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26 寝顔
ラファルが援軍を引き連れて戻って来たところでクレムの出番は終わった。
医療チームが散っていくのを見届けながら、不意に思い出す。
男性の額の傷を手当てしていた際、傍らの無傷の男児が元気に癇癪を起していた。
「ゴースト艦長うー、うううー」
魔物に取られたー、と訴えた男児に、父親が「違う違う」と苦笑した。
車両が横転して床に落ちた児童書は割れた窓から外に出て車両の下敷きになった。
ある意味で男児の主張は正しい。魔物の所為でもう読めなくなったのだから。
幸いというか彼らはカダリーニャ侯爵領の住民だったので、クレムは後日、父子家庭のアドレスに新しい本を贈る事を約束した。
竜の低速飛行で帰路に就く。
本の話を振ると、ラファルは軽く頷き、眼前で横向きに腰掛けているクレムの肩を片腕で引き寄せた。
「無茶をしたな」
ごめんなさい、とクレムは呟いて、彼の胸元に頭と肩で凭れかかった。
二人して口を噤んでいる。ラファルもあの現象の中にいたのだからクレムと同じものを視た筈だ。クレムの憔悴を慮って、今は追求しないでいてくれている。
クレムの脳内も心中もごちゃごちゃとしている。
夢だとは思っていないけれどまだ現実とも思えない。
ただこれだけは確信している。
ソリアにはもう二度と会えない。
帰投した竜から降り立ったクレムを認め、中庭に集結していたメイド達が一斉に駆け出した。
囲い込んで労い、部屋に連れて行く。
彼女達が涙ぐんでいるのは、クレムの顔色が酷かったからだ。
かくいうモルガも、半ベソになってクレムに付き添っていた。
乗馬服のジャケットを脱がせたら、半袖から出た白い両腕に巻き付けた手綱の痕が薄く浮き出ていた。
メイド達は「ぎゃー」と言いたいのを堪えてメイド長指揮の下粛々とクレムのケアに手を尽くした。
モルガはえぐえぐと涙を拭いながら、ベッドに横たえたクレムの素肌に薬品をしみ込ませたシルキーなコットンを当てた。
「なんてお労しい。半袖のシーズンなのに。うううー」
五歳児の泣きっぷりを晒すモルガに、姉で先輩のメイド達は「こんなのすぐ治るって」と優しく笑み、みんなして癖毛の小さい頭を撫でてくれた。
いつの間にかクレムは寝顔になっていた。
夜なのに、相当の距離を行き来して体力の限界なのだろう。
モルガは煩く泣くのを堪えて、寝ずの番をするつもりでベッドサイドに椅子を引っ張り寄せた。
ラファルがクレムの部屋に向かうと、ベッドの中には安らかな寝顔があった。
その傍らで、幼いメイドが上半身をシーツの上に投げ出して爆睡している。付き添いとも添い寝とも言えない。何をしているのやら。
ともあれ起こす様な無粋はせず、ラファルはベッドを回り込み、メイドとは反対側の縁に歩み寄った。
軽くシーツに身を乗り出して、枕に沈んだ寝顔を上から覗き込む。
恐らく、長い夢を視ているのだろう。
ラファルにだけは理解出来る。クレムの混乱も困惑も悲痛も悲劇も全て。
何も心配しなくて良い。ずっとついている。傍で支える。
緩く波打つ金色の髪を指先で掻き分けて、ラファルはクレムの白い額に唇を寄せた。
クレムの部屋を後にして、中庭に足を向ける。
スタンバイ状態の若い青竜がラファルを見返した。その顔はなんとなくクレムを心配しているように見える。
大丈夫だ、と顎で頷いたラファルは、隣のロートルに目を向けた。
無許可の緊急発進を咎める気は無い。それを言ったらラファルの父親はどうなる。
「お前はクレムの傍にいろ」
ロートルは軽く首を傾げ、それから頭を上下に振った。
ラファルが向かった先は、帝国北西寄りに位置するルペリ侯爵領だ。
十分程度で到着した現場には魔物の影も形も無く、既に戦場では無くなっていた。
軍による後処理が始まっている。
魔物の発生地点は、――監獄から程近い荒地だった。
ルペリ侯爵領は囚人達を受け入れる事で利益を得ている。囚人を収容する施設なんて誰もが嫌がる。いかにも魔物が好みそうな環境ではないか。
しかし長らくの被害の歴史から人類も学んでいて、魔物の温床とならないよう巨大施設には対策が取られていた。
赤竜によるファイアウォールもその一つで、高い塀の上部に最新の仕掛けがある。もし囚人が脱獄しようものならセンサー式発火装置が忽ち作動する。
施設周辺も荒地だが草木は乏しく、身を潜められるような「陰」が無い。魔物が嫌う環境を常に維持している。そこにも赤竜の火炎は利用されていて、度々草刈りならぬ野焼きが行われている。
赤竜の火炎は不思議で、人間の魔法や火薬の火と違って燃焼物から煙が出ない。神聖な火だと言われる所以だ。
帝国が保有する赤竜は一体のみ。サイエンステクノロジーだけでは補えない部分をそいつが負担してくれている。無論、同盟国から炎の輸入が可能なので、貴重な一体に過労など強いていない。
このように、万全な施設の傍で何故か魔物が生じた。
しかも同年に同一国内で三体、いや侯爵領の個体を入れれば四体。有り得ない数字だ。
ラファルには予想が付いている。金色の光の中にヒントが出ていた。
幼いソリアは、知らぬ間に利用されていた。彼女のクレムや他者への仕打ちを許しはしないが、哀れには思う。
故意に悲劇を生じさせた馬鹿者達がここにいる。
償わせる事が、被害者達への手向けになる。
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完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。