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3.潮風に抱かれて
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第三番 ト長調 Vivace
7月中旬。関東地方は本格的な夏を迎えた。神奈川県の南東部、三浦半島の真ん中に位置する横須賀市。そこが僕の住む街だ。僕は市内の高校に通う高校二年生。
どうしてあの夜チェロの音を聴くことができたのだろう。通学のために乗った電車の車窓から流れていく景色を眺めながら僕はあの夜の出来事を考えていた。
「次は横須賀中央~横須賀中央~」
トンネルを抜け駅に到着し電車を降りると機械から発せられる放熱と人ごみの体温、大気の暑さで体が直ぐに汗ばんでくる。連日今夏の最高気温は上昇中で、これから高校まで歩くことを考えると、降車せずに電車の冷房で涼んでいたい気分にもなるくらいだ。
改札に向かう階段を降りようとすると同時に下り列車が到着してきた。
今日もきっと山口百恵の『横須賀ストーリー』の接近メロディに迎え入れられていたことだろう。いつものことだったからもう気にもとめなかったけど、こうして聴こえなくなると、また聴きたくもなるものだ。
階段を降りて改札口を出るとカレーを抱えたスカレーが今日も出迎えてくれる。スカレーとはカモメの水兵さんとカレーをあしらった横須賀海軍カレーのマスコットキャラクターだ。カレーばかり食べているせいかカモメのくせにまるまるとしているが愛嬌のある顔をしたやつではある。
カレーなら毎日食べても飽きはしないだろうけれど、朝から食べる気は起きない。僕は食欲旺盛な体育会系の高校生というわけではないのだ。
スカレーと心のなかで朝の挨拶を済ませ、階段を降りて商店街を歩いていると後ろから声がした。
「よう!もう具合はもういいのか?」
直毛でいがぐりみたいなとんがり頭の眼鏡面が僕の横に並ぶと顔色を窺ってきた。背格好は僕と同じ。背が高くもなく、低くもなく、体つきがよいわけでもなく、太っているわけでもない。いたって平凡、普通な体型だ。とんがり頭以外に特に何も特徴もないこいつの名前は浜岡聡。僕が心許せる唯一の友人だ。
「もう大丈夫だ」
「音楽室でぶっ倒れたって聞いたからびっくりしたぜ。耳の調子、やっぱり悪いのか?」
聡は僕の耳の具合を知っている。日常会話にはまったく支障はないわけだから他の人は知る由もない。音楽が聴こえない程度のこと、音楽を必要としなければ何ら不自由に感じることはないのだから。
僕がこうして登校時に一緒に歩ける友人など他にはいないのは、音楽を生活の一部にするとそれなりの代償を払わないといけないからだ。楽器を弾くという事は、それは気の遠くなる膨大な時間を練習に費やす必要がある。部活に入ることもなく、放課後にもなれば友達と遊ぶこともなく家に帰っては練習の日々。週末は外出することもなくピアノの前に座り続けることも多々ある。
テレビをみることもないので昨日のバラエティー番組に興じるクラスメイトと会話が成立する由もなし。それでも聡と出会ってからは僅かではあるがピアノ以外の情報も少しは得るようになった。
*
小学生の頃はただとにかくピアノに夢中だったからあっという間に毎日が過ぎ去っていった。
中学になると多少は他人を意識してしまうようになってしまい、聴く気のない会話が耳に入ってきてしまうので僕が休み時間にすることと言えばイヤホンを耳につけて雑音を遮断するために、音楽を聴くことばかりしていた。中学一年の頃は昼休みとなればサッカー、バスケットに誘われたものだが、僕は指を怪我することを恐れそれらの一切を断った。
学年が変わってもクラスが一緒だった者が当然いる。だからもう僕は二年の新学期には既に教室では孤立した存在だった。
中学三年の新学期。僕は相変わらず昼休みともなればイヤホンで耳を塞ぎ音楽に浸る。先週行った席替クジでは窓際の最後尾という特等席を引き当てたので音楽を聴くにはもってこい場所だった。
とある日のこと、
「なあ、いつも何の音楽聴いてるんだ?」
にひひと笑い、ヘッドホンを首に掲げながらそいつは唐突に席に近づいてきた。眼鏡にいがぐりみたいな直毛のとんがり頭に顔は思春期特有のニキビ面。
めんどくさそうな奴がやってきたな、くらいに思ったのが第一印象だ。 とりあえず片耳だけイヤホンを外して話をきく素振りをみせた途端にとんがり頭は
「YSK59か?」
なんじゃそりゃ?
何かの暗号化か?
秘密警察の何かか?
唐突な謎かけに困惑していると、
「俺さ、川中ののか が押しメンなんだよ。彼女眼鏡とって髪は短くしたらセンターいけると思うんだよね。おっきなリボンがチャームポイントなんだよな~」
だからなんの話をしているのだろう、こいつは。
「昨日のミュージックサテライトなんか見切れてばっかりでちっとも映らなくてよーー録画してカット編集しても1分もなかったんだぜー。カメラマン、ののかちゃんの魅力分かってないんだよ~」
おそらく昨日の歌番組に憤慨しているようだ。おそらくというのは、僕はそんな歌番組はみたことはないからだ。
そして、どうやらこいつはこちらの反応なんかまったく気にしない人間のようだ。
「えっと、なんの話かちっとも分からないというか、君の話す言葉が何を意味しているのが分からないのだけれど」
僕は少しだけ語気を強める。
そんなことは気にもせず、お道化た表情で、
「そうか。すまんすまん。暗峠59の方が好きだったのか。そりゃYSK59の話をされたら嫌にもなるよな。峠グループも人気あるもんな~。「あの激坂斜度を乗り越えて~♪」なんてところのサビはぐっとくるよな」
非常に困ったものだ。どうやってこの場をやり過ごしたら良いのだろうか。
なんとなく話の流から察するにアイドルグループの話をしたいのだろう。
「僕テレビをみないからよくわからないんだ」
僕はさらに語気を強めた。煙を巻くようにして。
「それと僕が聞いてるのはクラシック。今聞いてたのはラフマニノフのピアノ前奏曲集だ」
少し冷静になって声をもとのトーンに落として適当にあしらってやることにした。
セルゲイ・ラフマニノフ、ロシアの作曲家だ。おまけにピアノ曲は自作自演の録音も残されているくらいビルトゥオーゾな演奏家でもある。クラシックを少しくらい知っていたといしてもラフマニノフとなるとなかなか知らないだろう。どうだ、こっちもお前にはわからない単語で応戦してやった。これでもうこのやりとりは終わるだろう。やれやれだ。
「・・・」
ようやく機関銃のような口が閉じてくれた。
僕はいつもの平穏な昼休みに戻れると確信し、また音楽を聴くためにイヤホンを耳にはめようとした矢先のこと、
「俺さ、フィギアスケート好きなんだ。かわいい子がたくさん出てきて衣装もアイドルみたいにかわいくてさ」
はぁぁぁぁぁぁぁ???
僕は外していたイヤホンを床に落としてしまった。
今度は何を言いだすのだ、こいつは。頭に何か沸いてるのかよ。いやきっと、いがぐりむいても身のないすっからかんな頭してんだきっと。本格的にまいってきたな。
僕はうんざりしてきて、イヤホンを拾うと同時に席を離れることにした。
教室のドアの前にたどり着き、ドアを開けようとすると
「ロシアのユーリアちゃんって子がかわいいんだ。ちょっとツンとした表情しててさ。キャンドルスピンって技が彼女の代名詞で、もう見事なスピンするんだ」
フィギアスケートのマネでもしたいのかこいつは僕の斜め前に立ちふさがってタコ踊りを始めた。
僕は顔を背けながら左手を軽くあげて
「ごめん。僕は図書室で本を読みたいんだ。」
と、さようならの挨拶をする。本なんて読むつもりは毛頭ないけれどここは嘘をつくのが得策だ。
図書室。それは『私語厳禁』という規律の存在する世界。さすがのこいつも口をつまむしかないはずだ。騒ごうものなら問答無用で退出させられる。
『私語厳禁』という世界に逃げ込まれるのはまずいと思ったのだろう。さすがにそれは瞬時に理解できたらしい。
僕がドアを開けると同時に早口になって、たたみかけてくるように話をまとめてきやがった。
「動画投稿サイトのMe Tubeで繰り返し演技を見ちゃうんだけど、でさ、ユーリアちゃんの演技の時の曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番なんだ。繰り返しみてるから曲も覚えちゃって、CDも買ってみたりしちゃってさ」
「でさ、そのクラシックってのもいいよなって。君ピアノ弾くんだろ?ラフマニノフなんか弾けたりするのかな?」
それが僕らの出会いだった。
聡も一人だったのだ。アイドルヲタクで女子からは当然のごとく疎まれてる。アイドルだけでなくアニメ・漫画もほどほどに好きらしい。アイドルの曲にアニメの曲も好きで自分の好きな音楽を流したくて放送委員に入ったらしい。思えばやたら女の子の声が聴こえる音楽ばかりが昼食時には流れたものだ。でも委員は幽霊ばかりで実質ぼっち委員会なんだとか。中学の委員会なんてじゃんけんに負けるか、適当なやつを持ち上げて推薦するか、おそらくそんな程度で集まったやつらばかりだ。
聡は僕とクラスが同じになって、僕はピアノの練習ために他人と拒絶ばかりしている人間だということを、一・二年でもクラスが同じだった同級生にでも聞いたらしい。意味難解な行動は聡なりの、僕との接点を持ちたいがための彼なりの勇気だった。
それから休み時間と時たまの登下校の時は聡と行動を共にすることが多くなった。
そんな聡と同じ高校に通うことになれたのは僕にとってはありがたいものだった。
聡は放送部に入っているが、中学の時のように昼時に音楽を流すなんてことは高校では行わず、活躍の場といえば体育祭のアナウスとBGM担当か文化祭の出し物程度だそうだ。
*
横須賀中央の商店街を抜け、三笠公園方向に歩いていく。小川ではないけれど水路にたてられた『めだかの小学校』の童謡碑を通り過ぎて、僕らは校門をくぐり抜けると今日も一日授業は上の空という怠惰な時間をやり過ごすだけだ。
高校の名前は県立横須賀三笠高校。学校の隣には戦艦三笠が停泊している。停泊といっても船体はコンクリートで固定されているのだけどね。戦艦三笠とは日本海海戦でロシアのバルチック艦隊相手に旗艦として戦った歴史ある戦艦だ。
高校は「自主自律」を掲げている。自主を謳っているのは極めて自由な校風なんだとか。自主と言えば聞こえはいいが、悪く言えば放任主義でもある。問題を起こす生徒が少ないというのもあるからかもしれない。校則も少なく、内容も規則というより一般常識といえる程度のものだ。アルバイトは禁止されていない。学業に関しては最低限の点数をとっていれば注意されることもないが流石に赤点をとると長期休みには呼び出しを食らうこともある。
下駄箱で靴を履き替えて二階の教室へ向かう途中、
「しかし、うちのクラスで二人も入院で欠席になる人が増えなくてよかったよ」
聡はそう話を切り出しだ。
「二人?ああ、そういえばずっと欠席の人がいたな。入院してたのか」
新学期になってから一度も顔を合わせたことのない同級生のことなのでとくに気にもとめていなかった。もともといようがいまいがクラスメイトのことなど気にしていなかったし。
「たしか潮崎さんって名前の女子だよ」
女子だということも今初めて知った。
「ふうん」
入院しているクラスメイトの女子の名前だけ聞かされても返す言葉がない。僕は抑揚のない台詞を口にした。
「何の病気なんだ?」
正直なところ自分の耳の調子も悪いのだから他人の体の心配なんてする余裕はないのだけど、話の流れ的に、こう質問してみる意外なかった。
「いや、聞いたことはないな」
「それじゃ話題として振られても困ったもんだぜ」
僕はやれやれといった表情をした。
「そうだな、すまん。ただお前も入院しちまうかと思ったからさ。本当心配したんだぜ」
僕を心配してくれたことは素直にありがたい。
僕は少しその入院しているクラスメイトの女子に興味を持ったので話を続けることにしてみた。
「何か他に情報はないのかよ?」
「そう言われてもな。僕はやたら情報通のクラスメイトってやつじゃないわけだし」
また僕には何のことだかよく分からない言い回しを使いやがる。
「入院は春先かららしくて一年生の時は普通に通ってたらしいよ」
「お互い一年の時はクラスが違っていたんじゃ何も有益な情報にはならないな」
なんせ聡とは一年の時も同じクラスだったのわけなので。
「何か部活やってたとかさ」
僕は適当に質問をしてみた。
「うーん。とくに聞いたことないかな~。放送部にはいないよ」
「当たり前のこといちいち言うなよ」
僕はとりあえず突っ込んでおく。
聡は顎に手をあてて、「ううん」と小声でうなっていると、はっと何かを思い出したようでわかりやすく手を叩き、
「そうだ、チェロを弾くらしいよ」
「チェロ?」
ふいに病院で会った女の子のことが思い浮かんだ。暗闇ではっきりと顔は見えなかったけど同じ歳くらいだった気がする。
「チェロっていっても室内学部とかに入ってる部活レベルとかじゃなくて本格的だとか。コンクールにも出場している人らしいぜ。だからさ、学校来ててもチェロの練習があるからとかであまり交流がある人いなかったらしいんだよ。クラスでお見舞い行こうかって話にもなったことあるんだけど、誰も気乗りしなくてさ。そりゃ話もしたことない人訪ねても会話に困るっていうかさ」
まるで僕のことを言われている気分だ。聡は気付いて言ってきているのかどうか気になるところではあったけど今は問い質す場面ではない。
「名前、何て言ったっけ?」
僕は名前をもう一度確かめておくことにした。
「潮崎さん。たしか潮崎美海さんだね」
そう聡が教えてくれたところで僕らは教室に辿り着いた。
潮崎美海。高校二年生の女の子。
どこかの病院に入院しているけれど病名は分からない。
チェロを弾く。
あの夜、病院で出会った女の子と同一人物なのか確かめるには、これだけの情報で充分だ。
7月中旬。関東地方は本格的な夏を迎えた。神奈川県の南東部、三浦半島の真ん中に位置する横須賀市。そこが僕の住む街だ。僕は市内の高校に通う高校二年生。
どうしてあの夜チェロの音を聴くことができたのだろう。通学のために乗った電車の車窓から流れていく景色を眺めながら僕はあの夜の出来事を考えていた。
「次は横須賀中央~横須賀中央~」
トンネルを抜け駅に到着し電車を降りると機械から発せられる放熱と人ごみの体温、大気の暑さで体が直ぐに汗ばんでくる。連日今夏の最高気温は上昇中で、これから高校まで歩くことを考えると、降車せずに電車の冷房で涼んでいたい気分にもなるくらいだ。
改札に向かう階段を降りようとすると同時に下り列車が到着してきた。
今日もきっと山口百恵の『横須賀ストーリー』の接近メロディに迎え入れられていたことだろう。いつものことだったからもう気にもとめなかったけど、こうして聴こえなくなると、また聴きたくもなるものだ。
階段を降りて改札口を出るとカレーを抱えたスカレーが今日も出迎えてくれる。スカレーとはカモメの水兵さんとカレーをあしらった横須賀海軍カレーのマスコットキャラクターだ。カレーばかり食べているせいかカモメのくせにまるまるとしているが愛嬌のある顔をしたやつではある。
カレーなら毎日食べても飽きはしないだろうけれど、朝から食べる気は起きない。僕は食欲旺盛な体育会系の高校生というわけではないのだ。
スカレーと心のなかで朝の挨拶を済ませ、階段を降りて商店街を歩いていると後ろから声がした。
「よう!もう具合はもういいのか?」
直毛でいがぐりみたいなとんがり頭の眼鏡面が僕の横に並ぶと顔色を窺ってきた。背格好は僕と同じ。背が高くもなく、低くもなく、体つきがよいわけでもなく、太っているわけでもない。いたって平凡、普通な体型だ。とんがり頭以外に特に何も特徴もないこいつの名前は浜岡聡。僕が心許せる唯一の友人だ。
「もう大丈夫だ」
「音楽室でぶっ倒れたって聞いたからびっくりしたぜ。耳の調子、やっぱり悪いのか?」
聡は僕の耳の具合を知っている。日常会話にはまったく支障はないわけだから他の人は知る由もない。音楽が聴こえない程度のこと、音楽を必要としなければ何ら不自由に感じることはないのだから。
僕がこうして登校時に一緒に歩ける友人など他にはいないのは、音楽を生活の一部にするとそれなりの代償を払わないといけないからだ。楽器を弾くという事は、それは気の遠くなる膨大な時間を練習に費やす必要がある。部活に入ることもなく、放課後にもなれば友達と遊ぶこともなく家に帰っては練習の日々。週末は外出することもなくピアノの前に座り続けることも多々ある。
テレビをみることもないので昨日のバラエティー番組に興じるクラスメイトと会話が成立する由もなし。それでも聡と出会ってからは僅かではあるがピアノ以外の情報も少しは得るようになった。
*
小学生の頃はただとにかくピアノに夢中だったからあっという間に毎日が過ぎ去っていった。
中学になると多少は他人を意識してしまうようになってしまい、聴く気のない会話が耳に入ってきてしまうので僕が休み時間にすることと言えばイヤホンを耳につけて雑音を遮断するために、音楽を聴くことばかりしていた。中学一年の頃は昼休みとなればサッカー、バスケットに誘われたものだが、僕は指を怪我することを恐れそれらの一切を断った。
学年が変わってもクラスが一緒だった者が当然いる。だからもう僕は二年の新学期には既に教室では孤立した存在だった。
中学三年の新学期。僕は相変わらず昼休みともなればイヤホンで耳を塞ぎ音楽に浸る。先週行った席替クジでは窓際の最後尾という特等席を引き当てたので音楽を聴くにはもってこい場所だった。
とある日のこと、
「なあ、いつも何の音楽聴いてるんだ?」
にひひと笑い、ヘッドホンを首に掲げながらそいつは唐突に席に近づいてきた。眼鏡にいがぐりみたいな直毛のとんがり頭に顔は思春期特有のニキビ面。
めんどくさそうな奴がやってきたな、くらいに思ったのが第一印象だ。 とりあえず片耳だけイヤホンを外して話をきく素振りをみせた途端にとんがり頭は
「YSK59か?」
なんじゃそりゃ?
何かの暗号化か?
秘密警察の何かか?
唐突な謎かけに困惑していると、
「俺さ、川中ののか が押しメンなんだよ。彼女眼鏡とって髪は短くしたらセンターいけると思うんだよね。おっきなリボンがチャームポイントなんだよな~」
だからなんの話をしているのだろう、こいつは。
「昨日のミュージックサテライトなんか見切れてばっかりでちっとも映らなくてよーー録画してカット編集しても1分もなかったんだぜー。カメラマン、ののかちゃんの魅力分かってないんだよ~」
おそらく昨日の歌番組に憤慨しているようだ。おそらくというのは、僕はそんな歌番組はみたことはないからだ。
そして、どうやらこいつはこちらの反応なんかまったく気にしない人間のようだ。
「えっと、なんの話かちっとも分からないというか、君の話す言葉が何を意味しているのが分からないのだけれど」
僕は少しだけ語気を強める。
そんなことは気にもせず、お道化た表情で、
「そうか。すまんすまん。暗峠59の方が好きだったのか。そりゃYSK59の話をされたら嫌にもなるよな。峠グループも人気あるもんな~。「あの激坂斜度を乗り越えて~♪」なんてところのサビはぐっとくるよな」
非常に困ったものだ。どうやってこの場をやり過ごしたら良いのだろうか。
なんとなく話の流から察するにアイドルグループの話をしたいのだろう。
「僕テレビをみないからよくわからないんだ」
僕はさらに語気を強めた。煙を巻くようにして。
「それと僕が聞いてるのはクラシック。今聞いてたのはラフマニノフのピアノ前奏曲集だ」
少し冷静になって声をもとのトーンに落として適当にあしらってやることにした。
セルゲイ・ラフマニノフ、ロシアの作曲家だ。おまけにピアノ曲は自作自演の録音も残されているくらいビルトゥオーゾな演奏家でもある。クラシックを少しくらい知っていたといしてもラフマニノフとなるとなかなか知らないだろう。どうだ、こっちもお前にはわからない単語で応戦してやった。これでもうこのやりとりは終わるだろう。やれやれだ。
「・・・」
ようやく機関銃のような口が閉じてくれた。
僕はいつもの平穏な昼休みに戻れると確信し、また音楽を聴くためにイヤホンを耳にはめようとした矢先のこと、
「俺さ、フィギアスケート好きなんだ。かわいい子がたくさん出てきて衣装もアイドルみたいにかわいくてさ」
はぁぁぁぁぁぁぁ???
僕は外していたイヤホンを床に落としてしまった。
今度は何を言いだすのだ、こいつは。頭に何か沸いてるのかよ。いやきっと、いがぐりむいても身のないすっからかんな頭してんだきっと。本格的にまいってきたな。
僕はうんざりしてきて、イヤホンを拾うと同時に席を離れることにした。
教室のドアの前にたどり着き、ドアを開けようとすると
「ロシアのユーリアちゃんって子がかわいいんだ。ちょっとツンとした表情しててさ。キャンドルスピンって技が彼女の代名詞で、もう見事なスピンするんだ」
フィギアスケートのマネでもしたいのかこいつは僕の斜め前に立ちふさがってタコ踊りを始めた。
僕は顔を背けながら左手を軽くあげて
「ごめん。僕は図書室で本を読みたいんだ。」
と、さようならの挨拶をする。本なんて読むつもりは毛頭ないけれどここは嘘をつくのが得策だ。
図書室。それは『私語厳禁』という規律の存在する世界。さすがのこいつも口をつまむしかないはずだ。騒ごうものなら問答無用で退出させられる。
『私語厳禁』という世界に逃げ込まれるのはまずいと思ったのだろう。さすがにそれは瞬時に理解できたらしい。
僕がドアを開けると同時に早口になって、たたみかけてくるように話をまとめてきやがった。
「動画投稿サイトのMe Tubeで繰り返し演技を見ちゃうんだけど、でさ、ユーリアちゃんの演技の時の曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番なんだ。繰り返しみてるから曲も覚えちゃって、CDも買ってみたりしちゃってさ」
「でさ、そのクラシックってのもいいよなって。君ピアノ弾くんだろ?ラフマニノフなんか弾けたりするのかな?」
それが僕らの出会いだった。
聡も一人だったのだ。アイドルヲタクで女子からは当然のごとく疎まれてる。アイドルだけでなくアニメ・漫画もほどほどに好きらしい。アイドルの曲にアニメの曲も好きで自分の好きな音楽を流したくて放送委員に入ったらしい。思えばやたら女の子の声が聴こえる音楽ばかりが昼食時には流れたものだ。でも委員は幽霊ばかりで実質ぼっち委員会なんだとか。中学の委員会なんてじゃんけんに負けるか、適当なやつを持ち上げて推薦するか、おそらくそんな程度で集まったやつらばかりだ。
聡は僕とクラスが同じになって、僕はピアノの練習ために他人と拒絶ばかりしている人間だということを、一・二年でもクラスが同じだった同級生にでも聞いたらしい。意味難解な行動は聡なりの、僕との接点を持ちたいがための彼なりの勇気だった。
それから休み時間と時たまの登下校の時は聡と行動を共にすることが多くなった。
そんな聡と同じ高校に通うことになれたのは僕にとってはありがたいものだった。
聡は放送部に入っているが、中学の時のように昼時に音楽を流すなんてことは高校では行わず、活躍の場といえば体育祭のアナウスとBGM担当か文化祭の出し物程度だそうだ。
*
横須賀中央の商店街を抜け、三笠公園方向に歩いていく。小川ではないけれど水路にたてられた『めだかの小学校』の童謡碑を通り過ぎて、僕らは校門をくぐり抜けると今日も一日授業は上の空という怠惰な時間をやり過ごすだけだ。
高校の名前は県立横須賀三笠高校。学校の隣には戦艦三笠が停泊している。停泊といっても船体はコンクリートで固定されているのだけどね。戦艦三笠とは日本海海戦でロシアのバルチック艦隊相手に旗艦として戦った歴史ある戦艦だ。
高校は「自主自律」を掲げている。自主を謳っているのは極めて自由な校風なんだとか。自主と言えば聞こえはいいが、悪く言えば放任主義でもある。問題を起こす生徒が少ないというのもあるからかもしれない。校則も少なく、内容も規則というより一般常識といえる程度のものだ。アルバイトは禁止されていない。学業に関しては最低限の点数をとっていれば注意されることもないが流石に赤点をとると長期休みには呼び出しを食らうこともある。
下駄箱で靴を履き替えて二階の教室へ向かう途中、
「しかし、うちのクラスで二人も入院で欠席になる人が増えなくてよかったよ」
聡はそう話を切り出しだ。
「二人?ああ、そういえばずっと欠席の人がいたな。入院してたのか」
新学期になってから一度も顔を合わせたことのない同級生のことなのでとくに気にもとめていなかった。もともといようがいまいがクラスメイトのことなど気にしていなかったし。
「たしか潮崎さんって名前の女子だよ」
女子だということも今初めて知った。
「ふうん」
入院しているクラスメイトの女子の名前だけ聞かされても返す言葉がない。僕は抑揚のない台詞を口にした。
「何の病気なんだ?」
正直なところ自分の耳の調子も悪いのだから他人の体の心配なんてする余裕はないのだけど、話の流れ的に、こう質問してみる意外なかった。
「いや、聞いたことはないな」
「それじゃ話題として振られても困ったもんだぜ」
僕はやれやれといった表情をした。
「そうだな、すまん。ただお前も入院しちまうかと思ったからさ。本当心配したんだぜ」
僕を心配してくれたことは素直にありがたい。
僕は少しその入院しているクラスメイトの女子に興味を持ったので話を続けることにしてみた。
「何か他に情報はないのかよ?」
「そう言われてもな。僕はやたら情報通のクラスメイトってやつじゃないわけだし」
また僕には何のことだかよく分からない言い回しを使いやがる。
「入院は春先かららしくて一年生の時は普通に通ってたらしいよ」
「お互い一年の時はクラスが違っていたんじゃ何も有益な情報にはならないな」
なんせ聡とは一年の時も同じクラスだったのわけなので。
「何か部活やってたとかさ」
僕は適当に質問をしてみた。
「うーん。とくに聞いたことないかな~。放送部にはいないよ」
「当たり前のこといちいち言うなよ」
僕はとりあえず突っ込んでおく。
聡は顎に手をあてて、「ううん」と小声でうなっていると、はっと何かを思い出したようでわかりやすく手を叩き、
「そうだ、チェロを弾くらしいよ」
「チェロ?」
ふいに病院で会った女の子のことが思い浮かんだ。暗闇ではっきりと顔は見えなかったけど同じ歳くらいだった気がする。
「チェロっていっても室内学部とかに入ってる部活レベルとかじゃなくて本格的だとか。コンクールにも出場している人らしいぜ。だからさ、学校来ててもチェロの練習があるからとかであまり交流がある人いなかったらしいんだよ。クラスでお見舞い行こうかって話にもなったことあるんだけど、誰も気乗りしなくてさ。そりゃ話もしたことない人訪ねても会話に困るっていうかさ」
まるで僕のことを言われている気分だ。聡は気付いて言ってきているのかどうか気になるところではあったけど今は問い質す場面ではない。
「名前、何て言ったっけ?」
僕は名前をもう一度確かめておくことにした。
「潮崎さん。たしか潮崎美海さんだね」
そう聡が教えてくれたところで僕らは教室に辿り着いた。
潮崎美海。高校二年生の女の子。
どこかの病院に入院しているけれど病名は分からない。
チェロを弾く。
あの夜、病院で出会った女の子と同一人物なのか確かめるには、これだけの情報で充分だ。
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