9 / 15
9 改稿
文芸部の部室には、僅かだが美術部員が混じっていた。
左神は彼らを横目で見ながら、創作用のノートを取り出す。
『天使の結末』のプロットが書かれている頁を開き、親指でシャーペンをノックした。
――孤独な天使。
――見捨てられた天使。
――誰にも知られぬまま、死んでゆく天使。
改めてみれば、救いの無いストーリーに、読者の心を揺り動かす要素があるとは到底思えなかった。そのことを執筆時に気づけなかったのは、やはり、天使のモデルにした右堂に対する悪意が、少なからずあったからだろう。
左神は、ひとりきりで煙草の煙を吐き出す右堂の姿を想像した。
あいつは、本当に、大丈夫なのだろうか。
ひとりで、寒さに震えながら、毒を吸い込んで――――……。
ぐしゃり、と手の中で一頁がひしゃげた。
眼球の裏側が熱い。
噛み締めた奥歯がギリッと音を立てた。
左神は机上に出していたすべての道具をリュックに詰め込み、校舎を飛び出していた。
自転車で川辺を駆ける。
しかし、いつもの橋の下に、右堂はいなかった。
息を弾ませながら、今度は自宅へ急いだ。
〆切まであと一週間しか無い。
原稿を全文書き換えるには時間が掛かり過ぎる。
新しいエピソードを、自然なかたちでさし仕込んでいくしかない。
左神は脳内で『天使の結末』のストーリーを組み直しがらシャワーを浴びた。慣れない徹夜は彼の体力を奪ったが、必死の思いが集中力を持続させた。
天使は決して悪い奴じゃなかった。
己の生命を削ってでも、人間を幸福にしようと働いた、尊い存在だ。
誰が彼を傷つけた?
何が彼を狂わせた?
どうしたら彼を幸せにしてやれる――――?
左神は五日間悩み続け、大幅に改稿した小説を完成させた。
その朝、真っ先に駆けて行ったのは二年四組の教室だった。生徒の半分は来ていたが、目的の右堂はバッグさえ無かった。傍にいた女子に声をかける。
右堂の机を教えてもらい、その上に、初稿より分厚くなった紙の束を乗せた。
読んでもらえなくてもいい。ただ、あの初稿が右堂を傷つけたなら、書き直すという行動で謝罪の意を表したかっただけだ。
左神はすぐにその場所を離れた。
うすい雲に隠れてはいるものの、徹夜後の朝日は目に沁みた。
***
仄暗い放課後。
数日の徹夜がたたり、机につっぷし眠りこけていた左神ははっとして目を覚ました。
急いで帰宅の準備を済ませ、二年教室があるフロアの廊下を歩く。その間に、なにげなく見た旧校舎の窓に照明が灯っているのを見つけてしまい、左神は反射的に立ち止まった。
前面に見えているのは暗闇に包まれた音楽室だが、光の出所は、廊下を挟んだ奥側にある美術室に違いなかった。
時間はもう十九時を過ぎている。
合同文芸誌の〆切もあと二日というところまできたが、周囲の様子を窺うと、余裕をもって描き(書き)終え、暇を持て余している部員が大半のようだった。
この時間まで残って制作作業をしている熱心な部員がいるのだろうか。
左神は胸騒ぎがして足早に歩を進めた。
二階の渡り廊下を過ぎて、うす暗い旧校舎へ向かう。三階のフロアへ足を踏み入れれば、最奥の美術室からは、蛍光灯の眩しい光が溢れていた。
左神は足音を立てないように近づいて、ドアに嵌められたガラスの小窓から中をのぞいた。室内にいたのは一人だけだった。
色素の薄い頭髪に、袖をまくった真っ白いシャツ。学生服の黒いズボンをまとう脚は驚くほど長い。――右堂は左神の存在にも気づかず、手元のパレットに絵筆の先を擦りつけている。
彼の前に立つ木製のイーゼルには縦三〇センチ四方の大きさのキャンバスが置かれ、それには三色をつかった、大胆な抽象画のようなものが描かれていた。
やや屈みぎみでキャンバスに向かう右堂の白い腕と腰の細さに、左神は何故かどきりとした。
古い校舎の埃くさい空気を吸い込み、気を紛らわす。
右堂は時折、絵のバランスを見るようにキャンバスから離れる。イーゼルの背後にある暗い窓に、鏡のようにその顔が映っていた。唇を引き結び、真剣な表情を浮かべる右堂は、男から見てもやはり美しかった。
曖昧な輪郭の絵は、まだ何を描いているのか判然としない。
多分、下書きのような段階なのだと思うが。
どうしても気になり観察していると、右堂が時折、わきに寄せた机の上で紙束を捲っていることに気づいた。パラパラと捲っては、手を止めてじっと見つめる。また描きだして、再び紙に視線を落とす。
それの正体が何なのか、左神は瞬時に理解した。
解かると同時に、ドアの引き手に指をかけていた。
ガラガラと滑りの悪い音に気づいた右堂が、驚きも無い顔で振り返る。
唇が白い。教室内は想像よりもずっと寒かった。
「やっぱり、君は僕に用事があったんだね」
右堂が、リズムをとるように絵筆を上下させながら言う。
左神は右堂に近づきながら、
「やっぱりって何だよ。まるで俺が来るのを知ってたような口ぶりじゃねえか」
と眉を顰めた。
「この窓に映っていたのは僕だけじゃないんだよ。気づかなかったかい?」
鼻で笑う右堂を見て、羞恥が込み上げる。
舌打ちをすると、右堂が微笑して「こんな時間まで学校にいるなんて暇なんだな」と首をかたむけた。耳にかけていた右堂の横髪が、一束こめかみに落ちる。
「お前は何してんだよ」
左神はわざと訊いた。
返事は一つしかないだろうと踏みながら。
右堂は両手を肩の高さで開いて、わざとらしく溜息をついた。
「原稿を〆切ギリギリで渡されたものだからさ、必死で描いているんだよ」
奴が視線をやったのは、左神の書いた改稿作だった。ところどころに付箋や折り目がついている。左神は目元をひくつかせて「描かねえんじゃなかったのかよ」と剣のある声を出した。
「読んでくれ、描いてくれ、とばかりに置いていったくせに今更何を言っているんだい? こうしてほしかったんだろう?」
「別に……ただ直したってわかってくれりゃよかったんだ、俺は」
「じゃあそう言えばいいじゃないか。それも知らず描き始めてしまったばかりに、僕はもうやめることが出来ない。ひどく滑稽だ」
「何だよ、俺が悪ィみてえに。お前が勝手に描いてんだろうか」
「じゃあ描き上がっても君には見せてやらないし、これはすぐに破棄する。だが、最後までは描ききる。それが僕の矜持だ。君は早く帰って温かい布団で赤ん坊のようにぐっすり眠るといい」
「ムカつくことばかり言いやがる。こんな寒ィ中、そんな薄着で描いて風邪引いても知らねえぞ」
「くだらない心配してないでさっさと帰りたまえよ。君がいると作業が進まない」
「勝手にやってろ」
左神は吠えるように言って、乱暴にドアを閉めて美術室を出て行った。
数歩進んで振り返ると、蛍光灯の白い光が明るい白波のように廊下に届いていた。
校舎を出て、マフラーに口元を埋める。呼吸をすると、毛の立った布地に熱と湿気が籠った。右堂の白い顔が脳裏に浮かぶ。
ほんとうに、――大丈夫なのだろうか。
減らず口を叩く右堂の、どこか自虐的な危うさが目につく。
見上げた空にはまだらな雲がかかり、僅かに欠けた月を覆って光を遮っていた。
溜息が、白いもやとなって鼻先に浮かんだ。
あなたにおすすめの小説
過労で倒れかけの騎士団長を「カツ丼」で救ったら、なぜか溺愛され始めました。
水凪しおん
BL
王都の下町で、亡き両親が残した小さな食堂をたった一人で切り盛りする青年、ルカ。
孤独な日々の中で料理だけを生きがいにする彼の店に、ある冷たい雨の夜、全身を濡らし極限まで疲弊した若き騎士団長、レオンハルトが倒れ込むようにやってきた。
固形物さえ受け付けないほど疲労困憊の彼を救うため、ルカが工夫を凝らして生み出したのは、異世界の食材を組み合わせた黄金色の絶品料理「カツ丼」だった。
その圧倒的な美味しさと温もりに心身ともに救われたレオンハルトは、ルカの料理と彼自身に深く魅了され、足繁く店に通うようになる。
カツ丼の噂はまたたく間に王都の騎士たちや人々の間に広がり、食堂は大繁盛。
しかし、その人気を妬む大商会の悪意ある圧力がルカを襲う。
愛する人の居場所を守るため、レオンハルトは権力を振るって不正を暴き、ルカもまた自らの足で立つために「ルカ商会」を設立する決意を固める。
美味しいご飯が傷ついた心を癒やし、やがて二人の絆を「永遠の伴侶」へと変えていく。
胃袋から始まり、下町の小さな食堂から王都の食を支える大商会へと成り上がる、心温まる異世界お料理&溺愛ファンタジー!
路地裏の王子様と秘密のカフェ ―10年ぶりに再会した親友はトップアイドルでした―
たら昆布
BL
大学生の千秋がバイト帰りの路地裏で助けたのは、今をときめくアイドル『GALAXY』のセンター、レオだった。
以来、レオは変装して千秋の働くカフェへ毎日通い詰めるようになる。
「千秋に会うと疲れなんて全部消えちゃうんだ」
トップアイドルとは思えないほど素直に懐いてくるレオに、千秋は戸惑いながらも多忙な彼を支えたいと願うようになる。
しかし、千秋はまだ知らない。
レオが10年前に「また絶対会おう」と約束して別れた泣き虫な親友の玲央本人だということに。
オメガだと隠して地味なベータとして生きてきた俺が、なぜか学園最強で傲慢な次期公爵様と『運命の番』になって、強制的にペアを組まされる羽目に
水凪しおん
BL
この世界では、性は三つに分かたれる。支配者たるアルファ、それに庇護されるオメガ、そして大多数を占めるベータ。
誇り高き魔法使いユキは、オメガという性を隠し、ベータとして魔法学園の門をくぐった。誰にも見下されず、己の力だけで認められるために。
しかし彼の平穏は、一人の男との最悪の出会いによって打ち砕かれる。
学園の頂点に君臨する、傲慢不遜なアルファ――カイ・フォン・エーレンベルク。
反発しあう二人が模擬戦で激突したその瞬間、伝説の証『運命の印』が彼らの首筋に発現する。
それは、決して抗うことのできない魂の繋がり、『運命の番』の証だった。
「お前は俺の所有物だ」
傲慢に告げるカイと、それに激しく反発するユキ。
強制的にペアを組まされた学園対抗トーナメント『双星杯』を舞台に、二人の歯車は軋みを上げながらも回り出す。
孤独を隠す最強のアルファと、運命に抗う気高きオメガ。
これは、反発しあう二つの魂がやがて唯一無二のパートナーとなり、世界の理をも変える絆を結ぶまでの、愛と戦いの物語。
転生したら最強辺境伯に拾われました
マンスーン
BL
現代日本人・東堂裕太が目を覚ますと、そこは異世界。クズな婚約者に魔力を限界まで搾取され、ボロボロになって森に捨てられる悲惨な青年・ルカに転生していた。
死を覚悟した裕太だったが、そんな彼を拾い上げたのは、帝国最強の武力を誇り「氷の死神」と恐れられる辺境伯・ラーク。
禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り
結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。
そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。
冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。
愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。
禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。
沈黙のΩ、冷血宰相に拾われて溺愛されました
ホワイトヴァイス
BL
声を奪われ、競売にかけられたΩ《オメガ》――ノア。
落札したのは、冷血と呼ばれる宰相アルマン・ヴァルナティス。
“番契約”を偽装した取引から始まったふたりの関係は、
やがて国を揺るがす“真実”へとつながっていく。
喋れぬΩと、血を信じない宰相。
ただの契約だったはずの絆が、
互いの傷と孤独を少しずつ融かしていく。
だが、王都の夜に潜む副宰相ルシアンの影が、
彼らの「嘘」を暴こうとしていた――。
沈黙が祈りに変わるとき、
血の支配が終わりを告げ、
“番”の意味が書き換えられる。
冷血宰相×沈黙のΩ、
偽りの契約から始まる救済と革命の物語。
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました