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エピローグ章
34 カテドラル
二十歳の年。
クレムは大学生活を終え、カダリーニャ侯爵領に戻った。
初夏には結婚式を挙げるから、予定の詰まった一年になる。
竜苑地に来たクレムは、ラファルの専用機たるラズベリー君と湖畔で向かい合った。
「お口」と指示すると、竜は素直に大きな顎をがばっと開く。開いたままの口腔内に上半身を突っ込んで、クレムは歯列を観察した。
甘党の敵、虫歯の心配はしていないが念の為。
クレムの背後で、ラファルがちょっとホラーな光景を眺めていた。
「そういう、ワニのショーがあると聞く」
「草食の竜でやってもきっと盛り上がらないでしょうね」
ライト付きのルーペを手に、クレムは日の下に戻って来る。竜の顎も閉じる。
異常なし、と記録を付けるクレムに、ラファルが言った。
「虫歯が無いと言い切れる根拠は?」
「菌が無いからです」
既に確認済み。恐らく内蔵の構造も動物とは全く異なる筈だが、現在のテクノロジーでは体を傷付けずに調べる術が無い。人間の解剖とて、割合最近までタブーとされていた。
「尤も、未知のままでも人も竜も困りはしないのですけれど」
竜は強靭で病死は無い。戦死と老衰が死因の大半を占め、ストレスによる衰弱死の例が一件あるのみ。
診断を終え、ランチタイムにする。
お抱え獣医は馬の出産に立ち会い中だ。クレムが戻った事で少しは仕事が楽になってくれていれば嬉しい。
キッチンに立ち、パンケーキを焼く。嘗て野生時代を過ごした竜は、色んな食材を纏めて食べられるこの料理を気に入ったに違いない。
パラパラした葉っぱとかコロコロしたどんぐりとか、まどろっこしいと感じていたのだ。
今はペーストにして練り込む事も出来るし、お洒落に盛れる。
デコレーションケーキみたいな盛り付けを好む竜が一定数いる事が分かってきた。メープルさんがその乙女チックなグループに入る。
ラズベリー君はそうでもない。彼はフルーツの風味を好む傾向にある。
「個性ですね」
三種のベリーをミックスしたコンフィチュールをパンに載せ、完成。
はもはもする竜の傍らで、人間達も屋外の食卓に着いた。今日はトマトとほうれん草のキッシュだ。
食事中、二通の通知についてラファルが切り出した。
「今度こそトリエンナーレに出ろ」
「本当に何もしていないのですが……」
学生時代に手掛けたのはリュースナックだけ。ベビースナックの竜版だ。
過去の功績が継続審査されるから再ノミネートされた。「竜の粉」がクレムの発見というのも大きい。確かに科学というのは偶然の発見の連鎖である。そうは言っても腰が引けた。なにせ研究にも開発にもほぼタッチしていない。
けれど帝都の研究チームのトップもノミニーと訊いて、クレムはトリエンナーレに出席する事を決めた。
もう一通の手紙は、結婚式の出欠に関する返答だった。
相手はラファルの父、前侯爵ラデロだ。
最初、彼は「出ません」と即答して来た。即座に「お願いします」と再依頼しても返答は同じ。
クレムは、ラデロを他人とは思えなかった。いや義理の父親になる人なので他人ではないけれど。
即座の応酬はメープルさんが請け負っていた。大陸を東に西に飛び、短文をお届けする。
折れないラデロを見かねて、皇太子ラギュオルが途中介入してきた。
「竜同士のレースで決めよう中将、いや世捨て人のラデロ。そなたの竜が負けたならば大人しく式に出よ」
何でそうなる、とはさすがの世捨て人も皇太子に対して突っ込めなかった。
レース結果が出た。
ラギュオルの竜がラデロの連れている通称ミドルを僅差で抑えた。一回り小さい皇太子の竜はパワーでは劣るもののドッグファイトの天才らしい――竜にドッグは妙ながら。
「負けたので、面目無くも式には出ます。すぐ去ります」
簡素な手紙を眺め、ラファルは呟いた。
「きったない格好で来るんじゃないだろうな……」
そんなこと、とクレムは嘆息を零した。
心配なら父親の軍服を引っ張り出して迎えてあげれば良い。
初夏の結婚式当日。
朝。
ラデロがきったない格好で侯爵邸のエアポートに降り立つと、出迎えた一同は揃って閉口した。
「旦那様……」と古株の執事が呆れを滲ませて呼んだのを、片手で制する。
「私は誰の旦那でもない。通りすがりの浮浪者がタダ飯食いに来たと思え」
「……はあ」
使用人達が「重症だな」と呆れているのが分かった。そこに厭う感情が含まれていないから皆人が好い。感涙している奴すらいる。
ラデロは勝手知ったるの邸内で風呂を使い、そそくさと着替える。
息子夫婦は一足先にカテドラルに向かったと言う。まずい。最後に客席に入ったら目立つ。
馬車では無くミドルに飛び乗り、留守の使用人達の呆れ顔に見送られて出掛ける。
三秒で到着。
慌ててファサード横の通用口から内部に駆け込んだら見事に目立った。
最前列で美貌の皇太子が手招きしている。
「父親のシートはここだ」
大声で呼ばんで欲しい。
着席後、ハッと通路を挟んで隣のシートに顔を向ける。
花嫁サイド、子爵家の御一行だ。穏やかな笑みの群れが、上品に頭を下げてくれる。こちらの事情は知っているようで責める色は無く労わりを感じる。
ぎこちなく会釈を返し、前を向く。座り心地が悪い。
隣に腰掛ける見張り役っぽい皇太子が、軽く笑みを漏らした。
「息子の為に我慢いたせ」
「……むしろ息子の為に来るべきでは無かったと」
その息子が来た。
通り過ぎ様にじろりと父親を一瞥し、颯爽と祭壇に向かう。いつの間にやら陸軍最上の肩書きになった息子の深緑色の軍服は、大層な金のブローチまみれ。
ラファルは完全に父親を超えた。パワーもセンスも身長も何もかも。
悔しくも誇らしくもない。ラデロは何もしていない。
息子は勝手に育ったのだ。
ゆったりと流れる弦楽器が曲目を変えた。
白い花とキャンドルで飾られた堂内に、白い花嫁が入って来た。
振り返って見た花嫁は文句なしの美しさだった。ごつくないのにパワフルな印象を受けるのは、キリッとした細身のドレスの所為だろう。スカートの輪郭線がふわふわしていない。
亡き妻も美しかったが繊細で、強い女性とは言えなかった。ラデロが悪い。
この花嫁は強そうで良かった。
すぐ背後のシートで若い男が「いい仕事したわ俺」と呟いた。意味不明だ。
式を終え、宴会場たる侯爵邸に逆戻りする。
逃げたかったが、両脇を皇太子と花嫁の叔父に固められていた。
仕方なく豪勢な食事にありつき、追加の酒を貰うと言って席を立つ。
エアポートには二体プラス皇太子の竜に、ミドルが交じっていた。主人をカテドラルに残して勝手に戻った薄情者は、甘そうなパンケーキをむしゃむしゃと頬張っている。
ラデロは考えた。竜を置いて行く――。
今なら残していける。ここにいれば毎日たらふくパンケーキが食える。
食っている隙に、姿を晦ませればいい。
「――ではな、ミドル」
別れを告げたラデロの背に、涼やかな声音が飛んだ。
「まあそう仰らずに」
ぎょっと振り返ったラデロは、本日の主役の微笑みと対面した。
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完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。