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04 辺境の夫
しおりを挟む「――祖国の事、悔しいか」声を受けて、知らず落ちていた目線をラクロと合わせたシロールは仄かな笑みを浮かべた。
「悔しいよりも何も出来ない自分を酷くもどかしく思っておりました。今はただフェリク殿下が良い様に民を導いてくださる事を願うばかりです」
「……そうか」
こちらも気遣うような目を注いでくるラクロを見て、苦笑が零れた。
「フェリク殿下のお手並み拝見です」
「中々言うな」
シロールの軽口が意外だったのか、ラクロは軽く片方の眉を上げて車窓に視線を逸らした。
「君は若くして随分と苦労してきたようだな」
シロールはうっかり噴き出しそうになるのを堪える。
実際、公国滅亡からの五年間はどうにもならない事の連続だった。現在含め。
平坦な口調でラクロは続けた。
「特に君の元婚約者は酷かった」
「あら、どこかで楽師とお会いに?」
ラクロの目線がシロールに戻ってきた。
「君が臥せっている間、別室の病床で苦しむ様を見かけた」
見かけた。なら見舞った訳ではないようだ。
ラクロは淡々と告げた。
「偶々声を聞いた。ずっと命乞いをしていた」
シロールは無言を返した。
宮廷楽師の元婚約者が苦しんだ末に死亡したという話を思い出す。
フェリクは何かのついでに「そうそう」と軽い調子で楽師の訃報をシロールに伝えた。既に楽師の死後から二日が経過していた。
同じ瀕死でもシロールは助かり元婚約者は助からなかった。
治療には優先順位が付けられる。
フェリクの妃候補だったシロールは、だから助かった。
シロールの身柄は一旦フェリクの所有物になった上でラクロに下賜されている。
単に楽師との婚約を抹消するのに一番手っ取り早い手段が取られた。侵略者は何でも出来る。
楽師は死んでしまったので結局どこからも誰からも異論は出なかった。
楽師の死についてシロールにはあまり思うところが無かった。
元婚約者は、シロールが王妃の兵士に連行される際に一切庇ってくれなかった。
地下牢にも一度も足を運ばなかった。
可愛がってくれる王妃のご機嫌取りの方が大事だったのだろう。
因みに投獄の理由は、シロールが描いた王妃の肖像画にあった。
目元の皺を描き込みすぎて王妃の怒りを買った。
有りの儘を描くようにとのオーダーを受けたからその通りにしたのに理不尽な話だった。投獄は王の与り知らないところで行われた。
以前にもシロールにはちょっとした前科があった。
ある絵画の修復を拒否した。
それは公国からの略奪品に含まれていた巨匠の風景画で、王都までの運搬の途中で小さな傷が付いてしまった。修復すると巨匠の意図と反する事になり絵の価値が下がると分かっていたシロールは、修復しない事で名画を保護しようとした。
断固拒否した結果、謹慎処分を受けた。
けれどシロールの代わりに他の宮廷画家が手を下し絵画は悲劇に見舞われた。皮肉にも失敗を見てシロールの判断が正しかった事を王は知った。
謹慎は解かれ、シロールに筆頭の称号が与えられた。
「――だからって調子に乗るんじゃないよ、お前」
王妃は、シロールを目の仇にしている節があった。宮廷楽師なんかを遊び相手にしていたのもシロールへの腹いせだったと思う。ただ生憎、婚約者を寝取られたところでシロールは痛くも痒くもなかった。
属国の姫としてルクニェ王国に嫁いで来た王妃は、どことなくシロールと境遇が似ていた。それで妙な対抗心が芽生えたのかもしれない。
いずれにせよ王妃の本心を確かめる術は無い。
ルクニェ王家は根絶やしにされた。国王と共に。
彼らとて文句は言えまい。自分達が他国で散々やって来た事だ。
ラクロに倣ってシロールも車窓に目を向けた。
悪事はいつか自分の身に跳ね返って来る。
冷めた思考に浸るシロールの横顔に、ラクロが発した。
「ろくでもない婚約者でも死んでは哀れか」
「そうですね」
「貸した金が返ってこんのも悔やまれるか」
「そんな事までご存じとは」
可笑しな発言のように思えてシロールは気の抜けた笑みを浮かべてしまった。
ラクロは無表情だ。別にウケ狙いの発言では無かったらしい。
彼は唐突に切り出した。
「今宵――」
夕食会かな、というシロールの呑気な予想は大きく外れる。
「――ひと月遅れの初夜を行う」
ぽかんとなったシロールを直視するラクロの両眼は、熱を帯びていた。
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