亡国公女の初夜が進まない話

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16 見送る夫

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結婚式の翌週。
旧公国の現在の統治者である帝国公爵セルヴァから、問い合わせに対する回答が速達で送られて来た。

「辺境伯夫人の記された場所に秘密の地下通路と小部屋を確認しました。侵略軍によって踏み荒らされた形跡は認められません」

幸先のいい情報を得たシロールは早速公爵に宛てて感謝と、近日中に訪問させてもらう旨の手紙をしたためた。訪問の際、一切のもてなしは不要であるとも書き添えておく。

「お忙しいところにお邪魔するのも本当は控えたいのですけれど」

故郷訪問は苦肉の策とはいえ長居は迷惑になる。せめて領土内で逗留しなくて済むよう旅程を組む。強行軍で構わない。
封蝋した手紙をマリィに預けて、シロールは白い窓枠の向こうに広がる澄んだ青空を仰いだ。
遥か西方にある故郷を幻視する。
五年以上ぶりの帰郷になりそうだが、はしゃぐ気分にはならなかった。



三日後の朝。
シロールを乗せた馬車が辺境伯邸を出発した。
辺境伯領を南下し、更に南の隣領を突っ切って帝国南端の港町を目指す。
海路で故郷に向かう。
故郷フォルボンヌ公国は港を中心に発展し、栄華を極めた。

今や西の隣領となったルクニェ地方を横断する陸路もあるが、大渓谷に加えて二つの山脈を越えなければならない。アップダウンの旅路は時間がかかる。
距離的には遠回りでも海路を行った方が格段に快適で、結局時間短縮になるのだ。

走行する事凡そ二時間半、南の隣領ランドベルとの領境に差し掛かった。
境界を示す案内標識の手前で馬車が一時停止する。
外からドアが開かれ、ラクロが車内に乗り込んで来た。と同時に、逆のドアから随行者のマリィが猫のような俊敏さで車内から抜け出す。新婚夫婦を二人きりにしようという計らいだ。
ここに至るまでずっとシロールは、騎乗して馬車に付き添うラクロと車窓越しに会話していた。

シートの隣に腰を落ち着けたラクロはシロールの肩を片腕に引き寄せると、改めて告げた。

「気を付けて行ってこい」

多忙を押して長い見送りをしてくれた彼に、シロールは微笑んだ。

「なるべく早く帰ります」
「ああ。このまま引き返して構わんぞ」
「それでは何の為の見送りだったのか分からなくなります」

互いを両腕で抱きしめ合ってしばしの別れを惜しむ。
分厚い胸元から顔を上げて、シロールは偶には自分から彼の頬に唇を寄せた。
軽く吸う音を立てると、慣れないスキンシップにラクロが硬直した。
それも一瞬の事で、彼は離れていくシロールを追いかけて口付けてきた。上と下の唇を交互に吸い、更に中に潜り込もうとする。
左右の車窓は半分カーテンが開いている。シロールは「はい」とストップの声を掛け、彼の唇を指先で塞いで侵入を阻止した。

「ここは天下の往来です。続きは帰ってからに致しましょう」

掴み取った指先に少し乱れた呼吸ごと唇を押し当ててラクロは言った。

「煽っておいてお預けか。この分では君を待ち侘びる間、私は不本意にも君の解除成功を祈る事になりそうだ」
「祈っていてください」

シロールがにっこりと念を押すと、何度も指先に口付けてラクロは「分かった」と渋々同意した。
車外に降り立った彼が外からドアを閉めると、逆のドアが開いてまた猫みたいなメイドが車内に戻って来る。
ご苦労なマリィを肩越しに振り返り「お気遣いどうも」と苦笑したシロールは、車窓越しにラクロと目線を合わせた。

「では行って参ります」

首で頷き、ラクロは車体から半歩下がった。
再び動き出した二頭立ての馬車が南へ伸びる平坦な道を進んでいく。
馬車の背中が景色に紛れて見えなくなるまで、夫は妻を見送った。



来た道を馬の最高速で駆け抜けたラクロは、一時間強ほどで邸宅に到着した。
本当は仕事など全部放り出してシロールの帰郷に同行したかったが、調査中の案件がある所為で自領を留守に出来ない。緊急連絡が入るかもしれない。

悉く、謎の紋章が新婚生活の邪魔をする。
内心に舌打ちが出た。

――たかが戦災孤児一人の身元調査にいつまで掛かっている。

遠方に対する調査依頼なのでクレームを送るにも時間がかかる。
辛抱強さには自信があるラクロだがこの件に限って寛容になれないでいた。

正門で馬を降り、厩舎から駆け出てきた兵士に手綱を預けて玄関へ進み、使用人の出迎えを軽く受け流して執務室に入る。
黙々とデスクワークをこなす最中ノックが鳴った。
了承を与えると、老執事がきびきびとした足で入って来た。
七十代とは思えない姿勢のいい彼は元陸軍少佐で、ほんの十年前までは前線で指揮を執っていた。

「閣下、北部から妙な報告が上がってきましたぞ」

被災地だった農村地区を思い浮かべながら、ラクロは差し出された紙束を執務机越しに受け取る。
紙に目を落とした主人を見たまま、老執事は続けた。

「家畜や備蓄食料の盗難が多発しているようですな」
「そんなに治安が悪かったのか?」

思わずラクロはこの辺境地の出身者でもある老執事を見上げた。
幼少期から地元を知る老執事は、辺境伯歴十年に満たない新参のラクロに対し「いいえ」と首を左右に振ってみせた。

「長閑な村ですよ。近所全員顔見知りで気のいい人達ばかりです。だから盗みを働くような輩は余所者としか考えられんのです。夜中こっそり山から下りてきているに違いありません」

余所者、と口の中で復唱してラクロは鋭くした目線を老執事に向けた。

「野盗か」
「にしては被害がしょぼいので、その一歩手前の難民の類ではないかと。山中で不審者の目撃情報も出とります。放置すればエスカレートするでしょうな」
「難民。山の向こうか」
「恐らく」

北の山地を挟んだ隣国の辺境伯領もまた豪雨で被災した。
隣人の出遅れを見知り、ラクロは初動をカバーする程度の人道支援を施してやったが既に手を引いている。やり過ぎるとあちらの面子を潰す。
復興の進捗については特に把握していない。

「治安の悪化でしょうな」と老執事が呟いた。復興が遅れていて生活困窮者が増加しているものと考えられる。

「北と言えば、――例の女商人も隣領に店を構えているのでしたな。治安悪化が商売に響いていなければよろしいですが」

隣領を代表する商会を想起してラクロは鋭い目を更に細めた。
結婚式の後、小さいメイドからシロールへの暴言があったと耳打ちされた。シロールは大して気にした風でもなかったそうだが、ラクロの怒りに触れた。
速やかにラ・ルベル商会との取引禁止を領の内外に周知した。
とはいえ領都における取引に限定した。被災地を経由し、山を越えて来る相手に恩情をかけた。通行禁止ともしていない。
目障りなので邸宅近辺をうろうろ出来ないよう手を打ったまでだ。
仮にも大手商会。いち都市で商売を禁止されたところで痛くも痒くもなかろう。

なのに、周知の二日後には取引禁止への説明と撤回を求める手紙がセシリアから送られて来た。妻への謝罪は一文も無く、ただラクロに乞うばかりの文章が長々と連なっていた。
ラクロは答えず、老執事から返信させた。
すると今度は「言い掛かり」だの「事実無根」だのを訴えるしつこい手紙がラクロ宛てに送られて来た。
話にならない。セシリアの手紙をラクロは全て無視した。

老執事は嘆息した。

「痛ましいとは思いますが、こちらからすれば真っ当な措置ですからな」
「うちに拘らず余所で商売をすればいいだけの事だ」
「あの女性は閣下との接点を維持されたかったのですよ」
「意味が分からん」
「朴念仁ですな」
「――少佐、今のは減俸ものの発言だ」

正式に言い渡される前に、退役軍人は話題を元に戻した。

「それで北へは、閣下自らお出ましになりますか」

ラクロは資料を机上に放った。
どうせ邸内にシロールはいないし、領内に不穏の火種があるのならこの手できっちり消しておきたい。

「出掛ける」





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