23 / 66
ひどいこと
しおりを挟む
ぱっちりと開いたシイの瞳は、まるで洒落たカフェーで初めてプリンア・ラ・モードを前にした少女のように輝いていた。黒目の中にきらきらと銀河が浮かんでいる。
しかし彼女ははっとして、顔を引き締めた。
「こ、こんな高価なもの、頂けません」
「別に、余りものだと言っただろう」
「ご学友の方にお渡しすれば……」
「甘味など軟弱だと言う粗野な奴らだ。俺も先ほど食ってきたし。要らないなら猫にでもやれ」
投げやりに言うと、シイは繊細な手つきで包み紙からどら焼きを取り出し、小さく割ってそれを傍で寝ていた猫の鼻に差し出した。
猫はピンと耳を立てて丸い目を開け、ハグッとそれに噛りついた。
勢いよく食べるさまを見守って、シイがまたどら焼きを割ってやる。
侃爾はそのさまに下瞼を引くつかせて、「おい」と低く唸った。
「まさか全部そいつにやるわけじゃああるまいな」
「あ、え……」
「何だ、嫌いなのか?」
「き、嫌いでは、ないですが、そ、その――――私には、……勿体ないです」
シイは身の置き所が無さそうに体を揺らして俯いた。
猫はその間もあんこを舐め取っている。侃爾は食べているものも無いのに喉が詰まった。
シイを虐めたいのは、侃爾や他人だけでは無いのだ。
――――シイも、自分など無価値だと、自身を虐めたいのだ。
それを知ったところで何を変えるわけでも、変わるわけでも無い。
しかし別に、受け取れるものくらいは素直に受け取ればいいのにと、そう思ったのだ。
おもむろに、侃爾は包まれていたどら焼きを二つに割って、その片方を己の口に放り込んだ。
そして残った大きい方をシイに押しつける。
「お前が食わないなら捨てる。俺は腹がいっぱいだし、残飯だからな。どうする?」
侃爾の意地悪な言い方にシイは困ったように視線を巡らせる。
泣きそうに歪んでいく顔に侃爾が困惑し始めた頃、「い、た、だ、だき、ます……」とシイはようやく手を伸ばした。
それを口に運んだ瞬間、シイの表情がくしゃりと歪んだ。
口に合わなかったか。
侃爾が無意識に歯がゆさを感じていると、彼女の口角が僅かに上がったのが見えた。大事そうに噛みしめ、ぎゅっと狭まる肩とたまに跳ねる尻が、喜びを表す反応にしてはあまりに幼稚で――。
「何だ、好きなんじゃないか」
平静なふりをして侃爾は言ったが、腹筋が震えるのを堪えていた。
シイははっとして唇を拭い、「み、みっともないところを……、すすすみません……」と慌てて頭を下げた。
「別に。……顔のガーゼは汚れてないな。次に来たときに傷の具合を見る。では俺はこれで」
シイは手に残ったものを急いで口の中に詰め込んで、立ち上がった侃爾の背後で何度も礼を言った。何となく振り返ると、思いのほか近くにいた彼女のつむじがよく見えて、自分とシイの体格の違いを改めて理解した。こんな小さな女が大の男に手を出されたひとたまりも無いだろう。
――――ひどことをした、と思う。
侃爾は三和土に下り、ほとんど同じ高さになったシイの顔を見つめた。いまだに額の傷は開いたままだ。本当であれば縫合しなくてはいけないような傷をつけた。
シイは落ち着かなそうに体を揺らして、「あ、あの、な、何か」と侃爾とは目を合わさずに言った。
「いや……また、来る」
ひどく心臓が痛んだ。
引き戸を閉めるとき一瞬だけ振り返ると、彼女はまだ侃爾を見ていた。
視線を逃がして地面に踏み出す。
暫く商店の並ぶ通りを歩いてから、風呂敷を忘れて来たことに気づいた。しかし、遠からずまた訪ねるのだ。侃爾は外套の裾を蹴りながら歩く。
シイの身投げを止めてから十日が経っていた。
山の稜線が夕日の赤と山の影を分断している。決して交わらないその対比が侃爾には物悲しいものに見えた。
しかし彼女ははっとして、顔を引き締めた。
「こ、こんな高価なもの、頂けません」
「別に、余りものだと言っただろう」
「ご学友の方にお渡しすれば……」
「甘味など軟弱だと言う粗野な奴らだ。俺も先ほど食ってきたし。要らないなら猫にでもやれ」
投げやりに言うと、シイは繊細な手つきで包み紙からどら焼きを取り出し、小さく割ってそれを傍で寝ていた猫の鼻に差し出した。
猫はピンと耳を立てて丸い目を開け、ハグッとそれに噛りついた。
勢いよく食べるさまを見守って、シイがまたどら焼きを割ってやる。
侃爾はそのさまに下瞼を引くつかせて、「おい」と低く唸った。
「まさか全部そいつにやるわけじゃああるまいな」
「あ、え……」
「何だ、嫌いなのか?」
「き、嫌いでは、ないですが、そ、その――――私には、……勿体ないです」
シイは身の置き所が無さそうに体を揺らして俯いた。
猫はその間もあんこを舐め取っている。侃爾は食べているものも無いのに喉が詰まった。
シイを虐めたいのは、侃爾や他人だけでは無いのだ。
――――シイも、自分など無価値だと、自身を虐めたいのだ。
それを知ったところで何を変えるわけでも、変わるわけでも無い。
しかし別に、受け取れるものくらいは素直に受け取ればいいのにと、そう思ったのだ。
おもむろに、侃爾は包まれていたどら焼きを二つに割って、その片方を己の口に放り込んだ。
そして残った大きい方をシイに押しつける。
「お前が食わないなら捨てる。俺は腹がいっぱいだし、残飯だからな。どうする?」
侃爾の意地悪な言い方にシイは困ったように視線を巡らせる。
泣きそうに歪んでいく顔に侃爾が困惑し始めた頃、「い、た、だ、だき、ます……」とシイはようやく手を伸ばした。
それを口に運んだ瞬間、シイの表情がくしゃりと歪んだ。
口に合わなかったか。
侃爾が無意識に歯がゆさを感じていると、彼女の口角が僅かに上がったのが見えた。大事そうに噛みしめ、ぎゅっと狭まる肩とたまに跳ねる尻が、喜びを表す反応にしてはあまりに幼稚で――。
「何だ、好きなんじゃないか」
平静なふりをして侃爾は言ったが、腹筋が震えるのを堪えていた。
シイははっとして唇を拭い、「み、みっともないところを……、すすすみません……」と慌てて頭を下げた。
「別に。……顔のガーゼは汚れてないな。次に来たときに傷の具合を見る。では俺はこれで」
シイは手に残ったものを急いで口の中に詰め込んで、立ち上がった侃爾の背後で何度も礼を言った。何となく振り返ると、思いのほか近くにいた彼女のつむじがよく見えて、自分とシイの体格の違いを改めて理解した。こんな小さな女が大の男に手を出されたひとたまりも無いだろう。
――――ひどことをした、と思う。
侃爾は三和土に下り、ほとんど同じ高さになったシイの顔を見つめた。いまだに額の傷は開いたままだ。本当であれば縫合しなくてはいけないような傷をつけた。
シイは落ち着かなそうに体を揺らして、「あ、あの、な、何か」と侃爾とは目を合わさずに言った。
「いや……また、来る」
ひどく心臓が痛んだ。
引き戸を閉めるとき一瞬だけ振り返ると、彼女はまだ侃爾を見ていた。
視線を逃がして地面に踏み出す。
暫く商店の並ぶ通りを歩いてから、風呂敷を忘れて来たことに気づいた。しかし、遠からずまた訪ねるのだ。侃爾は外套の裾を蹴りながら歩く。
シイの身投げを止めてから十日が経っていた。
山の稜線が夕日の赤と山の影を分断している。決して交わらないその対比が侃爾には物悲しいものに見えた。
0
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる