消毒をして、ガーゼをあてて

九竜ツバサ

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接吻

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「む、無理、です。近くて、きんちょうします……」
「いずれ慣れる」
 シイの目前で、侃爾はさっぱりとした顔で言う。

 うう、と呻くシイを侃爾は再び抱き寄せて、耳元で「『最後』なんだろ」を甘い毒を刺すように囁いた。

 シュル、とシイの着物を留める紐を解いていく気配を、シイは心臓を跳ねさせながら感じていた。侃爾にもその緊張が伝わってくるので、柄にも無く怖気を感じ手が止まりそうになる。

 己の下心をシイの身の『最後』という状況を使って押しつけて良いものなのか。――正しいわけが無かった。しかし、シイにとって最後というならば侃爾にとっても最後なのだ。いくら己がシイを救おうと思っても、シイ自身が抵抗するならば彼女の明日以降の生存が叶わぬ可能性は高い。

 そんなことはあってほしくない。
 しかし本当に、……最後かもしれない。
 己の勝手だけを主張するならば、後悔したくないのだ。

 帯の解き目を引っ張り緩めていくと、頑なな結びが解け浴衣の袷が割れた。同時にシイが自分の胸元を隠すように両腕を重ねる。
 侃爾はシイの頬に貼られたガーゼを撫でながら、緊張に強張る表情で言った。

「これから何もしない、…………と言ったら嘘になる。嫌だったら逃げてもらって構わない。しかし俺は、お前が嫌がることも、痛がることもしない――と約束する」

 シイは侃爾をじっと見つめてから、泣きそうな顔で頷いた。






 月明かりの中、目前の侃爾は柔らかな手つきでシイの髪を撫でた。
 顔を覆う闇色の前髪を除けて、親指で顔の傷をなぞる。
 ゆっくりと、ゆっくりと、丁寧に。
 気遣うように、なぞっていく。

 シイは懸念していた。
 この無数の傷のせいで、侃爾の興が冷めてしまうのではないかと。
 しかし侃爾の指は、大事なものを扱うような手つきでケロイドを撫でてゆく。
 それがシイの、都合のいい妄想を誘発する。

 線を辿っていた侃爾の指が、シイの唇の端で止まる。

「ここは擽ったいんだったか」

 尋ねる声は低く掠れていた。

「紅を塗る時は、そう感じました」

 シイが素直に答えると、侃爾は時が止まったように無表情で固まって、すんと鼻を鳴らした。

「じゃあ、気持ち悪かったら言ってくれ。俺は今からここに触れる」

 シイの唇の端を短く擦る侃爾の親指。
 シイはその手の甲に自分の両手を添えて、「触れてください」と恥じらいに頬を染めながらも乞うように囁いた。

 侃爾の親指がシイの下唇をゆっくりと這っていく。まるでカタツムリの歩みのそれは、ただの乾いた肌の触れ合いとは思えぬ程、シイの体を熱くした。擽ったさとは別に、焦れるような切なさが体の奥底から湧き上がってくる。

 右から左へ。
 早く。
 早く。
 でも、――――『早く』どうして欲しいというのか分からない。
 左から右へ。

 弧を描くように行き来する指が、少しだけ憎い。
 シイは熱くなった眼球を隠すように目を伏せる。
 指紋さえ擦り込まれ、覚えてしまいそうな錯覚。
 擦れたところが熱い。
 ――――ああ、『早く』。

「…………っ」
 驚いたような浅い吸気の音を感じて目を開ければ、口の中に『彼の味』が広がっていた。

 彼の硬い皮膚の味。
 親指の、味。
 侃爾の指を、シイの犬歯が噛んでいた。
 無意識の愚行に、あ、と思ったが、離せなかった。

 硬い皮膚に尖った歯を押し込んで、決して抜けぬように掴まえた。そのまま舌先で彼の親指の腹を舐めると、再び侃爾の体がぴくりと反応する。そして険しい顔をして、

「それは、嫌だという抵抗……ではないと受け取っていいか?」

 と押し殺したような声で言った。

 シイは侃爾の指を噛んだまま中途半端に開いた口で肯定した。その動きのせいで弱まった顎の力に、侃爾は隙を見つけて奥歯の間に親指を滑り込ませる。
 挟まれた異物のせいで口を閉じられなくなったシイは戸惑った視線を侃爾に送ったが、侃爾は欲の灯った瞳を返しただけで、シイの動きを牽制するようにゆっくりと顔を近づけていった。

 侃爾の睫毛、伏し目がちの双眸。
 思わずぎゅっと目を瞑った。
 唇に、――柔らかい感触。
 そのまま開いたままだったシイの口内に、湿ったものが刺し込まれた。

「んん………っ」
 その圧迫感に息が止まる。

 いつの間にか指は抜かれ、口内は湿潤した侃爾の舌で埋められていた。
 それは初め、ゆるやかにシイの舌に絡まり離れを繰り返した。まるで許しを乞うように、しかし何かを求め探るように、どこか実験的な冷静さを持って繰り返された。

 シイが侃爾の動き応えるようになった頃、彼の舌は徐々に彼女の薄い頬の裏を擦り、敏感な上顎を撫で、唾液を絡め取って昂っていった。

 粘膜の触れ合う音が、
 唾液の熱さが、
 二人の体を温めていく。

 上手くできない呼吸と粘膜の触れ合いにシイが溺れそうになっていると、侃爾はそれに目敏く気付き唇を離した。
 彼は、激しく酸素を取り込むシイの背に手をあて「悪い」とばつが悪そうに言った。

「がっつき過ぎた」

 粗相をした誤魔化すように己の口元を隠す侃爾に、シイも指先で唇を押さえながら、

「私もつい、先を急いてしまいました」

 と照れたように返した。
 侃爾が気を取り直すように小さく咳払いをする。

「勝手な想像だが、お前はこういう経験は無いものだと思っていた。しかし、そうではないようだな」

「あ、えと、それは……、初めては清那君と――――……」

 言い終わる前に侃爾が眉を顰めたので、シイは自分の失言に気付いてすぐに唇を結んだ。

「その名は出すな。吐き気がする」

 怒りを含んだ声が、シイを竦ませる。

 そのまま侃爾は、苛立ったような不満げな顔で表情で布団の中で上体を持ち上げた。
 互いの体と布団の間に隙間ができ、夜気が滑り込んでくる。
 侃爾の足がシイの体を跨ぐ。布団を背中で持ち上げ、気付けばシイは侃爾の大きな体躯に覆い被さられていた。
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