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第二十七話 「水戸黄門様の髑髏盃」
しおりを挟む松浦静山著「甲子夜話」
巻五、「一三」より
水戸の常福寺の宝物に髑髏盃がある。
これは西山義公(水戸光圀公)所縁の品で、一升が入る盃だという。
義公は存命中、よくこの盃で酒を飲んだというが、その酒量は推して知るべしである。
義公は酒を飲んで酔うと、
蓮の葉に宿れる露は、釈迦の涙かありがたや・・・・
・・・・その時蛙飛んで出で、それは己が小便じゃ。
このような戯歌を歌われたという。
義公(光圀公)が西山に隠居せられた後のことだろうか、常福寺及び水戸家の家臣などに、この盃の所以を尋ねた。
光圀公の少年時代、公に長く仕えている下僕があったという。
ある時、この下僕になにか不始末があって、光圀公は勘気を起こしてこの下僕を追放した。
しかし、この下僕は光圀公を慕っていたのか、公が外出する際には、必ず隠れて公の後を付いて歩き離れなかったという。
公もそれを知っていたが、あえて気づかない振りをしていた。
しかし、ある時どういう訳か、この下僕が公の面前に姿を現わした。
公は下僕の事を哀れに思ったが、仕方なく手討ちにされ、死骸は公の母君が眠っている久昌寺に埋葬せよと命ぜられた。
その後年月を経て、下僕の骨を掘り出して、髑髏に金箔を施して盃にされたという。
これはかの下僕の忠義に感じ、その死後も決して主の側を離れないという遺志を遂げさせようとしたものなのであろう。
髑髏盃の表面は公が長年愛用したせいで琥珀色に変わり、殊に美しいと、常福寺の住持は語った。
・・・あの水戸黄門様が、髑髏盃を愛用していた!というお話でした。
時代劇で枯れた御隠居のイメージがある黄門様ですが、ちょっと意外な気がしました。
ただし、「髑髏盃」というと、織田信長が浅井親子の頭蓋骨で作った盃が(史実かどうはともかく、話として)有名な通り、たいていは宿敵を討ち取った際に、戦勝記念としてその遺体で作る物というのが通り相場ですが、この水戸黄門の髑髏盃は、正反対の意味合いのようです。
余談ながら、光圀公が酔うと歌った歌というのが、何気にヒドくて笑ってしまいました・・・・。
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