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第五章 人狼の夜

邪神の眷属

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 早朝、俺は炊飯器で多めの米を用意して納豆と味噌汁の朝食を済ませ、冒険帰りで飲んだくれて寝ている両親のために残った米をヒノキのおひつに移した。炊飯器の保温機能は使えない。俺が召喚をやめてしまうと中の米以外が消えてしまうからだ。

 いつもの黒いパーカーを着て、テーブルにメモを残して自宅を出発し、隣の部屋のドアをノックする。

「にゃ……」

 超眠そうな子猫が顔を出し、ミケは差し入れのおにぎりを無言で食べた。さらに隣で暮らしているムサも起こして海苔を巻いたシャケおにぎりを渡す。

 同行者がいるのでチャリは無しにして、俺たちは徒歩で仕立屋に向かった。子猫と独身はごま昆布おにぎりの所有権について少し喧嘩した。

 豪華なガラス戸を持つの店の前には「臨時休業」の立て看板があった。

「来たな、ムサ。職人たちも揃っているぞ」

 吸血鬼のこども店長は、祖父が経営している店が実家ではあるが、最近はほとんど自分の店の3階で寝泊まりしている。以前、テンプレ通り棺桶で寝るのか聞いたら変な顔をされたのが残念だ。普通にベッドで寝ているらしい。

 店内には正社員たる5名の女性社員がいて、全員が手に巻き尺を持っていた。

 レテアリタ帝国で使われている長さの単位は肘から指先までの約50センチが基準で、これを「レガン」と呼ぶのだが、普段はその2倍たる「ケドゥア(約1メートル)」を使い、日常の小物にはレガンを7等分した「ジャリ(約7センチ)」や、ジャリを4等分した「マニス(約2センチ)」を使う。

 メートル法を使えヤンキーと言いたくなるわけのわからん単位だが、レガンを7等分するこの単位系は500年前の「勇者」に7人の嫁がいたことが由来だそうで、歴史は古い。直径1レガンの円周が概ね22ジャリになるのが長く愛されている理由なのかな? ——ちなみに〈常世の倉庫〉の厳密なサイズはケドゥアが基準で、約1立方メートルが倉庫の最小単位だ。

 ところでこの街に「有給」なんて概念は無い。

 臨時休業ということは、今日は給料無しになるのだが、社員さんたちは巻き尺を手に張り切っていた。年長の太ったおばちゃんが3ケドゥアの巻き尺を手にムサを迎え入れた。

「剣閃の風のムサ! あんたの噂は聞いてるよ。あたしはこの街の生まれだけど、ウユギワ村の迷宮を滅ぼしたメンツのひとりで、今もこの街でヤバい冒険を続けているとか……しかも、役職は盾! 背丈は2ケドゥア近くありそうだね。久々に手応えのある仕事になりそうだ。あたしら普段はメシばかり作ってるから、ずっとスキルが上がらなくてさ……」

 おばちゃんは笑いながらムサの採寸を始めたが、俺は社員さんたちのやる気に違和感を覚えた。職人としてスキルを上げるチャンスというのは間違い無い。怪我の多い盾職に服を作ればおばちゃんが期待する通りになるだろうが——しかし、無給で良いのかな?

 おばちゃんはムサの背をぐいぐい押して店に押し込み、他の女性店員さんたちもムサを取り囲んできゃっきゃと採寸を始めた。

「給与を前払いしたんだ。全員に40銀貨バルシずつ——しかもコンテストに勝てば追加でボーナスを払うと言った。悪いがバイト諸君に前払いは無しだぞ」

 店長のパルテが俺の隣に来て笑った。

「全員に銀貨40!? 5金貨ドルゴも出したのかよ……負けたらどうするんだ」
「勝てば良いんだよ。おれたちにはフォーコもいるし……ムサには言うなよ? 少なくともユエフー・コン・フォーコには勝ち目があるから、キツネが100金貨ドルゴ稼いでくれれば赤字にはならない計算だ」

 ムサに聞こえないよう超小声で言って、吸血鬼は声の大きさを元に戻した。

「ムサの採寸が終わったら、今日はうちの職人総出で素材の買い出しをする。鑑定持ちの出番だぞ。おれとカッシェとブックの3人に加えて、おまえが社員のうち2人に教師経由で〈鑑定〉を与えてくれたら5チームを作れる。
 さらに言うと、社員のうちウユギワ出身者は全員が倉庫持ちだから、買った素材の置き場所の有無も考えて適切にチーム分けしないと——区長とナンダカさんに〈教師〉の件は伝えてくれたよな? 今日は〈無詠唱〉はできないぞ」
「両親には昨晩伝えたけど、打ち上げ帰りで酔ってたから書き置きも残したよ。1ケドゥア四方しか無いけど、久々に俺の〈倉庫〉も有効にしてある……ポコニャさんにはミケが伝えたってさ」

 店内にはすまし顔のキツネと魔法使いそのままの服装をしたブック・ムドノールがいて、12歳のミケはさっそく親友2人とおしゃべりに興じていた。本日は臨時休業であり、バイトは全員非番だが、服は揃いの黒い学生服だ。

 店長パルテが指示を下した。

「ブックはまったく喋らないからリーダーと組ませよう。他の社員じゃ無言のタヌキを相手するのは辛いだろうし、子猫はレベル2の倉庫持ちだ。そういやムサの倉庫はLv5だっけ? いいなぁ……“家賃”でMPは半減するけど、運送業か旅館で大儲けできる」

 声をかけられたムサは女性社員に囲まれて幸せそうだった。童貞は社員の中でも特に美形の黒人女性にデレデレしていて、ボクは今すぐカレが真実を知れば良いのにと叡智サマに願った。

 ねえ童貞。その女性ひとすでに結婚していて、子供が2人もいるんだZE……☆

〈……その点についてだけは相変わらず邪悪だな、童貞〉

 はああ!? どっ、童貞じゃねえし! マジデイミフだしッ!

 脳内に響く佞智の言葉をスルーしてボクはパルテに聞いた。

「それで、俺はどの社員と組めばいい? クソ生意気なキツネ以外なら誰でもいいけど」
「へえ? そうか了解」

 青白い肌をした金髪・赤目の吸血鬼は、ボクに邪悪な笑みを浮かべた。


  ◇


 それから半時後、港に戻った漁師たちの合間を抜けて俺はクソうるせえツーサイドアップの子狐とラーナボルカの旧市街を歩いていた。

 俺はLv1の鑑定を連打しながら歩いていて、切れかけた電球のように体を明滅させている。

 ステータス画面を見てみると、そんな〈連打〉は教師スキル経由で〈鑑定〉を与えた社員さんたちも同様で、嬉しそうに次々とMPを消費しているし、〈大本営アプリ〉経由で、パーティを組んでいるノールや、邪悪な吸血鬼もMPを消費しているのがわかった。

 MPが豊富なノールはともかく悪逆の蚊は時々MPを回復させながら〈鑑定〉を続けていて、いつだったかミケが語った「うんこ味」のドリンクを煽りながら街を鑑定して周っているに違いない。ふはは。ざまあ。ボクのように2万を超えるMPがあればね……?

「——最悪だわ。最悪! ……ねえあなた、もっと離れて歩いてよ。8億レガンくらい! あなたと並んで歩いたら、髪がぼっさぼさのコレがわたしのカレシと思われちゃうでしょ?」
「……それは酸鼻を極めるね。ほら、命令に従ったぜ?」
「さんび……? それに、わたしの命令に従ったってどういう意味?」

 鑑定で知ったサイズを考えると8億レガンはこの星を1周してちょうど元の位置に戻るくらいだったのだが、ひねりすぎた俺の皮肉は中1の小娘に届かなかった。

「——あら、それより見なさいよカオス!」

 と、そこで13歳のクソ生意気なキツネが通りにある店のひとつを指さす——床屋だ。

「え? イヤ待って、俺たちの目的は素材の——」
「ちょうど良いわ! あなたの醜いロン毛を切ってもらいましょ——いいえ文句は聞きません。うるさいだまれ! あなた、自分が人からどう見えてるか自覚してるの? 歩く松ぼっくりみたいな髪! 決まりよカオス、あなたは今すぐ髪を切るべきだわ!」

 さっきまで8億レガン離れろと叫んでいたキツネはハキハキとした口調で俺の腕を取り、床屋へ引っ張った。腕力のステータス的には圧倒しているので力負けはしないが、女相手に横暴な態度も取れず——ていうか、ほのかな膨らみにボクの肘が当たっていて、ボクは顔面が上気するのを感じた。

「~~~~やめろ、よせ、床屋は嫌いなんだ! それに俺の絶対防御は知ってるだろ?」
「なによ、歌様にもらったHPを自慢したいわけ?」
「違う。髪を切ろうとするとHPの壁でハサミが壊れるから、床屋に迷惑がかかるぞ? 最悪弁償になる!」
「あら、あら。それは大事件ね? ——黄昏たそがれの神よ、深く暗い影よ……」
「え、なに唱えてんの」

〈——魔法剣:影——〉

 視界にスキル表示が浮かんだ瞬間、子狐は「チタンの杖」で俺をぶん殴った。

 それはユエフーが常に装備している直径1マニス・長さ4ジャリの金属棒で——30センチほどの小さな杖は、俺がカンストしている〈火炎〉スキルを何日も使い、結果としてわずかに手にした素材を、やはりカンストしている〈鍛冶〉で鍛えまくった最高級品だった。

 せっかく作ってやった貴重なチタン製の武器が、俺の絶対防御ヒットポイントに激突する。

「——やめろ、よせ! 杖が壊れる!」
「なによ、壊れたら直せばいいじゃない。あなたの鍛冶はカンストしてんでしょ? ——合計3HPだから、あと2発で枯渇ね♪」

 俺は中1のクソガキが繰り出す攻撃を必死に回避しようとしたが、敏捷ステータスは向こうが上だった。周囲の市民がさっと避難し、冒険者らしき集団が口笛を吹いて囃し立てる。

 キツネの小娘は青い瞳を輝かせながらチタンで俺を撲殺しようと襲いかかり、攻撃を受けることより武器が破損するのが嫌で、ボクは必殺の「鑑定連打」で窮地を打開しようとした。

(アクシノ、連打を——)
〈——連打? 断るw〉
「おい貧乳、なんでだよ!?」

 連打を願ったボクはまな板の女神に裏切られ、

「はああ!? あなた今、わたしの胸がなんだって!?」
「違う、貧乳ってのはおまえじゃなくて」
「死んじゃえっ!」

 激怒したキツネの一撃が決まり、俺は追加のHPを消費させられた。影属性を付与されて黒く染まったチタンの杖が絶対防御の壁に激突し、少し歪む——俺の傑作が歪んでしまった!

「——ついでに魔法も受けておけっ!」

 クソ狐は攻撃しつつ詠唱までしていて、バックステップして距離を取ると俺に曲がった杖を向けた。

〈——影魔術:漆黒のダーク蠢動スクワーム——〉

 影魔法スキルに特有のイタいスキル名が視界に躍り、俺の足元の影から黒い触手が伸びてくる。おぞましい見た目に反し、この魔法は対象に「くすぐりの刑」を与えるだけというふざけた効果で、ゴブリンやオークなどヒトと同じ脇腹を持つ相手にしか効果が無いし、命中しても対象が半笑いになるだけの効果しか持たない。

 そんな影魔法の唯一の利点は「装備貫通」で、影系スキルは「貫通」が売りの能力が多いのだが——俺やミケが持つHPの壁は、影魔術と致命的に相性が悪かった。

 影の魔法はどれも威力そのものはたいしたことがないのだが、装備を突破された俺の体を守ってくれるものは俺の基礎防御力と「HP」しかなく、基礎防御に劣る俺の、貴重なHPが「くすぐり」のせいで消費されてしまう!

 HPの壁は防御を貫通する黒い触手の「こちょこちょ」から俺を守ってくれたが、

「ふふん、これで混沌の影()はHP無しね?」

 生意気なキツネが落葉色の長髪を払って高慢に笑った。

「さ、美容院に行くわよ——あとこれ、ちょっと曲がったから明日までに直して!」

 俺が着ているパーカーのポケットに曲がってしまった傑作を突っ込むと、狐は上手な鼻歌を歌いながら俺の腕を引っ張った。ボクにはすでにHPは無く、抵抗しても無駄だった。

 くそっ、邪悪な暴力女め。口も悪いし、マジで苦手だこういうタイプ。

 怒鳴り散らしてやろうかと思ったが、俺はぐっと我慢した。

 相手は13歳の小娘だ。前世から通算すれば圧倒的にオトナの俺が耐えなくてどうする。それにユエフーはたぶん——いや、間違いなく「邪神」に操られて俺の前に来てしまったのだ。

 この惑星の住人は、誰もが神々の加護を受け、誰もが神に操られている。


〈■■の加護 Lv■〉


 ステータス画面に表示されている〈大本営アプリ〉の結果には相変わらず黒塗りされた小娘の加護が表示されているが、俺はミケに黒塗りの加護を教えていないし、鑑定Lv5を持つ店長はこの加護の存在を見抜けないようで、俺はパルテにも伝えていなかった。

 一番の理由はユエフー自身が自分の加護を秘密にしているためで、このガキがなにも言わないのは、きっと「言うな。天罰だぞ?」とでも神託されているからだろう。

 ——このクソ生意気な少女は、ただの〈邪神の眷属〉だ。

 そのことを周囲に言いふらす意味は無いし、鑑定阻害の防具に身を固めているせいで疑われたノールのように、変に周りから勘ぐられたら可哀想だ。

 きっとこの子は仕立屋パルテの面接を受け、狸と違ってすぐに信用されて俺の同僚になり、俺のギターに興味を持って、とある邪神の加護を持つ混沌の影()から技法を教わると、店長から「歌え」と指示されただけだろう。

 ——ざっけんなファレシラ。どう考えてもこのキツネ、「星辰の加護」を持ってるよな?

 この惑星を支配する星辰の邪神は歌の女神でもある。そしてユエフーには、露骨なまでに邪神の作為が見え隠れしていた。

 おそらく邪神はこの少女を操り、地球から転生してきた俺にもっと地球いせかいの音楽を披露させようとしているのだろうが、その手に乗るか。

 邪神の下っ端アクシノも俺が「■■の加護」を鑑定するたび露骨に知らんぷりを決め込んでいるし、ユエフーが〈歌の眷属〉であるという俺の予想は、ほとんど確実に正解のはずだ。


  ◇


 床屋の店内はこざっぱりしていて、木の椅子が並んでいるだけだった。鏡は高価なので無く、床に散らばった様々な色の髪の毛やしっぽの毛を店主がホウキで掃いていた。

 俺と同じ〈邪神の眷属〉たるユエフーは13歳の少女らしく髪をいじるのが好きなようで、俺を座席に座らせると店主と一緒に嬉々として俺の髪型の相談を始めた。キツネ色の太いしっぽを左右に振って上機嫌だ。

「——わたしとしては、この前旧市街の劇場で見た旅芸人の○○みたいな髪型が良いんですけど、アレってコイツに似合うと思います? ……わあ、なるほど! 確かにコイツは、あの劇の脇役の××みたいな髪型が良いかもっ! さすが熟練の美容師だわ……!」

 俺は小娘の戯言を聞き流しながらため息をついた。

(買い出しに行かなきゃダメなのに……昨日エプノメに聞いた話を忘れたのか? ユエフーだって同じ邪神に祟られているはずだろ……?)

 俺は〈手紙〉アプリを開き、久々にクエストの内容を読み返しながらまな板の鯉になると決めた。邪神からのクエストにはまだ1年の余裕があるが……。

(まだ証拠は無いけど、ラーナボルカの領主は〈月の竜〉と関わりがあるらしいぜ? ファレシラ——)


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