——それに、この村のご飯は王国よりウマいぞ。常世の女神様にお供えしたら、フィウにも加護をくださるかもしれないっ。そうなればもう鑑定なんて怖くないんだけど、マグじいさんはどう思うかな? ともかく、詳しい作戦は村でじっくり話し合おうっ。

 わくわくしながら待っているうちに19歳を迎えた。夏も半ばを過ぎたころ、フィウたちはウユギワ村に来てくれた。


 シュコニと、彼女に密かな加護を与えているニケの計画は、そこまでは順調だった。


 村に来たフィウは真っ赤な髪でシュコニに抱きつき、醤油や味噌の味を楽しみ、シュコニや狼兄弟の案内で早朝の迷宮に入った。

 狼たちにはゴリを経由し貴族のレベリングだと嘘をついてもらったが、本当の目的は、魔物を怖がるフィウに迷宮を見せて慣れてもらうことだった。無理にでも最下層へ行こうとするマグじいに迷宮の難易度を理解させたいという目的もあった。

 フィウとの冒険は素晴らしかった。パーティを組んですぐ、シュコニは自分の指輪が持つ〈大本営〉の能力がフィウはもちろんマガウルのステータスさえ看破し、しかも内容を任意に書き換えられるのに気づいた。どうもメンバーがお互いがお互いを「仲間だ」と確信すれば可能になるようだが、これなら鑑定持ちのカオスシェイドにフィウを紹介しても平気だっ!

 狼2人の目があったのでその場ではフィウとマガウルに伝えられなかったが、シュコニは嬉しくてたまらなかった。フィウが自分を信頼し、パーティだと思ってくれているというのが特に嬉しかった。

 そしてシュコニはゴブリンの群れに襲われた。

 後で知ったがその群れはマキリンが操作していたものだったし、叡智ジビカはシュコニになにも教えず、狼の2人や、なんなら眷属のシュコニまでマキリンの「経験値」に変えるつもりだった。実際、ゴブリンどもはバウとシュコニの鎧を破壊しやがった。

 それだけじゃない。迷宮で突如ゴブリンに襲われたシュコニたちは抗戦したものの、気づくとフィウを見失っていた。指輪が持つ〈大本営〉の能力でもフィウの状態は〈不明〉と表示されていて、シュコニは不安でたまらなかった。

「……あの子、常世の切符を持っていたよな? 階層を進んだとは思えないし、一旦、入り口まで戻ってみないか」

 狼獣人のウゴールが意見し、シュコニもマガウルも納得した。その時はそれが真相だと思ったし、叡智ジビカはなにも教えてくれなかった。

 しかしギルドに戻ってもフィウは見つからず、シュコニは不安に駆られながらウェイトレスとして情報収集に当たると決め、更衣室でギルドのメイド服に着替えていた。

「すまん、シュコニ。我らは〈月〉に騙された……予想外のことが起きた。わたしもミスした。せめてアクシノにはフィウのことを教えておくべきだった」

 突然目の前に赤毛の女神が降臨した。夢枕以外でニケに会うのは初めてだったし、あいつが頭を下げるのをシュコニは初めて目にした。

 吐き気がするくらい嫌な予感がした。

「……どういうこと?」
「冒険の時が来たようだ。予定より5ヶ月も早いが……今からずるいセリフを言うぜ? お前の夢——迷宮殺しを果たせるかはわからないが、フィウを助けたいなら命を賭けてくれ。指輪の表示もそろそろ回復しているだろう——あの子は今、迷宮の最下層にいる」

 ——迷宮殺しの夢を叶えられるかはわからない。

 シュコニはそんな発言を露程も気にしなかった。

「フィウが最下層!? ——なにをすれば良いの」
「わたしの武器を渡す。おまえがこれでマスターをぶっ殺してくれたら最高だし、できなくてもカオスやミケがおまえのカタキを取るだろう。だが、少しでもしくじればおまえの夢は叶わずに終わる」
「夢は今、どうでもいい。武器ってなんなの!?」

 ニケはシュコニが親父から譲ってもらった刀に軽く触れた。ただそれで刀は「武器」に変わった。

 ニケは叡智アクシノが予想した敵の動きを詳しく話してくれて、最後にすまなそうに言った。

「……勇者よ、この世界のために命を賭けてくれるか?」
「前々から思ってたけどさ、あんたやこの星の神々は馬鹿なの?」

 シュコニは正直に答えた。アクシノの予想を脳みそに叩き込みながらニケを睨む。

「私は勇者じゃないし、あんたたちの味方じゃない。敵じゃないってだけだ。そっちが私を利用するように、私はそっちを利用するだけ」

 メイドは更衣室を飛び出して酒場に立ち、貼り付けた笑顔で2人の子供が来るのを待った。


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