エリート医師は癒し系看護師とお近づきになりたい

九竜ツバサ

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【小話】循環器外科一般病棟 午後三時

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 重症患者も多く、論文の〆切も近い。
 白川亨は食事も睡眠も、ついでに性欲処理もおざなりにして働いていた。家に帰っても仕事の続き、プロテインと栄養剤を飲んで、シャワーを浴びれば寝るだけ。誰かに頼るにも、家庭があって時間の融通が利かなかったり、亨と同じく疲弊して隈を作っていたり、余裕のある奴がどこにもいない。
 午後三時過ぎの循環器内科病棟。
 午後になり漸く落ち着いた詰め所で、看護師長に文句を言われながらカップラーメンを啜り、パソコンと睨めっこをする。大量の検査結果に一つ一つに目を通し、記録を書き、そんなことをしているうちに麺が伸びてぶよぶよと増える。
 看護師がキャッキャと明るい声で喋っている。まるで小鳥のさえずりのようだ。患者用の昼食の残り香に、食事をしているはずなのに腹が空く。あー疲れた。癒しが欲しい。


 足が浮腫み、目が霞んできたので立ち上がる。腕を上げ背中を伸ばすとバキバキと骨が鳴った。
「先生お疲れですねえ」
 声を掛けられ振り向くと看護主任が目尻の皺を深くしていた。自分の母親と同じくらいの年齢の彼女は穏やかで優しい。ふくよかな体は包容力の塊に見える。
「最近忙しくて。病棟もこんなでしょう。応援でも来てくれたらいいんですけどね」
「そうですよねえ。私たちに出来ることがあればお手伝いしたいんですけど、なかなかねえ」
「主任さんのお気遣いだけで元気出ますよ。師長さんはほら、厳しいから」
 ふふっと控えめに主任が笑う。
「今ね、小児の病室で沐浴をやっているんですよ。もしお時間あったら見に行くのはどうでしょう。きっと癒されますよ」
「沐浴……ですか?」
「子どもたちは小児の先生が診るから、白川先生はあまり見る機会ないでしょう?」
 曖昧な返事をして、亨は冷えたカップラーメンの汁を飲み干した。
 呼ばれてどこかへ行ってしまった主任が自分に向けた、慈母のような眼差しにくすぐったさを覚えながら、沐浴という言葉を頭の中で反芻する。
 確かに、生まれたての赤ん坊の入浴など見たことが無い。でもあまり興味もない。今の多忙さと天秤に開けて、赤ん坊を取ることにメリットがあるとは思えなかった。再びディスプレイに視線を固定する。すると慌ただしい足音が聞こえ、「子どものボディーソープありますか?」と聞き覚えのある声が焦ったように言った。
 亨が振り返ると、手に物を渡された黒野ゆえが詰め所から飛び出して行くところだった。
 みるみる間に彼女の背が奥の廊下に消えていく。そちらにあるのは小児病室だ。
 近くを通った看護師に「何持って行ったの?」と尋ねると「子どものボディーソープみたいですよ」と微笑まれる。
「ゆえさん今日受け持ちだから」
 へー、と興味なさげに返して、亨は立ち上がった。カップラーメンの容器を捨て、聴診器を肩に掛ける。スクラブと白衣の胸元が汚れていないか確認し、ゆえの向かった道を辿った。


 薄い石鹸の匂いがする。穏やかに水が動く音も聞こえる。
 亨は二つあるうちの手前の小児病室の前で立ち止まり、あまり頭を出さないようにして、開けっ放しのドアの中を覗いた。が、四つベッドがあるうちのドアに近いところでその介助は行われていたようで、すぐに数名いるうちの看護師に見つかった。亨は仕方なく、人好きのする笑顔を振りまいた。
「何してるの?」
「赤ちゃんのお風呂ですよ」
 中年の看護師が嬉しそうに答える。
「昔はねえ、タライでやったもんだったのよ」
 年上の看護師は思い出話を自慢のように話す。
 その中心には、ベビーベッドに入った子猿のような赤ん坊と、それを支え、薄い体をガーゼで撫でるゆえがいた。ベッドの傍では若い母親が目に焼きつけるようにその様子を見ている。
「気持ちいね」
 優しく囁きかけるゆえの表情はまるで聖母マリアだった。立ち上る湯気の温かさ、子どもの心地よさそうに脱力した体、静かに見守る観衆。この忙しい病棟の中に別世界があるとしたら、間違いなくここである。


 入浴を終えた赤ん坊は着替えとタオルが置かれたベッドに寝かせられ、手際よく乾かされていく。ゆえの柔らかな手つきに皆が注目する。
 しかし徐々に赤ん坊の顔が歪んでいく。
 すぐにふぇんふぇんと泣き始めた。
 清潔な衣服を身に着けた、小さく頼りない体をゆえが抱き上げる。首の後ろを支え、横抱きにし「大丈夫、大丈夫」「気持ちよかったね」と囁きかける。亨は赤ん坊の頬が彼女の胸にぴったりとくっついているのを見逃さなった。
「ぐっ……」
 背後で呻いたエリート医師の声に驚いた看護師が勢いよく振り向く。
「先生大丈夫ですか?」
「あ、うん、大丈夫。ちょっと胸が痛んだだけ」
「え、本当に大丈夫ですか」
 はは、と笑うと、看護師は気遣うようにしながらも視線を戻した。
 子どもの泣き声が小さくなっていく。そして赤ん坊の手がゆえの服を握る。布が引っ張られ、胸部がその膨らみを強調する。
「んぐっ……」
 手で口を覆ったが声が漏れた。
 今度は二人の看護師が怪訝な顔で亨を見た。
「大丈夫」
 何も聞かれていないのに頷いて笑顔を作った。
 赤ん坊はそのまま母親に手渡され、ゆえは使った物品を片付け始めた。集まっていた人々が散っていく。その流れに乗って亨も廊下に出た。胸の中と腹の底が熱い。
 時間をかけて廊下を歩き、詰め所に入る前に壁に側頭部を叩きつけた。痛みが理性を引っ張りだっす。
「あら、先生沐浴見てきたの?」
 後ろから来た主任が亨を覗き込んだ。
「赤ちゃん癒されたでしょう?」
「……はい。大変癒されました」
 そうでしょうそうでしょう、と主任は満足そうに笑って先に詰め所に入っていく。
 ノックするように頭で壁を叩いて、亨は脳にこびりついたゆえのあれやこれを消そうとしたがそんなに都合よくはいかなかった。そのままだらだらと階下に下りて、職員用のトイレに這うように入った。個室は都合よく空いていた。
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