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第1章 魔力要員として召喚されましたが暇なので王子様を癒します

8 魔術省

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 光沢のあるココア色の木製ドアを開けたら、豪華な装丁の本と書類の間から、見覚えのある男が進み出てきた。
「セティ殿下、お手を煩わせて申し訳ございません」
 手を胸に膝を折り、丁寧に挨拶をしたのは、副省長のユーハンだった。
 腰は低いが、玲史に向ける視線は険しい。
 室内で事務作業していた15名前後のうち、幾人かの若者が玲史に向ける目も冷たい。
「良い。私が申し出たことだ。君達は仕事を続けて」
 薄い笑みを浮かべたセティはそれだけ言って、慣れた様子で机の間を進んでいく。
 玲史は居心地の悪い空間を進み、セティと共に奥の扉の先にある一室に入る。
 扉と窓以外の壁を本棚で取り囲んだその部屋の中央には、大きなコーヒーテーブルが置かれ、趣の違う数種類のソファと椅子が乱雑に置かれていた。
 その中央のソファで、長い足を太腿に乗せた男が、手に持った書類を振り上げて見せる。セティの表情が年相応に柔らかくなった。
「殿下、久しぶり。その子が当代の黒姫君かい?」
「先生、ご無沙汰してます。お変わりありませんね」
 先生と呼ばれた男は、灰色の波打つ髪を肩の辺りから緩く三つ編みにした、薄い灰緑色の瞳の美中年で、皆が着ているものと同じような白いシャツなのに、胸元のボタンを外しているせいか妙に色気がある。
「寄る年波にはかなわないがな」
 片眉を上げる皮肉っぽい笑みが、気障だが絵になる。
「お噂はかねがね伺っていますよ」
 セティも悪戯な笑みを返しながら、玲史の背に手を添える。
「こちらはナヴィ卿です。情報は伝わっていると思いますが、僕からも説明しますか?」
「必要ない。全部届いてるよ」
 そう言って紙の束を掴んで見せる。
 セティが玲史に視線を向けた。
「ナヴィ卿、皆知っていることだが、城内の事は全て記録されている。勿論閲覧権限は厳選してあるけどね。内緒だけどフィヨルギー家もね。それと、彼は僕の魔術学の教師で、レヴィの教師でもあった。こんな感じだけど面倒見もいいから、貴方の教育係として適任だと思うんだ」
「こんな感じとは、相変わらず失礼な教え子だな。黒姫君、俺はゲンドル・トステだ。よろしくな」
「初めまして、私はレイジ・ワタナベと申します。ナヴィとお呼びください。どうぞよろしくお願いいたします」
 そう言って、敬礼の角度でお辞儀をする。
「へえ、綺麗な異国の礼だな。久しぶりに見たよ。そのメガネも久しぶりだ。レイジ、薬学に造詣が深いならちょっと協力してくれないか」
「はい、専門家ではないので門前の小僧ですが、私に出来ることなら」
 満足げに微笑み、ゲンドルがソファから立つ。
「茶を淹れるから二人とも座りな」
「このままご一緒したいところですが、僕は戻ります。書類の山が待っているので」
 希望の時間に帰宅用の馬車を用意すると告げて、王太子は戻っていった。
「レイジ、日本人なら緑茶は好きか?」
「はい、割と日常的に飲んでいます」
 ペットボトルばかりではあるが。
「玉露があるんだ」
 本棚に置かれた木箱を取ってテーブルに移す。中から出した茶筒に入った茶葉をティーポットに入れ、陶器の水差しのような容器に手を翳す。温かみを帯びたそれをティーポットに注いだら湯気が出た。魔術でお湯を沸かしたようだ。
「温度が肝なんだよな」
「ああ、確か高級なのは低温で淹れるんでしたね」
「そしてこれは饅頭だ」
 隣のソファから引き寄せたウエストポーチを開けて、中に手を突っ込むと、皿に乗った大福が出てきた。時空を操るような道具だろうか。
 テーブルに置いて自慢気な顔を玲史に向けるが、惜しい。
「トステ様、これは饅頭ではなくて豆大福ですね」
「ん? まあ。どっちでもいいだろ。日本の美味いものには違いない。それよりも俺は商家の出だから様なんてつけなくていい。ゲンドルと呼べ」
「では、ゲンドルさん」
 チッチッと小さく舌を鳴らす。
「ただのゲンドルだ」
「じゃあ、ゲンドル」
 満足そうにゲンドルが微笑む。
「いい子だレイジ」
 子供扱いされているが、報告から年齢は聞いているはずだ。それとも見逃したのか。
「ゲンドル? 私は38歳で、いい子と言うには、とうが立っていますよ」
「親子ってほどじゃないが、俺から見たらレイジはまだ可愛らしい少年だよ。だが、ここの坊ちゃん達の幼児っぷりは全く可愛くない」
 ティーカップにお茶を注ぎ、玲史の前に出す。
「坊達の行き過ぎた黒姫様崇拝には困っていてね。彼女が辺境に引っ込んじまったせいで、謎が多いまま、神秘的な美しさや業績に尾ひれがついて広まっている。実際、食の改善や衣料品の発明、彼女の世界での知識には貴族から平民まで大きな恩恵を受けているんだがな。彼女の美しさと煌びやかな成功しか見ていない奴らが、彼女や周りの苦労も知らずに女神だ何だと崇めているというわけだよ。中には本気で惚れている阿呆もいて……お前さんの後見人とかな」
 業績だけでなく、美人で神秘的ならアイドルを推しているような感じなのだろうか。
 レヴィも、黒姫のような才能豊かで美しい女性を期待していたから、目が合った途端に幻滅して態度が変わったのだろう。
「考えればわかると思うが、そんなお子様が後見人と決まっていて、魅力的な女の子を召喚するなんて愚の骨頂だ。二代目黒姫ちゃんを巡って派閥抗争が起きるってもんだよ。だからウチのボス達と協力して後腐れのなさそうな独身の男に絞って魔法陣の再編をした。計画通り黒姫君が来てくれたわけだが、期待が外れて坊達はあんな調子だ」
 とばっちりで悪かったな、と、ゲンドルが肩を竦める。
「空気中の魔素が減少してるから、高魔力の者がいないと、魔道具への魔力充填や魔法陣の発動ができない。それがまた、奴らを助長させているんだ」
 この世界は、基本的に魔力ありきの生活をしているようだ。
「さて、ティータイムが終わったら、魔術について学ぼうか」
 ゲンドルは、テーブルに置かれている本の中から一冊を手に取った。
「この世界は、魔素という、魔力の原料になるものが、人体や動植物などありとあらゆるものに含まれている。空気中にも、水にも、だ。レイジの世界でのエネルギーと言えばわかりやすいだろうか。その魔素を体内に溜めて無から有を作る、または有るモノを変化させる、それが魔術だ。魔法陣は魔術を円滑に、且つ計画的に実行するための指示書のようなもので、詠唱は簡易な魔法陣を音声を用いて行うものだ。全てに法則があり、魔術師は魔術学校で長い時間をかけてそれを学ぶ。魔石は魔素を凝縮して溜めることができる。そこまではいいか?」
 開いたページに、説明されたことが図解してある。
「我々の体もまた魔石のように魔素を溜めることができる。その量は個人差があり、通常は生活魔術と言って水や火を扱う簡単な魔術が使えれば十分だ。だが、中には生まれつき強力な魔力持ちや訓練によって容量が増える者もいる。王家の子孫はその傾向が強く、次いで高位貴族にも高魔力者が多い。髪を伸ばしている者は、ほぼ高魔力者と言っていいだろう。毛先にも魔素が纏うから、長ければ長いほうが良いんだ。爪もな。ただ、やり過ぎると生活に支障があるから俺は程々にしている」
 魔素と魔力についての概念は分かったが、異世界の黒姫や玲史がなぜ高魔力なのだろうか。
 元の世界で魔術など使ったことはない。なのに、世界が変わるだけでそれが可能になるのが不思議だった。
「あくまでも俺の仮説だが、ユリコやレイジは数多くの神に愛され、一つ一つが強い加護を持っているのではないかと考えている。様々な神に祈りを捧げ、事あるごとに供物や布施も捧げいていると聞く」
「はい、確かに初詣に始まり、実家に行けない代わりに送金してご先祖様にお供えをしてもらってるし、ハロウィンだクリスマスだと節操なく様々な神様をお祭りしてますね。今年の正月は結構な金額でお祓いをしてもらったっけ」
「それがこの世界の神達と関係があるのかどうかは不明だが、異世界人は魔素ではなくて神の加護の影響で高魔力なのではないかと思ったわけだ。それともう一つ、これは俺のお願いと関係あるんだが、通常、高魔力者は瘴気被害も強いはずだがお前さんはピンピンしている。瘴気は魔素に含まれる毒素で、地下の魔石から放出されている魔素に異常があることが判明した。中和薬を飲むことで多少は落ち着いているが、ここにいる殆どの者は慢性的な頭痛と嘔気を抱えていてね。その研究に知恵を貸してほしいんだよ。話を戻すが、そもそも君等は、持っている魔素の受容体が俺達と違うのかもしれないという考えが導き出された」
 本来、日本人は神の加護により高魔力の素質はあるが、魔素が無い地球では魔術を使うことができなかった、ということだ。
「根本的なことなんですが、俺に魔術って使えるんでしょうか」
「魔石に充填して、魔石を壊す寸前でぶっ倒れたんだろう? 規格外の高魔力者決定だ。では、実際に正しい魔力充填をやってみようか」
 そう言ってソファから立ち上がり、書類の束からガザガサと折り畳まれた年季の入った用紙を抜き出した。それを床に広げる。
「おいで」
 呼ばれて彼の元に行くと、肩幅よりやや広い位の紙には円が描かれ、中に細かい文字が書いてある。魔法陣だ。
 手を引かれ、魔法陣の中に立つ。ゲンドルの胸に寄り添って立つと、彼は低い声で詠唱を始めた。詠唱は特別な言語なのか、何を言っているのか分からない。
 詠唱が終わると光に包まれ、次の瞬間には大きな魔石の前に立っていた。
「転送魔術だ」
「え、ここ、厳重な鍵がかかってますよね。勝手に転送していいんですか」
 彼が違法な魔術を使っているのではないかと慌てる。
「さすがに王家の了承は取ってるよ。ここの魔法陣も、俺以外の詠唱では発動しない制限が施してある。他の奴には内緒だぞ」
 悪戯な笑みを浮かべる。
「こんな城の果ての地下深くに、頻繁に歩いて来るなんて正気の沙汰とは思えない。余程暇なんだろうよ。俺は暇でも嫌だけどな」
「俺も、一日であんなに歩いたのは子供の頃以来じゃないかと思います。これ、いいですね。俺にもできないかな」
「ん……お前さんには詠唱が厳しいかもな。まずはラグリス語を覚えて、それを元に一部は古代語変換を行うんだが、発音に少しでも誤りがあると発動しない」
 ゲンドルの言葉に肩を落とすと、頭を撫でられた。
「詠唱の必要ない単純なものからやってみたらいいさ。上手くすれば詠唱無しで発動できるものがあるかもしれん。俺に任せろ」
 本格的に子供扱いされ照れ臭いが、不思議と反発するような気は起らない。
「ここに来て、手を翳してみろ」
 魔石に両手を突き出すと、ゲンドルが背中に寄り添い、両脇から手を伸ばして玲史の手の甲を軽く握る。
「下腹から細い蔓草が伸びていくようなイメージで、ゆっくりとそれを掌に伸ばしていくんだ」
 ゲンドルの触れているところが温かい。ゆったりとした低く静かな声も安心感があって、気持ちが落ち着く。言われた通りにしたら、下腹から上がって来た細い熱の糸のようなものが、腕を通って掌から少しづつ放出された。
「いいぞ、上手い。その調子で。ゆっくり、ゆっくり……力を入れずに」
「手をかざすのではなく、指先から出してもいいですか?」
 何となく、そちらの方が自在に扱えそうな気がする。
 了解を得て、人差し指を魔石に向けて魔力を細く出していく。
「強くしたり弱くしてもいいですか?」
「いいぞ。だが、俺の指示に従ってだ」
 ゲンドルは、玲史の両手首を軽く握って、魔力の量に目を凝らす。
「弱く……」
 魔力の糸を細くする。
「徐々に強く……」
 太く、強くしていくと、魔力の光が明るくなっていく。それを数回繰り返した。
 その後、指示に従って放出を止め、体を巡っていた熱を下腹に戻すようにして収めた。
 玲史は集中を解く。軽い疲労を感じて、「ふぅ」と溜息を吐く。
 ゲンドルに促されるまま、彼のほうを向くと、今度は頬を撫でられた。
「初めてでこれは重畳」
 疲れを癒す心地良さを感じて、思わずその手に顔を摺り寄せた。大きな掌は、乾いていて温かい。
 ふと、手当ては、手を当てることだという話を思い出す。
「ゲンドル? レヴィ殿下の不機嫌は瘴気による体調不良の為だと聞きました。掌から治癒のような魔力を出しながら、撫でたりマッサージしたら、改善効果があると思いませんか?」
「瘴気は魔素を滞らせる。その滞りが神経に触るから、体の弱い所に痛みが出るんだ。中和薬は、集まろうとする魔力を分散させる薬草を配合した丸薬や薬湯なんだが、直接体に施す治療は考えていなかったな」
「血行不良のようなものであれば、入浴剤やマッサージ機はどうでしょう。中和薬や治癒魔術と併用すれば、効果が増すのでは?」
「入浴剤はすぐに試してみよう。マッサージ機とはどんなものだ?」
「あ、ウォーターベッドもいいかも!」
 玲史は、整形外科にあるような機器を、思い出せる限り詳細に伝えた。
 魔法陣を用いて元の部屋に戻り、アイディアを書き出すゲンドルの横で、渡された治癒魔術の教本を見ながら、茎の折れた草に治癒魔術を試している。魔法陣、詠唱だけでなく、高魔力者であればイメージすることで発動できるとの記載通り、徐々に折れた部分が修復されていく。それには、魔力充填で練習した魔力コントロールが役に立った。
 ゲンドルが全て書き終える頃には、草は元通り生き生きとした状態に戻っていた。
 入浴剤に混ぜるようにと、中和薬の原液を分けてもらい、王太子の準備した馬車でフィヨルギー家に向かった。

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