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04 重低音
クレムがモルガの両肩を掴んだ。
「竜がいる? 今、領内に?」
何気なく振った話に興奮気味に食い付かれて、モルガは呆気に取られつつもコクコクと頷いて見せた。
「この程現役を退いたブルー、青竜です」
竜苑地なる広大な自然公園で、青竜が隠居生活を送っている。
五百五歳の大ベテランだ。
竜は、動物と魔物の中間の生き物とされる。
人間の邪気から生じる魔物は死後、亡骸を残さず消滅する。食物連鎖から完全に逸脱した存在は死んでも他の動植物の養分にならない。
対して竜は亡骸を残す。埋葬され土に還る。竜苑地内には霊廟もある。
クレムは頬を紅潮させた。
「竜に会ってみたいわ。竜苑地に行ったらダメかしら?」
「んんー」とモルガは難しく唸った。
竜は神聖な生き物で、この侯爵領では神と同等に扱われている。竜苑地は自然公園の分類ながら人間向けのテーマパークとかではない。あくまでも竜の為の施設だ。
「侯爵閣下のお許しが無いと」
クレムはがっかりした。
侯爵に気安く「竜に会いたいです!」などと願い出る事は出来ない。
自他に厳しい、お堅い軍人なのは帝都の噂で耳にしている。尤もお堅くない軍人というのも「ちゃんと学校出たの?」と心配になるけれど。
去年の戦勝三百周年記念パレードで侯爵の凛々しい横顔を見かけた。いかにも融通が利かなそうな険しい面構えをしていた。
頼んでも無駄だろうし、頼み事をしたくない。
気落ちごとクレムの肩が落ちた。
でも二日後、クレムは竜に会う。
正午前、モルガは先輩メイドからドン引きの話を聞かされた。
「さっき帝都からの使者ってのが訪ねて来てね、クレム嬢はどんなご様子でしょうかーって訊かれたの。だから言ってやったわ。物置同然の屋根裏部屋でごろごろしながら、度々小さいメイドに当たり散らして迷惑かけてまーすって正直にね」
唖然とするモルガを尻目に、先輩メイドは憤った。
「そしたらその人、そうですかあって嬉しそうに納得しちゃって。今になって腹立つー。あれ、厄介払いが出来てホッとひと安心って顔よ」
モルガは内心「ホントに様子見に来た。皇子様は歪んでる」と戦慄していた。
クレムに伝えなければ。読みが当たりましたよ、と。
「あ、じゃ私、仕事に戻りまー、す」
くるーりと背を向けた小さい同僚を、先輩メイドが「ねえ」と呼び止める。
「最近モルガの髪とかお肌とか綺麗になったわよね。何か変えた? あ、さてはママさんの新作でしょ」
そうだけど今それどころじゃないモルガは、逃げるように背中で告げた。
「仕事に戻りまーす」
「ちょ、それマルシェで売ってってママさんに頼んでええ」
美容に熱心なお姉様を放り出して、仔栗鼠よろしくモルガの早足が邸内をさささと移動し、最上階の屋根裏部屋に駆け込む。
クレムの顔が忙しく開閉したドアを振り返った。
彼女はランジェリー姿で、逆さまだ。
「どうしたの、モルガ」
「クレム様がどうされたんです。なんで逆さま」
「逆立ち。座りっぱなしは美容と健康に悪いから」
「そうなんですね。――聞いてください」
あたふたとモルガは報告する。
逆立ちのまま話を聞き終えると、クレムは両の素足を床にぴたんと戻した。このエクササイズの為にも完璧な床掃除が要るのだ。
「やはり、皇子殿下は相当お怒りのご様子ね」
「そして相当歪んでます」
「仕方ないわ。彼は、婚約者に夢中だもの」
モルガは全然納得がいかなかった。
「皇子様は何も分かっちゃいないんです。お優しいクレム様が聖女様に嫌がらせするなんて有り得ないのに」
クレムは、今にも泣き出しそうな小さいメイドに微笑んだ。
「捉え方は人それぞれだわ。それに私は、――しくじったから」
モルガはどうあっても納得がいかなかった。
クレムはしくじってなんかいない。ちゃんと親切だった。今モルガに教えてくれているように聖女にも接していた。
皇子が視野狭窄なのだ。現実を見ないまま聖女のヒーロー気取りで権力を振るった。
世間知らずの子供が権力を持つとロクな事が無い、という良い見本だ。
「ばかやろうですよ」
「小さいお嬢さん。それ外で口にしちゃダメよ」
不思議なほど、クレムには理不尽な皇子への恨み辛みが見られない。
まさか、とモルガは蒼褪めた。
「クレム様は皇子様の事を」
「絶対に無いわ」
何よりだ。
何よりなのは、今日の抜き打ち訪問である。
良い感じにメイドが帝都に情報を与えてくれたので、暫くは無いと見て良い。
侯爵もまだ戻らない。
自由に動ける間、何か出来ないものかとクレムは考えた。
自然と思考は竜に行きつく。地上最大の陸上生物への興味は尽きない。
――いけない。研究対象みたく考えてる。
追放された身で目立つ動きは許されない。
息を潜めて暮らさなければ「処罰」にならない。何もしてはダメだ。
昼食後、クレムとモルガは邸宅の裏庭でこっそり日光浴をする事にした。
芝生にパラソルを立てて日陰に寝転がる。
南西部の五月は暖かい。北部はこの時期でもまだ防寒具を仕舞えない。
世界最大の国家である帝国はとにかく広大だ。端と端の領土は外国並みに遠く、文化もかなり異なる。
侯爵領と実家である子爵領は帝都を中心にほぼ真逆に位置し、レールも繋がっていない事もあり本当に国内の外国に来た、という気がした。
芝生に頭を置いて青い空を眺めていたクレムは、顔の横を掠めた赤いものを視界の端に捉えた。
「あ、てんとう虫」
クレムは伏せの姿勢を取り、低空飛行で次なる着地点へ向かう虫を目で追う。隣でモルガが同じように伏せている。目付きがやけに鋭い。
「……モルガ、ハンターのお顔になっているのは何故? てんとう虫を虐めるのはダメよ」
「でも虫ですよ。あれはただの虫です」
「私の故郷では幸運の象徴って言われててね――なに飛び掛かろうとしてるの。意地悪な猫みたいなマネは認めません」
「私、死ぬほど虫が嫌いなんですよ。そこら中にいてうんざり。虫はみんな嫌い」
南部には蝗害がある。殺意が湧くのは理解出来る。
しかしてんとう虫は害虫ではない。クレムは慌てた。
「バッタと一緒くたにしないで」
「虫はみんな嫌い」
メイドは獲物に飛び掛かる前の猫の姿勢になっている。
クレムは小さい胴体に横から両腕を回して止めた。
「思い出して。虫も家庭菜園に貢献してるのよ」
「嫌い」
「ハチミツ好きでしょ」
「嫌い」
「嘘ばっかり」
揉み合いの中、ふっと日が隠れた。
急に暗くなってクレムもモルガも動きを止める。
クレムは首を回して影っているのは自分達の周囲だけだと知った。芝生に出来た濃い日影は独特の形状をしている。
上空を仰いで正体を見た。
青空の中で竜が滞空していた。
四枚の翼を展開させた巨体の背中で大柄の人物が手綱を握っている。
重低音が発した。
「何をしている」
逆光の中に辛うじて相手の顔を判別し、クレムは息を呑んだ。
青竜将軍こと侯爵、ラファル・ディル・カダリーニャ本人に間違いない。
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