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10 そう言っている
しおりを挟む帝都は大都会だ。誘惑が多い。
伯爵のタウンハウス近辺には老舗のサロン・ド・テが三軒もある。
今日まで誘惑と戦いながら、シモーヌはモデル体型を維持して来た。
戦いはまだ続く。年末までは。デビュタントまでは。
「まああ新作のマカロン。美味しそうう」
「お嬢様、お店の窓に張り付いて涎を垂らしてはいけません」
カロルは呆れつつ店先を早足で通過した。トボトボとシモーヌが後に続く。
中央公園でランニングをしてきた帰りだった。
ファッションウィークの公式日程は終わったものの、各ブランドが独自のイベントを行う事はあるので、カロルはオーディション情報に目を光らせていた。
そして、パールで有名なハイジュエラーが支店のリニューアルオープンを祝い、ショーを開催するという情報をキャッチした。
この後、オーディション会場であるジュエラー本店にシモーヌを連れていく。
「シャワーを浴びたら即行で着替えてください、お嬢様」
「分かりましたわよ。やってやりますわよ」
「なんで鼻息荒いんですか。はしたな面白お嬢様です」
ムスッと、シモーヌはカロルを睨んだ。
「カロル、本気であの八歳児と軍人をリゾートに同行させますの?」
「彼らだけをリゾートに送り出せませんでしょう」
男子二人でビーチリゾートは普通ない。――いやある。ナンパ目的だ。
想念を過らせるカロルの腕を、シモーヌは掴んで前後に揺すった。リュカの指摘通り小さい子みたいなマネをする。
「わたくしとの女子旅はどうしますのよ」
「だから四人で行くのでしょう」
「男子どもが余計ですわよ。引率ならお父様に頼めば良いのですわ」
「ボンプラン伯爵様は今夏も大学で特別講義をされるそうです」
「お父様がちょいちょい使えないいい」
「こら。私の雇用主を貶める発言は許しませんよ」
「つまんないいい」
「新しいお友達が出来たと思って楽しまれてください」
「八歳と二十五歳ってえええ」
今はこんなでも行けばどうにかなる、とカロルは考えていた。
男子二人の方はシモーヌと戦わない。一方が引いている限り戦争は起こり得ない。
――まあ自分でも、何この面子? と思ったけどね。
結局のところ、あの場で一番年少のリュカを最優先したから了承に至った。
セドリックはおまけだ。立派な大人である彼の面倒まではさすがに見ない。
「面倒を見て欲しい」
「…………」
カロルはシモーヌを会場入り口まで送り届け、ハイジュエラーの本店から表の歩道に出たところだった。
またもセドリックと遭遇した。馬車に追跡装置でも付いているのだろうか。
カロルの疑惑の目に気付いたセドリックは「違う。ストーカーじゃない。そちらの家人に聞いてきただけだ」と捲し立て、夏季休暇の件を切り出した。
「私に子供の面倒など見られん。君が見て欲しい」
「あの子達の事なら、勿論心得ています」
「私の事は放っておいてもらって大丈夫だが、だからと言ってあまり放っておかないで欲しい」
「…………」
どっちなの、とカロルは閉口した。
セドリックは詰め寄った。馬車の陰なので長身に迫られると狭苦しい。
「リゾート行きはリュカだけでなく、君との触れ合いの為だとしかと理解しておいてもらいたい」
「…………」
触れ合いと聞いて、カロルはファミリー向けテーマパークにある小動物コーナーを想起した。
嘆息が出た。
「閣下。一つハッキリさせておきたいのですが」
「私の事はそろそろ名前で呼んで欲しい。リュカの、様、はあいつの希望で取っていただろう」
「ラカーユ公爵閣下、貴方が義理堅く誠実な方なのは充分伝わりました。幸いにも私は帝都で元気に生きていて、難民にありがちな迫害やら何やらの困った事態にはなっていません。閣下が危惧される事は一つもないのです」
「それは君が頑張ったからであって私が何かしたのではない」
「だから気が済まないんですよね。承知しております。ですので、私からのお願いを聞いて頂けないでしょうか」
「なんだ。何でも言ってくれ」
「では申し上げます。――私に素敵な男性を紹介してくださいませ」
「――、は?」
「例えば海軍の方で、元難民でもいいよ! という奇特な方はいらっしゃらないでしょうか?」
「――、カロル」
「それでよろしければなのですが、私の方でも閣下に似合いそうな女性をお探ししてみたいと思います。閣下に私の助力など必要無いでしょうけれど、貸し借りがいくらか和らぎますので」
「――――」
セドリックは呼吸をしているか怪しかった。全然動かない。
カロルは軽く首を傾げて彼を仰ぎ、目を凝らした。瞬きがあった。生きている。
「閣下、大丈夫ですか」
「――、君は、私を嫌っているのか」
「率直に申し上げます。好きも嫌いもありません」
セドリックの広い肩がふらつき、馬車の車体にガンッと当たった。
「――、やはり私を許せんのだな」
「蒸し返しますね。違うと散々お伝えしていますのに」
「どうすれば償いになるんだ。私はどう償えば」
「ですから償いは要らないです。償いの結婚も要らないです」
「償い無しに結婚は出来ん」
「すっかり堂々巡りですね……」
申し訳ない事に、カロルはそろそろ面倒臭くなり始めていた。
いつかと同じようにセドリックは俯き、呟いた。
「ダメなのか。私では、君に相応しくないのか……」
妙な発言だった気がして、カロルは瞬く。
面倒に感じていても憎らしい訳ではない。一応フォローしておいた。
「閣下、逆です。私が閣下に相応しくないのです。お間違いなきよう」
「……君は私に償わせてくれず結婚する気もない。私に興味もない。私はつまらん男だから無理もない」
酷い自虐だ。世の大半の男性がセドリックの足元にも及ばない。セドリックは凡庸なる男性諸君を敵に回したいのだろうか。
自虐に浸るセドリックはぶつくさと続けた。
「……償えんでは結婚出来ん。結婚すれば償う機会もあるやもしれんが出来んのでは成す術が無い。結局私は許されん」
やはり妙な発言だった気がして、カロルは瞬いた。
「今、償った上での結婚と仰ったのですか?」
「……そう言っている」
「償いと結婚は別々のもの?」
「……所詮は軍人で俄か領主に過ぎんのだ。ユーモアも無くアートにも疎い」
面倒臭い。大きな体で小さな事を気にしないで欲しい。
彼の妙な発言から、カロルは気付いた、ような気がした。
「あの、不躾な事をお伺いしたいのですが閣下、よろしいでしょうか」
「……既に海底にいる。これ以上沈みはせん。好きに罵ればいい」
「では失礼して。閣下は私との結婚を望まれているのですよね?」
「……ずっとそう言っている」
「結婚したいから償いたいと仰ってますか? 先に償うのが難しいなら結婚して機会を待つと?」
「……ずっとそう言っている」
そう言っている、と言われてもカロルには全然伝わっていなかった。
クレームは後回しにしてカロルは核心を突いた。
「つまり、結婚したいだけの事ですか? 閣下は私を好いていらっしゃる?」
パッと、セドリックの顔が上がった。見開かれた青い瞳がカロルを直視する。
同じく金髪碧眼でも、エメラルドグリーンのカロルと異なり彼の瞳は青みが強い。
コバルトブルーの双眸と見詰め合い、カロルは瞬いた。
一拍後、セドリックの目元が赤らむ。潮焼けとは違う赤みを見て、カロルはまた瞬いた。
細く開いた唇を一度閉じ、セドリックは目線を落とした。
「……ずっとそう言っている」
繰り返すが、そう言っている、と言われてもカロルには全然伝わっていなかった。
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